第29話「出会いと別れ」






   29話「出会いと別れ」





 楪家の養子に決まった緋色は、皆から祝福されていた。

 楪家は大きな家や会社を持っている事、そして望や茜が何回も施設を訪れ、いつも優しく接してくれる人だと知って、子ども達は羨ましがっていた。


 緋色は「みんなと離れるのは寂しい」と言っており、困ったように苦笑していた。



 それを聞いて1番ショックを受けていたのは泉だった。

 実の姉のように慕い、憧れていた緋色が自分の前から居なくなる。それが信じられなく、そして到底受け入れられない事だった。


 その日から、緋色と過ごしていても上手く笑えなくなり、わざと彼女を困らせたり、無視したりするようになってしまった。

 それを緋色は、悲しそうにしているのを泉はもちろん気づいていたが、どうしてもそんな態度しか取れなかった。


 

 そして、あっという間に別れの日がやって来た。

 緋色はいろいろな手続きがあるのか、先程から自室だった空っぽになった部屋にはいなかった。

 最後ぐらいは顔を見たいと思ったけれど、どんな顔をして会えばいいのかわからずに、泉は庭でただボールを蹴っていた。



 そんな時、緋色の父親になる望が、1人建物から出て来たのだ。泉は、望を見つけると怒りを感じ、咄嗟に彼に向かって駆け出した。


 あいつが緋色を選ばなければ、緋色と泉は離ればなれにならなかったはずだ。

 あいつが緋色を選ばなくても、俺が彼女を幸せにするつもりだったのに。


 そんな子どもっぽい考えのまま、泉は望の正面に駆け込んだのだ。



 「俺の緋色を勝手に連れていくな!」

 「…………ん?」



 茶色のスーツに身をつつんだ、いかにも紳士的な優しい風貌の男だった。焦げ茶色の帽子と、細身フレームの眼鏡もよく似合っている。


 泉は、その男を睨み付けながら見上げた。

 すると、望は困ったように微笑み、少し身を屈めた。



 「君は………緋色ちゃんと仲良くしてくれている、泉くんだったね」

 「緋色は俺が守るって決めたんだ!おまえに緋色を渡すつもりはない!」

 「………君は、緋色ちゃんが好きなんだね」

 「そうだっ!」



 恥ずかしさもあったはずだ。

 それに、自分でも緋色に好意を持っているのだと幼いながらに気がつきつつも、まだよくわかっていなかった。けれど、普段の泉ならば恥ずかしくて断言出来かっただろうが、その時は違った。

 今思うと、彼女が好きという気持ちは強かったのかもしれない。



 「そうか………」



 望は、嬉しそうにそして少しだけ申し訳なさそうにそう言った。

 その時の表情は、大人になった今でも泉は覚えていた。

 その後、「泉くん」と言った声は先程間での優しい声ではなく、とても真剣なもので、子どもの泉に向けるようなものではなかった。

 けれど、大人である望が泉と対等に話そうとしているのが子どもながらに泉には理解出来た。



 「今の君は、私には敵わない。それは、力でも知識でも、地位でも財力でも……全てで敵わないんだ」

 「そんな事ない。俺はあいつを誰よりも愛してるんだ!」

 「愛してるだけでは生きていけなきんだよ。君はお金も家もない。どうやってご飯を食べて、温かいところで眠るんだ?」

 「それは………」

 「私はね、緋色ちゃんに全てをあげられる自信がある。けれど、なれないものがあるんだ」

 「え…………」

 「緋色ちゃんの恋人だよ。私は親になるんだ。彼女の恋人にはなれない」



 そういうと、望はニッコリと微笑んだ。  

 泉は彼の言葉を聞いてハッとした。自分が、その恋人になればいいんだ。そうすれば、きっと彼女とずっと過ごしていける。

 それがわかった時、泉は両手をギュッと握りしめた。

 


 「彼女を守るためには、強くならなきゃだめだ。もちろん、誰からも守れる力、そしてお金を稼ぐ力、そして彼女に優しくなれる力だ。」

 「強く………」

 「それが出来て、君が大人になっても緋色ちゃんも好きだというなら、ここに来てくれ。それまで、彼女を大切に守るよ」

 「わかった!」



 望が渡したのは、「楪 望」と書いてある名刺だった。彼の会社や電話番号が載っているものだった。

 泉は宝物を貰った時のように目をキラキラさせながら、その紙を見つめていた。



 「あぁ、でも急がないとダメだよ。彼女が他に好きな人が見つけてしまったら、君は恋人にはなれないからね」

 「………わかった」

 「泉くーん!楪さーん!何を話しているのー?」



 庭で話し込んでいると、施設の建物から出てきた緋色が大きな声で2人を呼んでいた。振り向くと、緋色は笑顔で大きく手を振りながら走ってきていた。その後ろには上品に微笑む茜の姿があった。



 「緋色ちゃん………」


 

 泉は咄嗟に貰った名刺をポケットに入れた。



 「今の話は彼女達には内緒だよ」



 望はそういうといたずらっ子のように、ニヤリと笑った。もともと緋色には話すつもりはなかった事だが、男同士の約束となれば、さらに破ることは出来ないなと、泉は思った。



 「何話してたの?」

 「べ、別に…………」

 「そう………」


 泉はつい、切り捨てるような口調で返事をしてしまい、緋色の声は一気に沈んでしまった。


 ぎくしゃくしたままで別れたくない。

 その気持ちは大きかった。

 けれど、別れを受け入れられないまま、笑顔を見せることなんて出来ない。泉は、そっぽを向いたまま、そのまま彼女が行ってしまうのではないかと思い、強く目を瞑った。


 その時、先程望と話した言葉が頭をよぎった。「彼女に優しくなれる力」。それはどんな力だろうか。少し考えて、幼い泉は彼女が笑顔になる事じゃないか、と思った。


 きっと、このまま挨拶もなしに別れてしまったら緋色はきっと悲しむだろう。

 それはすでに望との約束を破ったことになり、緋色と恋人になる事は出来ないのではないか、と思った。


 泉は恥ずかしい気持ちを必死押し殺しながら、ちらりと彼女を見ると緋色はシュンとしたままうつ向いていた。


 自分より背が高い女の子。そして、頭もよくて本が大好きで、みんなが憧れるような性格で、泉にとっては高嶺の花だったかもしれない。

 それならば、自分が頑張らなければならない。

 ずっとここまで一緒に居て、これからも彼女の笑顔を見たいと願ったのならば、自分が守っていきたいと強く思った。



 「……………緋色ちゃん。大人になったら会いに行くから。だから待ってて」

 「………っっ!うん、泉くんが来てくれるの待ってるね。そして、手紙も書くからね」




 泉が思いきって言葉を掛けると、緋色は満面の笑みを浮かべ、目には涙を溜めながらとても嬉しそうに笑った。

 それを見て、泉は「絶対にかっこいい大人になって迎えに行く」と心に決めたのだった。



 結局、別れる時は2人共わんわんと泣いてしまった。車に乗せられ、見えなくなるまで手を振ってくれていた緋色を、泉はいつまでも見つめていた。



 その時、緋色は11歳、泉は6歳だった。





 それからと言うもの、泉には緋色から毎月贈り物が届いた。

 中身は自分が読み終わったファンタジーの物語の本だった。そして、それには必ず手紙も同封されていた。

 近況も書いてあったけれど、泉を心配する言葉と本の感想だった。泉はそれがとても楽しみになっており、それを見ていると、勉強を頑張ろうと思えた。



 けれど、彼女からのプレゼントもしばらくすると届かなくなってしまう。




 ある事件が緋色を襲ったからだった。



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