第34話「3度目の別れ」






   34話「3度目の別れ」







 「くそっ………!!」




 泉はすぐに着替えて、車を発車させた。


 ボディガードの話しはこうだった。

 緋色が泉の家から夜になっても出てこない事から、泊まると判断した。

 泉と緋色が会っている時は、泉が守ろうという話しになっていた。だが、昔緋色を誘拐した犯人が出てきたとなれば、非常事態だ。

 本来ならば、泉と会っている時でも周囲を警戒するように徹底していた。

 だが、ボディガードも一人で常に彼女を見ているわけではない。数人の男性が見ているのだ。そして、今回ボディガードしていた男は久しぶりに緋色の担当となっていた。

 そのため、泉とデートをしていると思ったボディガードはその場を離れてしまったのだ。


 1度その場所から離れ、会社に連絡した所で間違いが発覚したのだ。

 急いで泉の自宅に戻ったけれど、泉の車がなかったのだ。

 緋色のスマホについているGPSを見ると、自宅に向かっているのがわかり、急いでそれを追った。けれど、急に方向が変わり徒歩ではなく車に乗っているほどのスピードになったという。そこで異変を感じ、泉に連絡してきたのだ。


 そのボディガードはそのGPS信号を追っているようだった。

 今、彼女に電話をかけて犯人に電源を切られるのは最悪な事態だ。

 もう緋色はもう1人のボディガードに緋色の自宅を見てくるように連絡をした。

 もし、彼女がひったくり強盗に遭いスマホだけが移動している場合もあると考えたのだ。


 泉はすぐにGPSを追っているボディーガードからどこに向かっているのかを聞き、車を勢いよく走らせた。


 途中で連絡があり、緋色は自宅に戻っていないという事だった。そこから警察に連絡するという話しになり、それもその男に任せる事にした。




 「緋色ちゃん………俺がついていながら………何やってんだ………浮かれてこんなヘマをするなんて」



 泉はギュッとハンドルを握りしめて、怒りと焦りを感じながら言葉を洩らした。

 先ほどから、小刻みに体が震えている。

 怒りでこんなにも感情が高ぶっているのは始めての経験だった。


 先ほどまで自分の目の前に居た彼女は、新しい夢を語り、楽しそうに微笑んでいた。

 それなのに、今はどこで何をしているのかわからないのだ。


 

 だが、泉は確信していた。

 また、あの彼女を監禁した男が、緋色を見つけたのだ、と。

 監禁犯には支援者がいたようで、すぐに高級マンションに住むようになっていた。それは、望が探偵を雇い調べさせた情報だった。

 そして、泉はいまそのマンションがある方向へと車を走らせているのだ。


 また、彼女が怖い思いをしている。

 記憶までなくして、やっと忘れてきた辛い思いをまた経験しようとしている。

 それを思うだけで、泉はワナワナと怒りが大きくなっていく。

 そして、自分の無力さを感じ情けなくなる。



 「無事に居てくれ………お願いだ………」



 祈る思いでまっすぐと前を見る。

 キラキラとした夜の街が、流れ星のように過ぎ去っていく。

 泉は彼女を思い、アクセルをまた強く押した。



 しばらく車を走らせ、到着したのは川の近くにある大きなマンションだった。一目でここが高級住宅だとわかる。

 泉がそのマンションに入ると、緋色を見張っていたボディーガードが慌てた様子でこちらに駆けて来た。

 泉はジロリとその男を睨んでしまう。彼女が連れ去られたのだ。優しく話しかけてやることなど出来るはずもなかった。



 「緋色がいる部屋は?」

 「それが、どこの部屋まではわからなくて。それに、ここはセキュリティがしっかりしてるので、中には入れないようで………」



 ボディガードの男がたどたどしくそう言いながら、ちらりと視線を向ける。泉もその方向を見ると、マンションコンセルジュが、こちらを怪訝そうな目で見ている。

 緋色は何となく話の意味を理解して、そのコンセルジュの男の方へと歩いていく。黒スーツを着た若い男は、警戒した表情のまま「こんばんは」と言った。



 「さっき帰宅した、富田って男が女を連れていなかったか?あいつはどこの部屋だ?」

 「すみません。そう言った事はプライベートな事なのでお伝え出来ません。」

 


