後始末 スナック ピクルス
今日、ヒロシは仕事納めだった。最近では有給休暇取得促進で年末の最後の日まで出勤する社員はとても少ない。それでも定時を過ぎたところでオフィスのフロアで出勤している社員が集まりビール缶を持ち込み軽い納会を行った。
飲み足りないヒロシは、そのまま一人、カラオケスナックのピクルスへと向かった。店のドアを開けてみると、果たして店はがら空き、客は誰もいない。年末でもう客も少なくなっているのだろう。今日はアルバイトのナミもおらず、カウンターの中でママが一人してたばこを吸っていた。
「あら、久しぶり。いらっしゃい。」
「随分と空いているね。年の瀬だなぁ。」
「もう今週はこんな感じよ。今年はこの店も今日で締めようと思っているわ。」
ヒロシは、歌って発散しようと思って来店したが、さすがに客一人でカラオケをやっても興覚めだ。そう思っていつものテーブル席ではなく、カウンターに座ってママを相手に飲むことにした。
「あら、今日はカウンター? 歌わないの?」
「今日は、ここでちょっと飲ましてくれ。ハイボールを。」
ヒロシは給仕をするママを見ながら、先日のBarオパールでの日野原とユミコのことを思い出していた。
「(このママ、日野原さんと付き合っていたんだよな。何才になっても男と女か。)」
いらぬ想像をするヒロシだった。
ハイボールが出来上がり、ママがヒロシの前にそれをおいた。
「はい、どうぞ。」
ヒロシは言った。
「ママも何か飲んだら。」
「あら、ご馳走様、いただくわ。」
ママは、赤ワインのボトルを一本開けて自分のグラスに注いだ。
「はい、ご馳走様、乾杯。」
ヒロシは答えるように自分のグラスをママのグラスと合わせた。
ママはワインを少々口につけた後、背筋を伸ばして改まったようにして話始めた。
「私ね、ヤマモトさんに聞きたいことがあったの。」
「ん、何かな?」
なんとなく、ママの表情がいつもより固い。キッとしているようにも見える。
「あのね、先週、服部さん達がいらしてね。」
服部とはヒロシの部下で、恐らく、職場の何人かとこの店にきたのだろう。
「あー、たぶん、その時僕は外出先でこれなかったんだろうね。」
ママはワイングラスを置いて続けた。
「それでね、ヤマモトさんのチームの忘年会があったんだってね。」
「あー、そうそう3週間前ぐらいにやったよ。」
ママは何を聞きたいのだろう?
「皆さんがね、そこでヤマモトさんが面白い話をしてたって言うのよ。」
「はぁっ?」
ヒロシは一瞬にして、まずいっ、と思った。
確かに忘年会でBarオパールでの出来事を皆に話して受けた。ただ・・、さすがにピクルスの実名を出すと職場の連中経由でこの店に伝わってしまうのでよろしくない。そこは、ピクルスの場所を横浜ではなく武蔵小杉、店もカラオケスナックではなく、こじんまりとした料理屋、ママではなく女将と変えて披露したのだが・・。
ママはヒロシの目を見てきっぱりと言った。
「私のことでしょ。」
うっ、とヒロシは思いつつ、言い繕った。
「あー、あの、戸越銀座のバーであった変な夫婦の話だよね。マスターに怒鳴られた話ね。あれには参った。でも、なんでママのことなの?」
「あまりにも私にあったことにマッチするわ。それに戸越銀座って・・日野原さんの住んでいるところよね。ドンピシャよ。」
ヒロシはもう何も言い返せなかった。すると、ママは笑って言った。
「いいのよ、ほんとうにあったことだから。日野原さんと良い仲になったのはほんとうよ。」
ヒロシは何も言わずハイボールのグラスに逃げた。ママは続けた。
「結婚しようと言われてね。随分年下なのにと思ったわ。それがきっかけになって旦那とも正式に離婚したし。」
「えっ、離婚していたの?」
「そうよ。みんなには言っていないけどね。もう10年以上、別居しているし、良いっきっかけになったわ。」
ママは続けた。
「日野原さんにのめり込んでしまった私が馬鹿だったわ。預金通帳まで見せ合ってね。一緒になるかと思ったんだけど、こんな子持ちのおばちゃんじゃぁねぇ・・。日野原さんの相手ってどんな人なのかしら・・。」
少し思いつめたようにするママにヒロシは困った。ここは・・しらばくれることにしよう。
「あの、ママ。ママのことを話してくれてうれしいけど、、あの忘年会で皆に話した話はママのことではないよ。」
ママは首を振りながら言った。
「そうね、どこの誰の話なのかしら。」
がらんとした店で暫しの沈黙が続いた。ヒロシが言った。
「ママ、”恋人も濡れる街角”を入れてくれるかい。」
ヒロシはマイクを握った。
--
ピクルスを後にした。何曲か歌い、最後にママとデュエットとしてお開きとした。一対一で話してみると、確かに魅力的な女だな、まぁ、僕と言い仲になることはないだろうが。ヒロシはそもそも日野原のようにがっしりとしたタイプではない。背もママの方が高い・・。
それにしても・・女の勘はほんとうにするどいことだ。ゴシップ話をするとろくなことはない。
来年も、ピクルスにはお邪魔して売上貢献し償いとしよう。そして・・、あのオパールにもたまには覗いてみよう。
年末にあった一連の出来事に惑わされたが、人それぞれの人生に触れて面白いとも思っているヒロシであった。
(了)
人間模様5 出会いのバー herosea @herosea
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