No.1

春義久志

No.1

 正直、あまり乗り気ではなかったけれど、いざこちらに背中を向けて準備をする彼女と、その後方で待ち構えている参加者の女性たちを眺めているうちに、俄然やる気が湧いてきてしまった。テンションとしては、餅まきのそれに近いかもしれない。

 勢いよく舞い上がった花束は綺麗な弧を描き、参加者の私たちの方へ飛んでくる。

 シメた、この距離感ならイケる。我が黄金の右腕から放たれる重力に引き寄せられるように飛んできたはずの花束はしかし、指先で弾かれ、別の女性の手元へとその身を収めた。

 残念だったなと高校時代の同級生たちに冷やかされながら、指先に触れた花束の感触を思い出す。そういえば、体育の授業でやったキャッチボールが苦手で、ヘタクソだとあいつによくからかわれていたっけ。

 「また掴みそこなったか」

 独り言は周囲の喧騒に呑み込まれて、彼女やあいつには届かない。


 人前式を終え、披露宴も中盤に差し掛かり、会場では新郎新婦のアルバムスライドショーが始まった。中学以降のあいつの写真に自分がしょっちゅう写り込んでいることに気付き苦笑する。もっとも高校の同級生以外は、写真によく出てくる男子中高生が、先ほど友人代表スピーチに立った女性と同一人物だとは気づかないだろう。

 あいつとは中学からの、彼女とは高校に入ってからの付き合いになる。二人の仲を取り持ったキューピットだと、式の司会からそう説明された。間違いではない。ある日突然、病気で女性になった私の世話を焼いているうちに、二人はその距離を縮めたのだから。

 二人の急接近には気付かないふりをしていた。同性、もしくは元同性にしか話せない悩みや不安を何度もなく聞いては慰め励ましてくれた恩を仇で返したくなかったし、そしてなにより、そうだと知ってもなお、私とあいつと彼女の三人で過ごす時間は、無敵で最強でかけがえのない時間だったから。


 一年ほど前、二人が結婚を決めたと話してくれたときに驚かなかったといえば嘘になる。いつの間にか、自分だけがのけものにされていたという腹立たしさも、もちろんあった。

 スマホのアルバムに二枚の画像が眠っている。彼女、そしてあいつと、それぞれ二人で撮った写真だ。

 写真の中で彼女と私が座っているのは公園のベンチ。まだ私が男性だった頃に行った、最初で最後のデートが舞台の、ツーショット。見返すたびに、ほんの六年前まで自分はこんな顔をしていたのだということが信じられない。

 一方のあいつとの写真を撮ったは、私が女性になってから半年ほどの頃だった。不安を吐露しているうちにほんの出来心で、なし崩しに一線を超えた夜、俺とあいつ以外誰もいないあいつの家でのことだった。裸のまま鼾を立てて寝ているあいつが無性に愛おしく、母性という感情を肌で理解したそんな夜の出来事。黙って撮ったから、あいつは多分そんな写真が存在するなど気付いてもいないだろう。

 この二枚を、今の二人に見せたら、一体どんな顔をするのだろう。そんな仄暗い感情が浮かんだこともあったけど、結局その二枚は今も私だけのアルバムの奥深くで眠り続けている。二人を祝福する気持ちだってもちろん強かったし、もしもその写真を見せても二人の決心が揺らぎもしないことの方が、ずっとずっと怖かったから。

 結婚式の友人代表スピーチを頼まれたのは、それからまもなくしてだった。二人ともに社交的で友人は多い中、共通の友人で一番付き合いが長い私に白羽の矢を立てたということらしい。頼まれたからにはと張り切って考えたスピーチは好評だったようで、新婦はおろか新郎も若干涙ぐんでいた。友人冥利に尽きる。恨み節が滲み出てこないよう、必死に添削した甲斐があったというものだ。

 それでも、これだけは言わずにはいられなかった。二人の心に、自分という人間の足跡を残したくて。

 「二人なら絶対にうまくやっていけると信じています。二人のことを誰よりも早く、一番初めに好きになった私だから」

と。


 無事に式は終わりを迎えた。一足先に退出し、出席者たちの見送りに出てきてくれた二人に声をかける。

 「良いスピーチだった」

 言葉少なに褒められた。再び目が潤んでいる。大方、思い出して内心またグッと来たりしているのだろう。わかりやすいやつ。

 「新婚旅行の準備、全然してないんだよ?」

 唇を尖らせながら冗談っぽく不満を口にした新婦を、よそ見をし口笛を吹いてごまかす新郎。なんでも、ヨーロッパの小国を二人で歩いて渡るらしい。行き先の写真も以前見せてもらった。綺麗な景色だった。これから二人が巡り合う数多の素晴らしい出来事に一緒に立ち会うことが出来ないのだということを思い出し、胸がかき乱される。動揺が顔に出ていないことを祈った。

 ロビーで帰りのタクシーを待ちながら、別れ際に二人に向けて振った右手を見つめる。ブーケトスを取りこぼし、二人の手も掴めなかったこの手がいつか、彼女でもあいつでもない誰かの手を、握り返せる日は果たしてやってくるのだろうか。

 帰ってきたのだからゆっくりしていけばいいという同級生の優しい誘いを断り、新幹線で家路につく。翌日は休みだったから、思い出話に花を咲かせたり、実家でのんびりする手もあったけど、そういう気分ではなかった。

 ただいまと口にしても誰の返事も返ってこない自宅で、引き出物を開けた。食品はあまり日持ちがしないようだったので、せっせと食べることにする。流す涙など、今朝までに全て出しきったはずだったけれど、美味しそうだった鮭の味噌漬けは、ちょっとだけ塩気が強かった。

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No.1 春義久志 @kikuhal

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