第2話:密命

――“敵国の姫を護衛せよ”


 サイラス王から聞かされたのは、衝撃の任務内容だった。本来はあり得ないほどに。

 けれど目の前に存在する少女――ステラの存在が、ルナセリア王族のブルームーンの様に神秘的な魔力が彼女が本人であると証明している。

 それは同時に、任務が正しいと告げていた。

 

――ルナセリア帝国の王女。


 彼女がここにいるのは並々ならぬ覚悟。そして、両国での話し合いが裏で行われていないと不可能だ。

 おそらく自分達の知らない所で、既に事態は重要な局面を迎えていた事をレインとグランは察した。


「最初に言っておくが、私も別に隠したくて隠したわけではない……だが、今回の和平はそれ程までに慎重にしなければならなかった。嘗ての戦争……【妖月戦争】から、まだ十数年しか経っていないからな」


 レイン達へ、弁明する様に言うサイラス王。

 最も、弁明の理由は嘗ての戦争についてだからだ。

 十数年前に起こったアスカリアとルナセリアの戦争――『妖月戦争』の事を思い出し、感傷に浸る様にその瞳を閉じてすらいる。

 

――妖月戦争か……。


 クライアスで一番最近の戦争であり、同時に最も悲惨な戦い。

 参加していたレインも身をもって知っていて、同じく参加していたグランも隣で険しい表情を浮かべている。

 だが、レインからすれば過去のこと。今となってはのもあり、サイラス王へ話の続きを求めた。


「陛下……続きを」


「!……そうだな」


 レインの声にサイラス王は我へと返ったらしく、一息入れてから話を再開させる。


「前の戦争から未だ十数年――両国の憎しみが癒えない中、近年になって増え始めた両国の小競り合い。再び両国から不穏な空気を私も感じていた。だが、だからこそ全てを慎重にせねばと思っていた。――そんな時だ、ルナセリア側から極秘に書状が届いたのは」


 サイラス王はそう言って隣に立つステラへ視線を向けた事で、レイン達は書状の内容を察する。


「和平の使者として、ルナセリアは王女を送り出した……?」


「そうだ。極秘でステラ王女を和平の件で受け入れて貰いたい。そうルナセリア側が伝えて来たのだ」


 レインの呟きにサイラス王は頷き、ステラの方を向いて再度頷くと、ステラも意味を理解し二人の前へ立った。


「我が祖国――ルナセリアに戦いの意志はありません。ルナセリアの願い……それは両国の戦いの歴史に幕を下ろし、クライアスの秩序を正す事です」


 ステラはそう言って、詳しく和平に至ったまでの事を話し始めた。


 その内容は妖月戦争から十数年が経過したが、両国の戦争の傷跡は未だに癒えていない事。

 荒れ果てている戦後の土地・力の弱体・流通の制限など、両国での問題は未だに山積みで、全く解決されていないとステラは以下の事を話した。

 

 一点目、戦争によって住んでいた土地を離れる事になった国民の生活の保障。

 二点目、戦争によって両国の兵力が弱った事で起こっている、一部のギルドの暴走。

 三点目、流通の問題もステラは真剣に話してくれた。

 

 そして四点目、新たなに生まれた凶悪な突然変異の魔物『はぐれ魔物』の深刻さ。

 近年、異常に力をもった亜種の魔物である、はぐれ魔物による国民への被害は増え、その問題の解決には両国の協力が不可欠だとステラは言った。


「流通や新たな魔物、そして違法行為を行うギルドの中には名立たる栄光の星を持つ者レジェンド・ギルドの存在も確認しております。既に自国だけの問題ではなく、両国が力を合わせる事で初めて、これらの問題に向き合えると私は思っています。――だからどうか、皆様のご協力をお願いしたいのです!」


 叫ぶようにそう言ってステラは深く頭を下げたが、その一国の王女の行動を見たレインも流石に何も言わない訳にはいかなかった。


「頭を上げて頂きたい……既に陛下が受け入れている以上、貴女様が頭を下げる事はない」


「そうだぜ。 王女様が今言った事も俺等にだって心当たりはある。事態の重大さを理解している以上、そんな簡単に頭なんか下げちゃ駄目だぜ?」


 一国の王女が頭を下げる、しかも敵国でだ。

 その影響はあまりに大きくなるので、レイン達は止めようとするが、ステラは頭を下げたまま首を横へと振った。


「いえ……例え和平が上手く行ったとしても、私達王族や政治家だけでは事を成せません。――動いてくれる方々、騎士の皆様を始めとした沢山の人達の協力が必要となります。ならば私達の代わりに動いて下さる方々へ、頭を下げるのは当然です」


