第26話「うそつき」






   26話「うそつき」






 トボトボと歩いていると、いつの間にか自宅近くに着いていた。

 電車で通っている距離なのに、気づいたら長距離を歩いていたのだ。緋色はヒールを履いている足が痛くなっている事に今更気づいた。


 歩きながら考えていたのは、もちろん泉の事だった。


 事故に遭う前に恋人だったという泉。

 どうして事故に遭った後に会いに来てくれなかったんだろうか?

 そして、数年経ったあの日に会って、何故結婚の話を持ちかけてきたのだろうか?


 いくら考えても、納得のいく答えなど出なかった。


 わかったことは1つだけだった。

 泉は、緋色に沢山の嘘をついている事だった。


 嘘をついてまで隠したい理由とは何なのか。

 彼を信用したくても、嘘をついていて秘密にしている事が何なのかわかるまで、緋色の心は晴れる事はないような気がしていた。



 「緋色ちゃん!?」

 「………あ………。」



 自宅から飛び出してしたのは、焦った顔をした泉だった。手にはキーケースを持っており、今からどこかへ行くつもりだったのかもしれない。



 「探したんだよ。残業するからって連絡が来たから、その時間に迎えに行ってもなかなか出てこないし、君とは連絡もつかない。会社の人に聞いたら緋色ちゃんは定時で帰ってるって聞いて驚いたよ」

 「………ご、ごめんなさい」



 緋色は自分が待ち合わせしたことを忘れて、勝手に帰ってきてしまったのだ。彼が心配するのも当たり前の事だろう。


 泉が心配して、近づき緋色の顔を心配そうに見つめた。緋色が戸惑い、紙袋をギュッと握りしめながら、彼を見つめる。



 「………君が無事ならいいんだ。家に帰ろう?」

 「………っっや!」



 彼の手が伸びてきて、緋色の腕を掴もうとした。それを怖いと思ってしまった緋色は、咄嗟に彼の手を払ってしまった。

 そして、手に持っていた紙袋もその拍子に離してしまい、地面に落ちしてまった。パリンッというガラスの割られる音もした。それと同時に噎せ返るような甘い香りが辺りに漂う。



 「ひ、緋色ちゃん………?」



 しかし、2人はそんな事は気にせずにお互いを見つめあっていた。

 泉は、緋色に手を払われて拒絶された事に驚き固まっている。緋色は、咄嗟にしてしまった事とは言え、自分が彼に触れられるのを嫌がっているのに気づき、唖然としていた。



 「ど、どうしたの?一体何が………。」

 「私たち、昔から恋人だったって、本当なの?」

 「っっ…………それを、どうして?ま、まさか、記憶が………!!」

 


 緋色の問いかけに、泉は驚きながらもそれを否定はしなかった。

 やはり、彼は嘘をついていたのだ。

 あの日、初めて会ったわけでも、初めて恋人になったわけでもなかったのだ。



 「杏奈ちゃんっていう人に会って聞いたの。…………ねぇ、泉くん、本当なの?」

 「本当だよ。………俺たちは昔恋人同士だった。」



 彼はあっさりと自分の嘘を認めたのだ。

 緋色は胸がギュッと締め付けられるように苦しくなる。

 きっと、彼には理由がある。

 それを聞けば、きっと嘘の理由を聞けば納得出来るはずだ。

 そう思って、重い口を開いた。



 「どうして、黙っていたの?………嘘をついていたのか、教えて?」



 静かな住宅街の夜道。

 シンッとした空気が漂う。

 彼の答えが怖く、緋色は泉を見つめながら祈る思いで次の声を待った。


 泉は、何度か口を開いた後、少し迷いながらも、力なく視線を反らした。



 「…………ごめん」

 「なんで………何で教えてくれないの?」

 「………緋色ちゃん。それは、言えないんだ」

 「どうして!」



 彼の言葉で、緋色の溢れていた想いが我慢出来なくなり、流れ出るように大きな声が出た。



 「どうして教えてくれないの?どうして嘘つくの………緋色くんも、お父様も秘密ばかり!それで、何を信じればいいの?」

 「緋色ちゃん、俺は…………」

 「来ないでっ!」



 緋色に触れようとした手から逃げるように声を出し、数歩後ろに下がって彼から逃げる。


 すると、泉は悲しんだ顔を見せてそのまま止まった。



 「私は何を信じればいいかわからないの。記憶がないから、あなたを好きになって信じて生きていけば大丈夫だって思ってた。それなのに………あなたは、私に嘘をついていた。その嘘さえも、信じたいって思って待っていたのに………理由を教えてくれないなんて、そんなのずるいよ。」

