その天使と悪魔は仲が悪いのか

街々かえる

その天使と悪魔は仲が悪いのか

 

 これは、まずい。

 

 思わず足を止めたのも無理はない。なぜなら目の前で大天使様と魔族長様が互いに火花の散りそうなほどに睨み合っているんだもの。もちろん、大天使様は天使族の長、魔族長様は悪魔族の長であり、この世界に顔を知られた超、有名人である。そして天使族と悪魔族は長年冷戦状態であることでも有名だ。この二人は出会うたびに激しい戦いを繰り広げるほど仲が悪い、と噂に聞いてはいたが、まさか役所勤め初日にそんな状況に遭遇してしまうとは思わないでしょ。

 いや、今日この二人が来てるって噂に聞いてはいたけど。でも、まさか会うなんて思わないじゃない。しかも二人揃って。有名人だけど、会いたくなかったよね、こんな形で。

 私は先輩に言われて書類を運んでるだけなんですよ。ただの獣人のウサギなんですよ。この廊下そこそこ広いのに、他に誰も通らないのどうしてー。大天使様とその補佐官様と、魔族長様とそのお供のお方と、プラスただのウサギしかいないのどうしてー。脇道から飛び出したらこれだもんね、前はよく見ましょうって? ごめんなさい、私が悪かったです。

 それにしても、と私は大天使様を見上げる。美しいお方よね。新聞で見たことはあったけど、やっぱり本物は違う。女性なのにすらりと背が高く、背中の真っ白な羽根は今は畳まれているけど、広げたらこの廊下なんて簡単に覆ってしまうのだろう。何より威圧感が、凄い。さすが種族の長を務めるだけあるわ。

 いや、魔族長様だって負けてない。背は大天使様よりも頭一つ分高いし、細身でありながら男性なりのたくましい体つきを感じさせる。背中には存在感のある真っ黒な羽根。あの羽根って、その羽ばたき一つで悪魔族に歯向かう集落を吹き飛ばしたって伝説がある、あれよね。魔族長様って、そんな強大な力をお持ちなのに、実際見るととてもすらりとして見えるのね……。

 目の前の彼らの魅力を上げ始めたら止まらない。それほど彼らは有名人で、伝説的存在なのだ。……今はその綺麗な顔が般若のように歪んでいるのを見ていると、恐ろしいと同時に少し残念な気もした。

 魔族長様の後ろでにやにやと笑っているのは魔族長様のお供のお方で、新聞の写真なんかでもいつもそばに写っているのを見る。見た目では悪魔の少年にしか見えないのだけど、私が子供の頃にも見たことがあるから、きっと私よりずっと年上だ。悪魔族や天使族の年齢は見た目では判断できないし、ずっと長命なのだから。

 大天使様の補佐官様は私よりほんのちょっと背が高いくらいの小柄な方だ。たまに大天使様に代わって会見などをされることもあるから、顔は知っていた。そんな仕事の出来るところを知っているからか、大天使様より少し性格のきつい印象がある。彼女は睨み合う悪魔と天使、それぞれの長を見やると呆れたようにため息をつき額に手を当てた。


 バチバチ、と音の出そうな睨み合いの中、魔族長の後ろからお供の少年が飛び出し、宣誓のように手を挙げる。


「じゃあ始めるぜっ! 千五百七十六回戦!」


 双方が承諾の笑みを浮かべる。今まさに、悪魔と天使の争いが始まろうとしているのだ。

 まずい、これはまずい。

 こんな目の前で悪魔族と天使族の長の戦いが始まったが最後、私のような小さなウサギは一瞬でチリと化してしまうに違いない。

 というか、ちょっと場所が悪いんじゃないでしょうか。こんな狭い廊下で、被害が出ること間違いなしですよ。なんとか一旦休戦してもらえないだろうか、と思うがこんな小さなウサギにできることなんてない。


「いくぜ!」

「ちょ、待って……」


 思わず声を上げるが彼らは私など眼中にないようだ。いつの間にか睨み合う二人の間にテーブルが用意されている。そしてその上には黄色いヘルメットとハリセンが二組。……んん?