 そう言って頭を上げたステラの表情は真剣なものであり、さっきまでの優しそうなだけの姫の姿ではなかった。

 今回の和平には彼女自身も、文字通り命を賭けている。

 人の上に立つ者が持つオーラをレインは感じ取り、そう確信した。


「私は……民の為ならば私は何度でも頭を下げます。真に民を想う人達……信頼できる方々へ――!」


 そう言い放ち、ステラは更に一歩前に出た時だった。

 玉座に続く僅かな段差を踏み外し、バランスを崩してそのまま前方に倒れ込む。

 つまり、段差に引っかかってコケた。


「あれ……?」


 ステラも気付いたが既に遅く、そのまま床へ勢いよく倒れ様とした時だ。

 咄嗟にレインは飛び出し、倒れ込んできたステラを支えた。


「……えっ?」


 レインの腕に包まれた事で和平の為に訪れた国、その謁見の間でコケると言う恥を見せなくて済んだステラ。

 だが冷静になったのか、レインの顔を見ながら表情が真っ赤に染まってゆく。

 他国でコケ、更には異性にも触れられた。

 レインは仕方ないと思ったが、当のステラは収まらず、素早く離れて勢いよく頭を何度も下げて謝罪し始めた。


「ああぁ!!? すみません! すみません! すみません! 私ったらなんて事を!!」


 ステラの後ろで纏めている青い髪が尻尾の様に激しく揺れるが、テンパっている彼女はお構いなし。

 取り敢えずは落ち着かせるつもりも含め、レインも頭を下げた。


「こちらこそ……失礼を」


 支える為だったとはいえ、他国の王女に無闇に触れてしまった事は間違いない。

 けれどレインが頭を下げると、その行動が更にステラを慌てさせる事になった。


「そ、そんなぁ! 頭をお上げください! 私が転んだのがいけないんです……うぅ」


 ステラは恥ずかしくて顔が上がらず、先程までの凛とした態度や雰囲気は既にない。

 けれども結果的に、これが本来の彼女の姿なのだと理解するのにも時間は掛からず、その様子を見ていたサイラス王は豪快に笑いだした。


「ハッハッハッ!……最初に出会った時もそうであったなステラ王女よ?」


「サ、サイラス陛下……」


 どうやらステラは、サイラス王と出会った時も転んでしまったらしい。

 サイラス王の話に気の毒な程に顔を真っ赤にし、両手で隠していた。


「さて、空気も柔らんだ事で続きを話せそうだ。――レイン! グラン! 出立は明日、明朝。王族のみに許された転移魔法にて、ルナセリアの護衛団が待機している国内の合流地点へ送る。その後、護衛団の者達と共にステラ王女と親書をルナセリアへ送り届ける事になるだろう」


「……国内にルナセリアの騎士達を入れたってのか。こいつぁ本気どころか失敗は絶対に許されないぜレイン?」

 

 暗殺や奇襲の可能性もある中で敵国の兵を国内に入れた事実に、レインは事の重大さを理解して無意識に雰囲気が変わった。

 

