水曜日の悪魔

ラリー・クルス

I

 テレビから流れてくる怪物たちの騒ぎ声でレイチェルは目を覚ました。でも、7時にセットしたスマートフォンのアラームはまだ鳴っていないし、夜のとばりも下りたままのようだった。レイチェルはテレビを消そうとしたが、体が動かなかった。怪物のけたたましい叫び声の中で、彼女は必死にもがいてテレビのほうへ手を伸ばした。

 今寝ておかないと、明日学校に遅れてしまう。体は金縛りにあったように重かったが、責任感から力をふりしぼり、やっとスイッチを押すことができた。でも、テレビは消えない。怪物たちの叫び声は大きくなる一方だ。

 レイチェルが東京に来たばかりの幼いころ、両親から日本語を覚えるためにと子供向けのテレビドラマを見せられた。5人の正義の味方が悪の怪物たちと戦うストーリーだった。兄のデイヴィッド Jr. はヒーローたちの活躍を楽しんで見ていたが、レイチェルは怖くて仕方がなかった。

 誰かがテレビをつけたせいで、またあの怪物たちを見るはめになった。怖かったし、今は眠らなければいけない。レイチェルはスイッチを何度も押すが、テレビは消えてくれない。それどころか、ワニの頭をした怪物や水生動物のような怪物が画面のなかから出てくる。あまりのおぞましさに彼女は目を閉じるが、それでもまぶたの向こうから、怪物たちの姿が網膜にはっきりと写っていた。


「悪魔が。神様、神様!」


 レイチェルは飛び起きた。この夢を見るのは4回目だ。いつも水曜日の明け方に見る。夢だと分かって少し落ち着いて、枕元に置いたスマートフォンを見た。まだ午前4時34分だった。悪夢のせいで疲れ果てて、そのまま眠りについた。


 7時ちょうどに設定したアラームで彼女は目を覚ました。夜中の悪夢で体が重く、現実離れした気持ちが続いていた。


「おはよう、レイチェル」

 兄のデイヴィッド Jr. は先に起きてコーヒーを飲んでいた。

「また、怖い夢を見たの」

 疲れきっていたので、ストレートに答えた。

「またって、あの何だかレンジャーの?」

 意外にも心配そうに聞く兄に、レイチェルは黙って頷いた。先週までは、もう16歳になるのにあんなのが怖いんだとバカにしていたのに、憔悴しきった妹の様子にさすがに心配になったみたいだ。

「父さんたちがいないから、寂しいんだろ?」

「寂しいけど、そのせいじゃないと思う」

 シャピーロ商事を経営する両親はハワイとフィリピンへ長期出張に出ていたが、だからといって、あんな悪夢を毎週見るほどレイチェルは幼くなかった。しかも悪夢は毎週水曜日の明け方と決まっていて不気味だったし、その度に怪物たちの存在が現実感を増していた。今だって、自分が夢のなかにいるのか、目覚めているのかはっきりしなかった。

「レイチェル・・・」

 デイヴィッド Jr. は妹を軽く抱いて問いかけた。

「男の子に何かされた?」

「そんなんじゃない」

「あのジョニー ってやつ」

「違うわ! 彼は悪いやつじゃない」

 レイチェルは思わず熱くなった。クラスメートのジョニー・デル・ロサリオが彼女に想いを寄せていることに気づいていたし、彼は女の子にひどいことをする男じゃないと分かっている。メキシコ系らしいノリの軽さがどうにかなれば、レイチェルも彼に対して本気になってもいいと思っていた。二人とも異性にもてることが、かえって彼女の心をかたくなにしていた。

「分かった。それなら今夜、父さんに電話するといいよ。父さんたちは今はマニラにいるから、時差は1時間のはずだ」

 デイヴィッド Jr. は安心して言った。

「お父さんと話したって、悪夢が解決するかしら?」

 レイチェルはテーブルについてから答え、いつもの朝通りオレンジジュースを口にした。

「ああ、祖父さんの話しを聞くといい。ユダヤ人は悪魔に狙われてるって」

「余計気分悪くなりそう」

 亡き祖父の話しを聞くのは憂鬱な気分だった。幼いころナチスの迫害を逃れてドイツからホノルルに移住し、そこでは上空で行われた核実験に不吉なものを感じて後にマニラへと移住した祖父、アイザック・シャピーロはビジネスマンとしては成功した。宝飾品と南国の植物を原料に使った美容品を扱うシャピーロ商事を立ち上げ、遠い異国の地でレイチェルたち家族が金銭に困らず生活できるだけの資産を残した。

 だが、迫害を受けた幼いころのトラウマなのか、彼は常に悪魔からの攻撃を恐れていた。幼い日のレイチェルの記憶にあるのは、ユダヤ人は悪魔に狙われているから気をつけるんだと繰り返す哀れな老人の姿だった。レイチェルは祖父のことが嫌いなわけではなかったが、祖父の血を引いた自分が同じように怖がりなんだと思うと、逃れられない宿命のようなものを感じてやりきれない気持ちになった。

「兄さん、学校まで送ってよ」

 断られるだろうと分かっていて、兄にわがままを言った。頭の中にこびりついた暗い気持ちから目をそらせたかった。

「だめだよ、オレは大学に行かないと。そんなに元気がないなら、学校休みなよ」

「一人でいるのは耐えられないわ。先に出たりしないでね」

「分かった、待ってるよ」

 レイチェルは優しい兄のおかげでやっと笑顔になった。でも同時に、これが本当に現実なのかわからないという、ばかばかしい不安が頭をもたげてくるのを感じた。本当の自分はあの怪物たちに捕らわれているのではないか。悪夢はまだ続いていた。


 兄と別れて一人通学路を歩くのは、やはり失敗だった。逃げ出したくなったが、どこに逃げればいいのかも分からない。道行く人がみんな彼女に悪意を持っているように感じるし、わき道からタコのような怪物が出てきていつ襲われるか気が気じゃなかった。

「世界は恐ろしい場所だと思うと、本当に恐ろしい場所になる」レイチェルは昔読んだ本の一節を思い出した。その通りだけど、考え方を変えようとあがいたって、恐ろしさは消えなかった。

 でも、学校に行けば友達に会える。親友のクリスタや、あのバカなジョニーやマイケルに。彼女はいつもより足早に学校を目指した。



 

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