最終綴   鬼とともに生きる

 夕焼けに染まる京都の街。

 風情のある小路とはかけ離れた、近代的な京都駅のバス停にむかい、キャリーバックをかかえた緋色の髪が歩いてくる。重そうにしながらも道路に降ろして転がすことはしない。 それだけでもよほどに大切なものが入っているのだろうと、想像がついた。

 硝子張りの京都駅を振り仰ぎながら、生還したのだと実感する。

 駅そのものが斜陽を受けて輝きを放つさまは、まだすこし現実離れしているが、まわりの賑やかな雑踏がここは現実なのだと教えてくれる。同時にアヤカはなにも京都を満喫できていなかったことに気づく。 お土産も買えなかった。


「いちおう、名所にはいったんだけどな……ま、いいか、ここから京都タワーもみえるしな」


 待機していたバスから、キサラギが飛びだしてきた。アヤカが右手を掲げて合図すると、キサラギは血相を変えて駆け寄ってくる。


「お怪我は?」


 第一声がそれだった。

 そう言えば、傷は癒えたが、制服はズタズタになったままである。帰ったら、買い換えるしかなさそうだ。そういえば、まわりのひとびとがやたら、避けてとおるなあとはおもっていたのだ。

 呑気なのは当事者たるアヤカだけだ。

 キサラギは確認のため、そっと腕や背中に触れてくる。アヤカが痛がらないのをみて、ようやく安心したのか、次の句を繋ぐ。


「……大丈夫そうですね、よかった……」

「あたりまえだろ。お前こそ、その傷どうした?」


 キサラギの頬には傷が残っていた。

 問いつめるもキサラギはおおきく首を振って、「僕のことはいいんですよ」と誤魔化す素振りをみせた。ならば無理して聞くこともないだろう。


「もうすぐ、バスが出発しますよ。教師に頼まれて、携帯に連絡を取っていたんですけど……気づきませんでした?」

「悪い。携帯、充電きれてた」


 陰域を脱出した後、キサラギに連絡くらいいれておこうと思って取りだしたのだが、電源が切れていた。陰域の磁場が電気を吸収したのか、もっと別の理由なのか、アヤカにはわからないが、いまは取りあえず壊れてないことを祈るばかりだ。

 バスに乗車すると、まずクラス中の人間からぼろぼろの制服で驚かれた。「ん、石段を転げ落ちた」と説明する。怪訝そうにはしながらも、みな心配してくれた。

 ふと隣の空席に座るはずの、クラスメートのことが頭をよぎる。


「委員長は急用ができて、さきに帰ったみたいですよ」


 キサラギはアヤカの心を読んだようにそういい、僅かに視線を伏せた。

 キサラギはずいぶんとまえから、トリイがアヤカを裏切ろうとしていることを知っていたのだろう。


「母親は不倫で連日朝帰り、父親は無職のアルコール中毒」

「は?」

「委員長の家庭ですよ。委員長はこどもの頃から虐待を受けていたそうです。三年前に両親は事故に遭ったものの一命を取りとめ、その後はひとが変わったかのように勤勉で穏やかな親になった……と聞いています」


 空席を見つめる眼差しは、アヤカとおなじものだった。

 なにがあったのかはわからない。けれども彼女は陰陽師と仏に救われたといっていた。きっと、そういうことなのだ。


「……サンキュー、ラギ」


 バスが動きだす――。

 朱色に染まる京の町並みが前から後ろへと流れていく。 加茂川のみなもが夕陽を反射して、金色に輝いていた。眩いばかりのきらめきは懐かしさをともなった優しさでアヤカを包みこみ、一日の疲れを洗い流してくれるようだった。

 都心部から市外へいくにつれて、徐々に高層建築が数を減らし、趣のある民家が増えてきた。時が巻き戻ってゆくような錯覚にそっと身をゆだねる。せめてもの京都観光だ。

 ふと白く輝くものが風に乗って、空から降りてきた。


「雪……?」


 生徒たちがざわめくなか、人の決めた暦など関係ないとばかりに夏の京都を白い粉雪が彩る。ひとしきり風に巻きあげられた後、雪は踊り疲れたように地面に落ち、消えていった。


 やがて、高速道路に突入する頃、疲れきった同乗者たちはそろって、穏やかな寝息を立てはじめた。


 バスが静寂に包まれるなか、じりじりとファスナーを開ける音が聞こえてくる。

 それがどこから聞こえきた音か、気づきながらも、アヤカはなにも言わない。

 やがて、足もとから座席まで這いあがってきた夜弥はアヤカの隣に腰を降ろした。心なしか眼がとろんとしている。欠伸をかみ殺していたのか、眼には透明な膜が張っていた。


「雪、降ってるぞ。どうなってんだよ」

「かつての倭では、物の怪が四季を運んだ。その物の怪がいなくなったのじゃ。四季が狂うのも道理……まあ、四季が狂ったとて、もはや倭人やまとびとは気にも留めぬじゃろうがの」


 赤い雫が鬼の涙ならば、白い雪は誰の零した悲しみだろうか。


「のう、アヤカよ」


 夜弥がそっと、アヤカの耳もとに唇を寄せる。

 香のかおりが鼻さきをくすぐり、頬が緩んだ。肩に添えられたてのひらから伝わる体温にはアヤカ自身の血の暖かさも混じっているのだろう。

 それが不思議と嬉しい。


「もはや、物の怪の居場所は、このくににはない。じゃが、うぬのおるところ……そこがわらわにとっての倭じゃ」

「え……?」


 想わず尋ねかえす。

 夜弥の居場所になれたのだと、思っていいのだろうか。人間風情にも、鬼を護ることができるのだと……うぬぼれても、赦されるのだろうか。


「下僕としてなかなかのものじゃ」


 ふふふと微笑みかけられる。

 いつものように艶めかしい微笑ではない。にもかかわらず、アヤカは想わず見惚れてしまった。

 それはそう、あまりにも幸せそうな笑みだったからだ。

 千年振りの幸せをかみ締めるみたいにはにかんだ夜弥は、この世のどんな花にも勝る可憐さだった。


「ほんと……綺麗なんだよな」


 鬼なのに。いや鬼だから綺麗なのだろう。

 しかし例え、何百何千の鬼が集おうと、夜弥に勝る女はいないと断言できる。


「ん」


 胸にもたれる、ほどよい重さにアヤカは現実に帰り、呆然となった。夜弥がアヤカにもたれて、眠りはじめたのだ。すうすうと微かな寝息が聴こえ、硬直する。背中で寝ていたことはあったが、胸にからだを預けて、眠られたのははじめてだ。


「取りあえず、こうやって安心して眠れるくらいには……頼りにされてるんだな」


 夜弥の表情は赤子のようにやすらかだ。

 ほっとしたせいか、アヤカにも眠気が襲ってきたが、いまはもうすこし、この可愛らしい寝顔を眺めていたい気持ちだった。柔らかな髪を梳いて、額からつんとたちあがった角に触れる。

 真珠のような光沢のある、美しい角だ。


 ――鬼は人を救ってはくれない。


 けど、鬼がいなければ、人は救われない。


 皮肉なパラドックスだ。けれども鬼と人間の関係性を的確に表しているのも事実である。鬼と人は救いあって、支えあって、生きるべきだったのだ。


「俺は、生きるよ」


 この身に流れる鬼の血が、正真正銘の呪いとなっても。

 彼はこれからさき、ずっと、鬼とともに生きると決めたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ものけの姫子と鬼紛い 夢見里 龍 @yumeariki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