第8話二人、一つ。
「……また地響きか……」
ということは、と御者の老人は顔をしかめる。あの二人、しくじったか。
二度目の大岩はいわば蛇足で、どちらかというならドアのようなものだ。
岩が出口を塞ぎ、引き返す道を塞ぐ。追い立てられた挑戦者は、何か忘れ物があってももう入ることは出来ない――当主の死後その忠実な従者が罠を元に戻すまで、そこは基本的に封鎖されるのだ。
そもそもその従者がついていれば、あの罠を発動させることはないのだが。
「……ふん」
「大丈夫かのぅ、今回のお嬢様は」
「さあな」
鍛冶屋の老主人に短く返すと、御者の老人は淡々と付け加える。「中には入った。後は、連中次第さ」
「ほっほぅ!」
「……何だ、爺。いきなり笑い出して、惚けたか?」
「お前も爺じゃろうが。何、これは、ひょっとしたらひょっとするかも知れんと思うてなぁ」
「何でそうなる」
「気付いとらんのか? ははっ、お前ともあろうものが、それこそ惚けたのぅ」
爺は大袈裟に驚き、自慢のビア樽腹を軽く叩いた。「久し振りじゃぞ? お前さんが、一言以上感想を言うなんてな」
顔の半分を覆う口髭をしごきながら、鍛冶屋爺は幾度も頷き、にやにやと笑っている。
それが何とも居心地が悪く、御者は昔馴染みの脛を蹴りつけた。
「ぶははっ、照れるな照れるな。爺の照れ顔なんぞ、薪にもならんわ」
「喧しい……!」
「……全く。久し振りじゃわい」
不意に、その声からは明朗さが消え失せた。
代わりに穏やかな暖かみと、年月に擦りきれた夢の名残がふきのとうのように顔を出している。
「不在が長過ぎた、儂らにとっては特に。もうそろそろ終いかと毎朝毎朝思っとったよ。カートンもジョセフも、麗しのスザンナも逝っちまった。もう、儂の他にはチェスも出来ん無愛想な爺が居るだけじゃ」
「……そうだな、暑苦しい髭面を毎日見る日々がいつまで続くかとそろそろうんざりしとったよ」
「はっ、いつも言っとるじゃろ。儂の
「ふん。作りもんの戦争でも、お前と遊べるとは思っとらんわ。いいから、とっと飯の準備でもしてこい」
「ははっ、そうじゃな。しっかり準備して待ってやらんといかんなぁ。お前さんご贔屓の到着を、の」
「……ふん」
豪快な笑い声を響かせながら去っていく旧友の背中を見送りながら、御者の老人は苛々と呟いた。「ここまで言われて、わしに恥を欠かせたら承知せんぞ……」
走れども、走れども。
背後の大岩との距離は一向に広がらない。そればかりか。
「近付いてきてる!」
後ろ向きに抱えられているミザロッソは、悲鳴混じりに叫んだ。「文句を言う訳じゃあないけど、もっと早く走れない!?」
「限界だよ、荷物が多くてねっ! 文句を言う訳じゃ、ないけどな!」
実際、両手にそれぞれ荷物を持ち、尚且つ背中には人一人背負っているのだ。こうして走れているだけでも、誉めてもらいたいくらいだ。
「あとどのくらいだ?」
「距離の話? それとも、制限時間の方かしら? もう少しよ!」
「どっちが?!」
「どっちも!」
がさごそと、右手の『荷物』が地図を取り出した。「このまま走っていけば、もう少しで……あと、三分くらい!」
「やる気が出たよくそっ!」
三分、三分か。
ホルンの体力とて無限ではない――体力が尽きてしまえば、例えその後で甦るとしても、立ち止まってはしまうだろう。
立ち止まれば、二人は間違いなく潰される。そして一度潰されてしまえば、甦っても潰れたままだ。
逃げ切る以外に、道はない。
だが――行けるか? このままで。
「……ホルン」
「断る」
「ホルンッ!」
「断るって言ってんだろ!!」
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
ミザロッソは、彼女にしては随分と珍しい、余裕のない声音で命じた。「捨てなさい! どっちでも良いから!」
背中でも、右手でも。
どちらでも良いと、
「このままじゃあ死ぬ、抱えたままじゃあ全滅するだけ! 大切だって思うなら、どちらかだけにしなさい馬鹿!」
「お前……!」
「迷うんなら、命令してあげるわよ!」
彼女はそう、叫んだ。「……背中の荷物を捨てなさい、私を助けなさい、そうしないなら、アンタの借金を倍にしてやるわよ!」
「…………」
ホルンはミザロッソを、腰の辺りで持ち上げて抱えている。
振り向いていた彼女をそのまま掴んだため、後ろを向いた状態で吊るされているわけだ――だから、ミザロッソの顔を、表情を、ホルンは見ることが出来ない。