 今までの和平。どうせ互いに難癖を突きつけ合うだけの和平ではなく、時代を変える可能性を秘めている重みのある和平。


「誰も死なせてはならないか」


 護衛の最中、ステラの身に何かあれば文句無しの開戦。

 同時に、自分達のどちらかにも万が一の事が起きれば、戦争推進派や若い騎士達が何をするか分からない。

 しかし、レインの答えは最初から決まっていた。


「当然だな……陛下の勅命である。何を犠牲にしても達成させるのが騎士の役目」


 今までと同じ事。どれだけ危険だろうとも達成してきた任務と同じく、目的のみに意識を向けていれば良い。


――王女の護衛・親書の死守。


 己が意識を向けるのはそれだけであり、和平、強いては任務の障害になるモノは全て排除するのみ。 


――それが例え、守るべき存在の民だとしても斬り捨てるまで。


「全ては陛下の仰せのままに……」


 己の覚悟を秘めながらレインは、サイラス王とステラへ任務を受けた事を示す様に膝を付いた。

 その隣でグラン達も同じ様に頭を下げ、話は纏まった。

――と思った時だ、閉じられていた謁見の間の扉が勢いよく開かれ、複数の騎士達が雪崩れ込んで来た。


「何事だ!」


 誰も入れない様に言っていたにも関わらず、入って来た騎士達にバース大臣は声を荒上げる中、サイラス王は冷静に見定め、ステラも困惑しながらも落ち着こうとしていた。


「あいつらは……」


「チッ……やっぱり殿下のか」


 レインも謁見の間を騒がしくする原因へ顔を向けると、視界には入ったのは見覚えのある桃色と金色の鎧の騎士――アルセルの率いる親衛隊だった。

 けれども、勢いが良いの最初だけだ。

 彼等は、で未熟さを露見させながら整列。

 その真ん中を不満顔のライアと参謀のミスト。そして、その背後に隠れるアルセルがいた。


「国際的に重要な話し合いに殿下を立ち会わせないとは、これはどういう事だ?」


 王の前と思えない程、不満の表情を隠さないライア。

 彼女はズカズカと謁見の間を進むが、そんな態度にバース大臣の怒りに火を付けた。


「無礼者!! 陛下の前でなんという態度だ! そもそも貴様等親衛隊の入室など認めてはおらん! さっさと出て行かんか!」


「黙れ! たかが一大臣如きが! 我等は殿下の誇りある親衛隊だ! 下がりたければ貴様が下がれ!」


 ライアは、バース大臣の言葉に耳を貸す気は更々なかった。

 立場は明らかに大臣の方が高いが、そんな事に従う様ならば親衛隊の評価が下がる事もない。

 場所も状況も弁えないライアを見て、レインは万が一を考えて静かに構える。

 

「か、身体が動けねぁ……」


 周囲の親衛騎士はバース大臣の一喝を受け、他の親衛隊は臆して動かなくなっていた。

 だがライアとミスト、そして背中に今も隠れているアルセルは、バース大臣の言葉を無視して進んで来る。

 けれども、今は重要な話の最中。これ以上は状況が酷くなるだけと判断し、レインも口を挟まない訳にもいかなかった。


「――待て。陛下は親衛隊の入室を認めていない」


「やっと話が纏まったんだ……邪魔も、これ以上の無礼も許さねぇぞ?」


 二人がライア達に睨みを効かせた事で、ようやく彼女達が動きを止めた。

 

 ピリピリと伝わる程の殺気を放つの前にはライアも、そして他の親衛隊も思わず後退った。

 唯一、冷静を保ったのは参謀のミストだけだが、その額からは汗が流れている。

 

「……だ、黙れ! 元々は親衛隊長と四獣将は対等の立場だったのだぞ! それに重要な内容ならば殿下もいなければならない筈だ!」


「――その理由が分からぬか?」


 言葉を荒げるライアの声とは違い、冷静に且つ凛とした声が謁見の間に響いた。

 

 王の一声。サイラス王の言葉に思わず背筋が伸び、声が出せなくなる親衛隊。

 これで場がようやく静かになり、親衛隊が黙った事で何故アルセルを同席させなかったか語り始めた。


「アルセルよ、私は言ったな? 王族として立場、そしてその責任を理解せよと。だが、私の下に届く話は親衛隊の暴走……そして手綱を握る筈のお前が、誰かの背後で隠れてまともに動いていないと聞く」


「そ、それは……でも……」


 アルセルも、その自覚はあった。

 というのも、何かあればレインが全て何とかしていた。

 ライア達、親衛隊の尻拭いもそうだ。

 だが自覚はあろうが、アルセルは表情を曇らせて顔も下げてしまい、その様子にサイラス王は残念そうに首を振った。


「アルセルよ……父の言葉から逃げるお前に、どうして国の事を任せられる? 親衛隊の中には民にも害を及ぼしている者もおるのだぞ?――少なくとも親衛隊の手綱さえ取れぬ限り、お前を王子として見ず、国の政治にも一切関わらせん」


