第九節 忘れ去られた剣

 「ケホッケホッ……レン、ありがとう」


 乾燥して冷たい空気をレンの背中を借りて防ぐ。アンテ城への落下で僕は襟巻きを失ってしまった。レンの襟巻きは、彼女の臭いがして心地が良い。


 「綺亜、私もグレイインもここまで上昇した事は無いから、気絶したら助けて」


 「僕に言うのかい」


 カイラル山は、人間界の最高峰だ。極めて急峻な未踏峰であり後述する特殊な事情無しでも、この世界の技術レベルでは登頂は不可能だろう。

 魔界最大級の飛竜で直接降り立つという比較的確実な手段を用いたとしても、山頂に降り立つ事が出来るのは精々数時間程度だ。


 カイラル山は一般的な山の形をしていない。一合目から七合目まで完全な絶壁になっている。その外見は東京で言う鉛筆そのものだ。

 根元は粉砕された岩石が円錐状に積もったガレと呼ばれる広大な荒れ地が広がっている。ガレは危険な場所だが、宝石の名産地だ。ガレの宝石が人間界の宝石相場を下げているので、魔界は人間界から宝石を輸入している。


 グレイインは鉛筆の周りを螺旋を描いて上昇していく。

 十数匹の桃色の鶴が飛竜の後流に入り身体を休めている。空気が薄くなり翼に掴む事の出来る上昇気流が弱くなったが、鶴を見る限りまだ上昇出来るだろう。


 カイラル山の山頂には、紫水晶の剣が存在する。

 紫水晶の剣は勇者のための予備の水晶剣である。だがこの剣が使われた事は無い。人間の手に入らなかったからだ。


 十数万人の遭難者の末に、六万年前、人間の魔法使い達はカイラル山を倒壊させて、紫水晶の剣を手に入れようとした。

 その壮大な失敗の結果が、もはや絶対に登頂不能となった鉛筆型の山形さんけいだ。


 「グレイイン、焦らないで、羽ばたかないで」


 レンが、把踏桿はとうかんをガンガンと蹴る。不満がある時は、限定的だがこれで意志を伝える事が出来る。


 「うぅ、グレイインごめん、うぇえ」


 僕は食べたばかりの昼食を唐突に吐いてしまった。


 「ええ? 綺亜大丈夫?」


 僕は出来るだけ後ろを向いて吐瀉物を吐き出し、焦ったグレイインは急降下してそれを避ける。桃色の鶴が犠牲となりそれを浴びた。


 「ごめん。まだ身体に慣れていないんだ」


 「綺亜、今すぐゆっくり飲んで」


 「ありがとう」


 レンに無理矢理水筒を握らされた。酸っぱい吐瀉物の破片を再び胃に収める。


 「綺亜、ごめんなさい。本当は今すぐ休暇が必要なのに」


 「いいんだ、僕はあえて千年の休暇を選んだんだ」


 レンの腰に手を廻して、その襟巻きで口を拭いた。


 「後悔していない?」


 「僕はレンを得た。それで十分だ」



 ◇◇◇



 カイラル山は八合目を越えると、鉛筆の削った先の部分に入る。一合目から七合目までは垂直の断崖故に雪が積もら無いが、この領域には強風に飛ばされなかった氷雪がこびり付いている。

 

 九合目を超えると、上昇気流はもうグレイインを支えきれなくなった。

 桃色の鶴達も上昇を終えて、遠距離の滑空飛行に向けて東に離脱していく。


 「あそこに降りられる?」


 視線を向けたグレイインに、レンが尾根に囲まれた雪渓を指し示す。

 グレイインはカイラル山をもう一周すると着地動作に入った。


 地形的には障害が少なかったが、グレイインは強風にあおられて雪渓の端まで流されてしまった。

 僕達はくらからぶら下がって、ゆっくりとした動作で雪渓に降り立つ。


 その巨体故に強風に身体を吹かれるのか、固く凍った雪に爪を立ててグレイインが震えている。


 「グレイイン、少し休んで。すぐに紫水晶の剣を持ち帰る」


 「寒いし、頭が廻らない。早く済まそう」


 「綺亜、頂上は逆だよ」


 「酸素ボンベが無いと、判断力が危うい」


 僕が聖剣を抜いた後、ヘリオトスは紫水晶の剣をも手に入れようとした。

 聖剣も紫水晶の剣も同じ水晶剣だが、世界の運命を決めるのは聖剣だけだ。勇者に聖剣を持たせずに紫水晶の剣だけを持たせれば、勇者の裏切りを気にせずに魔界での戦いに送り込める(実際には、そう簡単な話では無い)


