▲2三 推論

「え、嘘でしょ。分かるわけないじゃない」


 黒木さんが驚いた声で言った。


「うん、まぁ推論には違いないけど合っていると思う。この中だと僕だけが分かるんだ。黒木さんは千堂先生の話を聞いてないから情報が足りていない」


 僕は6時限目の後、千堂教諭から受けた注意とその経緯を二人に話した。道徳公園で見つかった焼死体のこと、そして被害者が参加していたらしい将棋の集まりのことを。


「高槻部長が警察に事情聴取って。あの人、本当に将棋と名の付く場所ならどこにでも出没するのね」


 黒木さんが呆れた顔で言った。


「高槻さん、ですか」

「あれ部長の事知ってるの?」

「ええ、まぁ」


 ハンナさんが小さく頷いた。先程までの明るさが消えたような気がしてその関係性を問いかけたが、彼女は直ぐに表情を変えた。


「それより、どうしてそれで落し主と拾い主が分かるんですか? 私にはさっぱり分かりません」

「ハンナさんは必要な駒が揃ってないんだよ。黒木さんと僕は、たまたま昼休みに一緒にいたから、この謎を詰ませるだけの駒が揃っている」

「その言い方だと、分からない私が負けているみたいじゃない」


 黒木さんが不満気にこちらを睨む。


「順を追って説明してみせて」

「じゃあ、まずは確認から」


 少し長くなりそうだったので、僕は咳払いしてからハンナさんをソファへ促した。黒木さんとハンナさんが二人並んで座り、僕が対面のソファに座る。冷静に考えると、この後ハンナさんを勧誘するのだから僕と黒木さんが並ぶべきなのだけど、今は仕方ない。


「このルーズリーフの張り紙から行こう。『お昼休みに鍵が落ちていました。放課後までに落とし主が回収しなかった場合には、責任もって職員室へ届けておきます。』ここから読み取れることが幾つかある」

「ええと、落し主さんがこの鍵とスマホケースのセットを落としたのは遅くともお昼休みかそれ以前で、拾い主さんが見つけたのがお昼休みですね」


 ハンナさんが小さく手を挙げて言った。


「そう。そして、拾い主がこの張り紙を張ったのも昼休み中だ。昼休みに拾って授業を受けてまたここに戻って張り紙をするぐらいなら、最初から職員室に届けた方が早い。他には、拾った場所、裏を返せば落とされた場所もこの休憩スペース内かその付近だと読み取れる」

「それはそうでしょう。だから張り紙を貼って、目立つように置いておいたんだから」


 黒木さんが言った。ハンナさんも首肯して同意を示す。

 離れた場所で拾ったものを、全く関係のない寂れた旧校舎の一室に掲揚するわけがない。張り紙が暗に示すのは、この鍵とスマホケースが落ちていた場所だ。


「続けよう。二つ目。拾い主は何故か『鍵が』落ちていたと書いているね」

「あ、それは確かに不思議な気がします。どちらかと言えば、スマホケースの方が大きくて目立ちますよね」

「書くスペースはあるし、わざわざ張り紙をしているから時間もあったはずだけど、うーん。どうかしら。一般的には鍵の方が大事だからじゃない?」


 二人の意見を受けながら僕は確認を続行した。


「三つ目。もう放課後だけど、拾い主も落し主も、まだ回収に来ていない。拾い主は放課後に職員室へ届けると書いているし、落し主は鍵とスマホケースのセットなんて失くして直ぐに気付きそうなものを探してすらいない。遅くとも昼休みから7時限目の終わりまでに落とした場所の候補なんて数か所しかないはずだ」


 放課後になってから、それなりに時間が経っている。世界史の授業が押して5分、黒木さんとハンナさんのいるI組まで行き、女子テニス部をやり過ごし、この休憩スペースまで歩いてやってきた。鍵なんて大事なものを探している落し主がいるなら、もう回収されていても不思議はない。


「考えにくいけど、落し主が気付かずに帰ってるかもしれないでしょ。これだけで落し主と拾い主がどうして分かるの?」

「スマホケースを落としたってことは、休憩時間にスマホを触る人ってことになる。気付かないのは考えにくいよ。それに、まだ確認の段階さ。僕たちの前にあるのは、この落し物と張り紙だけだ。黒木さん、この張り紙がそのままで、落し主も拾い主も現れなかったら、どうなると思う?」

「それは、このまま置きっぱなしになるしかない」

「そうだ。それが、この張り紙の静かな主張だ。この落し物は、第三者が勝手に触れない。落し主か拾い主が回収しなければ、数日はこのままだろう。なにせ拾い主は<責任持って職員室に届けます>とまで親切心を発揮して、わざわざ段ボール箱を用意し、上に自分の下敷を置いてまで目立たせてくれているんだ」