「なっ! なんだと……!」


 険しい表情で言い放つサイラス王の言葉。それに真っ先に反応したのは親衛隊長のライアだ。

 彼女は怒りで表情を歪ませ、あろうことかサイラス王を睨み付けていた。


「貴様……それでも王か! 実の息子である殿下に向かって、よくもそんな事を――!」


 本来なら、こんな無礼が許される筈ないが、ライアはそれだけでも飽き足らなかった。

 アルセルに盲信している事から、その怒りは簡単に燃え上がり、腰の剣に手を掛けて眉一つ動かさないサイラス王へ迫ろうとする。


――瞬間、レインは飛び出し、ライアの喉元にが突き付けた。


「……なっ!?」


 何が起こったのか分かっていないのだろう。

 レインの姿が見えなかったライアは驚愕し、瞳は動揺する様に揺れているが、やがて刃を突き付けているレインへ怒りの視線を向ける。

 

「おの……れ……殿下の親友である……癖に……!」


 まるで親の仇かの様に鋭い眼光だが、レインはそれに臆することはない。

 当然の事をしたまでで、しかも実力もかなり弱いライアの何を臆するというのか。

 最も、レインが行ったのはそれだけではなく、ライアが払いのけようと自身の剣をを抜いた時に気付いた。


「なっ! 刀身が……」


 ライアが剣を抜くと、そこには本来ある筈の刀身がなかった。

 刀身は鞘の中にあり、気付かない速度で折られていた――レインの手によって。

 

「おぉ~やるなレイン」


 素早く剣を折ってから首に刃を向ける、その早業を目撃したグランは拍手していた。

 またサイラス王も、まるで余興を見たかのように満足そうに称賛の言葉を送る。


「うむ。流石だなレインよ……」


――それに引き替え。


 サイラス王は呆れた様子で呟き、自分に剣を向けようとしたライアへ厳しい視線を向ける。

 王に剣を向けるなど、問答無用で処刑されてもおかしくはない。

 それも理解できない程に暴走しやすくなっている現状は、最早哀れにも見えていた。


「我を忘れ王へ剣を向けるか。――嘗ては四獣将と同等であった親衛隊長が、今は見る影もない」


「覚悟は出来ているであろうな?」


 失望の眼差しでライアを見詰めるサイラス王と、処刑を言い渡すかのように冷たい視線で見るバーサ大臣。

 レインとグランも身構えており、逃げる様な真似もさせない。

 他の親衛隊も、流石の状況で助けようと思う者は誰もいなかった。


「く、くそっ……!」


 ライアも観念はしたのか、その場から動きはしないが、その目は己の罪を認めた者がする様な目ではない。

 恨みに満ちた瞳でレインへ睨み続けていると、アルセルが我に返った様にサイラス王の前に飛び出した。


「ち、父上! お願いします……待って下さい! ライアには僕が言っておきますので……どうか……どうか命だけは!」


 アルセルは必死に頭を下げ、ライアの罪の許しを請い始めた。

 王子として、その姿は見るに堪えなく、父親であり王でもあるサイラス王へライアが剣を向けた事、それを咎める立場でありながら、周囲に見せるはこの姿。

 その為、その光景を見たグランを呆れた様に溜め息を吐くが、その眼光は鋭かった。

 

「アルセルよ……先程も言ったが、お前はまだ親衛隊を御しきれていない。その結果が王である私にさえ、剣を向ける様な愚かな行為も平然とさせてしまうのだ」


「で、でも……」


 その言葉にアルセルは、助け求める様にレインを見ると、レインは何が言いたいのか察した。

 親友であり、サイラス王からも信頼の厚いレインならばなんとかしてくれる。

 そんな甘い考えあっての事だろうと。

 

「……またかよ」


 それも見慣れた光景でしかなく、サイラス王とバーサ大臣は溜息を吐いている。

 グランですら展開を分かっており、イラついた様子で頭を掻いた。

 分かっていないのはステラと、当のアルセルだけだ。


「……アルセル」


 いつまでもこんな事は続かない。自分に助けを求めるの問題の先延ばしにしかならない。

 レインはそれを分かってはいるが、アルセルの今後の事を考えれば収めるしかなく、サイラス王の前で膝を付いた。


「王よ……我が手柄を返上致します。ですので――」


「皆まで言うなレインよ。お前にもいつも苦労を掛ける……」


 申し訳ない様な雰囲気でサイラス王はレインを見下ろし、もう匙を投げたくなったかの様に大きな息を吐く。

 基本的にレインがアルセルの尻拭いを行っており、それを周囲も知っている者が多い情けない話だ。

 それでも国に多大な貢献をしているレインが出た時点で、サイラス王も無下には出来ない。


「レインに感謝せよ……騎士ライアを半年独房に入れよ! またその間、親衛隊はどの様な任に着く事も禁じる。それでこの件は不問とする」


「甘ぇな……」


 処罰の内容にグランが小さく呟いたが、他国の王女の前でいつまでも恥を見せる理由もない。

 誰も特に言わないのは寛大な心ではなく、ただ相手にしていない無の心。

 それは当のサイラス王自身もそうであり、話を終わらせる為にそれで手を打っただけだった。

 