「叩いて!」


 悪魔の少年が楽しそうにコールする。


「かぶって!」


 天使と悪魔の長は互いに相手の出方を伺うように睨み合う。


「じゃん! けん!」


 両者ともに突き出した拳は掛け声と共に高く振り上げられる。


「ぽん!!」

 

 次の瞬間、紙で出来たハリセンが黄色いヘルメットを叩いた。

 スパァン、と心地良い音が廊下に響き渡り、しばらく、静けさが広がった。



 なんだこれ。

 


 辺りは緊張感に包まれていた。

 人通りの少ない、いや、何故か人が全く通っていない廊下、目の前にはハリセンを勢いよく振り下ろした大天使様。そして黄色いヘルメットを両手で支え頭をガードして、天使のハリセンを受け止める魔族長様。それを見守る二人の補佐官達。いや、一体何が起こってるの、これ。


「セーフですね」


 天使の補佐官の一声で、時は流れ出す。

 大天使様はその綺麗な顔をありえないほど不機嫌そうに歪ませて舌打ちをしているし、魔族長様はヘルメットを戻すととってもいい笑顔で大天使様にひらひらと手を振っている。


「大天使様の攻めで、魔族長様の守りが成功しセーフです。千五百七十六回戦、記録は私がしておきます」

「あーあ、また引き分けかよー」

 

 どこかめんどくさそうに手持ちの書類に何か書き込んでいた天使の補佐官は、楽しそうにヘルメットやハリセンの乗ったテーブルを片付ける悪魔の少年を見るとまた、ため息をついた。


「ははは、勝敗はまた今度だ」

「ええ、また今度」


 よく通る声は魔族長様と大天使様のものだ。互いに礼をすると何事もなかったかのようにすたすたと歩いていく。私はあっけにとられてそれをただ見ていたが、その時天使の補佐官が私に声をかけた。


「お騒がせしました」

「……はあ……」


 私のぼんやりとした答えに天使様はくすりと笑ってから大天使様を追いかけていった。

 ……今のは何だったのだろう。少し広くなった廊下にぽつんと取り残された私は、ただ彼らが小さくなっていくのを眺めていた。


「……おい、新人! 遅いぞ!」

「あ、先輩」


 私の背後に伸びる廊下、少し遠くに見える、緑の髪と透き通る羽根は妖精族の先輩のものだ。私より少し小柄な先輩の姿を見て、なんだかちょっとだけほっとしてしまった。

 時間を食っている割に仕事を終えていない私に先輩は最初目を三角にしていたが、わけを話すと目を丸くしてから、なら仕方ないか、と書類を半分持ってくれた。





「そりゃ、驚いたろ」


 頷くと先輩は、ははは、と声を上げて笑う。


「あの二人はいつもそうなんだよ。大会議とかで顔を合わせるたびにあれだ。……今はちょうど大会議の始まる前だからな、ここらの廊下に人が少ねえの」


 大会議、とは各種族の族長が出席して開かれる、年に数度の会議のことだ。確かに大会議には天使族と悪魔族の長だって出席するんだし、大会議の度にその族長達が戦ってる、なんて話を聞いたことはあったけど。


「でも、族長さん達が戦ってるのが、あんなゲームだったなんて知りませんでしたよ」

「ああ。あれ、人間族の伝統的なゲームらしいぜ」

「え、人間族ですか?」

 

 人間族といえば、数十年前に確認された新しい種族である。その当時は話題になり、よく報道もされていたから知っていた。見た目は悪魔か、天使の羽がなく、獣人族の耳がない……まあ、特徴のない種族だなあ、というのが印象だった。


