第三十五話 「黛希歌の決意」

「これまで、宮内庁を筆頭に、我が国は宗教的テロリストと常に戦ってきました。戦前の神祇省じんぎしょうはその前身に当たるのですが……まあ、しょせん皆様方は、ご存じないでしょう。大事なのは、それが常に防衛戦だった、ということです」


 つまり、一度も攻勢に打って出ることが出来なかったのだと、禮子は指を立てる。


「理由は単純で、この国には守るべきものが多すぎましたの。伊達や酔狂で八百万やおよろずの神を奉っているわけではないのです。さてはて、その守るべき最たるものに、〝聖杯〟というがございます。これは現在ナイズした呼び方で、以前は単純にご神体であるとか、神籬ひもろぎ磐座いわくら佐倉さくら……なによりも、こう呼ぶのが一般的でした。即ち──〝巫覡ふげき〟と」


 或いはという言葉に聞き覚えは?

 そんな風に問いかける禮子に、希歌たちは曖昧な表情しか返すことは出来なかった。


 とうぜん巫覡が男や女の巫女を示すことは知っていたし、かんなぎが同じ意味なのも、オカルト動画の制作者として知ってはいた。

 けれども、ここまで大それた意味だとは、考えたこともなかったのだ。


「巫覡とは、神の言葉を伝えるもの──つまりは神に連結する才能を先天的に持つ人間です。神懸かり、という言葉があるでしょう。てんかん発作や分裂症がどうのこうのと、現代医学では解った気になっていますが、おあいにく様。巫覡がみているのは幻覚ではなく、神の視界なのです」

「だから、どうしたってんだよ」


 虚勢とともに保が問えば、禮子は真顔になった。


「ここに、アリの巣があったとします」

「なんだよ、いきなり」

「あったとします。そこに、ガソリンを満載したタンクローリーが衝突! キキーッ、ドンッ! どうなりましたかぁ?」


 どうも、なにも。


「爆発して、燃え尽きちゃうんじゃない?」

「いま起きようとしていることは、そう言うことです。アリを人間に、ガソリンを神への曝露──いえ、隕石か何かに例えましょうか。このままではこの世界に神様が現れて、我々は滅びます」

「滅びますって……」

「キキーッ、ドンッ! ペカー! ったりーん!」


 そんな可愛らしい擬音にはならないだろう、どう考えても。


「情弱なお三方が信じられないのも無理はありません。所詮はアリンコ、人間さまの脳みそほどの判断力は絶無ですので。なので、そこを責めるような浅慮な真似を、わたくしはしませんが。しかしそれはそれとして、ご協力願いたいのです」

「なにをッスか?」

「いい質問ですね、キャメラマン! 撮影しても構いませんので、わたくしのことは美しく撮ってくださいましね! ポーズはこうですか? この角度がオススメですが!」


 いいから、答えてほしいのだけれど。

 なにを協力しろと言うのか。


「あなたがたは、自分たちがナニに取り憑かれているか無自覚でしょう。なにが祟っているのかも。ですから、はっきりと申し上げます。わたくし、有能なので。冗長って嫌いなんですよねー」


 どの口が言うのかという冗長さで。

 それでも彼女はっきりと。

 これ以上なくきっぱりと、断言した。


「あなたがた、とくに黛希歌さん。あなたに取り憑いているのは、悪霊などではありません。あなたに取り憑いているのは──神です」


§§


「神は神でも、祟り神。泥水霊教会はあなたを通して、この神を現世に呼び出し、日本人をミナゴロシにするつもりです。そう、あなたのような小娘こそが! 現代で神に選ばれちゃった、困ったちゃんな巫覡なのでーす!」


 禮子がやけに軽口を叩く理由を、なんとなく希歌は理解した。

 彼女は、怖ろしいのだ。

 神という存在も、それを狙う泥水霊教会も。

 だから、笑い事ですむうちになんとかしようとしている。


 だとしたら、信じるしかない?


