極秘研修

真花

極秘研修

 緊急・重要・機密。

 出社して最初のメールチェックで見付けた見出しはあまりに仰々しくて、誰かの悪戯だと最初は思った。

 しかし会社のメールだ。本当にそう言う内容だったとしたら、見てませんじゃ済まない。ただ、機密の一言が入っているので誰かが後ろを通るこの席で開ける訳にはいかない。

 不穏な面倒臭さに眉をしかめながら、ノートパソコンを持って空いている会議室に向かう。

 いくら平だとは言っても俺が暇な訳ではない。こころない悪戯だったらどうしてくれようか。絶対に送ることはない報復の悪戯メールを考えながら歩く。

 目的の場所に着き、メールを再度見る。差出人は都中伊蔵。どこかで聞いたような名前だけど思い出せない。

 開ける。

『佐々拓郎君

 来る十一月二十七日水曜日に重要な研修があるので以下の場所に朝九時に行くように。

 この研修は機密であり、社内社外を問わず誰にも口外してはいけない。

 必ず受けること。もし受けなかった場合は我が社に損害が発生するので、その賠償をして頂くか解雇とする。

 当日は出社扱いとする。研修終了後は必ず仕事の日と同じ時間に家に帰ること。

 重要事項につき、了承の旨は直接私に言いにくること。

 都中伊蔵』

 今まだ八月だよ。どんだけ重要扱いの研修なんだ。しかもサボったら解雇ってやり過ぎだろう。まあ、社命なら行きますよ。しかもこれじゃあ何の研修か分からないし。差出人に直接って言っても知らない人だし。どこの都中さんだ。

 拓郎はスケジュール帳に場所と時間と研修の旨をインプットして、通常業務に戻った。


 四時。終業までのカウントダウンを始める時間。拓郎は今日の仕事のまとめに入っていた。

「佐々、佐々は居るか!?」

 栗栖本部長が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。ざわつく室内。拓郎に集まる視線が栗栖を誘導する。

 応じて手を挙げる拓郎。

「ここに居ます」

 つかつかと勢いよく栗栖は拓郎の目の前、怒られる、思い当たる理由はなくとも拓郎は身を竦める。

 怒鳴るかと思いきや、栗栖は拓郎の耳元で囁く。

「社長がお呼びだ、すぐに行け」

 ピッと立ち上がって栗栖に一礼して拓郎はダッシュで社長室に向かう。未だかつてそんな所に入ったことはなかった。

 一体何なんだ。朝の妙なメールと言い、今日は何か変だ。

 エレベーターに最上階まで連れられる間、落ち着きをなくしている自分を形だけでも平静になるようになだめる。仮にも社長に会うのだ、出来るだけ良い印象を残したい。

 見た目以上に重そうに感じるドアの前。深呼吸を深くふかくしてからノックする。

「どうぞ」

 ドアを開ければ、我が社の社長、都中社長が鎮座している。え? 都中?

