第十節 雀のスープ

 「リシャーリス殿下、どうぞ。指示通り夕食は雀スープに雀の焼き鳥です」


 「さすがに食傷気味ね」


 「気になさらずとも、魔王によるアンテ城襲撃中にテナン迎賓店で昼食を取っていたなんて、バレませんよ。そういう店です」


 イルトラの差し出したスープ皿には太った雀がゴロゴロと転がっている。

 テナン迎賓店で知ったが、骨を咀嚼して脳髄を吸い取れる痩せ雀の方が食べがいがある。


 「いや、イルトラ。ほら、父上も兄上も危うく殺される所だったし、その間不在だったのは間違い無いから。

 それにお気に入りの執務室潰れちゃったし、しばらくはアン・テアノムの塔で寂しく夕食をね」


 キアと魔王はつまびらかで無い手段で人間界に転移してきた。巨大な飛竜が通れる転送座は作成不可能なはずだ。ならば古の預言書に記載がある月の門を使ったのだろうか。勇者であるキアと魔王がそろえば、月の門を開けるための鍵となる。


 そして何故かアンテ城に来襲すると兄の塔に落下、要塞南壁を崩壊させて去って行った。おそらくそのままカイラル山に紫水晶の剣を取りに行ったのだ。


 「勇者様に再会して、動揺なさっている」


 「そりゃ、あれは私と戦うための戦闘魔法だもの。誰がどこでキアに教えたのかしら?」


 キアは父王に手を下そうとした瞬間、輪舞の雷球カ・イー・ロイナム・クラン電撃剣カ・セシーランを同時に使った。


 「魔王陛下では」


 「何時? あ、勇者になる前から面識があるか。でも操作魔法は習得に時間が必要よ、年単位で。いくら才能があっても……」


 「くるくるですか」


 「あのくるくると、剣への付与魔法を同時に使った。『臓物肉』以来だわ。あんな才能と習熟を見たのは」


 私が回転運動を基本操作として、付与魔法と組み合わせ戦闘魔法に体系化するまでは、火球や結晶を操縦する操作魔法は学芸会の見世物だった。

 魔法の同時行使が可能な魔法使いなど、ミレニアの魔法学校でも年に一人出ない。選ばれた者だけの魔法も、やはり卒業研究向けの魔法でしか無かった。勇者となったキアが剣術で私を破り、ヘリオトスの方針が魔界侵攻に傾くまでは。


 魔界は私を仮想敵として、きっちりと操作魔法の使い手を育成してきた。クソ魔族ランムイ、臓物肉ハイム、そして裏切りの勇者であるキアまでが。


 「キアは私と戦う覚悟をしていたんだわ。人間界から永続を奪うという明確な目的に従って、魔界侵攻の数年も前から。裏切りに気が付かなかったなんて惨めね」


 「勇者様に勝てるのでしょうか?」


 「私が? キアが水晶剣を持っていたら勝てない」


 水晶剣は、魔法の力や軌跡さえ斬る。操作魔法との相性は悪い。


 「今日の勇者様は聖剣を持っていませんでした」


 「水晶剣無しならどうかな、キアは強いから、操作魔法まで使えるなら、少し不利かも。

  ……。

  ああ、そうかキアは水晶剣無しでも私に勝つ積もりだったのね」


 キアという強敵に身震いがしてきた。


 「どういう事でしょうか」


 「意に沿わないなら、勇者殺しを躊躇しなかったから……人間はね」


 「勇者様は聖剣を奪われていても、粛清者に打ち勝つ力を欲したと」


 イルトラは城内ではあまり発するべきでは無い物騒な単語を口にする。


 「粛清者って、あんたね。違わないか。そう私が勇者粛清の最後の切り札」


 櫛から抜いてある最後の雀を一口で頬張ると、骨を無理矢理噛み砕く。


 「いいわね。雀は」


 「はあ」


 焼き鳥の皿を下げたイルトラが呆れた顔をする。


 「イルトラ、食後にトノア領(リシャーリスの自領)のお酒が飲みたい」


 ヘリオトス産の食後酒は、枝成りのままに乾燥したブドウを仕込んだデザートワインだ。


 「食後酒は、医者から止められているのでは?」


 「私はこれから強敵と戦う事になる、キアとね。悪く無い考えだわ。前祝いよ」


 「そうですか。良いワインは倒壊した執務室にあったのです。借りてきます」


 「父上の館はお通夜状態よ」


 父王の最もお気に入りの稚児が、練兵場の瓦礫の中から死体で掘り出された。怒りを振り撒いていた父王がそれ以降、アン・ソアキムの館から出てこない。


 「王太子殿下はそうでも無い様ですよ。もっとも酒瓶が一人でにやって来たようですが」


 「えっ、兄上が来たの?」

 


