場合によっては異世界転生

かがち史

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「――はぁ? なんだそれ?」


 果てしなく真っ白な空間。両足をつける床だけが知覚できるその場所で、おれは素っ頓狂な声を上げた。


 おれの前でそれを受けたのは、八割がたペンギンのような、けれど絶対にペンギンではない生物。姿かたちは確かにペンギンだ。ただし羽毛ではなくフカフカの短い毛で全身覆われて、その色味も鮮やかなライムグリーン。体高はおれの腰ほどまでで、頭の上に、おれの首元までの四角い帽子をかぶっている。帽子の全面にはデカデカと、ローマ数字の七が刺繍されていた。

 それがコスプレしたペンギンではないと断言できるのは、今さっき、こいつが紛れもない人語でしゃべったからだ。


 ライムグリーンのペンギンもどきは、「デスから、そのままの意味デス」とよちよち足を踏みしめた。


「あなたは今、生と死の狭間、いわゆる仮死状態にありマス。なので場合によっては、異世界に転生することになりマス」

「だからその、ってのはなんなんだって!」


 仮死状態なのはわかる。直前までの記憶として、確かにおれは死にかけていた。

 より具体的に言えば、高速道路での玉突き事故に巻き込まれていた。幸か不幸か、事故直後からしばらくは意識があって、救急隊が駆け付けてくれたところまでは覚えている。そこで気が抜けたのか、血が抜け過ぎたのか、すこんと意識が途切れていたのだが。


 それはともかく、だ。

 異世界への転生はよく聞く話だ。いや現実には聞くわけないけれど、そういう作品が今や日本には溢れている。そんな幸運が自分に訪れるなんて、という驚きと高揚はあるけれど、そこについた『場合によっては』は実に不安だ。

 それをハッキリさせなくては、喜怒哀楽も決めきれない。


 ペンギンもどきはもどかしげに、羽根をぱたつかせて「デスから、そのままの意味なのデス」と繰り返した。


「この『場合』というのは、あなたに特筆する能力があるかどうかデス。あまたの世界が求めるのは、救いであり変革デス。それに足る人物以外は、まったく必要ないのデス」

「つまり……おれが勇者に相応しいかどうか、ってことか?」

「まあ、簡単に言えばそういうことデス」


 頷いてペンギンもどきは、ぴっと毛に覆われた人差し指を立てる……それで気付いたがこの生物、手でも翼でもあってないような、妙な手元をしている。見た目こそ五本指に分かれただけの翼のようだが、動きは完全に人の手と同じだ。きもい。


「たとえば、プロ棋士を目指していた青年は、立派な用兵家になりマシた。アイドルを目指していた少女は、歌で人々を癒す聖歌師になりマシた。戦国時代が好きな歴女は女将軍に成り上がりマシたし、家事全般を担っていた主夫は最終的に国の宰相まで登り詰めマシた」

「す、すごいんだな……」

「これでもほんの一部デス」

「でもそれは、最初からそういう人間を選んで転生させてるんじゃないのか?」


 おれもそうなら、どうして今更、能力がどうのと言われているのだろう。

 そう首を捻るおれに、ペンギンもどきは「そういうわけではないのデス」と短い首を振った。


「救世のため、優秀な人材は確かに必要デスが、そんな人ばかりを転生させていたら地球が滅んでしまいマス。それでは本末転倒なので、死亡、あるいは仮死状態にある人の中から、能力値を見て、相応しいと思われる人にご協力をお願いするのデス」

「……それはそれで大変じゃないか? 世界中で一日何人、そうなるんだよ」

「それは毎秒数え切れないほどデスが、ここは時空の制限を超えた場所デスし、我々もそういう存在デス。ご心配いただくことではないデスよ」

「いや別にあんたの心配をしたわけじゃないんだが」


 単純に疑問だっただけだ。

 そんなおれには藍色の目を瞬くだけで、ペンギンもどきは、さっさと先に進むことにしたらしい。


「それではこれから、いくつか質問をしていきマスね」

「はあ」


 なんだか妙なことになった。

 拒否する理由はまったくないし、おれも「どんとこい」と応じるけど。


 ペンギンもどきが両翼を両手のように合わせて開くと、その間に、よく見るステータス表示のような形で何かが浮かび上がる。覗き込んだが文字が読めない。少なくとも日本語や英語ではなさそうだ。ペンギンもどきはそれを読み上げる。


