第40話 黒き虚に消える
――朱翔の前で宇宙の話は厳禁、いいわね?
モニターに映る犬人間は犬歯剥き出しにして嗤う、嗤う、アラートに負けず嗤い続ける。
フロンティアⅦにアラートはなお響く。
操舵室の全モニターが暗転、肉視窓は対デブリ用シャッターが強制降下する。各ブロック隔壁ダウン、各扉ロック、エンジン出力低下、生命維持装置停止、各姿勢制御スラスタ停止、疑似重力発生装置ロック、各ブロックの異常がARグラスに届けられる。
「んなくそっ!」
みそらはコンソールを叩こうと反応ないことに悪態つく。
『ぴぎゃひゃひゃひゃびゃー! やるだけ無駄だってのそのオンボロ船のコントロールは僕様が奪いとってやったぜ!』
姿は異なろうと紛れこなくあの言動は巨大猫だ。
「てめえ、その姿! 死んだんじゃないのか!」
「死? ふん、死を回避しただけさ。てめーらのへなちょこ光線でくたばるほど僕様は弱々しい生き物じゃないのよ、かーぺっ!」
どんなトリックだとの疑問が喉奥からこみ上げる。
だが、現状ふさわしからぬと飲み込んだ。
「くっそ、メインフレームまで侵入しやがって、シャットダウンコマンドが作動しない!」
最新鋭の宇宙船だからこそ、ソフトウェアもまた最新で最高のセキュリティーレベルが設けられている。
地球圏において船出を控えたフロンティアⅦのシステムに、どこぞのハッカーが侵入を試みたことが大問題となった。
お陰で船体は完成しようとソフトウェア改修に多くの時間を割かれ、出航に遅れを来す。
その分、強固で性能が向上したソフトウェアが完成した。
『ぴぎゃはっははっ! それどうした、なにした、手動かさないとこの船沈んじまうぞ!』
メキメキと壁面から不吉な音がする。
胸をざわつかせる不快感が不吉な音と共鳴して増加していく。
「まさか、船をへし折る気か!」
『は~い、そのまさかです!』
正面モニターの一部が復活。
外部映像であり、巨大敵船より延びるムカデのような足がフロンティアⅦに食い込み、外壁に無数の亀裂を枝分かれさせている。
「全部切り落としたはずだぞ!」
『生えてくるって発想ないのがまさに下等生物だな!』
犬人間はなお嗤う。
清濁併せ持つように無機と有機が混じり合った外観の巨大船に再生機能があった。
このまま船体をへし折られれば、朱翔とみそらは宇宙に放逐される。
放逐されるだけであの犬人間は終わらせるはずがないと勘が告げた。
「やろう、今度もぶっ飛ばしてやる!」
『やれるもんならな! まあできねえけどよ!』
「なにを、うおっ!」
ひときわ大きな揺れがフロンティアⅦを襲う。
今度は船体全体を強き揺れが終わりなく続き、軋む音が圧力を増す。
みそらはモニターに大写しとなる黒き虚に絶句した。
宇宙に存在する黒き虚など一つしか該当しないからだ。
「あの黒い穴はまさか!」
『そうです、ブラックホールです! 船の転移装置で近場のブラックホールまで転移したんだよ! にっしっし、おめーらのことだ。どーせ船へし折ってもしぶとく生き残りそうだし、ここは確実に殺処分できる穴に放り込むのがベストマッチなのよ!』
ご丁寧に離脱可能限界時間がモニターに表示されている。
光さえも飲み込む高密度重力の天体。
足を囚われたならば助かる術などない。
『僕様はこの船のどっかにいるから、ぶっ飛ばしたいなら探してみな、まあ探したくても探せねえだろうけどよ! ぶひゃひゃひゃっ!』
犬人間は笑いながらモニターから消えた。
「クソがっ!」
みそらは悪態と共に操舵室から駆けだした。
医務室に向かった朱翔に通信を入れようと一切の応答がない。
犬人間がみそらを煽り、場に縫いつける策に出たのではないかと胸に過ぎる。
通路を駆け、医務室まで後少しというところで、みそらめがけて朱翔が身体のくの字にして飛び込んできた。
「危ねえっ!」
咄嗟に受け止めるみそらは、文句の口を開くも朱翔の身体が傷だらけであることに口を閉じた。
「おい、しっかりしろ、あ、や、と、クソが!」
通路で蠢く六つの影にみそらは悪態つくしかない。
身体がどろどろに溶けかけた者、全身が毛皮で覆われつつある者、恐竜のように変貌しつつある者、頭部が完全に鳥へと変わり果てた者など救出した六人のクルー全員が人間の姿から乖離していた。
誰も彼も目が虚ろであり、ゾンビように力なく歩いては迫っている。
「ううっ、み、みそら……」
「動けるか!」
「う、動けるけど、けど!」
みそらはただ悔しがる朱翔に奥歯を噛みしめるしかない。
赤と青の力を借りて救出に成功しようと、既に怪獣への改造は完了していた。
仲間だろうと討たねばならぬ感情と、救うべきだと訴える感情がいがみ合い、思考停止を引き起こす。
「俺様がやる、朱翔は下がっていろ!」
