第15話 なぜこんな目に遭わなきゃならんのか

「お、やっと目を覚ましたかい天野川君。いい加減に救急車を呼ぼうか迷っていたところだよ。しかしひとまず意識は戻ったようで安心した。無事で何よりさ」

「……」

 目を覚ました僕に向かって、その人――恐らく先ほどの和服を着た上野琴音の彼氏と思しき男――はそう言った。“恐らく”と推測型なのは、声の主の人物を目視できなかったからだ。

 僕は今、目隠しをされている。それも、どうやら椅子に縛り付けられている状態で。監禁されているようだった。

「ふふ、申し訳ないね。しかし悪く思わないでくれたまえ。こちらとしても、君みたいな不審者を野放しの状態で介抱することは出来なかったのさ。なんせ、居酒屋で私達を凝視し、店を出た後もストーキングしたあげく、目の前でゲロをまき散らす生物テロを実行した異常者と来ている。さすがに拘束の一つや二つさせて貰わないわけには行かない、こちらの身の安全のためにね」

「……」

 男の言葉を聞いてもなお無言のままの僕に、彼は不思議そうにする。

「……? どうしたんだい、耳栓はしていないから聞こえているんだろう? さっきからなぜ黙ったままなのかな? 話をしようじゃないか」

「……」

「……ふむ、もしかして君、留学生? 日本語がわからないのかな? ……いやしかし、さっき我々の前で自己紹介してたときは、日本語だったしな……」

「あの、すみません。いいですか?」

「お、やっと話してくれたね。言葉は通じるようで安心した。いいよ、なに?」

「……なんか色々話して貰ってるとこ悪いんですけど、もう話しかけないで貰えますか?」

「なぜ?」

「自分、カメムシなんで」

 僕の言葉を聞き、男は「ぷふっ」と吹きだした。

「ははははは! カメムシ? 驚いたな、君はどこからどう見ても人間に見えるけれど?」

「さっき気絶したときに、カメムシに転生したんです。なので僕なんかよりよっぽど高等生物である人間様に話しかけられても答えられません。というか、答えたくありません」

 男は目隠しされていても音でわかるくらいに足をばたつかせて笑っていた。どうやら腹を抱えて笑い転げているらしい。

「くふふふ……どうやら、眠っている間に相当愉快な夢を見ていたようだねぇ。でも安心したまえよ、別に君はカメムシになんて転生していない。『転生したらカメムシだった件』なんて、きっと誰も読まないし読みたくないような物語の主人公になる必要はないさ」

 男は僕の事なんて何にも知らないくせにそう言った。それは同情故だろうか。でもお生憎様だ。僕がこんなことを言っているのは決して、夢心地だからなんかじゃない。


「……僕みたいなヤツ、カメムシがお似合いなんですよ。もうほとほと、自分に嫌気がさしました。人生が嫌になりました。だからお願いなので、僕をカメムシとして扱ってください。カメムシ人間として。罵って貰って構いません。いや、いっそ踏み潰してください。グチャァって。死にたいんです、僕は」

 それまで笑っていた男も、僕の如何にも深刻そうな言葉を聞き、さすがに笑うのを止める。そして真剣な声色になった。

「……何を考えているかはわからないけれど、まあそんなに自分を卑下するもんじゃないよ。君が自分をどう思っていようが、私から見れば君も立派な人間だ。カメムシ人間なんかじゃなくてね。……いやでもまあ、“臭い”という点においては、カメムシと大差ないかも知れないな」

 男はそう言うと全身ゲロまみれの僕をまた笑った。まあ、そう言われるのも無理はないだろう。なんせ現在の僕は、胃の中で消化しきれなかった食物なんかを全身に付着させ、吐瀉物特有のあの酸っぱい臭いを辺りに漂わせていたのだから。カメムシとどっこいどっこいの臭さである。ハエたたきでぶっ飛ばされても文句は言えない。


「それでカメムシ君? 君、何か私に言うことがあるんじゃないのかな? 自分で言うのもあれだけれどね、私は目の前でゲロを吐いて倒れた君を、こうして家まで連れ帰り介抱していたんだよ。汚いのと臭いのに我慢しながらね。そんな骨を折った私に対して、君はそれ相応の『対応』をする必要が、あると思うのだけれどね」

「……」

 感謝をしろと言うことだろうか。この状況で? 全身縛られて、目隠しまでされてるのに? 監禁されているのに? それで『ありがとうございます!』って言えと? どんなSMプレイだよ。 

 しかしまあ、僕にはその事に文句を言う資格はないのか。なんせ、こんな助けてもらってるんだか辱めを受けているんだからわからない事をされたとしてもしょうが無いことを、僕はしでかしてしまっているのだから。