 固い表情のままその男が断りの言葉を泉に伝えた瞬間、泉はフロントの台を思いきり両手で叩きつけた。

 ロビーにダンッという音が響く。


 驚いたコンセルジュは後退りしようとするが、泉にシャツの首元を掴まれて、引き寄せられる。

 泉はその男を近距離で睨みつけながら低い声を出した。



 「おまえも不審に思っただろ?あの男が、女を抱えて部屋に入ったはずだ。もしかしたら、引っ張って歩いていたか?……どっちにしろ、おかしいと思っただろ?」

 「そ、それは………」

 「あの男は1回誘拐で捕まってんだ。彼女はそんな男に連れていかれた!」

 「ですが…………」



 まだ口を割ろうとしない男に、緋色は声を細め、先程よりも暗い声で彼の耳元で言葉を落とした。


 

 「誘拐だ。………これで、緋色に何かあったら俺はおまえを一生許さない」

 「っっ…………」



 怯えたように目を大きくして泉を見た後、その男は少し考えた後に、口を開いた。



 「…………3015室…………です」

 「………悪いな。ついでに、ドアも開けてくれ」

 「……………」



 泉が彼から手を離し、部屋に続くロック付きのドアに立つ。普段は鍵がないと開かない作りになっているが、コンセルジュが開けたのだろう泉が立っただけで開いた。



 「警察が来てから行ったほうが………」


 

 すぐに彼女の元へ向かおうとした泉にボディーガードの男が慌てて声を掛けた。けれど、泉はそれで足を止める事はなかった。



 「緋色が待ってるんだっ!!おまえはここで警察来るの待ってろっ」



 大声で返事をすると、泉は駆け出した。目の前のエレベーターが開き、泉は30階のボタンを押した。ゆっくりと上がるエレベーターがもどかしく感じる。その間も緋色はどんな事をされているのか。考えるだけでも、頭に血が上っていくのを感じた。

 30階のボタンが点滅して、ゆっくりとドアが開く。泉はすぐに駆け出して3015室を探した。すると、廊下の奥にその部屋があった。

 

 すぐにインターフォンを押す。

 中からベルの音が聞こえる。しばらく待ったが何も聞こえない。何度かボタンを押していると、ドタドタ歩く音が聞こえた。

 泉は、ふーっと小さく息を吐いて、後ろ足に力を入れた。



 「………なんだよっ!うるせーなっ」

 


 ガチャッとドアが開いた瞬間、泉はそのドアを片手で押さえ、そのまま相手に飛びかかった。男は驚いた表情のまま、よろけ体を壁にぶつけた。



 「いっっ!!」

 「緋色はどこだっ!」

 「………なっ、おまえ…………まさか………」



 泉の顔を見て、来客者が誰かわかったのだろう、男の顔が真っ青になった。



 「なんで、おまえがここにいんだよっ!さっさと帰れ!あの人形は俺の物だ!昔からずっと目をつけていたんだ、誰にも渡すものかっ!」

 「………緋色はおまえの人形なんかじゃないんだよっ!」



 泉は細い体の男を持ち上げて、そのまま玄関に投げつけた。男は強く腰を打ったのか、苦痛で顔を歪ませている。玄関のドアが開き、男はそのまま廊下に蹲っている。騒ぎを聞き付けて、周辺の住人がドアを開けて様子を見ている。


