本日付けで魔法使いになりました

鳴海 真樹

始まりの物語

 大きくなったら何になりたい? そう問いかけたことはないだろうか。

 勇者になりたい。

 子供の頃にそう思って幾星霜。本日付けで俺こと水戸部(みとべ)祐(ゆう)二(じ)は、魔法使いになりました。


「お疲れ様です。お先に上がらせてもらいます」

 会話のないオフィスで、ひたすらにキーボードを叩く音が響き渡る。最近LEDを導入した我が社の照明が妙に眩しい。

 俺は返事を待つことなく、鉛の様に重い足腰を引きずった。

「ハッピーバースデー、俺。魔法使い万歳」

 入社の時に両親が買ってくれた時計は0時を指していた。

 30歳の誕生日プレゼントが帰宅なんて……。

「明日も出勤か」

 横断歩道を渡る足取りも自然と遅くなる。このまま消えてしまえたら……。

 俺は懸命に頭を振るった。こういう考えは嵌ってしまう。

 はぁ、癒しが欲しい。仕事の責め苦を払拭してくれるような癒しが欲しい。出来れば10代の美少女で。

 毎晩毎晩、会社を出る度に思う。これも童貞故の痛い妄想なんだろう。

 身の丈に合わない願いは痛い目を見る。俺はそれを己の身体で証明してしまった。

「え?」

 気づいた時には、俺の視界には真っ白が広がっていた。次に来たのは凄まじい衝撃。俺の身体は軽々しく吹っ飛ばされていた。

「……ありえんって」

 それが、俺が残した最期の言葉だった。途切れる意識の中で思ったのは、信号は青だったよな、ということだった。


 目を開けると見知らぬ天井が広がっていた。何が凄いって、その天井が明らかに病院のものではないということだ。全体的に黒を基調として、所々に禍々しい赤の装飾が施されている。

 横たわっているところも堅く、ベッドではなく床だ。。

「どこだ……?」

 俺は身体を起そうと床に手をついた。床はほのかに暖かく、ねちょねちょしていた。

「ありえんって」

 堅い床にしては不釣り合いな感触に掌を見ると、明らかに血と分かるものがベッタリと付着していた。眼前には、およそ現代日本で普通にサラリーマンしていたら、まず見ることのないものが2、3個転がっていた。

 こっち見てるぅぅぅぅ!

 兜を被った首から上の部分。俺は不幸にもソレと目が合った。

「いやぁぁぁぁ!」

 そんな俺の情けない悲鳴が、この場所の主に届いてしまった。

「……まだ、いたんだ」

 その声はおおよそこの場には似つかわしくない、幼くも憂いを帯びた声だった。

 俺はなんとか状況を理解しようと声の方を見た。

 綺麗だ……。

 そこには、腰元まであろうかという長い銀髪を靡かせた少女が立っていた。次いで目に飛び込んできたのは、少女の側で浮遊している騎士だった。

「え?」

 俺がその人に目線を移した時には、その人の首と胴は別れを告げていた。

 恐怖で足が竦んだのは初めての経験だった。

「アナタが最後。何か言い残すことは?」

 銀の髪を揺らし、こちらにゆっくり歩いてくる少女は、俺に遺言を問うてきた。状況が状況だ。俺を殺す気なのだろう。先程の凄惨な光景が脳裏から離れなかった。

「おっ、俺は敵じゃない!」

 両手を挙げ、無抵抗にそう叫ぶことしか出来なかった。そんな俺の空しい叫びは少女には届かなかった。

 少女は少し不思議そうな顔をすると、俺の方へ右手を向けてきた。

 あぁ、オワタ。

「せめて、苦しまない様に」

 少女は慈しむ様な笑顔を浮かべると、紫色の球体を作りこちらに放出した。

 球体は俺が声を上げる間もなく着弾した。

「「……え?」」

 その声は、俺と少女の両方の声だった。

 確かに着弾した。しかし、どれだけ待っても死に至る様な感覚はしなかった。それどころか、先程の球体が身体に溶けて、消えていく感覚がした。

 この謎の状況の答えを求めて銀髪の少女の方を見ると、少女は一人で納得していた様子だった。

「やっぱり真(まこと)の勇者が……」

 少女はポツリと呟くと、諦めたように言った。

「さぁ、勇者さん。私を殺して」

 ……ありえんって。急展開過ぎて理解が追い付かない。ムードを壊すようでいたたまれないが、確認しなければならない。

「おっ、俺は勇者じゃない! 普通のサラリーマン!」

 そして魔法使い、という言葉は飲み込んだ。ここで言っても勘違いされそうだし、何より自虐が過ぎる。

「サラリー?」

 少女は首を傾げ、俺の方に近寄ってくる。そのまま目の前に来るのだから、気が気ではない。美少女に近寄られて興奮しない魔法使いさんは……アレ?

 少女はそのまま俺の胸板に耳を当てた。普段なら興奮で心臓がバックバクの筈なのに、心拍がやけに遅い。

「アナタ、魔力が……」

 何? 魔力が何⁉

 俺のことを見つめる少女の目は憐憫に満ちていた。

「……僅かな余生を私なんかを殺す為に。どうせ私も直ぐ死ぬのに」

 えぇぇぇぇぇ⁉ 俺、死ぬの⁉

「詳しく!」

 俺は思わず、少女の細腕を勢いよく掴んでしまった。

 少女は小さく苦痛を漏らした。俺が咄嗟に少女から手を離すと、握った部分から血が滲み出ていた。

「悪い! そんなつもりじゃ……」

 少女が掴まれた部分をサッと撫でると、瞬く間に傷が回復した。

「別にいいよ、元々ボロボロの身体だし。驚いて編んだ魔力が解れただけだから」

「その身体のせいで、もう直ぐ死ぬのか?」

 俺は自分のことより、少女のことが気になってしまった。

「この身体はあくまでオマケ」

 少女はそう言うと俺の右手を掴み、自らの胸の中央に当てた。

 あっ、柔らかい。じゃなくて!