「まず、職業はなんデスか?」

「見ての通りの学生だ」

「専門校デスか?」

「いや普通の」

「部活動は?」

「書道部だけど」

「ホ。段はありまシタか?」

「いや……」

「では他に、資格や免許はありマスか?」

「……英検五級と漢検三級ならある」

「うーん、使えないデスね」


 バッサリと切り捨てるペンギンもどきに、イラッとする。そこに追い打ち。


「見たところ体力も飛び抜けてはいなさそうデスが、実は国際級の記録保持者とか、そんなことはないデスか?」

「ねえよ!」


 足りない部分ばかり暴かれるようで、思わず強く返してしまう。直後にハッと我に返ったが、ペンギンもどきは特に気にした様子もなく「デスよねぇ」と頷いただけだった。それはそれでムカつく。

 何か言い返せる材料は、と頭を捻ったおれは、閃いてすぐさま手を上げた。


「知識なら! ファンタジーの知識ならあるぞ!」

「ファンタジー知識デスか……たとえば?」

「定番の種族なら完璧に頭に入ってる。エルフとかドワーフとかオーガとか、ノームやホビットも。それぞれの特性も知ってるし、あと魔法属性もいろんな種類を知ってるぞ。四元素エレメンツを基本としたものとか、だいたいどこも同じだろ?」


 ペンギンもどきは「ハァ」と大きな溜め息をついた。


「あなたも〝トールキンの子〟デスか」

「は? なんだよそれ?」

「『指輪物語』のJ・R・R・トールキンのことデスよ。彼以降のファンタジー作品に浸っている人のことデス。D&Dからの派生もあるようデスが、エルフもホビットもほとんどトールキンの創作なんデス。四元素も、あくまで地球上での構造デスからね。そうでない本当の異世界に馴染むためには、下手な知識は邪魔なだけデス」

「なっ……なんだよ! 異世界なんだろ! 同じことじゃないか!」

「デスから、違うんデスよ。世界が必要とするのは、もっと専門的で実用性のある知識デス」


 ペンギンもどきはライムグリーンの指先で、おれの胸元を突いてくる。


「あなたに下水の整備ができマスか? 限られた建築資材で家を建てることは? 学力向上のための教育論は? 穀物が収穫前に枯れた時、その原因と対策を瞬時に見抜けマスか? ――少なくともそれらと同レベル以上でなければ、知識なんて、なんの売りにもなりまセン。そんなものが、あなたにも何かありマスか?」

「……………………」


 ぐうの音も出ない、とはこのことだ。

 学校の成績はいいほうだけど、特別な専門知識なんてないに等しい。最近は知識系チートな異世界転生も読んではいるけど、どれもならぬだ。到底、自慢できるレベルじゃないことくらい、さすがのおれでもわかっている。


 ことごとく可能性を潰されるおれだったが、だからといって、せっかくのチャンスをみすみす逃すわけにはいかなかった。あんな退屈でくだらない日常に戻るくらいなら、この記憶を持ったまま、またイチからやり直せる機会が欲しい。

 推し量るような目でおれを見上げるペンギンもどきの圧を感じつつ、おれは必死で頭を回転させる。


 そして――ひとつだけ。

 思い至った小さな可能性に、おれはキッと顔を上げた。


「そ……想像力なら、あるぞ!」

「想像力デスか……では、こちらの武器に、名前をつけてもらえマスか?」


 そう言ったペンギンもどきが一歩下がると、突然、おれの目の前に一振りの剣が現れる。黒い艶消しの刃に、見たことのない黒革の柄巻。猛獣の牙を象ったような鍔部分には、夜空から刳り出してきたかのような黒い宝石が嵌っている。

 そうだ、おれならこれの名付けができる。

 この漆黒の剣にふさわしい名は――


「――シュバルツ・ソード!」


 ペンギンもどきは「ハァ」とまたムカつく溜め息をついた。


「ドイツ語と英語デスか……」

「なっ! なにか文句があるのかよ!」

「あなたの国の、あなたの年頃の人たちは、どうしてそんなにドイツ語を好むんデスかね。音感がいいからデスかね。――想像力を売りにしたいなら、もっと捻った名づけをしてほしいデスよ。造語を使うとか連想単語からつけるとか。直訳するにしても、せめて国籍は一貫させるべきデス。どうせドイツ語で『剣』がわからなかっただけだとは思いマスが」

「…………!」


 完全なる図星だった。


「で、でも、仕方ないじゃないか! ドイツ語を完璧に覚えるなんて、今のおれにできるわけないだろ! 翻訳アプリさえ使えれば、もっといい名前だって考えられたはずなのに!」