「佐々君、朝のメールは読んでくれたかな?」

 この都中さんだ。

 真っ青になる。

 やばい。やっちまった。

「読んでくれたかな?」

「読みました。スケジュールにもちゃんと入れました」

「よろしい。確実に研修に出てくれ」

「あの、御用と言うのは」

 おずおずと訊く自分がいかにも惨めだ。わざわざ怒られに来た子供のよう。

「研修のことだ」

「そこまでするって、どう言う研修なんですか?」

「それは当日まで機密となっている」

 何でだよ。

「もし、欠席した場合の会社への損害ってどれくらいなんですか?」

「法人税が一%上がる」

 それは大ごとだ。

「君の生涯賃金くらいは軽く飛ぶ」

「それは、やばいですね」

「去年、一人急に辞めたのが居るだろう? 彼は研修を欠席したんだ」

 釣木のことだ。息子が三歳になったと騒いでた所からの急な退職だったから、耳を疑った覚えがある。

「そう言うことだから、インフルエンザに罹ろうが骨折しようが生きているなら出席してくれ」

 それは緊急・重要になる訳だ。機密だけがまだ納得がいかないが。

「用件は以上だ。下がりたまえ」

 拓郎は都中に一礼すると、そそくさと退散した。

 誰かに言いたい。社長と直に話すなんて格好の話題だ。

 社長メールがまた来ている。

『佐々拓郎君

 言い忘れていたが、機密を破ったことが明るみになった場合は、刑事罰として五年以上の懲役か二千万円以上の罰金が科せられるので、重々注意するように。

 都中伊蔵』

 危なかった。とんでもない罰が用意されている。しかも普通は以下で定める所が以上になってる。相手は本気だ。絶対に話せない。と言うかこの研修、間違いなく国家ぐるみの研修だ。


 その正体が分からないまま、月に一回のリマインドメールを読みつつ、最後の週は毎日メールが来て、当日を迎える。十一月二十七日。当日の朝は指定通り、普通の朝を装って研修に向かった。

 会場にはサラリーマン風だけでなく、工事関係っぽい人、自由業っぽい人、何を仕事にしているのかが分からない人などが、ごちゃ混ぜに居る。一つ共通点があるとすれば、全体的に若めだと言うこと。二十代後半から三十代中盤辺りのような人がマジョリティーのようだ。今のところ知り合いは居ない。

 ガヤガヤもしていない。皆所在なげに自分が研修を受ける部屋を探している。恐らく全員が俺と同じで何故今日ここに居るのか分からないまま、しかし信じられないくらいの重要度を言い渡されて、しかも機密で縛られて来ている。まるでスパイの研修みたいだ。

 指定された部屋に行くと三十人くらいが入れるサイズで、既にあらかたの席が埋まっていた。しかし席も指定なので問題はない。

 机には俺の名前が書いてある他は、資料も何もない。

 空いている席も徐々に埋まり、九時五分前には満席になった。携帯ゲームでもしようかと考えるものの、異様な雰囲気に遊ぶ気になれない。

「はい、全員揃ってますね」

 スーツ姿の壮年男性が講師用の入り口から入りながら声を張る。

 だからと言って子供のように「はーい」と言う奴は居ないし、そもそもそんな余裕がない。

 壇上に登った男性はその視座からもう一度欠けている席がないのかを探すように、部屋を見渡す。

「揃ってますね。では、早速始めます」

 う、と会場全体の集中が男性に集中する。

「まず、この研修は機密です。それぞれの職場で厳重に言われているとは思いますが、漏らした場合は懲役もしくは罰金刑が科せられます。このことから、今日の内容はメモなどを取ることは禁止します。全て記憶して行って下さい」

 仲間が居たら顔を見合わせているだろう。でも今は一人だから自分だけで受け止めなくてはならない。

「当然、資料もありません。でも安心して下さい。そんなに複雑な内容ではありませんから」

 ほっと出来ない。

「対象は長子、つまり最初のお子さんが三歳になった男性です。薄々お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、これは国家の提供する研修です。会社は関係ありませんが強制的に協力をして頂いています」

 乃絵は確かに三歳になった。釣木の息子は去年三歳だった。それとこれとどう関係があるんだ。

「国家というより、もっと大きな世界規模のものです。世界サンタクロース連盟とその支部である日本サンタクロース連盟。これらと国家の共同プロジェクトです」

 サンタクロース? 周囲の気配にも動揺が見られる。

「この研修は毎年、秘密裏に行われています。女性も子供も独身男性もその存在を知りません。父親だけの共有の秘密、それがサンタクロースになることなのです」

 この規模で、本気ですか。

「この研修に基づいてサンタクロース行為を行うかどうかは各人の判断に任せます。そこに罰則も強制もありません。しかし、皆さんにはサンタクロース行為をするための基本、応用を覚えて行って頂きます。研修は三十分程度で終わります。ただ、最初に申し上げておくこととして、お子さんが三歳の今が、サンタクロース行為を行うのに最も適したタイミングであると言うことがあります」