 その手から伝わる熱と鼓動は、異常という言葉では生温いものだった。

「どう? 私の心臓凄いでしょ?」

 自嘲気味に嗤う少女。少女の心臓ははち切れるのではないかと思う程に、高速に脈打っていた。

「私の魔力は私自身の魔力容量を遥かに超えてるの。だからそのうち、魔力が身体の中から溢れ出て弾け飛ぶの」

「……」

「アナタの方は、魔力が枯渇していて生命を維持できていない。私の魔力が効かなかった感じだと、容量の大きさが途轍もないのね」

 そう語る少女の目はこの世の不条理を諦観していた。

 ひでぇ……。死ぬことを臆するどころか、受け入れてしまっている。

「キミは生きたくないのか?」

 少女は大きな紅い目を、より一層大きくした。

「何でそんなこと訊くの?」

「……キミに生きて欲しいから」

「そんなこと言われたの、初めて」

 少女は一度深呼吸すると、今度は真剣な表情で俺の目を見てきた。

「自分のことを殺そうとした相手に、生きて欲しいって思えるんだ」

 その瞳は、俺の心を見透す勢いで向けられていた。

 少女の瞳は答えを切望している様に思えた。ならば、その想いに応えなければならない。

「俺は――」

 俺が言い始めると同時に、誰かの声がした。

「頼もう! ここに住むという最強の魔王を討伐しに来た!」

 少女は小さく溜息を零す。

「ここでじっとしていて。直ぐに終わらせる」

 少女はそう言い残し、覚束ない足運びで来訪者のもとへ赴こうとする。

「また、殺すのか?」

 少女は一瞬身を強張らせた。こちらを振り向くことなく、小さく頷いた。

 それが少女の答えだった。なればこそ、今度は俺の答えを応えてやらなくてはならない。

「俺の答えを見せてやる」

 確かに殺そうとした。でも、悪気はないんだろう? ただの自己防衛。それはキミが本当は生きたいという表れじゃないか。

 俺は駆け足で訪問者のもとへ向かった。緊張で膝が震えていたが、それでも突き進んだ。


「アンタが魔王? 全然強そうじゃないな」

 そりゃ、サラリーマンだし。

 訪問者の身なりは歴戦の勇者の様だった。きっと数多も屠ってきたのだろう。少なくとも俺より強いのは明白だった。

 俺は瞬時に懐に手を入れ、いつも使っている名刺を取り出した。

「こちら、魔城営業所でございます。以後お見知りおきを」

 そんなのは嘘っぱち。名刺のところにはガッツリ職場の名称が書いてある。けれど、突然のことに理解が追い付いていないのか、動揺しながらも名刺を受け取っていた。

「流石は勇者さん、お目が高い! こちらは魔王の住処を模した一室でして、魔王の様な体験が出来るのですよ」

 その後も営業で磨いた口八丁で、ここに魔王はいないということを勇者に説き伏せた。

「空振りかよ。じゃあな、おっさん」

 勇者はすんなり帰っていった。俺はまだ30歳でおっさんじゃない!

 満足気に少女の所へ戻る時、一際大きく心臓が高鳴った。その高鳴りは激痛を伴っており、思わず倒れこんでしまった。

「……潮時ってことなのか」

 少女は、ゆっくり俺の側へ寄ってきた。その表情はなんとも言えない、哀しそうな表情だった。

「私には生きろって言った癖に……」

「面目ない」

 少女を救ってやれなかった。それが心残りだった。

「許さない。アナタも生きるの」

 少女は大きく息を吸うと、その小さな唇を俺の口へ押し当てた。

 あったけぇ……。

 俺の身体中に暖かいものが大量に流れ込んでくる。それに呼応して俺の心臓も鼓動を加速させていく。

 時間にて1分。それ程の間、俺と少女は唇を交わし続けた。

「満たされた?」

 キスの余韻か、恍惚とした表情で少女がそう訊くもんだから、なんとも艶めかしい。

「あっ、ありがとう……」

「ねぇ、ちょっと!」

 少女は俺の右手を、再び自分の胸に押し当てた。ドクドクという確かな鼓動が伝わってくる。それはもう普通の間隔で。

「私、生きてもいいのかな……」

「その鼓動が答えだろ」

 少女の心臓が高鳴った。

「急に生きろって言われても、私どうしたら……」

「そうだな。先ずはここから出てみるのはどうだ?」

「……一緒にいてくれる?」

 懇願する少女の瞳は、見た目相応の可愛らしいものだった。

「あぁ。生きて欲しいって願ったんだ。その責任は俺も背負うよ」

 それが社会人として、俺個人としてのケジメだった。

「これからよろしくね。私の魔法使いさん」

 憑き物が落ちた様な清々しい笑みで手を差し出した。

 俺は真っ直ぐに少女の双眸を見つめ、握手した。

「よろしくな、魔王さま」

 こうして俺は、本日付けで魔王直属の魔法使いになりました。

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本日付けで魔法使いになりました 鳴海 真樹 @maki-narumi

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