第25話「ピンクシュガー」






   25話「ピンクシュガー」




 「泉くんは寝るときもいい香りするよね?」



 その日の夜も、いつもと同じように2人でベットに横になっていた。

 すると、泉の香水の香りを感じたので、緋色はその時に気づいた事を彼に聞いてみた。

 すると、泉はニッコリと微笑んで「お気に入りだから、いつも纏ってないと落ち着かないんだ」と言った。



 「わたあめみたいで、いい香りだよね。私この香り大好きなんだ。泉くんの香りって感じだね。」

 「俺の香り………か」

 「うん。何ていう香水なの?」

 「ピンクシュガーだよ。女性ものなんだけど使ってるんだ。そんなに気に入ったなら緋色ちゃんも今度つける?」

 「うん!ありがとう。」



 ピンクシュガー。

 確かに名前まで甘くて女の子らしいものだった。どんなボトルなのかな、など想像するだけでも楽しかった。



 「それにね。何だか、この香りに包まれていると、怖い夢を見ないような気がするだ。それに、隣には泉くんがいるから、怖い夢を見ても大丈夫だって思えるし。………1人で寝るのは少し怖いけど。今日は怖い夢、見ない気がする」

 「そっか。じゃあ、もっと強く香るように、ぎゅっとしてあげる。」


 泉は緋色の肩を優しく抱き寄せて、片腕で包み込んだ。すると、彼が言ったように先程よりもピンクシュガーの香りが強くなる。

 


 「何だかお菓子の夢を見れそう」

 「それはいいね。………そろそろ寝ようか。今日はきっと疲れただろうしね」

 「うん………おやすみなさい」


 「おやすみ、緋色ちゃん」


 2人はどちらともなく唇を寄せ合いキスをした。終わった後にお互いに微笑み合う瞬間がとても好きで、緋色は彼の胸に顔を埋めながらキスの余韻に浸り、目を閉じた。


 昼間から眠いのを我慢していたお陰で、すぐに眠気がやってくる。

 眠ってからあの夢を見るのではないかと不安になる。けれど、そう思うと彼の体温と甘い香りを感じ、ふっと力が抜ける。

 大丈夫。彼が守ってくれる。


 そう信じて、緋色は深く眠りについた。




 


 


 「緋色ちゃんが元気になってよかったよ」

 「ありがとう。心配かけてごめんね。おかげさまで元気なったよ。」



 トレーニングから戻ってきた泉と一緒にご飯を食べた。緋色はまだお粥だけにしたが、彼にはご飯と味噌汁、鶏ささ身のサラダと目玉焼き、そしてヨーグルトと果物を準備していた。泉はいつも「おいしいよ」と料理を褒めてくれるので、毎日頑張りたくなってしまうのだ。



 「それで怖い夢は見なかったって言ってたけど、どんな夢を見たの?」

 「すごいいい夢だったよ。海外のおっきな図書館に行って、ずーっと本を読むの。日本語で書いてないのに、読めちゃうところが夢なんだろうけど」

 「本好きの緋色ちゃんにはたまらない夢だね。俺も羨ましいよ」

 「うん!今日はいい事ありそうだなー」



 緋色はレンゲでお粥をすくい、口に入れながら微笑んだ。きっと今日は良い1日になると確信していた。




 けれど、緋色の予想とは反対に、大きな事件が起こるとは誰も考えもしていなかった。


 緋色の運命を変える日となるのだった。








 

 緋色は仕事中もどうしても「ピンクシュガー」の香水が気になってしまった。

 昼休みに調べると、ここから近い繁華街のお店に売っているというのをネットで見つけたのだ。


 「ボディークリームとか、石鹸とかもあるんだ………いいなぁ」



 緋色はその情報を見ながら、ある事を思いついた。

 昨日は、泉に心配をかけてしまった。それにいつもお世話になっている彼にサプライズでプレゼントをしようと思ったのだ。


 今日の帰りは泉が職場まで迎えに来てくれる事になっていた。けれど、帰りに会ってしまえばサプライズじゃなくなってしまう。

 そのため、緋色は「今日は残業が1時間ぐらい残業する事にしたので、お迎えは大丈夫です。ごめんね」と連絡をした。すると、すぐに「じゃあ、いつもより遅く迎えにいくね」と返事が来た。


 プレゼントを買うための制限時間は1時間となってしまったけれど、近くの街なのですぐに帰ってこれるはずだった。

 愛音に詳しい場所も聞いたので、迷うこともなさそうだ。

 彼へのプレゼントも買って、自分にも彼とお揃いの香水を買おう。それを考えるだけでもニヤけてしまう。

 緋色は夕方の楽しみを考えながら、残りの仕事を一気に終わらせた。


 

 定時になると、緋色はすぐに帰りの支度をして会社を出た。いつもならば、途中の仕事を終わらせてゆっくり退社するので、愛音や他の社員を少し驚いていた。

 けれど、今日だけは早く帰りたいので、「すみません。」と、言いながら会社を飛び出した。




 それからは小走りで目的のお店へ向かった。そこは、香水だけではなくお香や、本格的なたばこなど、香りやスパイスの物を多く取り扱っている場所のようだった。地下の店内は広く、お客さんも男女問わず数人がお目当ての物を探しているようだった。いろいろな香りが混ざり合い不思議な香りがしたが、不快でもないのが不思議だった。