 けれども、、そんな事を思いもしないアルセルは、能天気にサイラス王とレインへ嬉しそうな笑みを見せていた。


「ありがとうございます父上! レインも!」


 何度も何度も頭を下げるアルセルの後ろでは、ミストが他の親衛隊に手で指示を出し始めていた。


「親衛隊長を牢へ。これ以上の事は殿下への評価に関わります」


 冷静な口調のミストの言葉は指示を出した親衛隊だけではなく、しっかりとライアにも聞こえていた。

 実際はミストが敢えて聞こえる様に言っただけだが、ライアはアルセルの事になれば大人しくなるのは皆が知っていた。


「……このままでは終わらん」


 顔を歪ませ、憎しみの形相でレインを睨むライアは困惑する親衛隊に連れて行かれ、謁見の間から姿を消した。

 これで乱入した者で残ったのは、アルセルとミストの二人だけだ。


「ところで父上……これは何の話が行われているんですか?」


「アルセルよ……!」


 状況が分かっていない様に、この場にいるメンバーを見渡しながら呟く息子の姿を見て、サイラス王は額を抑えながら嘆いた。

 

――アルセル、お前は何も知らないのか?


 四獣将達に敵意を抱いているライアに上手く言い包められ、何の話なのかすら分かっていないで来た。

 揃わなくとも四獣将の招集。それは能天気な一般騎士ですら重要な話だと理解出来る。

 余裕が無いともいえるが、それでもアルセルは少し迂闊すぎていた。


「アルセルよ……このルナセリアの姫君であるステラ王女が、この城に和平と友好の為に来ているのは教えたな?」


「は……はい!」


 流石に政治には関わらせないと言っていても、敵国の王女が来ていることは教えていた。

 怒っているとはいえ、アルセルも王子だからだ。


「そして、そのステラ王女の帰国に護衛としてレインとグランを同行させる事にした」


「えっ!?」


 黙って聞いていたアルセルの表情が変わる。

 先程からチラチラと、ステラの事を見ていて上の空な彼だったが、サイラス王の言葉に過剰な反応を見せた。


「どうして父上! 彼女が帰国するなら王子である僕も行って――」


「くどい! 何度同じことを言わせるつもりだ! お前にはこの件に関わらせん! もっとやるべき事がある筈だ!!」


 謁見の間に響くサイラス王の怒号。

 それを聞いたバーサ大臣とグランは「やってしまったな」と小さく呟いて気まずい表情を浮かべ、隣で見ていたステラも、どうすれば良いかとあたふたしていた。


「か、家族仲が悪いのでしょうか……?」


 そんな問題ではない。

 ステラの呟きはレインも聞こえたが、天然な発言をするステラもまた一筋縄でいく人種ではないと判断した。 


「で、でも……でも……」


「ミストよ! アルセルを連れだせ!!」


 煮え切らないどころかオドオドばかり。今までの話も聞いていたかも怪しいアルセルに、サイラス王の堪忍袋の緒が切れた。

 そんな状況にミストもマズイと思い、一礼するとアルセルを止めに入った。


「殿下……流石にこれ以上は取り返しのつかない事態になります」


「あっ……うっ……わ、分かったよ。でも最後に……!」


 アルセルはそう言うとレインに掛け寄った。


「レ、レイン……そ、その……ステラ王女の事を頼んだよ……!」


「仰せのままに」


 レインは静かに頭を下げた。

 サイラス王同様、アルセルもステラの身の心配をしていると思ったが、次に発せられた言葉を聞いた事でやや混乱する事となる。


「けど……あんまり……しないでね」


「?」


 自分だけに聞こえる様な小さい声。

 レインの耳に確かに届いたが、その言葉の意味は分からなかった。

 任務に関する事かと思い聞き返そうとしたが、アルセルはそのまま逃げ出すように謁見の間を後にし、ミストも後を追って行ってしまう。


「ようやく静かになりましたな……」


 静寂が戻り始める謁見の間。そこでバース大臣がやれやれと呟き、サイラス王は深い息を吐いた。


「ふぅ……済まなかったなステラ王女よ。明日から旅立つのに情けないものを見せてしまった」


「……い、いいえ。私は何も見なかった。――それだけです」