 為政者にとっては都合の良い剣だが、結局は手に入れるのは不可能という結論に達した。

 ヘリオトスの武官達は絶壁ばかりを気にしたが、ミレニアの魔法使い達は八千メートル峰における酸素分圧の問題に気が付いていた。カイラル山頂において、人が活動出来るのは体内に蓄積された酸素を使い切るまでの短い時間だけだ。しかも急いでは動けない。


 「水晶剣が二本見える」


 レンは唐突にとんでもない事を言った。

 風防眼鏡を外してしまって、眼鏡が息で凍り付いた僕には見えない。


 「レンも不味いかも知れない。幻覚かも……本当なのかい」


 眼鏡を外して手袋でこすると、かけ直した。確かに水晶剣らしき物が二本見える。


 「間違い無い」


 「綺亜、何故かな」


 「僕に聞かれても。眼鏡の蔓が冷たい」


 山頂には窪地があり、その内側の凍った水面に水晶剣が二本刺さっていた。


 「氷はあったっけ? 不自然過ぎないかな、こんな池は、こんな山頂で」


 三百億年後の世界では紫水晶の剣は、雪の中に刺さっていたのだ。


 「氷じゃ無いよ、巨大な結晶に刺さっている」


 「……本当だ。確かに水より屈折率が高そうだ」


 レンが言う通り、それは氷の池では無く巨大な緑柱石だった。底が見通せないほど深い海の色をしたアクアマリン。

 今のカイラル山が六角柱の形をしているのは、芯がまるごと緑柱石だからだろうか。驚くべき神の奇跡であり、カイラル山を魔法で倒そうとした人間をあざ笑うかのような構造だ。


 二本刺さった水晶剣の一方にはこしらえが付いており、刀身は黄色く色付いている。


 「あれ? 私の黄水晶の剣が嫉妬して、転移してきた?」


 レンは手をのばすと、手袋で黄水晶の剣を抜く。

 水晶剣には意志らしきものが存在する。レンはアンテ城の城壁を崩すために黄水晶の剣を放置したが、不満なのかカイラル山山頂まで追ってきたのだ。

 水晶剣の行動は基本的には予測不能だが、強く願えば手元に召喚する事も不可能では無い。


 「綺亜、紫水晶の剣を持ち帰ろう」


 紫水晶の剣の資格は勇者であるが、使い手が現れた事は無い。僕がこれを抜けば、全ての水晶剣は魔王とその配偶者が持つ事になる。取りも直さずそれは人間の完全敗北を意味する。


 「紫水晶の剣、何故僕を責めるんだい。あれは人間界が永続した場合の未来だ」


 時間が前後するが僕は三百億年後の世界で紫水晶の剣を見た。人間に破壊されて、なおも再生した水晶剣は、未来で僕が抜かなかった事を恨んでいる。

 僕は紫水晶で出来たなかごに指をかけると、三本目の水晶剣を緑柱石の結晶から抜いた。



 「仕事は終わり。行きましょう、グレイインが凍える」


 一度カイラル山から抜いてしまうと、何でも切る事が出来る水晶剣は収まりが付かない。持参した聖剣のはばき金具をなかご側から入れると、レンがつかを構成するいくつかの部品を組み込んでいく。水晶剣は全て同寸法なのでこうやって、金具の流用が効く。


 後はグレイインのくらに固定したさやに収めれば、安全に持ち運べる。

 紫水晶の剣を試し振りしてみた。聖剣の柄金具つかかなぐを使っているので全く同じ使い心地だ。


 「カイラル山で戦うなら水晶剣がいい。重さが無く息が切れない」


 「戦わないよ。綺亜、帰って雀のスープを飲もう。きっと胃が弱っている」

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