 緋色はすぐに香水コーナーでピンクシュガーのボトルを見つけた。試しに自分の左手首につけてみると、あの甘い香りが広がる。少し違う香りになるのは泉がつけているものではないからだろう。

 香水はつける人によって香りが変わると聞いたことがあった。同じ香りをつけた時に、自分はどんな香りになるのだろうか、と緋色は思った。


 その後、ピンクシュガーの香りのボディソープやハンドクリームを見つけたり、香水の持ち運び用アトマイザーもあったので、そちらも一緒に購入をした。お店の人に、香水のおすすめの付け方や、「甘い香りが好きでしたら、こちらもどうぞ」と、他のアロマオイルのお試し用も貰った。


 紙袋に欲しかったものが沢山詰まっている。

 緋色はそれをうけとると、自然と笑みが浮かんでくる。店を出て、地上への階段を登りながら、紙袋の中にある綺麗に包装してもらったものを見てニッコリと微笑んだ。



 「泉くん、喜んでくれるかな?」



 緋色はそう呟きながら、プレゼントを渡したときの泉の表情を想像する。きっと、「ありがとう!嬉しいよ」と言って、満面の笑みを浮かべてくれるはずだ。

 それを考えると、先ほどからニヤけてしまう。

 

 「早く会社に戻ろう」



 緋色は紙袋をギュッと抱きしめながら地上に出た。


 大通りではないのでそのまで人が多くない裏路地にある店。少し薄暗いので、緋色は早くここから離れよう、そう思った。


 大通りへはすぐだったので、緋色は少し駆け足で歩いていく。古くさいカビやタバコの香り、甲高い若い女性の笑い声や、男性の怒鳴り合う声。そこから逃げるように明るい場所へと向かった。


 表通りに出ると、いつもの夜の街だった。

 平日の夜なのに、沢山の人が忙しそうに歩いている。手を繋いで歩くカップルや、顔を赤くしたサラリーマンの集団。部活帰りのジャージ姿の学生。緋色は普段通りの街並みに、ホッとしながら歩きだそうとした。

 


 「あれ?もしかして、緋色ちゃんじゃない?」

 「え…………」



 名前を呼ばれて振り向くと、同い年ぐらいの女性が手を振りながらこちらに走ってきていた。緋色はそれが誰なのか思い出せない。きっと、記憶を失う前の知り合いなのかもしれない。緋色はどうしていいかわからずに戸惑ってしまうが、相手の女性は構わず近くに寄って来て話し始める。



 「覚えてる?職場が同じだった杏奈。久しぶりだね」

 「杏奈ちゃん………同僚?」

 「そうそう。本屋で働いてたでしょ?」

 「本屋…………。」

 「もしかして、あの時ので記憶がなくなったって本当だったんだね。大丈夫?」



 この女性は事故に合う前の職場の人なのだとわかった。名前を聞いても、顔を見ても緋色はその事を思い出す事は出来なかった。

 緋色は曖昧に、「うん、大丈夫だよ。ありがとう。」と、紙袋を抱きしめながら返事をしていた。

 すると、杏奈だという女が何かに気づいて、目を大きくして驚いた表情を見せた。



 「え、緋色ちゃんって、もしかして結婚したの?」

 「………う、うん」



 緋色の左手の薬指のリングを見つけたのだろう。杏奈は、「わぁー!」と手を叩いて驚きながらも嬉しそうに微笑んでいた。



 「そうだったんだー!おめでとう」

 「あ、ありがとう………」

 「緋色ちゃん、職場でも人気あったもんね。可愛くて、優しくて、本の知識はすごいし。私でも惚れちゃいそうだったよ」

 「そんな…………」



 自分の知らない事を、知っている人が目の前にいる。

 それが嬉しくて、緋色は彼女にいろいろ聞いてみたいと思った。彼女なら、忘れている事を思い出させてくれる、と思ったのだ。

 全く記憶がない事を謝罪して、今度話を聞かせてくれないか、お願いしてみよう。

 そう思って、声を掛けようと口を開いた時だった。



 「もしかして、相手は松雪泉くん?」

 「え………」

 「あ、やっぱりー!あの時からすっごい仲良かったもんね。誰が見てもお似合いのカップルだったもん」

 「私………泉くんと付き合ってたの………?」

 「そうだよー26歳か7ぐらいの時だよね。私と同じ年だったし、私が彼氏と別れた時だったから、羨ましいな~って思ってたの覚えてる」

 「…………そうだったんだ」



 そこまで話しをしてくれた杏奈のスマホが音を鳴らした。画面に表示された名前を見て、杏奈は「やばい!先輩からの呼び出しだ。緋色ちゃん、呼び止めてごめんね。まだ同じ本屋で働いてるから、遊びに来てね。今度ゆっくり話そうね!」、と言うと、手を振って小走りで去ってしまった。


 残された緋色は、杏奈の言葉を聞いてただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



 「…………泉くんと私が恋人だった………」



 その事実に、緋色の頭はパンクしそうなぐらいに混乱をしていた。




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