「それをなんであのお二人が?」

「人間族が大会議に初めて参加した時の話、知ってるか? ……俺、あの時手伝いでそこにいたんだけどさ」

「え、そうなんですか?」


 新聞で見た気がする。人間族がある程度知能がある種族と分かり、すぐに大会議の一員になることになって、その最初の大会議でのことだ。悪魔族が人間族の教育係を申し出たのだ。さらに天使族も対抗してか名乗りをあげた。当然議論がまとまるはずもなく……大会議場は悪魔と天使の大喧嘩会場と化したらしい。


「教育係って、聞こえはいいがどっちが支配権を持つかって話だからな。悪魔族も天使族も相当力を持った種族だし、新しい勢力は取り込んでおきたかったんだろ」

「はあ。でもそれがどうしてあのゲームにつながるんです?」

「大会議場が半壊した頃だったかな。人間族の長が魔族長と大天使に持ちかけたんだ。ゲームで決めましょうってな」


 そこで提案したのがあの『叩いてかぶってじゃんけんぽん』とかいうゲーム。早速やってみようということになったのだが、守ればセーフ、というルールがあるから決着がつかない。日が変わるまで繰り返しやり続けて、結局勝敗は持ち越しになったのだと言う。


「それで今までずっと?」

「ああ。大会議が始まる前の『たたいてかぶって』は、もはや恒例行事だぜ」


 長年争ってきた二者の決着がここでつくかもしれないと、大会議に参加しなくてもそこだけ見に来る野次馬は多いのだという。


「ここの職員じゃなくても知ってる奴は多いんだがなあ……」


 し、知らなかった……。ここに就く前に大体のことは調べたつもりでいたが、全然ダメじゃないか。

 役所は色んな種族が集まるところだ。それぞれの種族に関する情報を正しく知っておかないとトラブルに発展する、とはここに就く時にさんざん聞いた。これからうまくやっていけるだろうか。


「まあ、そんな心配そうな顔するな! 俺が何でも教えてやるからさ!」

「先輩……!」

「あ、書類が遅れたのはお前の責任だから、ちゃんと処理するんだぞ」

「……うう、はい」


 私は書類を抱え直すと先輩の後を追った。





「大天使様、あそこに魔族長様がいることをご存知だったのですか?」


 目の前を行く大天使の背中に声をかける。返事はない。

 大会議の前に少し散歩がしたい、などと言うから何だろうと思っていたが、人のやけに少ない廊下、悪魔と対面した瞬間、そういうことかと納得した。このところ、あの悪魔の長と鉢合わせることが多い。そしてその度にあのふざけたゲームをし、勝負のつかないまま別れるのだ。


「そんなにあの悪魔の長と会いたいのですか」

「会いたいわけないじゃない」


 即座に返された言葉は予想通りのものだ。彼女の悪魔嫌い……魔族長嫌いは半端ではない。


「私は早く決着をつけたいのよ、彼と」

「ならば、こちらが妥協するしかないでしょう。……このままではいつまでも決着がつかない、と、以前貴女様もおっしゃっていたじゃありませんか」


 そう、このままではどうやっても決着がつかないのだ。これまでの千五百七十六回、全て大天使様が攻め、魔族長様の守りが成功することで引き分けになっている。

 これには、それぞれの種族が持つ能力が大きく関係している。この世界の者は大抵種族ごとに能力を持っているが、例えば、獣人族は動体視力が並外れていたり、妖精族は飛翔能力や治癒能力があったり。天使にもいくつか能力があるが、その一つに強運がある。つまり、他の種族の者とは比べものにならないほど運がいい。

 じゃんけんの勝敗は必勝法うんぬんといわれるが結局のところ運任せである。だから、大天使は何があっても『叩いてかぶってじゃんけんぽん』で魔族長から攻められることはないのだ。大天使様がじゃんけんの過程で負けることなどあり得ないのだから。

 しかし、悪魔にも能力がある。身体能力、つまりは動体視力や瞬発力では、悪魔の方が天使より僅かに勝るのである。だから、どれだけ大天使が攻めることが出来ても、魔族長は防ぐことが出来てしまうのである。


