終幕 日常回帰~カーテンコール~

最終話 「嗤う泥泪」

「わぁ……! 折り紙のツルが飛んでるですってー!」


 復興した私立水祝記念病院の小児病棟で、ひとりの道化師が奇術を披露する。

 臨床道化師と呼ばれる、患者の心のケアを行うクラウン。

 彼が手のひらから次々に折り紙を取り出し、それを宙に舞わせるたび、子どもたちから喝采の声が上がった。

 そうしていくつも、笑顔の花が咲く。


 その花の中に、湖上結巳の姿もあった。


「すっかり、元気になったね」

「でもでも、まだまだおとそに遊びに行くのも許してもらえないんですって! 検査とかお注射とか、イヤですってー!」


 興行を終えて、結巳に話しかければ、そんなお転婆な答えが返ってきた。


「じつは、せいしきにおとうさんと暮らすことになったんですって。身寄りがないわたしを、引き取ってくれるそうです」

「そうか」

「きっといろいろ、たぶんいろんな事があると思うのです。でも」


 うん、でも。


「大丈夫だって、わたし思えるんです。なぜならば!」


 彼女は自分の口元に指を当てて、ギュッとつり上げて、こう言った。


「にこーって、わたしは笑えるのですから!」


 その笑顔に翳りなく。

 年相応の無邪気さは、むしろ微笑ましくて。

 彼女なら、理事長である父親ともうまくやっていけるだろうと。ダメだったとしても、きっとなんとかなるだろうと、確信することができた。


「またお見舞いに来てくださいね、約束ですって、そよかぜおじさん!」


 結巳の言葉に大げさな返礼をして、自分は日常へと戻っていく。


§§


 あれから──

 あれから本当に、いろんな事があった。


 加藤保と田所所在は、一躍時のひとだ。

 ワイドショーで名前を見ない日はないというぐらい、世間に認知されている。

 もちろん原因は、あのとき撮影した映像だ。


 彼らは上からの要請をツッパね、無断でウェブ上に動画を垂れ流した。

 結果、世界中の人間が怪異を視聴することとなった。

 その総再生回数は、もはや数えることすら出来ないほどである。


 ……けれど。

 その映像に対する世間の評価は、『よくできた芸術作品』だった。


 永崎を舞台に撮影された、B級モキュメンタリー。

 そう言ったものだと、認識されたのである。

 これには保も所在も大いに憤慨したが。


 