 先程まであたふたしていた姿とは変わり、ステラは落ち着いた雰囲気を纏って首を横へと振る。

 目の前で起こった事はアスカリア王国の問題。

 自分が口出す事でもなければ、それで何かを考える資格もないと弁えている。

 ステラは文字通り、何事もなかった様に振る舞うと、明日、自分を護衛してくれるレイン達の下に来て静かに頭を下げた。


「レイン・クロスハーツ様。グラン・ロックレス様。……明日から宜しくお願いします」


「……お任せください」


「おう! こっちも頼むぜ姫さん!」


 レインは頷き、グランは気さくな感じに手を挙げて応えた。

 そんな二人にステラは再び頭を下げ、バーサ大臣に連れられながら謁見の間を後にする。


「これにて解散」


 残ったレイン達も、この言葉により解散。

 それぞれが謁見の間を出て行き、レインもこの場を後にしようとした時だった。

 不意にサイラス王がレインを呼び止めた。


「レインよ、少し待ってほしい。――話がある……後で我が部屋へ一人で来てくれ」


「仰せのままに」


 迷いなく応えるレインの態度にサイラス王も頷くと、静かに謁見の間を後にする。

 それを確認した後、レインもその場を後にした。



♦♦♦♦



 レインが謁見の間を出ると、先に出たグランが扉の前で肩の力を抜くように一息入れていた。


「ふぅ……んじゃ、今日は後は休むとするか。――そうだレイン。今日はお前の屋敷に泊まって良いか? そうすれば何かあった時に便利だ」


「構わん。ならば先に行っていろ……俺は少し用がある」


「えっ……お、おう」


 それだけ言ってその場を後にするレインに、残されたグランは困った様に立ち尽くすのだった。


♦♦♦♦


 アスカリア城・最上階。そこにサイラス王の部屋がある。

 王都グランサリア全体を一望できる、城の最上階の部屋。

 階段で上るには中々に酷だが、王はその為に”転送魔法”の陣を城に配置しており、王の許可を持つ者は城の行き来は容易。

 レインもその一人であり、陣から王の部屋前まで辿り着くと、サイラス王は部屋の前に立って待ってくれていた。


「よく来てくれた、レインよ」

 

「遅くなり申し訳ありません……」


 顔色変えずにレインは頭を下げ、サイラス王はその様子に困った様に笑みを浮かべるも部屋の扉を開けてくれた。


「さぁ、入りなさい」


「失礼致します。陛下」


 レインはそう言って、部屋の中に足を踏み入れた。


――相変わらず静かな御部屋だ。


 その部屋は一見、王の部屋とはすぐには気づく事は出来ない。

 ベッドやランプ。そして本棚ぐらいは豪華な物だが、それ以外の物はあからさまな豪華さもない。

 テーブル・椅子・グラス等の食器、小物は細かい部分に力を入れている一品ばかり。

 俗に言う、分かる人には分かる品がサイラス王の趣味だからだ。


「相変わらず、無駄に豪華な物は好きになれなくてな……」


 サイラス王も周りからの自室の評価を知っており、小さく笑いながらグラスを二つ程取り出してテーブルの上へと置いた。

 また、質や温度を守る”保存魔法”を掛けていたワインのボトルをベッドの下から取り出して見せた。


「最近はバーサがうるさくてな。ベッドの下に隠しているのだ、バレたら怒られてしまうな」


 サイラス王は困った表情を浮かべるが、その表情には笑みも含まれている。

 まるで悪戯を隠す子供の様だが、口ではそう言いながらもボトルを掴む手を止める素振りはなかった。


「まぁ飲めレインよ」


 サイラス王は自分のグラスにワインを注ぎ終わり、レインの分のグラスへ注ごうとした時だ。

 レインは片手で制止した。


「陛下、申し訳ありませんが……」


 明日は任務。ステラ王女と親書を敵国へ届けなければならない。

 そんな重要任務の前日、ワイン等を飲めるはずがない。

 それが例え、忠誠を誓う王からの誘いでもだ。

 その行動は無礼とも取れるのだが、サイラス王は怒らなかった。


――寧ろ……。


「ハッハッハッ! 相変わらず真面目だなレインよ!」


 実は今までもこんなやり取りがあり、サイラス王は怒るどころか楽しそうに豪快に大笑いしていた。

 