 泉は男を1度見ただけで、すぐに部屋の中へと向かった。

 どこの部屋も真っ暗だったが、甘ったるいお香のような香りが漂ってきた。

 リビングは、荒れ放題になっており食べたものや空き缶、雑誌などが散乱していた。そこには彼女の姿はなかった。その隣にもドアがあった。


 泉がドアを開けると、そこには探し求めていた緋色の姿があった。

 けれど、ドアが開いた瞬間、彼女は恐怖でガタガタと震えていた。目の焦点も合っていなかった。

 照明が消された部屋で蝋燭の火が何個も揺らめいている。その中央には、布が置かれており、そこに緋色は座らされていた。手首は太いロープで縛られている。

 そして、先ほど泉と別れたときに着ていた服ではなく、ほんのりと透けているベビードールを身につけていた。暗くて色はわからないが、柔らかい生地で裾や肩紐には繊細なレースが使われており、それが高価なものだと、すぐにわかる。



 「あ、あ………来ないで………」

 「緋色っ!」

 「っっ!?」



 泉が駆け寄り、彼女の体を抱きしめる。

 すると、緋色ではないようにとても冷たくなっている。まるで、本物の人形のようだった。



 「いやっ………離して下さい…………お願いします………帰してください」

 「緋色、ちゃん…………」



 あまりの恐怖からなのか暴れることもせずに、彼女はただただ震えた声で、謝りながら離してほしいと訴えている。

 今、誰が自分を抱きしめているのかもわからないようだった。



 「緋色ちゃん、俺だよ………泉だ、落ち着いて………」

 「いずみ、………くん…………?」

 「そうだよ………。もう、大丈夫だ。安心して」

 「あ、わ、私…………また、あの人と………いや………もう、思い出したくないよ………でも、でも」

 「またって………昔の記憶を思い出したのか?」



 緋色の瞳は激しく揺れていた。

 そして、頭を抱えながら、何かをブツブツとしゃべりながら震え始めた。


 緋色は昔の記憶を思い出しているようだった。また誘拐されたことで、フラッシュバックが起こっているのかもしれない。

 


 「緋色ちゃん。ゆっくり呼吸をして。俺はここにいる………」

 「や、こわいよ……もう見たくない。こんなのもう思い出したくないよ。やだやだ…………忘れたいよ」

 「緋色ちゃん………」

 「でも、忘れたくないの…………泉くんとの思い出………」



 緋色は泉に抱きつき、泉の顔を見つめていた。涙を流し、呼吸を荒げながら、必死に泉を見つめていた。



 「思い出した小さな頃の泉くんも、初めて告白してくれた泉くんも………恋人になった時も、キスをした時も………2人で笑ってた思い出も忘れたくないのっっ………!!」



 緋色は、そう言うと泣き崩れて泉に倒れ込む。

 泉はそんな彼女の心を知り、目の奥が熱くなった。

 

 彼女に覚えていてほしい。自分と愛し合った日々を忘れて欲しくない。

 けれど、それが彼女を苦しめることになるのならば………。



 「緋色ちゃん、よく聞いて………」

 「い、泉くん…………」



 緋色がゆっくりと顔を上げる。

 泉は優しく微笑んで、緋色の頬を両手で包んだ。

 涙が溢れそうになるのを必死に我慢して、泉は微笑んだ。



 「忘れるんだ。全て………忘れていい………」

 「っっ………いや、忘れたくないよ。あなたの事………」



 緋色の瞳がゆっくりと閉じようとしている。

 記憶が一気に蘇り、疲れ果てているのだろう。

 それでも、必死に泉を見ようとしている。

 彼女が最後に見る自分が微笑んだ顔であるように、必死に笑顔をつくる。それが本当に笑えているのかわからない。けれど、彼女が安心して忘れられるように、泉は笑った。



 「何度でも君に会いに行くよ。そして、何回でも僕を好きにさせる。………だから、忘れるんだ。」

 「………泉くん………ごめんなさい………」

 「いいんだ。ゆっくり眠って………」

 「泉くん………私、あなたを………」



 緋色は泉の腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。瞳にたまっていた涙が頬をつたい、泉の腕に流れ落ちた。

 それは、とても温かかった。



 彼女が最後に何を言いたかったのか。

 泉は「待っている」だといいな、と思った。


 緋色の静かな寝息を感じながら、泉は彼女を強くつよく抱きしめた。





 

 

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