 あの日、永崎全体で住民達の昏睡事件が起きたことも。

 街並みが泥に沈んだことも。

 ネクスト永崎タワーの崩壊も、なにもかもなかったことになっているのだ。


 そうだ、誰も死ななかったし。

 なにも失われなかった。

 自分の左手も、希歌の右手も後遺症はなく元通りで。

 朽酒女菟だけが、姿を消した。


「あ、いや」


 ネクスト永崎タワーは、確かに倒壊したのだ。

 けれど、それは一部だったし、建築上の違法部分があったための事故であると片付けられた。

 奇跡的に犠牲者がひとりも出ていなかったことも、その言説を補強した。


 結果、保は先見の明がある映像監督として。

 所在は映像加工技術者として、名をはせることになったのである。


 ふたりはまったくそのことに満足しておらず、


「ありゃ真実だよ真実! てめぇら節穴か!?」

「エクスタシィたりないんじゃないッスかね!? ちゃんと見るッスよ!」


 と、いまだに喚いているが、リップサービス扱いである。


 一方で、黛希歌はどうなったかといえば。

 ……手の届かないひとになってしまった。


 悪い意味ではない。

 彼女は、件の映像で迫真の演技を見せつけた名女優として、著名人のお眼鏡に適ったのだ。


 いまや日本狭しと海外に飛び出し、女優業を成功させている。

 すでにハリウッドで、三本の映画に連続主演しているといえば、彼女の人気がわかってもらえるだろう。


 おかげでこの数ヶ月、ろくに話すことすらできていない。

 彼女に曰く、


「あんだけ未読スルーきめたんだから、今度はアンタが味わいなさい」


 とのこと。

 身から出た錆とはいえ、自覚がないのでため息の一つもつきたくなる。


「まあ、でも」


 そんな希歌も、今日は久方ぶりに帰国するらしい。

 一緒にディナーを食べる約束も取り付けているし、なにやら伝えたいこともあると語外にほのめかされている。

 そうとうテンパった様子だったので、とても期待している。


 誰も彼もが笑顔で、少なくとも涙を流している暇などなく。

 真実がどこにあるかが解らなくても、みな必死で生きている。


 そうだ。

 自分たちは生き延びたのだ。

 姿を消したひとは少なくない。非現実の象徴だった朽酒女菟とはもう連絡がつかない。


 だからこそ、いまここにいてくれる人たちが尊い。


「だから、今日を生きるんだ」


 そうだ、ここで自分は生きていく。


 希歌との再会は大いに楽しみだし。

 家へと向かう足は、逸っていた。

 正直に言えば、自分は気もそぞろで。


 ──あの事件以来、はじめて気を抜いていたのだ。


 そんな自分の耳朶を。

 泣き声が、打った。


 泣き声。

 聞き覚えのある、赤ん坊の泣き声だ。

 ゾッと、肌が粟立つ。


 帰り道。

 あたりまえの家路。

 その途中に、ぽっかりと穴が開いている。

 ちょっと道をそれたところにある路地の暗がりが、手招きをしているような幻覚。

 よせばいいのに、自分はそこを覗き込んで。


「……ヒッ」


 悲鳴を、噛み殺す羽目になった。

 薄暗がりの中に、泥人形が立っている。

 ぎょろりとした双眸は焦点があっておらず、口元には真っ赤な三日月が。

 いびつな笑みが、浮かんでいる。


 どうしてだ?

 どうして、いまさら〝これ〟が現れる?

 自分は泣いてなどいない。

 誰も悲しい思いなどしていない。


 なのに、何故……?


「────」


 そこで。

 そこで自分は、とんでもない思い違いをしていたのではないかと悟る。


 〝これ〟は別段、笑顔を与えるために存在したわけではないのではないか?


 自分たちが微笑みかければ、人間も笑うだろうなどとは、露とも思わず。

 そんな善意など欠片も持ち合わせず。

 ただ──



 人間の滑稽なさまを、嘲笑っていただけなのではないか──? と。



 背筋が粟立ち、意識が混濁する。

 慄然たる恐怖に死の予感すら覚えるが、自分は死ぬことすらできない。

 なぜか。

 なぜって、それは──


「そう、キミは死ぬことを許されていない。何故ならと、僕はこの物語の結びに、真実を開示しよう」


 意識の外。

 否、世界の外側で、誰かが/花屋敷統司郎が騙る。


「あの日、黛希歌の延命を願った瞬間からキミは選ばれたんだ。数多の神々、その永劫の退屈、無謬を癒やすための道化師として。面白い演劇の舞台を映す神の眼カメラとして。故に僕らは繰り返すのだ。と」


「────」


 これまでも橘風太は、いくつもの事件に遭遇してきた。

 今回のそれも、そのうちのひとつに過ぎない。

 神々の退屈を紛らわすショーの、ただの一公演。


 道化師は、そうしてこれまでと同じように、すべてを忘れて日常へと戻っていく。

 風太も、世界も、災厄を忘却し、物語は閉じる。



§§



「はてさて皆様方、お楽しみ戴けたでしょうか? これを持ちまして恐怖劇、第■■■■■■■■■■■■回目の公演を、幕引きにしたいと思います」


 花屋敷統司郎が、サングラスを外し。

 真っ赤な瞳で、笑顔を浮かべた。


「もし──もしも彼ら役者たちを労って戴けるのなら、どうぞ御記憶に留めて戴ければ幸いです。そう、この世には人知の及ばぬ恐怖と、それに抗う道化師たちがいると言うことを忘れずに戴ければ。それだけが彼らへの慰め、報酬となり得るのですから」


 胸に手を当て、深々とお辞儀をする統司郎。


「それではまた、次の舞台でお会いいたしましょう。『何もかも忘れた道化師』に、拍手喝采を! カーテンコールにて御座います──」



§§



 しばらくして、橘風太は我に返った。


「あれ? 何をしていたんだっけ……」


 もちろん、彼はなにも思い出せない。


「ああ、そうだ。希歌さんと会えるんだったっけ。急がなきゃ」


 忘却の海に溺れながら。

 それでも学ぶことなく、諦めることなく歩き出す風太の背後で。



『──ニタァ──』



 泥泪は、いつまでも。

 いつまでも嗤い続けているのだった。




††



『 我々はブーヘンヴァルトには敵わなかった。戦前は誰もがただの空想だと信じきっていた芝居の内容が、今では現実に、より酷い形で起こり得ると我々は知ってしまったのだ──(シャール・ヌアン ──1962年)」



 荒唐無稽人形劇 嗤う泥泪 終

 ~Spectacle de marionnettes Grand Guignol~ 了

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嗤う泥泪 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo

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