決勝……
結局、俺は両親と弟にスス同盟剣闘大会に出る事を告げなかった。
勢いで家を出て来て顔を合わせ辛くなってしまったのだ。
十万金価。
日本円と考えておよそ十億円。
俺や父が普通に生きていたら絶対に手にする事のない大金。
父の怒りの顔を思い出す。
母の言葉が蘇る。
頭をぐしゃぐしゃと掻く。
もう考えても意味の無い事だ。
あと一つ勝てば全て上手く行く。
黒鋼の剣を握る。
……エリゼはどうしているだろう。
しばらく、そしてこの大会が始まってからも会っていない。
会いたい。
* * *
『何でお前は駄目なの?』
『どうしてこんな事もできないの? よく考えて』
幻聴のような記憶、前世の両親の言葉が耳を打つ。
母に強いられた剣道をこなす横で勉強を続けた。
あの時の勉強は苦にならなかった。
いじめを経験した小中学校。
それでも勉強は面白く、工作や実験は面白く、当時の学校に導入されたばかりのパソコンは面白かった。
あの時、前世の男は機械工学を学び、ロボットを研究する職に就く事が夢だった。
小中学校を卒業して、心は瀬戸際で持っていた。
少なくとも、『薔薇色の高校生活』とまでは行かなくても、若葉色の高校生活位は夢見ていた。
地域有数の進学校という高校に入学して。
その祝いで祖父母から貰ったお金は、剣道の防具に化けた。
執拗な母の言葉に、頷いた。
『趣味でもいいからやらないか』
四六時中繰り枷される言葉に辟易した結果。
『部活の道具? 借りればいいじゃない』
母が繰り返した要望、そして言わなかった財布の出所。
その言葉を聞いた時、確かに男の中で、何かが磨り切れて消えた。
* * *
アリーナへの通路を歩む。
等間隔に設えた小さな火精石のランプの明りが連なり、壁や天井に施された彫刻の姿を浮き彫りにする。
壁には雄大で豪壮な英雄達の栄光が描かれ、天井には美しい天国の姿が描かれている。
「また嫌な事を思い出す……」
相当に心の中に鬱屈が溜まっていた。
あれは前世の男の中でも最も気持ちが悪くなる記憶の部分。
世間が騒ぐようなおぞましい虐待ではない。
当事者の男の意志は緩やかに無視され続け、真綿で締めるように心が死んでいく。
あの前世の両親は、男を子供として見ているが、一個の人格としては見ていなかった。
彼らにとっての息子である男の姿は、アニメやゲームで描かれる、記号の塊のようなものであったのだろう、か。
左手が腰に吊った黒鋼の剣の柄に触れる。
コンコンと人差指で柄頭を叩く。
(剣道を嫌悪して、しかしこの世界の剣術に魅せられている)
矛盾だろうか。
それは否。
母に連れられて見学にいった剣道の練習風景。
物珍しい雄叫びを上げながら、竹を束ねた棒で相手を打っている。
何度か打ち合ったら、今度は相手がそれを行う。
その繰り返し。
楽しそうな母の横で、男は嫌悪と恐怖を抱いていた。
それは子供同士のコミュニティーの、ジェンガのような関係性に四苦八苦していた男が感じたもの。
今世の剣。
今世の父に初めて与えられたもの。
意味を失った前世と違い、社会の中で実を持つ鋼の刃。
だからこそ今世の剣には空虚な虚飾は無く、純然たる合理の論理と戒めがはっきりとある。
それはとてもシンプルであり、シンプルであるからこそ誰の眼にも美しく、あれほど剣道を嫌悪した俺でさえも素直に剣を握ることができた。
そして剣を振るう日々の積み重ねは、『魔法無し』と蔑まれる俺に、武の居場所を与えてくれた。
先生との旅を終えても魔力の無さによるコンプレックスは消えなかったが、他人の囀る『魔法無し』の言葉を無視できるようにはなった。
この世界の剣は獣を狩り、魔獣と戦い、無法者達を薙ぎ倒すために振るわれている。
この世界の人は剣の在り方を語らない。
何故ならば、それは当然にして自明のものだから。
「剣とは何か」
酒場の用心棒をしているときに無意識に呟いたその問いを、偶々聞いていた赤ら顔の開拓者の青年が、
「『それは命を狩るものだ』」
理であり実であること。
自らを立たせる
人を打ち、人に打たれるだけの遊びから得る物は無い。
打てば死に、打たれれば死ぬ、その事実を忘れた遊びに翻弄された前世。