 サンタクロース行為って、どうしてそんな脛に傷のありそうなネーミングをするんだ? でも、確かに乃絵も段々分かるようになって来たし、ちゃんとサンタクロースをしたいとは思っていた。

 会場の雰囲気も、急に和やかになる。皆が皆、愛する子供のことを思い描いたのだろう。

「世界サンタクロース連盟の理念は、子供の夢を壊さないこと、これです。年齢が上がることによって自然にサンタクロース幻想が崩壊するのは防ぎようがありません。本物のサンタクロースなど居ないのですから。実はお父さんがサンタクロース行為をしていたと言うことがお子さんにいずれバレることは不問です。重要なのは行為に及ぶことの指導が世界規模、国家規模で行われていると言う事実を隠蔽し続けることです。この点だけは、永続的に罰則が適応されますので、ご注意下さい」

 つまり、乃絵にプレゼントをあげて、その意志は自分のものとずっと主張していればいい訳だ。

「では本題に入ります。サンタクロース行為は三つの段階に分けられます。一、お子さんの欲しいプレゼントの情報収集。二、極秘購入と秘匿的な保管。三、お子さんが眠った後のそっとプレゼントの設置。順を追って解説します」

 普通だ。それぐらいは自分で考えて出来るよ。

「まず、プレゼントの情報収集ですが、これは何が困難かと言うと父親の質問がクリスマスプレゼントを探っていると言うことがバレてはいけないと言うことです。これはお子さんの年齢が上がるごとに難易度が跳ね上がります。推奨なのは、一ヶ月前に訊くことです。三歳のお子さんの移ろいがちな興味が維持されるのが最大一ヶ月半程度であると言う統計が出ています。興味の持続が短いと一週間くらいのこともありますが、それはご自身でリサーチをして頂くしかありません。重要なのは、早すぎてもダメだと言うことです。今日はクリスマスのほぼ一ヶ月前なので、まだの方は今夜訊くことをお勧めします」

 なるほど。関心の持続は考えてなかった。去年は二歳だしまだよく分からんな感じだったからこっちの好きで選んだけど、今年は乃絵の意志があるからそれに添おうと思ってたから、聞いてよかった。

「訊く手段としては、クリスマスプレゼントは何がいい? と直接的に訊くのはもっと大きくなってからでしょう。サンタさんにお願いしたいものはある? と言うのは常套手段ですが、比較的サンタクロース幻想が壊れた段階で用いるべき手法です。人生最初のクリスマスプレゼントの意志は、最近これが欲しいなっておもちゃとかある? と言ったプレゼントが来るかどうかを確定させない、期待もあまりさせない訊き方がよいと考えられます。当日に、意外な形でプレゼントがある! サンタさんが来たんだ! と言う感情を演出するためです」

 子供のために演出をすると言う発想はなかった。もし演出を考えたとしても俺が思い付くのはサンタクロースのコスチュームで現れると言うことぐらいだ。講師の男性が言う演出は驚きと喜びを形作るもので、コスチュームは一発芸と笑いを提供するものだ。そうか、演出には目的があるのだ。目的に沿った演出をするべきなのだ。取り敢えずサンタの格好をすればウケるかなというのは安直なのかも知れない。

「次に、極秘購入と秘匿的な保管です。これにはまず、予算の確保があります。お小遣い制の方も多くいらっしゃると思います。可愛い我が子のためと言っても、自分のお金を使うことはお勧めしません。家庭の出費という形にするべきです、と言うのも、これは毎年続く行事だからです。もしお父さんの自腹だとしたらば、徐々に自らの首を締めて行きます。クリスマスが憂鬱になるようになります。そんな心境では、お子さんにプレゼントの希望を訊くのも嫌々になり、任務成功率が低下します。家からの出費にしないのであれば、然るべき額の積み立てを一年間をかけてした方がいいです。もちろん、お金に余裕のある方はそうではありませんが、重要なのは穏やかな気持ちで払える状態にするということです」