 ◇◇◇



 僕達三人(飛竜も含めて)が月の門を抜けて、魔界に帰還した時には夜になっていた。


 腹を空かせたグレイインは用意されていた羊に齧りついたけれども、僕は食欲が湧かずに魔王城の書院で食事を流し込んでいる。


 「綺亜王妃陛下、粥は如何なさいますか」


 魔界の病人食なのだろうか、僕は淡泊な味の雀スープをゆっくりと飲み干した。出汁に使われている雀は、食べる身も無いぐらい痩せこけている。


 「夜も遅いから、お腹が空くけど粥はやめておくよ」


 せっかく用意してもらったが、燕麦の粥は遠慮した。レンとのとこで吐いても申し訳が無い。


 「じゃあ綺亜、食後の紅茶にしよう?」


 「うん。クリーム多めで」


 情けない話だが、カイラル山からの帰りでも吐いた。二度目は胃液しか吐くものが無かった。

 今の僕の身体は不可侵だが、おそらく元のキア・ピアシントの身体は高山が苦手なのだ。そうした齟齬が不調として現れてくる。


 僕達の専属給仕であるタラが、蜂蜜入り紅茶にバターの膜を張り、手早く泡立てたクリームを流し込む。乳製品と言っても牛乳では無く羊乳だ。匂いに慣れれば濃厚で美味しい。


 「陛下、薬草を煎じたクリームでお茶を割ります。始まりの院にも送りましたので、夜半に起きられましたら湯割りのクリームを頼んでください」


 「もう寝た方がいいのかい?」


 「ええ、お勧めします」


 タラは僕達の給仕と毒見と健康管理役を兼ねている。

 そのアドバイスは彼女の職域に基づくのだが、何度も助けられて感謝している。


 僕は爽やかな花の薫りがする紅茶を、荒れた胃に流し入れる。


 「綺亜、それを飲み終わったら寝ましょう」


 「そうだね。……そうだ、レン、気になった事が一つ。ヘリオトスの近衛兵は外征軍の編成を解いていなかった」


 ピーラリオの言う通りに、ヘリオトスは魔界に再侵攻する積もりなのだ。


 「綺亜」


 「リシャーリス殿下と戦う事になりそうだ」


 ヘリオトスの侵攻軍は僕を拉致して説得する積もりかもしれないが、リシャーリスはそう考えてはいまい。

 高位魔法である操作魔法を使っている所を見られた。僕がリシャーリスを倒す技術を磨いてた事を知られたのだ。


 実際には最後の瞬間まで世界の滅びを確定させるか迷っていたけれども、彼女は僕が以前から入念な裏切りを計画していたと解釈するだろう。もっとも間違いでも無い。


 もしリシャーリスが指揮官として乗り込んでくるならば、僕との対戦を望むに違いない。

 僕が説得に応じない以上、一騎打ちに持ち込む以外ヘリオトスの気は収まらないだろう。


 「王妃陛下、僭越ですが今は戦争の事はお忘れください」


 「済まなかったよ、タラ。だけど気が急くんだ」


 悲しくは無いのに涙が溢れ、僕は顔を覆った。


 レンは紅茶を一気に飲み干すと、椅子に立て掛けた黄水晶の剣を肩にかける。

 普段、水晶剣は始まりの院に安置されていて、戦争と儀式以外に使われる事は無い。


 「綺亜、始まりの院の寝所に行こう。私の胸の中なら安らぐでしょう」


 「レン、ありがとう。それしか無さそうだ」


 僕も紅茶のクリームを最後まで口に入れると、紫水晶の剣を担ぐ。

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