この世界の、『生きるための、人の牙としての剣』を手にしたものとして。
希望を掴むために臨むこの死合。
拭えない前世の記憶への手向けの一つとする為にも。
「この試合に勝つ」
* * *
光の先へと歩いて行く。
通路から出ると、風の温度が変わった。
出力の高い火精石の照明が明々と照らす広大な決勝戦専用のアリーナ。
別々の会場で行われた過酷なトーナメントを突破した者だけが踏む事を許される、スス同盟国の首都ペシエの戦いの聖地。
火の大神殿決闘祭儀場。
中には池や小川が設えられ、樹木の茂る林と民家を模した家屋が立ち並ぶ。
それはまるで田舎の農村を再現したような世界だった。
この大会の決勝の舞台はその時々で趣向が変えてくる。
去年は中に迷宮を再現していたと、人伝に聞いた。
『さあ偉大な英雄達の入場だ!』
解説の声が響き渡る。
照明の下、四万人を収容可能な客席は埋め尽くされ、彼等の放つ熱気に空気が揺れている。
遠く対面の位置、重厚な石壁に設えられた金で彩られた門の中から犀獣人の大男が進み現れる。
硬質の皮膚に覆われた右手が握るのは巨大な聖銀の大剣。
(
出場した理由も多分、賞金目当てではないな。
彼の赤い目には、そういったギラつくような欲望の色は欠片も無い。
『金の門から登! ☆ 場! かつての光の勇者が治める輝ける国、クシャ帝国からやって来た伝説の傭兵! A級開拓者の傭兵として渡り歩いた戦場は数知れず! 光の勇者の従者として魔王戦争を勝つ抜いた光の英雄の一人! この大会で彼と戦った相手は皆一太刀で沈んで行った!!』
白銀の鎧に包まれた右手が大剣を掲げる。
黄昏の光が銀の光を血のように赤く染め上げる。
『帝室近衛隊副隊長【銀豪剣 ダンプソン・ゴーバーン】!!』
「「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」
観客達の絶叫。
呼吸の限界まで振りしぼられた個々の歓声が津波となり渦となり会場を揺り動かした。
『そして銀の門から登! ☆ 場! 誰が彼が勝ち上がると予想できた!? と言うか実績無しの酒場の用心棒が決勝まで来るなんて解る訳ないだろ!! 彼に賭け続けた奇特な全員は今や大金持ち!! ペシエドリームを掴んだぞ、やったね!! 俺にもその金少し分けてくれ!!』
解説の落差の激しい実況に笑い声が起こる。
『誰が呼んだかとりあえず!! 剣舞の灰毛剣士【ヨハン・パノス】』
* * *
(ふざけんなっ!! ありえないだろ!?)
そうテンプレみたいに一言叫べば面白いかね。
人類の最大規模の災厄たる呪われし魔王。
それを討伐した光の勇者と闇の勇者と太陽の聖女。
彼らと肩を並べた傑物が俺の眼の先で聖銀の大剣を構えている。
気迫みなぎる瞳は、此方を格下などと僅かも油断していない。
騎士の大剣は中段に構えられている。
聖銀。
その魔力を拡散させる魔導金属の前には並みの魔法は無効化される。
俺がもし人並みの魔法使いだったら、もう勝つ手が無かっただろう。
潮の匂いが強まる。
来る!!
「フンッ」
ドゴンッと騎士の背後の土砂が爆発した。
それは騎士の超常の力によって蹴り割られた地面だったもの。
音のような速度で騎士が飛来して、音を超えた速度で大剣が振り抜かれた。
煉瓦二個分の差で回避が間に合い、黒鋼の剣の陰に身体を隠す。
頭部を剣の腹で守り、身体は大剣の余波に吹き飛ばされるままにする。
騎士との距離が開いたが、其処に間髪いれず騎士の追撃がやって来た。
俺は暴風の中に舞う糸くずのように、大剣の嵐の中を翻弄される。
突き出された右拳を蹴って、辛うじて遠く距離を取る事に成功した。
さらに追撃が来るかと構えるが、騎士の追撃が来ない。
大剣を下げた騎士の眼は、俺を射抜くように睨んでいる。
「我こそは!!」
爆風のような大音声。
「クシャ帝国帝室近衛隊は副隊長を任じられし犀獣人の騎士!! 真達位を持ち
左手に掴む剣の切先が俺に突き付けられる。
「異名にて【銀豪剣】を名乗りし我が名はダンプソン・ゴーバーン!!」
ああ。
嬉しくなる。
身体が熱くなる。
騎士の、その名乗り。
俺を敵としたか。
俺を敵と認めてくれたか。
輝く戦暦の、高みに立つ騎士が!!