朱翔を押しのけたみそらは決断する。
咎を背負うのは一人で充分だ。兄貴は地球で待っている人がいる。今後の幸せを考えれば、背負うべきは朱翔ではない。朱翔は優しい。優しい故、仲間への攻撃を躊躇してしまった。だが、みそらは違う。あれはもう人ではない。人ではないのだ。ならばこそ、友として仲間として、できるのは終わらせてやることだ。
「んなことさせないもんね!」
変貌した仲間に向けてみそらが光線を放たんとした瞬間、通気口から犬人間が笑いながら飛び出してきた。
巨大猫と比較して小さく、握り拳大の大きさであり、首にはタブレット端末のような板切れが下げられ、両手には銃を構えている。
「びやっはっはっ! てめーらの弱点知っているもんね!」
宇宙戦争出ても違和感のないメカニカルな銃を、朱翔とみそらに向けて発射した。
「量子分解光線、びりびりびりびり~!」
擬音と共に照射される光線が朱翔とみそらに膝をつかせるのを強要する。
「なんだ、ち、力が、はい、ら、ない」
「か、身体が、おも、い」
強制的に重石を背負わされたような重圧と、脱力感が全身を支配する。
内に宿る赤と青の声と意識が霞んでいく。遠のいていく。
照射された光線が赤と青の力を奪うものだと気づこうともう遅い。
「そのまま量子分解されて宇宙の藻屑になりやがれ!」
動けぬ朱翔とみそらに犬人間の蹴りが炸裂する。
自由の効かぬ身体は真っ正面から受け、揃って壁面に背中を激突させる。激突の衝撃で肺の中の酸素が吐き出され、酸素求めて激しく咳きこんでしまう。
「こいつめ、こいつめ! 下等生物の分際で!」
犬人間が苛立ちを爆発させ、何度も朱翔とみそらを足蹴にする。
「がはっ!」
「ぐ、ぐうう」
血反吐まみれの姿を見下ろす犬人間は恍惚な表情を浮かべている。
「さて、蹴るだけ蹴ったら、なんかンコ出したみたいにすっきりしたし僕様はそろそろ船に戻るか。もたもたしているとブラックホールに飲み込まれるからね」
犬人間は首に下げたタブレットを肉球で操作する。
かすむ目でみそらは意識を強く持ちながら直感した。
(一か八かだ。おい、青、いるんだろう! まだいるんだろう!)
呼びかける。何度も何度も強く呼びかける。
ろうそくよりも弱々しい光を心の奥底で感じ取る。
(俺様の全てをくれてやる。力を寄越せ、使ってやるから寄越しやがれ!)
歯を割れんばかりに食いしばる。残る力の全てを一カ所に集中させる。意識をかき集め、犬人間が背中を向けた瞬間を狙って飛び出した。
「地球人舐めんじゃねえええええええっ!」
叫びは青き波動としてみそらから放たれ、打ち付けられたもの全員の身体を硬直させる。虚ろな目に生気が戻り、誰もが咄嗟に動いていた。
「ぬぎゃああああ、なにすんだ、てめえら創造主様だぞ! 逆らうなよ!」
六名のクルーがよってたかって犬人間を拘束している。
誰もが変貌した肉体にショックを受けていようと、宇宙飛行士なのだ。トラブルの一つや二つで思考を停滞させるほど精神は脆くない。
「おま、えら、ぐっ!」
みそらが青に呼びかけたように、みそらの呼びかけが波動となりクルーたちの意識を呼び戻した。助けられる希望がみそらに走ろうと、クルーの目に圧され当初の狙いを敢行する。
犬人間からタブレットを奪い取った。
「てめえええ、それ、船の遠隔操作装置だぞ!」
「やっぱり、そうだったか! ならよ!」
笑み走らすみそらは直感でタブレットを弾くなり、朱翔の身体が粒子状に消える。
「よし、脱出挺に反応あり、テレポート成功だ! 次は!」
「アヤト、大丈夫だ、だから君が生きろ!」
「お前が戻るんだ! もう戻れない俺たちの代わりに……」
「生きて任務を果たせ!」
拘束から逃れんと暴れ回る犬人間をクルーたちは決死の形相で抑え続ける。だが、犬人間は両腕を丸太のように肥大化させれば六人のクルーを力付くで弾き飛ばす。
「下等生物如きが、僕様の物をいっちょまえに扱うか!」
みそらがタブレットを弾き終えたのと同時、丸太のような拳が身体を打ちつけ、胸から背に抜けた衝撃が壁面を粉砕する。
「てめえは直に吸い込まれてな!」
壁面粉砕により急激な気圧変化が起こり、みそらは宇宙に吸い出される。すぐ背後には黒き虚。助からぬと自覚しようと悪足掻きは止めない。手には執念で離さぬ犬人間のタブレット。酸欠で遠のいていく最後の意識がタブレットを弾いた。
『本艦は一八〇秒後に……修正、一〇秒後に自爆します』
「ぬあ! や、やめ、やめろおおおおおおおおおおおおおっ!」
犬人間の絶叫は巨大船の爆発によりかき消される。
そして、みそらの姿もまた黒き虚ろに消えた。
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