 「…………ごめん………」



 謝ってばかりで話すつもりもない泉を見て、緋色は涙が溢れてきた。

 もう、彼の傍には居られない…………。



 「泉くん。………事故で記憶がなくなる前にあなたと恋人だったんだよね?」

 「………………あぁ」

 「私、何もわからなくて、怖かったよ。何が本当で、誰が本当の知ってる人なのかわからなくて怖かったよ。……………恋人だったら、どうして助けてくれなかったの?………どうして、会いに来てくれなかったの………?」

 


 緋色の瞳からはボロボロと涙がこぼれだした。

 事故に遭い、目を覚ました時を思い出すと今でも体か震える。

 何故病院で独り寝ているのか。

 何があったのか。

 目の前にいる人は誰なのか。


 誰も何も記憶ない世界に放り出された時の恐怖。



 そんな時に支えてくれる人。

 父親だけではない、愛し合った人がいたのならば、思い出せたのかもしれない。

 彼が教えてくれたのならば、恐怖に怯える事は少なかったかもしれない。

 

 もう1度好きになるぐらいに、緋色は泉を愛していたのならば、もっと早くから会いたかった。


 そんな想いは我が儘なのだろうか。



 緋色の必死の想いを聞いた泉は、悔しそうにしながら唇を噛んでいる。

 そして、自分へと伸ばしていた手を、彼は落とした。



 「……………もういい………。」



 緋色はそんな彼から逃げるように、歩いてきた道を走った。


 後ろから彼が呼ぶ声がしたけれど、それを無視して走り続けた。


 緋色はそのまま夜道をカツカツとヒールを鳴らし、涙をこぼしながら歩いた。



 「泉くんのバカ…………」



 彼への言葉を吐き出したけれど、彼への想いはまだ残っているのか、嘘をつかれたけれど、彼を信じたかった気持ちだけが残ってしまった。










 「もう、どうすればいいんだろう………。」



 帰る家もなく、ただ歩いていく。 

 緋色が目指したのは、先程来た明るい街中だった。ここなら人はいる。

 今は静かなところよりも、ザワザワしたところにいたかった。

 うろうろと夜の街を歩き、緋色ははーッため息をついた。

 ヒールを履いた足は、悲鳴をあげている。どこかで休憩しなければ、倒れてしまいそうなぐらいフラフラになっていた。



 「今日はホテルに泊まればいいかな」



 緋色は会社用の鞄は持っていたため、財布もしっかり入っている。

 今日はホテルに泊まろうと決めて、そこまでは頑張ろうと、近くのホテルを探しに歩き出そうとした時だった。



 

 「お姉さん。さっき、香水のお店から出てきた人だよね。また、ここに居るなんて………お疲れなのー?」

 「え………」



 後ろから声を掛けられて、振り向いた途端、肩を組まれてしまう。ハッとしてその相手を見ると、若い知らない男性だった。

 髪は銀色に染めており、細い体をしていた。けれど、やはり相手は男性だ。緋色を引き寄せる力は強かった。



 「あの………離してください。」

 「あの店で何買ったの?薬でしょ?気持ちよくなれるやつ。1回じゃ足りなかった?」



 どうして、香水の店の話をしているのか。薬とは何なのか。緋色にはわからなかった。

 けれど、緋色は周りを確認してハッとした。そこは、先程来たばかりの香水の店の近くの路地だった。ホテルを探しているうちに、また同じような場所に来てしまったようだった。



 「ち、違います!香水を買いに来ただけです」

 「またまたー!ここに来る奴でまともな奴なんていないよ」

 「本当ですっ。離してください。」



 緋色が必死に抵抗しても、相手は全く怯まなく、面白そうにニヤニヤしているだけだった。


 すると、路上に駐車していたワンボックスカーが開いて、別の男性が顔を出した。

 夜なのに真っ黒のサングラスをしており、髪は短髪で金色に染めている。緋色の肩を抱いて離さない男より強面で、体をがっしりとしていた。



 「おまえ、何やってんだよ。どう見ても、俺たちの客じゃねーだろ」

 「あ、やっぱりそうかー」

 「あの………離してください」



 2人の話を聞いて、勘違いなのが伝わったのかと思い、緋色は銀髪の男の体を強く押した。

 けれど、何故かその男は先ほどよりも強い力で緋色を抱きよせてきた。

 男に更に近づいてしまった時、鼻を刺すようなツンッとした臭いを感じた。

 

 この人から離れなければ…………。

 そう思ったけれど緋色は、恐怖からか体か震え出してしまう。



 「でも、俺の好みのタイプなんだよね。お姉さん、俺と楽しいことしよう。………あ、結婚してんだ。でも、大丈夫。俺が、旦那より最高に気持ちよーくしてあげるから」



 左手の指輪に触れながら、甘くて冷たい言葉を耳元で囁かれ、緋色は声にならない悲鳴を上げた。


 けれど、路地裏の小さな道には、他に誰の姿もなかった。






 

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