 このぐらいの誘いを断る程度で怒りを現す様では、王は務まらない。

 その結果、サイラス王は断られてはしまうが笑いながら一人でワインを飲み、飲んだ後用に水差しを取り出した。

 一見すれば完全に王の息抜きなのだが、その姿をレインは黙りながらも何かを見抜いた様な鋭い視線で見つめた。


「……陛下」


「……ハァ。やはり隠し事は出来ぬか」


 レインの鋭い視線にサイラス王は観念した様にグラスを置き、両手を上げた。

 

 元々、レインは目の前のサイラス王の行動に違和感を感じていた。

 いくら一般騎士までフレンドリーに接するサイラス王とはいえ、重要な任務の前日に下手に酒を進める程、能天気な方ではない。

 そもそも、この席に共に任務に赴くグランがいない事も決定的であり、置いたグラスの中身も殆ど減ってはいなかった。

 飲みの誘いは“建前”であり、ならば呼ばれた理由は一つしかなかった。


「……“密命”でしょうか?」


「うむ……その通りだ」


 サイラス王の目付きが変わる。先程までとは全く別人の様に鋭い眼光だ。

 自ずと部屋の空気も重くなり、不穏な空気が部屋を包み込んだ。

 

「……レインよ。今、我が国は重大な選択を迫られている。――勿論、ルナセリアとの和平の事だ」


 ルナセリアとの和平。

 今まで長い歴史の中で争い続けていた両国が和平を行い、これからは共に協力しながら歩もうとしている。

 それは重大な選択どころか、歴史的にも重大な事だ。

 その事を念を押すように言う理由。それは密命がステラ王女か和平に関係しているとレインは察した。


「嘗ての戦争である【妖月戦争】――その戦争の中で我がアスカリアがお前達にしてしまった神導出兵しんどうしゅっぺいと言う名の“大罪”――その精算すら出来ていない中、私はお前にまた大きな罪を背負わせるやもしれん」


「騎士として……それは覚悟の上」


 王と一対一での話。

 内容も普通ではないのだが、レインは表情一つ変えずにそう言い放ち、サイラス王はその様子に根負けして悲しそうに頷いた。


「そうか……ならば、もう何も言うまい」


 サイラス王はグラスの中のワインを一気に飲み干し、決意した様な真剣な表情でレインを見た。


「レインよ! 護衛の最中、もしステラ王女に”異変”を感じ取ったならば――」


――ステラ王女を暗殺せよ!


「――仰せのままに」


 レインは顔色一つ変えずに言いきった。

 

 戦争回避の為の護衛任務。 

 その護衛任務の最中での暗殺任務――そんな“矛盾の命”を下す王の心理、それをレインは理解する必要はない。

 王からの任務が全て――“心無き獣”であるからこその四獣将・黒狼のレイン。

 ステラ王女に“異変”が起きた時、それが意味するのは開戦の火蓋を切るのが己だという事だ。 


「話は以上だ……明日に備え、今日はもう休んでくれ」


「それでは俺はこれにて失礼いたします」


 サイラス王は疲れた様に額を撫でながら弱弱しく言い、まるで先程の発言を後悔している様だ。

 だがレインはそんな事を気にすることなく礼をして出て行き、その姿を見送った後に深い息を吐いた。


♦♦♦♦


 レインが部屋を出て行った後、サイラス王は深い溜息を吐いていた。


「ハァ……何も起きなければそれで良い。それが良いのだ……もう二度と、レイン達の様な者達を生み出す様な戦争をさせてはならぬ」


 椅子に掛ける手が震えていた。

 勿論、自分とへの怒りでだ。


「……レインよ。ステラ王女を……どうか“あの者達”から守って上げてくれ……!」


 それは先程、レインへの密命とは真逆とも言える言葉だ。

 けれども、レインしかいないのだ。どんな結末が訪れるのか分からないが、きっとレインならば可能性を変えてくれる。 

 確かな信頼がある騎士であり、自分達の罪の象徴。


「託すぞ……神童達よ」

 

――そんな王の傍で“水差し”だけが揺れ動いていた。


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