「確かに、段ボール箱と黒い下敷は拾い主さんが用意したものでしょうね。どちらも休憩スペースにはないでしょうし」


 ハンナさんが頷いた。ミルクティーを飲む仕草はとても優雅だったが、眺めているのは段ボール箱と黒い下敷だ。いつの間にか、彼女の手元には濃厚ミルクの飴玉の袋があった。鞄から出したらしい。目の動きだけで「要りますか?」と訊かれたが、僕は首を振って話を続けた。


「ここで、疑問が浮かぶ。ルーズリーフや下敷きはともかく、拾い主は段ボール箱をどこから持ってきたのか。勿論、探せばなくはないだろうけど、探さなければ見つからないものを、ただ土台にするためだけに探すだろうか。落し物を床に置くのが憚られたなら、黒い下敷で十分だ。自分の下敷が汚れるのを避けたいなら、ルーズリーフでも敷けばいい。どうして拾い主は、段ボール箱を探して土台にして、黒い下敷の上に置くなんて不自然な見せ方をしたのか。どうして落し主は、こんなにも不自然な落し物をしたのか」


 ここまで考えて、僕はようやく謎を解くための道筋が見えたような気がしていた。この筋で間違いないはずだ。この先に詰みがある。そういう感覚があった。


「もしかして、落し主は、これをわざと落としたんじゃないか。拾い主はそれを誰も回収に来ないことを知っていたんじゃないか。この疑念を成立させる仮説が、一つだけある」

「それって、つまり」


 黒木さんが僕を見る。


「拾い主と落し主は同一人物ってこと?」

「その可能性が高い。目的は恐らく、この落し物セット一式を誰にも触れられない状態で置いておきたかったからだ。鍵とスマホケース、黒い下敷、そしてその下にある段ボール箱を」


 僕は視線を下げ、鍵とスマホケースを乗せた段ボール箱の方を見た。無地の、これといって特徴のない段ボール箱が鎮座している。


「本命は段ボール箱の方なんだ」

「なるほど、鍵とスマホケースはフェイクなのですね。黒い下敷を挟んだのは万が一にでも段ボール箱の方を開けられたり注目されないためで」


 ハンナさんが両掌を合わせて目を見開いた。


「多分ね。スマホケースも似たような理由だと思う。下敷の上に鍵一つだけだと、ちょっとした振動でずり落ちて、段ボール箱が露わになって目立つかもしれない。スマホケースを鍵に繋げることで、安定した重しにしたんじゃないかな」

「そこまでして置いておきたい、隠しておきたいものって何ですか? 誰がそんなことを?」

「……もしかして」

「黒木さんは知っているはずだよ。さっき話した通り、今日警察が学校に来て事情聴取を行った。それが理由で先生たちの手入れがあるかもしれないって慌てていた部活があったろう」

「ええ」黒木さんが天井を仰ぎ見る。「科学部でしょう」

「科学部が大掃除をしていたのは昼休みだ。つまり、警察が来たって情報はそれより前に科学部員の誰かが知って伝えたことになる。事情聴取に呼ばれた高槻部長は三年生だから、最初にその話を聞けるのは同学年の可能性が高い。黒木さんが連絡をもらったのは――」

「吉田副部長から。でもあの人は2年よ。それに、昼休みに私が化学室に来た時から、あの人はずっと実験室にいた」

「吉田副部長に部員を集める指示を出せて、誰よりも早くやってきて、雲隠れしてトイレに籠っていた3年生」

「額田部長ね」


 黒木さんが言った。


「うん、何となく、途中からそんな気はしてた。昼休みに会った時、おかしいと思ったの。トイレに行くのに何も入っていない通学鞄なんて持っていく理由がない。あれは私たちが来るより前に化学室から何かを持ち出して、この休憩スペースに置いてきた帰りね」


「そうだと思う。副部長との会話にも違和感があったんだ。トイレに籠っていた部長に『大丈夫ですか』じゃなくて『大丈夫でしたか』って聞いたんだよ。あれは上手く隠せましたかって意味だったんじゃないかな。副部長も事情を知っているはず」


 あの時、まぁ何とかな、と額田部長は答えていた。噂で警察の話を聞きつけたとして、そこから僅かな時間で考えた作戦だったのではないか。


 3年生の教室は旧校舎で、1・2年生は新校舎だ。昼休みに入った直後、額田部長は誰よりも早く化学室に駆け込み、目的の物を通学鞄に入れて運び出すことが出来た。事情を知っている吉田副部長が科学部員に集合をかけて大掃除を始め、元の痕跡も消す。あとは放課後に人気がなくなってから、悠々と目的の物を回収して持ち帰ればいい。


「落し物の本当の目的は、この段ボール箱を化学室から遠ざけて、誰にも触れられない状態で放課後まで置いておくことだったわけですね。このサイズの箱を、学校の中に隠せる場所は中々ないですし、もし誰かに見つかって開けられたら困るのでしょうから」


 ハンナさんが目を輝かせて言った。


「それで、あの段ボール箱の中身は――」

「素晴らしい」


 出入口からパチパチと乾いた拍手が聞こえて、僕たちは一斉に振り向いた。


「額田部長……」

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