「わざとじゃんけんで負け、勝ちを譲り、このお遊びを終わりにしましょう。その程度のこと、貴女には容易いでしょう」

「それだと、こちらが負けることになるじゃない。私は、人間族を悪魔に渡したくない……それに」


 それに? と促すと、ぶつぶつと、あいつにだけは負けたくない、などと呟くのが聞こえる。負けず嫌いか。子供か。大天使様は時々こういう所が困る。


「……まあいいです。何故、人間族にこだわるのですか? あのような何の能力も持たない種族、悪魔に渡してしまえばいいではないですか」


 大天使様があの種族を何かと気にしているのは知っていたが、私には理解できなかった。


「そうね、能力のない……そう思う?」

「え? ええ、まあ」

「私には、そうは思えないわ」


 そう言い切る大天使様にはいやに自信があるようにみえた。


「まあ、そういうことだから、決着がつくまで戦いたいの。別に続けていて悪いこともないでしょう?」

「……ないですけど」


 なぜだか上機嫌な大天使の後をゆく彼女はまた、ため息をついた。こうやって天使の補佐官は今日も、強情な大天使に負けてしまうのである。





「そろそろ終わりにしたほうがいいんじゃねーか?」


 大会議場隣の休憩所、露店で買った木の実のジュースを飲みながら、俺は隣に座る魔族長を見上げた。


「何度も言ってるだろ? これは完全に人間族の策略だって。……わざと決着のつかないゲームを俺たちにやらせて、自分たちに支配の手が及ばないようにしてるんだよ」


 そう、忘れているようだが、これは人間族の支配権をかけた戦いなのだ。ゲームという形をとってはいるが。本当なら数十年前、大会議で決定しているはずのその事項が、今までこのゲームのおかげで先延ばしになっている。この間、人間族の支配権は誰にも認められていないため、彼らはこの世界では新人であるにも関わらず、自由にふるまっているのである。


「あの獣人族だって数百年は俺たちが支配してたんだぜ? 妖精族だって天使族が支配してたし……この世界で力を持ってる俺たちが手を出せなくて、人間族が自由にやってるのはどう考えてもおかしいんだって」

「……でも、お前はあのゲームが好きじゃないか」

「……それとこれとは関係ない!」


 さっきから隣に座った魔族長はぼんやりとしていて人の話を聞いている気がしないが、根気よく言い聞かせる。


「だからあ、人間どもの思い通りになってるって、お前も分かってんだろ? なら早く手を打たねーと……今は何もしてこねーけど、あいつら何を考えてるのか……」

「でもなあ……おかげで大天使と会う回数が増えただろう」

「……はあ?」


 おいおい、また何を言い出したこの魔族長は。

 こいつは俺の古くからの友人であるが、どこか抜けているというか、考えていることがよく分からないことがある。まあ、魔族長を務めるだけの力と能力、いざという時の行動力は認めているのだが。


「お前……そういや前々から大天使サマのこと気に入っているとは言っていたがまさか……」

「お前だって嬉しがってたじゃないか。天使の補佐官、お前もお気に入りなんだろ?」


 ……だから何を言っている!


「……顔が赤くなったぞ? 図星じゃないか」


 思わずうつむくと、ふふん、と笑う声がする。くそう。やはりこいつにはかなわない。


「……大天使サマはお前を相当嫌ってるだろ!」

「まあ、でもあいつの嫌がる顔が好きだからなあ」

「……いじめっ子の考え方だな」


 ははは、と声を上げて笑う友人をあきらめたように見上げる。だめだ、俺はお前が分かんねーわ。


「まあ、今は様子見でいいだろうよ。今すぐ人間がどうする、ということでもない」

「甘いよな……お前も、俺も」


 搾り取るような声を出すと、魔族長はまた声をあげて笑った。もうやだ。





 こういうわけで、世界一仲が悪い天使と悪魔の長は、週に数回という結構高い頻度で顔を合わせ、全力で『叩いてかぶってじゃんけんぽん』をするのである。

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