三、誰がタルトを盗んだか

 街を一望できる場所から見た風景を切り取り、A4サイズの用紙に収めたようなそれに、でこぼこした町並みと、空と、雑木林か森が広がっていた。これが涙から作られたなんて、誰も信じないだろう。

(これが、僕の大事なものを探す手がかりで、僕のトポグラフィー・マップか)

 クレープショップでの珍事で、街中でうろつくのも恥ずかしくなった僕は、夢原さんを連れて郊外の公園にやってきた。

 ちょうどよく日陰になったベンチに座り、モノクロの風景画を縦や横にして眺める僕の隣では、夢原さんがいちごのクレープをがつがつ食らっていた。

 奢ったことには代わりないのだから、もう少し美味しそうに食べてほしいのだが。

「あの、機嫌直してくださいよ」

「……あのクレープだけなんですよ。生地に蜂蜜入ってるの」

 夢原さんはふてくされた顔でクレープの包み紙を丸めると、向こう側のゴミ箱に投げた。彼女の身丈を考えると、届くはずがない。

「ああもう!」

 恨めしそうに地団駄を踏むと、日陰から出て包み紙を拾い、力一杯投げてゴミ箱に入れた。彼女の一連の動きを大人気ないと言うべきか、可愛いと言うべきか。暑さで頭が鈍る前に、僕は判断するのをやめた。

「夢原さん! 聞きたいことがあるんですけど!」

 夢原さんは僕の呼びかけに振り返り、僕を睨み付けながらずんずん戻ってきて、どすんと隣に座った。

「なんですか」

 彼女が小さくて助かった。もし僕と同い年だったら、ちくちく痛む程度の物言いが、容赦なくざくざく刺さって流血沙汰になっていただろう。

(もし、もしマップを作る時に見た女の子が、僕と同い年だったら――)


『ねえねえ、いつにする?』

『うーん、おとなになってからかな』

『そんなに待てないよ。十六歳にしよう』

『じゅうろくさい?』

『うん。十六歳になったら……それまで誰にも言わないでね。二人だけの秘密だよ?』


「タカトシくん?」

 夢から覚めた直後の気だるさが、僕の体にのしかかる。夢原さんを見つめたまま、意識が飛んでいたようだ。汗が額から頬を伝い、マップの上に落ちて滲む。

「ゆっ……ゆめ、はらさっ、ゆめはらさんっ、ゆめはらさんっ!」

 喉がすり切れたように熱く、絞り出した声に涙が混じる。どうしよう。息苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい助けて助けて怖い怖い怖い怖い怖い!