ではここで一度、僕がやったことを振り返ってみよう。


居酒屋で上野さんとこの男のことを恨めしそうに見る。

男のことを『残念な感性を持った可哀想なヤツ』と心の中で罵る。

店を出ていった二人をストーキングする。

二人がこれからホテルで愛を確かめ合うのが気にくわなくて邪魔しようとする。

あげくに、目の前でゲロをぶちまけながらぶっ倒れる。


 間違いない。極悪人である。少子高齢化が叫ばれる現代日本において、それを打破すべく子作りに励まんとする二人の邪魔をする犯罪者。それが僕だ。なんたることか。監獄にぶち込まれるべき悪漢じゃないか。罪状は国家転覆罪、もしくはテロ等準備罪だ。少子化を促進させようとする悪人を許すな。


 そして少なくとも、この男の言うように、僕は彼らに感謝するべきだ。だって、本来なら僕は、二人の前でぶっ倒れた後に、彼らに置いてきぼりにされ、真冬の空の下凍死していたとしても不思議じゃなかったし、そうなっても文句を言う資格なんてなかったんだから。こんな不審者を気味悪がらずに、そのうえ介抱までしてくれた彼らには、感謝するしかない。

 感謝しかない……のだけれど。しかし僕は、どうしても感謝できなかった。感謝を行動で示すことが出来なかった。気にくわなかったのだ。


 この男は、上野さんと付き合っている。恐らく彼氏だ。その事実が、僕の心に感謝よりも遙かに巨大なドス黒い感情を抱かせていた。

 カメムシに転生した(つもりになっている)僕だけれど、どうやら未だに人間としての醜い感情を捨て切れていないようだ。

 僕はこの男が妬ましかった。上野さんを独り占めにするこの男のことが。そんな男に感謝なんてしてみろ。きっと僕は敗北感のせいで死にたくなるぞ。転生してからわずか30秒程度で、カメムシとしてのセカンドライフを幕引きしたくなる。酷い臭いを辺りにまき散らして、少しでもこの男に嫌がらせをしながら“カメム死”したくなるだろう。そんな惨めなのは絶対に嫌だ。


 感謝なんてしたくない。上野さんならともかくとして、少なくともこの男に対しては。下手したてに出るのはごめんだ。

 だって考えてもみて欲しい。僕には彼女がいない。女友達すらいない。そのうえ童貞である。一方、目の前に居るこの男は、普段着が和服で、それをカッコいいと思っている残念な感性の持ち主であるにも関わらず、上野琴音という超絶怒濤に美人な彼女が居て、恐らく童貞も卒業している。

 僕とこの男の人生を比べた場合、明らかに僕が劣っている。なのに、人生で劣っている僕が、何故にこのリア充男に感謝などしなければならないのか。不公平である。自然の摂理を揺るがす、看過しがたい人生格差だ。幸福度的に考えて、僕はこの男に「リア充でごめんなさい」と謝られる道理こそあれど、感謝する義理は一切無い。むしろ、この男は僕という“可哀想な陰キャ”を助けて当然なのだ。そうだ、そうでなければおかしい。不公平だ。それが平等な社会というものだ。

よって、共産主義的観点から言って僕は謝るべきでない。

Q.E.D(証明終了)である。


 そうと決まればやることは一つ。この男に僕の身柄解放を打診するのみである。

「……あのですね、悪いんですけど解放してくれませんか?」

「介抱? 何を言ってるんだい、それならこうして今やっているじゃないか」

「いや、そっちじゃなくて。介抱じゃなくて解放です。解き放つ方です。……ご覧の通り、意識も戻って、元気もそこそこあるので、大事を取って病院に行かせてくれませんか? まだちょっと気持ち悪いので」

「……」

 男は押し黙る。どうやら僕を解き放つことに些かの抵抗があるようだ。まあ、こんな変態を野に解き放つのには、それ相応の覚悟が必要なんだろうが。


「ご迷惑をおかけしたことは謝ります。でも、それとこれとは別なはずです。あなたにこうやって監禁され続けなければならない義務、僕にはないはずだ。もう二度とあなた方には近寄らないので、この縄を解いてくださいよ」


 まあ『二度と近づきません』と言うか、ぶっちゃけもう僕の方がこの人達には二度と会いたくない。彼らの恋路を邪魔しようとしたあげくに失敗し、ゲロをぶちまけるなんて醜態をさらしておいて、一体どんな顔でまた会えば良いのだという話だ。少なくとも、まともな顔ではあるまい。きっと面の皮が多層構造で何重にも連なった、ウエハースのように分厚い顔のはずだ。


 そんな僕の言葉を聞き、男は「……そうだねぇ」と言い逡巡した。

「……実を言うとね、私は君を解放したくない」

「……はい?」

「正直言って、君を介抱する為に家まで連れ帰ったというのは、あくまで建前なんだよ。君を“捕獲”するための」

 恐るべきカミングアウト。“捕獲”て。僕は珍獣か何かか。……あ、カメムシか。

「いやね、本当のところは君のことなんかこれっぽっちも心配していなかったんだよ。ぶっちゃけ私としては、赤の他人が星空の下、フランダースの犬よろしく天に召されようとも、どうでも良いのさ。『だからどうした?』という感じだ」

 えらく冷たいな。京都の冬のように、心が冷え切っている。こいつの心には暖かい人の血が通っていないのだろうか?