「……別に、信じて貰わなくても結構ですがぁ?」


 こちらの心を読んだように、彼女は言う。

 口を突き出して、少しばっかり拗ねた様子で。


「敵──泥水霊教会に先手を打つことは、これまで出来ませんでした。それは、こちらの内部から情報が漏れていたからと言うのもあります。TAKASHIなるシャーマンに出し抜かれ、みすみす黛さんに危難が降りかかるのを許してしまったことも、一応は謝罪します」


 深々と頭を下げた彼女は、


「けれど」


 と、強く続ける。


「けれど、いまなら先手を取れるのですよ。我々の用意した特別なお祓いによって、速やかに皆様に安全と安穏を供給できるのです」

「……ひとついいか」


 そこで、保が手を上げた。

 禮子が、笑顔で答弁を許可する。


「ここまで話を聞いちまった以上、あんたらは俺たちをただで帰すつもりがねーよな?」

「ご明察ー! もちろん箝口令とか敷かせていただきますし……あと、ご家族とか心配になりません?」

「けっ、政府が人質までとりやがるのか」


 心底嫌気が差したように、保は舌打ちをする。


「けどよ、いちばん肝心なことが聞けてねぇーんだよな」

「なんでしょうか」

「お祓いをする。神を祓う。いいぜ、ここまでは飲み込んでやるよ。それで?」

「それで、と仰いますと?」

「それで──お祓いをした後、黛はどうなるのかって聞いてんだよ!!」


 保が、憤怒を爆発させた。

 蹴立てるように席を立つと、黒服たちが反応するよりも早く禮子に詰め寄り、その胸ぐらを掴みあげる。

 豊満な胸が、スーツに締め付けられモチのように形をかえる。


「おめぇらは肝心なことをなにも言わねぇ。こんだけの大事で、お祓いをすりゃはいそれまでよ! なんてことがあるわけもねぇ。どうなる? その儀式とやらをやったら、黛はどうなる?」

「死にます」

「──は?」


 呆気にとられる保に、非情にも禮子は繰り返した。

 ニコニコと、ビジネススマイルを崩すことなく。


「ですから──死にます」

「てめぇ……!」

「SPのみなさーん、おしごとですよー」

「くそ、この野郎!」


 禮子を殴ろうとした保が、殺到した黒服に押さえつけられる。


「はぁ、まったく野蛮ですねぇ」


 身だしなみを整えながら、彼女はこちらを向いた。

 狐のような細い目が、奇妙な光を宿している。


「ほっといたら国民全滅するんですから、そりゃあ一人を犠牲にするでしょ? あたまマジありんこですか、あなた? 具体的に説明しますが、黛希歌に接続されている神の触覚を引っぺがします。これで事件は解決しますが、ショックで彼女は死にます。たったこれだけのことですよ」

「たったじゃねぇよ!」


 押さえつけられながら、それでも保は叫ぶ。


「黛はうちの女優なんだ! 看板女優なんだよ! 歌は下手で、オカルトがそんな好きでもなくて、でも常にマジで頑張る女なんだよ、黛は! 俺はなァ! 黛をデカイ女にするって決めてんだ!」


 叫ぶ。

 吠える。

 ありったけの思いで。


「はじめは不器用な女だと思ったぜ! 色白で美人だったし、ちょっとやさしくして、とってくっちまおうとか思ってた! けどよ、そんなの関係なしに黛はよォ……真剣なんだよ! あいつは、本気で自分を変えてぇと思ってんだよぉぉおおお!」

「カトーさん……」


 保の絶叫が、ホールの中に反響する。

 同時に、これまでの彼らと過ごしたメチャクチャな日々が、脳裏に蘇る。

 それは苦しいこと、不本意なことばかりだったけれど。

 けれど、確かにいまの黛希歌を作った苦労の道だった。

 だから。


「はぁーい、わかりましたからね、ぼくー。……黒服さんは、さっさと黙らせてください」


 禮子が命じると、黒服たちが拳を振り上げ、保を殴りつける。

 蹴り飛ばし、叩き、うちつけ。

 それでも保は叫び続ける。


 だから、十分だった。


「……いいよ」

「なんですかぁ? 黛希歌さん、聞こえませんがー?」

「……もう、いいよ、カトーさん」

「うーん、はっきり言ってもらえないと困りますねぇ。こっちもほら、強制したとかなると、あとあと問題ですし。ご自分の口ではい、テルミープリーズ!」

「やめ……黛ぃ……やめろおおおおお!」


 自分は。


「あたしは、お祓いを受ける! もうだれも、カトーさんも、田所ちゃんも」


 なにより、あのおひとよしの幼馴染みを。


「不幸にしない! あたしが、ケリをつける! だから、もうだれも傷つけないでよ!」


「はい、よく言えました。それじゃあ、儀式を始めましょう」


 禮子が、残酷なまでな笑顔で。

 除霊の開始を、宣言した。

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