「俺はこのペシエの町で育ち、我が父ロベルトにより剣を与えられし者!!」
精一杯、腹の底から声を出す。
「F級開拓者を得てより剣にて負ける事無し。異名を持たぬ俺の名はヨハン・パノス!!」
何と言う自身の名乗りだと俺は思った。
英傑中の英傑たる騎士に向けて、俺は駆け出しの開拓者と名乗る。
だが劣等感に心は乱れず、澄んだ息吹が心身を流れるのを感じた。
会場は静まり返っていた。
広い広い会場に俺達の名が響き渡った。
パチ。
パチパチ。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチ。
万雷の拍手が巻き起こる。
観客の誰もが、この戦いを祝福してくれていた。
遠くにボンノウの姿が見える。
何も言わずに出て来たのに、父と母と弟の姿が見える。
かつて務めていた商会の主人や従業員、荷役夫仲間、バレル亭のマスターやその家族達。
皆が居る。
その事に、今気付いた。
ニヤリとダンプソンが笑う。
俺も何とかニヤリと笑った。
「ダンプソン。この戦いに勝つのは俺だ」
「戯言を」
黒鋼の剣しっかり握る。
(魔力は残り八割)
常人でも魔法の身体強化は一時間は持たせることが出来る。
兵士では五時間、騎士を名乗るものなら二日以上が可能。
対して、俺の限界は凡そ三十分以下。
この限界まで使用が必要な状況では、一分も怪しい。
だからこそ、合理的かつ効率的に、言い替えれば節約して魔力を使っていた。
それを全て、吐き出す!!
(魔力の残りは、ゼロ)
全力の身体強化。
魔力の超精密操作を得意とする俺の感覚が告げる。
残り時間は四十秒。
「行くぞ!!」
「来い!!」
全く、最後の最後で、本当に良い対戦相手に恵まれた。
彼は紛う事無く騎士だ。
剣の鍔元を逆手に握る。
左手は柄頭を抑える。
前傾姿勢からの、全力の踏み込み。
上段に大剣を構えたダンプソンの視線がぶつかる。
腰を落とし、滑り込んだ俺の剣の間合い。
俺を捉え打ち下される大剣。
左手を柄頭から放し、右手を全力で振り上げる。
強化魔法によるごり押し。
限界を超えて酷使した右腕から伝わる激痛。
身体に残る移動の力が、俺の腰部を中心とした回転の動きへと変わる。
右へ流れて行く俺の身体の正面を聖銀の輝きが過ぎて行く。
「ガアアアア」
口から獣の咆哮を上げて。
俺の剣がダンプソンの左腕を斬り飛ばした。
「オオオオオ」
ダンプソンは残った右手で構わずに大剣を突き出して来る。
もう回避は出来ない。
「これで死ね!」
そんな
左手の掌は開いたまま、向かい来る聖銀の大剣の腹に添え、剣撃の流れをほんの微かに変える。
肩の付け根から左腕が吹き飛んで、力の流れに巻き込まれそうになる身体の姿勢を必死に維持する。
できた一瞬の攻防の
驚愕するダンプソンを正面に睨み、お互いに笑う。
「最後だ―――――!!」
右手の黒鋼の剣を突き出した。
白銀の鎧の中心、鳩尾の場所への一撃。
白銀が砕け、黒鋼が砕ける。
ダンプソンの巨体が宙を舞い、地面へと落ちる。
それを見届けて。
「俺の、勝ちだ……」
疲労と激痛に襲われて。
意識は闇の中に落ちて行った。
// 用語説明 //
【真達位】
個人の強さを測るための【武剣評価基準】に基づいて与えられる称号。
『小剣、中剣、大剣、真達、心道』の各称号となり、『小剣位』が最も低く『心道位』が最も高い。
例えば開拓者の等級と比較するなら『DCBAS』となる。
ただ開拓者の等級は戦闘能力だけを測るものでは無く、中剣位に勝てないA級開拓者も存在する(学術等を専門にする開拓者によくある事例である)。
つまり、武剣評価基準は個人の純粋な戦闘能力だけを測るものである。
なので、公職に就いたから返さなければならない開拓者資格(一部例外はある)と
は異なるものである。
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