 どうやらこの男もまた、僕に負けず劣らずのクズ人間のようである。

 でもその発言、今の状況と矛盾して居やしないか?

「……どうなっても良いんなら、なんで僕を助けたりしたんです?」

「うん、そこなんだよね。すでに言ったように、私はこれっぽっちも慈善事業なんてする気は無い。赤の他人や、つまらない人間を助ける優しさなんて持ち合わせちゃ居ないのさ。けれどね、君のことは放っておけなかった。というより、何の因果かこうして出会えた君のことを、もっと知りたいと思ったのさ。君のような面白い人間についてね」

「……面白い人間? 僕がですか? あいにくですけど、僕はつまんない人間ですよ。空っぽのクズ野郎です」

 自分の事しか考えない、自分のことを慕ってくれている妹のことも好きになれない、そんなダメ人間のクソ兄貴。それが僕だ。面白みなんて少しも無い。むしろ、見ているだけで吐き気がするような野郎だ。もっとも、今はゲロの臭いのせいで、本当に吐き気を催す臭いを放っているんだけれども。


「ふふ……そんなに謙遜するんじゃない。君は十分、面白い人間さ。なんせいきなり目の前で、えっと……『リア充撲滅委員会』だったっけかな?そんな名乗りを上げて、あげくに血反吐どころかゲロをぶちまけながら絶命する。面白いってレベルじゃない。あの一瞬で私のハートは、君に鷲づかみされたよ。一目惚れさ」

 どうやら僕は、自分でも知らないうちに他人のハートを盗み出してしまったようだ。銭形警部に捕まえられても文句は言えまい。あの人は他人のハートを盗んだだけで泥棒認定してくるからな。『ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。貴方の心です』って感じで僕は逮捕されるだろう。勘弁してくれ。職権濫用じゃないか。

 まあしかし、惜しむらくは盗んでしまったのが男のハートだったことか。


 ……いや、アメフトの件と言い、今回の件と言い、なんで僕は男とばかり恋愛フラグを立てちゃうんだよ。もしかして知らないうちに、女性フェロモンでも分泌しちゃってるんだろうか。だとしたらとんでもないことだ。僕の貞操が男共に狙われる地獄絵図待ったなしである。きっと薄い本の作成がはかどるだろう。誰得だ。

 至急、救援を請う。誰でも良いから僕をこのBL沼から救出してくれ。


「まあそういうわけで、私は君に興味を持ちこうして捕獲したわけさ。こうやってお話しするためにね。だから、君を解放するわけにはいかない。もう少し話に付き合って貰うよ。それに“聞きたいこと”もあるしね」

 聞きたいこと? なんだ、もしかして名前住所年齢性別その他を聞くつもりか?そんでもって警察に突き出すつもりなのだろうか? だとしたら非常にまずいぞ。何とかして止めさせないと。


「……アンタ、上野さんと付き合ってるんだろ? 僕なんかにうつつ抜かしてて良いのかよ」

 僕は忍び寄るボーイズラブと投獄の気配に怯えながらも、男にそう尋ねる。

 僕の考えが正しければ、この男は上野さんの彼氏。なのに、彼女のような美しきヴァルキリーと付き合っていると言うのに、なんでこんな所で僕なんかに惚れちゃっているんだという話だ。まさかこいつ、男も女も両方いける両刀か? 実在したのかよそんな特殊性癖。 

 しかし僕の『男に浮気してんじゃねえ』というありがたい忠告を聞いた男は、なんだか不思議そうにしていた。

「上野さん? ……ああ、琴音のことか。まあ、あの子のことは気にしなくても良いだろう。そもそもとして、あの子は別に私が”こんなこと”をしても気にしないだろうし」

 ”こんなこと”って、そんな自覚あったのかよ。そっちの方が驚きだ。

「……しかしはて。琴音と私が付き合ってる? それは一体どういうことだい?」

 うっわ、なんだよその言い方。僕に『どうせ毎晩あんた達チョメチョメしてるんだろ?』とでも言わせて、優越感に浸りたいというのか。なんと忌々しい。

 まあでも仕方ない。その願い、お望みとあらば叶えてやろう。

「どういうこともなにも、アンタ上野さんの彼氏なんだろ?」

 僕が憎々しげにそう言うと、男はいきなり「ははははははははははは!」と高笑いしだした。

「彼氏! 私が琴音の? はははははは! こりゃ傑作だ! そうかそうか、君には私が“そう”見えたのか。いやでもまあ、こんな格好しているからな。確かに見間違えるのも仕方ないか。くふふふふふ……」

「は? あんたなに言って……」


――――ガチャリ


そんな事を話していると、少し離れたところでドアの開く音が聞こえた。

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京都大学という大学の皮を被ったニート養成所に救いの手を! 鷹司鷹我 @taka1gou

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