第20話

ガチャ。ギー…バタン。

金属製のドアが閉まる音がした。

「やれやれ、思った以上に時間がかかって…‼︎」

大きな買い物袋を持った店長が午前中と変わらない様子でアンベルノッテに戻ってきた。

店に入ってくるなり、驚いた。

誰もいないと思って入ってきた店内に男性が1人残っていたからだ。

一番奥にある天使に支えられた丸いガラス製のテーブル。

そこにあるアンティークの椅子の上に力なく座っていた。

だらしなく緩められたネクタイ。

乱れたジャケットに寄れた白いシャツ。

髪の毛も乱れまくっている。

憔悴しきった表情で椅子に座り、ただくうを見つめていた。

店長の午前中の記憶は、リースに言われて薔薇の花を買いに出たところで途切れている。

午前中に訪れていた目の前にいる若い会社員は、占いがすんで店を出たはずではなかったか?

店長は落ち着いて、もう一度店内を見回してみた。

リースの姿はない。

店内の家具の配置は何も変わっていない。

動かされた様子もない。

テーブルの位置も椅子の位置もいつもどおり。

ただ床には、彼が買ってきたはずの赤い薔薇だけが無造作に散乱していた。

店長は首を傾げた。

(リースさんはどこに…?)

とりあえず夜用の食材をキッチンに置き、店長はお客であった会社員に近づき、おそるおそる声をかけた。

「あの…お客様。大丈夫ですか?」

「………僕…は…?」

「非常にお疲れのように見えますが。お水か何かをお持ちしましょうか?」

「………」

「あの、リースさんは?」

「リー…ス…?…誰ですか…?」

「え?」

(覚えていない…?)

焦点の定まらない目で鈴木は店長の顔を見た。

「…僕は…なぜここに……いるんでしょ…うか?」

そう言って俯いた彼の手には一枚の鮮やかな色をしたタロットカードが握られていた。

ローマ数字Ⅵ

カードの下には英語でThe Loversと書いてあった。

「なぜ……僕は…ここに…?」

独り言のように何度もそう呟いた。

店長は彼のシャツの胸ポケットから顔を出している壊れたウサギのキーホルダーに見つめられながら、その独り言を聞いていた。

頭半分からゼンマイが突き出し、妙にリアルなガラス玉の目にじっと見つめられ気味悪くなりながら彼を見ていた。



(大アルカナ6番目のカード

「分解し、そして融合せよ」

まさに錬金術の言葉ね

剣を持ちて分け、分析し、そして踏み出せと

単に「恋愛」の事柄を表すカードじゃない

選択による合一

究極の分解によって生じる相反するものの合一

まさに天使が語った言葉と同じ…

あらゆる次元で展開される…形を変えていく「愛」

カードに描かれてるのは男女二人

一人じゃない わたし一人ではない

男女、二人よ

婚姻を取り仕切るものの目の前に立つは二人

私の隣にいるのは「あなた」

そう……そうね

「旅立て」と言っているのね…)

「お師匠さま…」

そう言うと彼女は何かを決意するように目を閉じた。

天使が語った言葉を何度も思い出していた。

この世界に残るためのも出来たので、幾分元気を取り戻していた。

あの世界に行ったのは、偶然ではない。

きっかけは偶然かもしれないが、見聞きしたことは決して鈴木のことではないのだと思った。

あの世界はでたらめであったけれど、語られたことは真実だと。

すべてを理解できたわけではないけれど、理解しようと努力しようと思わずにはいられなかった。

「闇雲に求めるのではなく。自らの意志を見直した上で「あなた」を捜せと…そう言っているのね…」

目を開けると傾きかけたといえ午後の陽射しが明るかった。

公園のベンチでリースはテイクアウトのコーヒーを飲んでいた。

黒く大きなファーが付いた厚手コートに身を包みながら、ペーパーカップを口元へ運んだ。

カップからはほんの少しだけ白い湯気が見えた。

手袋越しでも、じんわりと温かかった。

「もう、あの場所アンベルノッテには行けないわね。身を隠すには丁度いい場所だったのに。出禁だわ…もう〜」

くすっと声に出してうれしそうに笑うと空を仰ぎ見た。


「…でも、これで自由だわ。私は本来の私らしく何事にもとらわれずに自由に生きる」

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