 もっともだ。そこは大丈夫。家からの出費ということになっている。

「購入のタイミングは、二週間前以降がよろしいです。先程のプレゼントの意向が変化するのに二週間は対応可能としつつ、確実な期間を持って購入するためです。一週間あればかなりのおもちゃは生産が間に合っていれば取り寄せられますので、それも込みです。当然、購入した日はお子さんが寝た後に帰宅して下さい」

 そうか。早すぎてもダメなんだ。遅すぎても、当然ダメ。絶妙なタイミングとしての二週間前。

「秘匿的保管の場所は予め決めておいて下さい。基本は高い場所、扉のある場所、普段使わない場所、です。探せば適した場所はある筈です。家の外に置くとか預けるというのはお勧めしません。万が一があるためです。お父さんの責任で、家の中に隠して下さい」

 頭の中で隠せそうな場所をピックアップする。意外とあるものだ。

「一つ注意点としては、お子さんが寝る部屋は避けて下さい」

 流石にそれは分かる。

「最後にプレゼントの設置です。これはふたパターンあります。ツリーの下と、枕元です。ツリーの下は簡単です。お子さんが確実に寝たと考えられる状態になり、ご自身が就寝する直前にツリーの下に置いて下さい。もし夜中にお子さんが起きた場合にも、お父さんも寝た後だからきっと来たんだね、と言えるようにするためです。自分自身を騙すための演出は重要です。その際は、一旦お子さんの顔を見て、寝息を確認して、プレゼントを取って、置く。速やかに寝る。という手順になります。次に、枕元ですが、これも基本的な手順は同じです。違いは、置く場所が枕元のため、お子さんの寝相が気になるところ。しかしだからと言って足元などの置くのはお勧めしません。朝、踏みます。ベストはやはり頭から手を伸ばしてちょっと届かないくらいの距離、ベッドの場合はプレゼント受けの靴下を設置してもいいでしょう。頭側にあることで、偶然タッチしても嬉しい驚きになりますし、そうでなくてもちゃんと顔を見てくれているんだという気持ちになります」

 うちは布団だけど、小さなツリーを出す予定だから、ツリーの下に置こう。

「最後のおまけですが、朝、お子さんがプレゼントに喜んでいたら、思いっ切り一緒に喜んで下さい。サンタクロース行為をした後にありがちな心境として、自分が仕込んだもので笑う笑顔に、複雑な気持ちになってしまうというものがあります。いいんです。一緒に喜びましょう。その方が、目的に叶っているのです」

 そうだよな。喜んでいいんだよな。

「以上で、今年度の研修を終わります。くれぐれも今日の研修の存在は、機密にしておいて下さい。それではよいクリスマスを」

 男性は一礼して、出て行ってしまった。

 質疑応答とかないのか。いや、研修の性格上なくても妥当かも知れない。

 本当に三十分も経ってない。これだけのために、恐らく東京中から三歳児の父親を集めたのだ。

 でも、聴いてよかったと思う。プレゼントをちゃんとあげようと言うモチベーションがかなりある。ノウハウも分かったので不安なくサンタクロース行為を行えるだろう。


 乃絵はリカちゃん人形が欲しいと言うことをふわっと聞き出して、こっそり購入して、イブの夜中にツリーの下に置いた。及絵の歓声とプレゼントを見せに来るためのダイブで目覚めた朝、自然に俺も一緒に喜んで、目一杯遊んだ。

 サンタクロース行為をしてから、世の中の全てのお父さんと共謀者になったような、同志になったような気がしている。それは決して口に出来ない同士だからこその、背中で繋がっているような感覚だ。だからなのか、あの研修以来、前よりも俺が人にやさしい。



(了)

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