 涙で夢原さんの顔が滲む。浅い呼吸を繰り返す背中に夢原さんの手が回り、もう片方の手を、マップを握る僕の手に重ねる。

「タカトシくん。だいじょうぶですよ」

 涙の断片が剥がれると、夢原さんの顔が見えた。泣きじゃくる子供をあやすように、僕を見つめる目はまっすぐで、とても優しかった。

「だいじょうぶですから、思いっきり泣いてください。タカトシくんが泣き終わるまで、そばにいますから」

 そんな。大丈夫だなんて、僕にそんな言葉をかけないでください。僕はあなたに、嘘をついたのに。許してもらえるかもしれないなんて、期待してしまうじゃないか。

「ゆめはらさ、ごめん、なさ、ごめんなさっ……」

 手からマップが落ちると、指を絡めて彼女の手を握った。小さくて柔らかい弾力にすがるように、強く。強く。

「ぼくがっ、ぼくがわるいん、ですっ……ぼくが、ぼく、が……っ」

 僕が、アヤちゃんを殺したんだ。


 あれは、小学校一年生の夏だった。

『ねえ、タイムカプセル埋めようよ』

『たいむかぷせる?』

『土の中に宝物を入れて、何年か経ったら掘り起こすの』

『たからものをうめるの?』

『うん。未来の自分にあてて手紙を書くのもいいんだって』

『みらいのじぶん?』

『きっとロボットとか、動く歩道とかあって、ゴールデンウイークに宇宙旅行してるかもしれないよ』

『かっけー! やるやる!』


「スギウラ・アヤちゃんとは幼稚園から仲がよかったんです。ちょっとませた子で、元気で、僕が知らないことを知っていて。僕は、アヤちゃんが大好きでした」

 落ち着きを取り戻した僕は、夢原さんにアヤちゃんとの思い出を話した。夢原さんは僕の手を握ったまま、時々頷いてくれた。

 タイムカプセルを埋める約束をした僕たちは、親に内緒で郊外へ足を運んだ。せっかく埋めるのだから、近場より遠い方がいいと思ったからだ。


『ねえ、掘るのいつにする?』

『うーん、おとなになってからかな』

『そんなに待てないよ。十六歳にしよう』

『じゅうろくさい?』

『うん。十六歳になったら堀りに来よ? それまで誰にも言わないでね。タイムカプセルのことも、ここにきたことも。二人だけの秘密だよ?』

『うん!』


「僕はアヤちゃんと約束しました。そのあとすぐ帰るつもりでしたが、僕たちは公園より広い場所で走るのが楽しくて、夢中でおいかけっこをしました」

 そのとき、悲劇が起こった。

 僕たちはなにもない野原にタイムカプセルを埋めたと思っていたのだが、本当はビルの建設予定地で。

「アヤちゃんは、工事の途中にできた穴に足を滑らせて……」


『きゃああああっ!』

『アヤちゃん!』

アヤちゃんの手を必死に掴んだものの、非力な僕は彼女の手を掴むことしかできなかった。

『アヤちゃん!』

『手を離して! このままじゃ二人とも落ちちゃう!』

『いやだ! アヤちゃんだけおちちゃうなんていやだ!』

『――ねえ! 約束覚えてる?』

『え?』

『タイムカプセルのことも、ここにきたことも。二人だけの秘密だよ!』

『わかってる!』

『十六歳になったら堀りに来てね! 絶対、絶対だからね!』


「そう言うと、アヤちゃんは自分から手を離して、穴の中に落ちていきました」

 僕が話し終えると、夢原さんはマップを拾い、砂が付いた部分を払った。

「話してくださって、ありがとうございます。アヤちゃんとの思い出とタイムカプセルが、タカトシくんの大事なものだったんですね」

 夢原さんが僕にマップを差し出してくれたが、受け取ることができず、マップから目をそらした。

「そして、アヤちゃんの死を受け入れられなかったあなたは、自分の記憶に蓋をしたんですね?」

「違います」

 僕は首を振った。そんな綺麗な理由じゃない。僕がずるくて悪いから、アヤちゃんとの思い出に蓋をしたんだ。

 だって、このことが知られたら、僕は。

「分かりました。じゃあ探しにいきましょう」

「え?」

「『え?』じゃないですよー。アヤちゃんとの約束を反故にするつもりですか? 日が高いからといって、気を抜いているとすぐ暗くなるんですから」

 夢原さんがマップを持って立ち上がると、繋いだ手を引かれ、僕も必然的に立ち上がってしまう。

「いや、その、そういうつもりはないんですけど」

「じゃあなんですか?」

 歩き出す手前で立ち止まり、夢原さんが僕を見上げた。僕も彼女にぶつかりそうになりながら止まる。

「僕が大事なものを忘れた理由を聞かなくていいんですか?」

「だってタカトシくん、言いたくないんですよね。だったら言ってくれるまで待ちます」

 なぜ、どうしてと聞く前に、夢原さんは僕にマップを突きだした。

「夢原さん?」

「トポグラフィー・マップは、涙を流した人にしか読めないんです。マッパーはマップを作ることはできても、マップは読めないんです」

(もしかして、最初に夢原さんの元を訪れた時、夢原さんが言いかけたことって……)

 彼女は僕に、そのことを伝えたくてあんな言い方をしたんだ。

「でもまだ、どうやって見たらいいか分からないんですけど」

「見方はタカトシくん。今のあなたなら分かっているはずです。だってこれはあなたの涙――あなた自身なんですから」

 僕の中に、読めるという確信はない。でも、夢原さんがそう言うなら、読める気がする。僕の中の『本当の自分』を。

 僕がマップを受け取ると、夢原さんは手の平を上にして、僕のマップを示す。

「さて、タカトシくん。あなたは何を思って涙しましたか?」

 夢原さんの微笑みと、アヤちゃんの快活そうな笑顔が重なった。

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