「別にドイツ語にする必要もない、という話デスよ。あなたと同じ事故に遭われた小学生の女の子は、同じ剣に『射干玉ぬばたまあぎと』という名をつけまシタ。粗削りデスが創意工夫に富んでいて、将来が楽しみだと思えマスね」

「なっ……小学生? 同じ事故って――」


 どういうことだよ、と問い詰めようとした矢先、ペンギンもどきがふと止まる。

 そして「ああ」と納得めいた声を洩らしたと思ったら、両手のような両翼を合わせ閉じ、黒い剣もステータス表示も消し去った。


「お疲れさまでシタ。あなたへの質問は終わりデス。もういいデスよ」

「な、なんだよ突然。もういいって……」

「あなたと同じ事故に遭った人の中に、良い人材がいたようデス。二十年間、商社に勤続していた男性デスね。身体能力は並デスが、コミュニケーション能力が尋常ではないようデス。話術の才もあるようデスし、頭の回転も速い。ホホッ、それでいて近年珍しく〝トールキン世界〟をほとんど知らないと!」


 完璧デスね! と飛び跳ねるペンギンもどきに、おれは目の前が暗くなる。


「待ってくれよ……そんなオッサンより、若いほうがいいだろ!? 知識だって絶対、ないよりあるほうがいいに決まってんじゃんか! それに……それに、なんだよって! コミュ力なんか、なんの役に立つんだよ!」

「大いに役に立ちマスとも。人と人を繋げる能力デス。円滑な交渉、必要人材の橋渡し、人心の把握と調整術――どれをとっても有用デスよ」

「でも……っでも!」

「あなたも身につけるべき能力デスね。相手の不本意な反応に対して、大声を上げて反発抗議しかできない人材なんて、どこの世界でも毛じらみほどの役にも立ちまセンから」


 容赦ない切り捨てに、おれは喉奥で喘ぐことしかできない。

 よちよちと半身を向けたペンギンもどきは「それに」と付け足す。


「年齢こそ関係ありまセン。どうせ、ここから『転生』するのデスから」


 そうだ。そうだろう。

 そのオッサンは相応しく選ばれるだけの人間で、そうでさえあれば、年齢なんて関係ないんだろう。そんなことはわかっている。わかっているけど。


 ――でも、それじゃあ。


「それじゃあ……おれは?」


 おれはどうなる。

 こんなにも切実に転生を願っている、このおれはいったい、どうなるのか。

 もういいなんて、そんな言葉は信じない。能力がないというだけで、相応しくないというだけで、おれを切り捨てる権利なんて誰にもない。偶然その資格を持っているだけのオッサンが行けるなら、おれだって行ける。行けるはずだ。


 ――けれど伸ばした左手は、ライムグリーンに触れることさえできなかった。


「あなたにはあなたの人生を、引き続き頑張っていただきマス。いつかまたお会いする時には、ぜひとも、もう少し使える人材に育っていてくだサイね」

「待って……待ってくれ!」


 動く床でもあるかのように、ペンギンもどきの姿が遠ざかる。

 必死に走って追い縋っても、なぜだか距離は開くばかりで、目の前が霞み、自分と世界の境界がなくなり、すべてが白の中に溶け消えていく。

 ライムグリーンの後ろ姿も。

 おれの身体も、頭の中も。

 白く、白く、真っ白く。


 そして――







 ――そしておれは、目を覚ました。


 青白い天井。規則的に刻まれる機械音。身体中にいろんなものがついているようで、だけどその違和感はわかるのに、痛みの一切が存在しない。ぼんやりとした頭の中で、事故のことや救急隊のことを思い出し、ああ病院だと納得する。身体の感覚が妙なのは、おそらく麻酔や薬によるものだろう。


 その時すぐ近くで、規則正しかった機械音が、ピーと長い音に変わった。おれの心拍を計っていたものじゃない。別の誰かに繋がれた機器だ。その長い音が意味することを、おれはドラマで見て知っていた。

 慌ただしく集まってくる人々を追って、目線だけでその音源を探る。


 それは、すぐ隣のベッドだった。

 同じ処置室の中。同じように満身創痍でベッドに寝かされた四十代くらいの冴えないオッサンが、ちょうど今、息を引き取ったらしかった。


「……――」


 なぜだかおれは悔しくて、憤ろしくて、胃の底から裏返るような気持ちが湧き上がって叫びたくて息を吸い込んだ。


 胸が痛い。

 肋骨や肺や心臓ではなくて、もっと奥深くにある場所が痛い。


 その理由もわからぬまま、おれは人工呼吸器や数々の機械によって繋ぎ止められた世界へと向けて、魂を吐くような咆哮を上げた。







 202509161427JA0107

 ――不適格




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