最終話 応報

 その朝、なかなか起きてこないユリエの異変に気がついたのは夫だった。


 最近、夫は小学生の娘と共に別の部屋で休むようになっていた。


 幸い、ある程度は融通が利く立場なので、最近は持ち帰れる仕事は家でしている。

 手伝いの人を頼んではいたものの、さすがにこの常にヒステリー状態にあるようなユリエと娘を、少しでも二人きりで家に置いておく気にはなれなかった。


 娘を起こして、簡単ではあるが、パンとホットミルクにベーコンエッグの朝食を用意して食べさせる。集団登校で学校に送り出した後で、ユリエの様子を見に寝室のドアを開けた。


 ユリエは白目を剥いたまま寝室のベッドに手足をだらんと投げ出して座っていた。

 いつものパジャマ姿のままだ。

 何かブツブツと言っているようだが、よくわからない。

 半開きの口の端からは、涎が糸のように絶え間なく垂れている。


「おい!ユリエ!どうしたんだ!しっかりしろ!」

 一瞬呆然となった後、とにかく声を掛けてみるが、応えはない。

 近づいて、そっと揺さぶってみる。

 気がついたようだが、ユラユラ頭が揺れるばかりで、目の焦点は相変わらず合わないままだ。


 ふと、ユリエのパジャマの襟元えりもとから、何かがチラリと見えた様な気がした。


 慌てて、そこをみると小さな肉のトゲのようなものがある。

「これ、なんだ一体?」

 恐る恐る指をソレに近づけてみる。

 すると


 小さな肉のトゲのようなものから

「恥をお知りなさい!」という声が聞こえた……ような気がした。


「えっ!」

 耳を疑って、思わず瞬きをした次の瞬間に、その肉の棘は跡形もなく消えていた。


 その声も本当に聞こえたものなのか、もう今は自信がなかった。

 疲れ過ぎて俺まで幻覚を見て幻聴を聞いたのか?


 夫は、とにかく急いで救急車を呼ぶためと、娘の学校に連絡を入れておくために、ユリエを残して部屋を急いで出て行った。

 混乱する頭で、背筋に何とも言い難い、薄ら寒いものを感じながら……。




 ……しばらくして



 救急車の音が家に近づいてきて家の前で止まった。

 夫が救急隊員に「妻が……」と説明している声が聞こえる。


 ユリエの首筋に、また肉のトゲが浮かび上がった。

「恥をお知りなさい!」

「お前こそ恥を知れ!」

 声が繰り返す。

 いくつもの声、声、声、声、声。


「恥をお知りなさい!!」


 そして、高らかに糾弾するかのようなこの声は、ユリエ自身がいつか誰かに言った時のものではなかったか。



 ユリエの目は、こぼれ落ちんばかりに開かれ、身体はビクビクッと大きく痙攣けいれんを繰り返した。


 ユリエの全身には隙間なく魔恨まこんが現れていた。


 そして

 それは

 一斉に



 ケラケラケラと笑ってから



 消えた。





 そのあと、


 ”魔恨まこん”は今度こそ完全に消えて、二度と現れることはなかった。





 ユリエがその後、回復したのかどうかは、わからない。




 了



 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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魔恨〈MAKON〉 つきの @K-Tukino

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