冒険好きしかいないのさ、ここには

「で、言いな」

「何を?」

「出し惜しみすんなって、昨日約束した」

 ジャックは小さく長い爪をちゃかちゃかと机の上で動かした。

「わかったよ。監督さんは席を外した方がいいかも――」

「恥知らずなことを言うのかな?」

「ある種。正直に言って、芸術家さんの耳には吹き込みたくないお話でね」

「それなら」

 アルマジロ監督は言う。

「聞きます」

 オディアンボが新しいコーヒーを注いでくれた。

「やれやれ、やれやれ。とんだ冒険好きばっかりだなあ」

 ジャックは頭を掻いた。


「どこから話したらいいものやら」

 少しだけ口を引き締めて黙ったジャックの顔を、あたしはしげしげと見守る。

 このトカゲが真剣な顔をするなんて珍しい。

「まずアリス。アーサーはボクサーをやめるよ」

「は……」

「いや、表舞台でってことだけどね」

「賭けボクシングに専念するって?」

「禁止薬物を使った疑いがある」

「どこで」

「試合でだよ。筋肉増強剤の痕跡が見つかったんだ。未認可のな」

「何であんたが知ってるの」

「ふふん」

 ジャックは胸を張った。

「俺がすっぱ抜いたからさ」

 頭を抱えてアルマジロ監督がコーヒーをすする。

 これが真実なら、昨日撮ったMVはお蔵入りだろう。残念だけど。

 そしてあたしも本音を言えばアーサーとの無様な殴り合いをMVにして欲しくない。

「それが連中と関係あるの」

「大ありだよ、ありもありだよアリス。<神のみこころ伐採教会>が売ってんのは、その筋肉増強剤プリチャックスなんだからな」


 ジャックはデータパッドを机の上に置き、動画を再生させた。

 つい先月の王座防衛線の映像が流れる。

 真っ赤な火の縫いどりをしたボクサーパンツのアーサーが、挑戦者を挑発する。

 インドサイとピューマのハイブリッドだという挑戦者は目にも止まらぬ高速ストレートをアーサーの顎に直撃させたが、どういうことだか、アーサーはこゆるぎもしない。

 にやっと笑ったアーサーの上腕の筋肉が信じられない太さにたわむ。

 そしてその一秒後には挑戦者がリングの上に倒れている……。

「こいつ、死んでたんだ」

 ジャックが目を細めて言った。

「信じられなかった。だから俺は調べ始めたのさ」

 緑色の手が、ぬるくなったコーヒーに角砂糖をぶち込んだ。

「入れすぎ」

「許してくれよ。胸焼けするんだこの話は。でな、分かっただろうけどアリス。このプリチャックスってクスリは痛覚を遮断する。そして中毒性がある。ほとんど麻薬だよ。しかも服用者が凶暴になるおまけ付きのな。アーサーは王者防衛線で広告塔になったんだ。今頃<伐採教会>は丸儲けだろう」

 ジャックは甘ったるいコーヒーをすすって、目を伏せた。

「そういう堕落には俺は厳しくいきたい。でもアリス。君を巻き込むのは嫌だった」



 ×



 ほんの一日でアルマジロ監督は撮影の手はずを整えた。

 あたしはちょっと、このごつごつした監督を見直す。

 やるときゃやるタイプね、いいことだわ。

 ジャックがキャンペーンを張って(『シンデレラの生歌を聞こう!』)、それに乗ったタクシー会社がツアーを組んだらしい。

 その頃には雪は小やみになりエアロプレインの発着許可が出た。

 ひと足先に監督が現地入りして、あたしとジャックが第二便で行くことになっている。

「なあ」

「何」

「良くあのシンディが逃げなかったな」

「誰のこと」

「嘘だろ。監督だよ。MVに関しちゃグラミーの常連だぞ」

「知らなかった。下層の人間にゃ見分けがつかないもんでね。ただのアルマジロに見える」


 イカしたフライトジャケットを着たパイロットはプロフェッショナルで、上層の雪にも下層に立ち込める霧の中にも動じず、慎重に降下して幅二メートル弱の樹根の上にあたしたちを無事におろしてくれる。

 先発隊のアルマジロ・シンディ監督はしっかりと爪を樹根に立てて、風圧に負けないように踏ん張ったポーズのままあたしたちを出迎えた。

 ぺったんこに潰れたオレンジの皮みたいになっちゃって。

 その完璧なガード、完璧すぎてあたしたちが声を掛けても気づかないくらいだった。

「監督。おおい監督、もう大丈夫ですよ」

 ジャックがパンパンと背中の鱗を叩いても微動だにしない。

 そこに命綱をつけたスタッフのカンガルーがやってきて、

「失礼」

 お腹のポケットから取り出したペットボトルの水をぶっかけた。

「ひゃあっぶぶぶぶぶぶぶう!」

 と言いながら監督は飛び跳ねて起き、樹根の上にいることにビビって丸くなった拍子に落ちかけたけど命綱に引き戻されて現実に戻ってきた。

 周りで働くスタッフたちは慣れた様子で、きびきびと動き回って監督の安否なんか心配しちゃいない。


「ああ、と」

 ジャックがいたたまれず声を出すと、ようやくこちらに気付いたずぶ濡れの監督はすんごくバツの悪そうな顔をする。もじもじと台本を差し出した。

 あたしはその台本の中のイメージボードを見て、すっかり感心しちゃう。

「いいわ、これ。完璧ね」

 横から覗き見たジャックが、ぴゅうと口笛を吹く。

 トカゲの口じゃまともな音が出なくって、壊れたドアの隙間風みたいな音。

 軽々しいのにお似合いだわ。

「いやあ監督、攻めますねえ」

 アルマジロ・シンディ監督はもじもじ両手をこすり合わせる。

「何だかんだ、攻めるのが芸術でしょう。訴えるものを」


 イメージボードの中では、あたしは樹根の真ん中に立って、輪舞する下層界タクシーのヘッドライトに照らされて歌う。

 その上から白い羽が降るんだ。

 雪みたいに、オウムの群れみたいに、誰も見たことのない楽園みたいに。

 そしてこう書き添えてある。

 <ならず者の聖地を奪還せよ。プライドは正義にあり>。


「この通りに撮って」

「それ以上に撮る。本番の衣装の中には命綱が仕込んであるから、暴れて」

 ちっこい目を潤ませながら、アルマジロ・シンディ監督はそう言った。

「私もそのカルトが嫌い」

 あたしは拳を固めてクリーム色の顔の前に差し出す。

「何かな」

「戦友は拳と拳で挨拶するの――って、昨日歌ったでしょう」

 長い爪の付いた手が不器用に握りしめられて、あたしの拳にちょんと当たった。

「痛かった?」

「全然」

「今の、全力だったけど」

 あたしはげらげらと笑う。

 アルマジロ・シンディ監督が真っ赤になったからだ。

 ジャックは一歩離れたところで今のやり取りを文字に起こしてる。

「それ記事にしないで」

「監督、こういうのがウケるんですよ」

「はず」


 がしゃんという大きな音が樹根の反対側で聞こえた。

 三人が一斉に顔を上げたとき、霧の中で化け物みたいな大きな影がうつろい揺れて、そこにあったはずのライトの光が消えてしまう。

 あたしの心臓が、どくどくどく、と速いピッチで鳴り始める。

 モンスターのお出ましだ。

 アルマジロ・シンディ監督が走り出そうとしたので、

「待って」

 あたしは制止する。

「あたしが見てくる」

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