怒っているのか、怯えているのか、笑っているのか泣いているのか、見えないのだから解らない。
解らないから、ホルンは、そういうことだと思うことにした。
(答えの解らない問題は、自分に都合良く考えるに限るからな)
だから、ホルンはそうすることにした。捨てるものを、自分に都合良く選ぶことにした。
右手で好き勝手に喚く共犯者。
左手に重荷を掛け続けるパンパンのトランク。
「そうかい、じゃあ、悪いが捨てさせてもらうぜ。傲慢な貴族さん」
「っ、えぇ、さっさと……きゃっ!?」
ホルンは両手に持っていた邪魔なものを捨てることにした――前の方へ。
ミザロッソと彼女のトランクを放り投げると、ホルンは地面を擦りながら急停止したのだ。
「な、なにをっ!!」
「こいつ背負ってくのは、アンタの華奢な身体じゃあ無理だろうから。悪いけど、自分の荷物持っていってくれ」
呆然と見上げてくる綺麗な青い瞳に、最高の笑みを刻み込む。「俺は、ちょいと野暮用があるんでね」
「馬鹿っ、アンタ、私は!」
「……俺の後悔を、軽くしようとしてたんだろ?」
ホルンだって、いや、走っているホルンだからこそ解っていた――あのままでは、遠からず追い付かれて全員ぺしゃんこだと。
生きるためには、どちらかを捨てる必要がある。二人で生きるのなら、捨てるべきものは決まっていた。
だが。
ミザロッソはこう考えた筈だ――殺された相手を殺し返しただけで後悔していたホルンだ、ここでその死体を、たとえ生きるためにとはいえ、捨てることはできないのではないかと。
たとえ出来たとしても、本心に反する行為を無理矢理すれば、ホルンは熱意を失うのではないか。走り続ける熱意もそうだし、このあと、村人相手に演技を続ける気力も。
どうすればいいか。
どうすれば、捨てさせた後でも彼を燃やし続けられるか。
簡単だ――燃料を注いでやれば良い。
ホルンの動機を、ミザロッソは知っている。知っているから、注ぐべき感情が何なのか理解できているのだ。
「『アンタに命令された』ってことなら俺の心は痛まないし、アンタに対する怒りがやる気をカバーしてくれるだろうって考えたんだろ? ははっ、浅はかな考えだぜ」
「それは……べ、別に私は……」
「お陰さまで、やる気が出たよ――ま、ちょっとあざといがな?」
だから、とホルンは、迫る岩に向かいながら付け加える。「正しいやり方を教えてやるよ、後でな」
さあさあ早く行けと語るホルンの背中を見上げて、ミザロッソの顔が泣き出しそうに歪む。
けれどもそれも、ほんの一瞬。
瞬き一つで、動揺する美少女は狡猾で高慢な魔女へと変わる。
「……
「そりゃあ、勿論あれだよ。婚約者様だろ、今んとこ、クビにもなってないしな」
「ふん。私の金目当ての癖に」
「それはまあ、えっとあれ? そういうことになるのかよ?」
確かに言われてみればその通りか――ミザロッソに協力することで彼女が正当に受け継ぐ遺産から、自分は報酬を受け取るのだから。
それはそうなのかもしれないが。
何だろう、共犯者としてはリスクの割合が少しばかりおかしいような気がする。
「何かズルいな、上手く行ってもお前次第で俺は泥棒かよ」
「そういうこと。アンタの未来がどうなるかは、結局のところ私が握っているって訳。大体の結婚はそういうことになるのだから、諦めることね」
落ち着き払った演技で体を起こし、ミザロッソはスカートの埃を払うような仕草を見せる。
トランクを拾い上げ、傷に大袈裟なため息を吐き、全くどうしてくれるのかしらと言いたげにホルンを睨み付けながら、ポツリ。
雲一つ無い夏空から居場所を無くした名残雨が垂れるようなか細さで、ポツリと、美少女は婚約者へ呟いた。
「……私との約束を、破らないでね」
答えを待つこともなく。
私の言葉に対する貴方の答えなど聞くまでもないとでも言うように。
魔女は出口へと駆け出していった。
「まったく。人の扱いが上手い女だ」
相手を意のままに動かすには、相手が言って欲しいことを言ってやれば良い。
(誰が言った言葉だったかねぇ)
ちょっとした愚痴が名鑑に載るような偉人の言葉か、それとも、ジンの魔性に酔って溶鉱炉に抱き付いた馬鹿のものか。
やられてみれば、なるほどだ。
約束。
ホルンを意のままに動かすために、これほど的確な手綱もそう無いだろう。尻に火を点ける役目としても最高だ。
(約束を果たすために、約束した――俺の始まりを知ってるなら、まあ、流石ってことか)
「何にせよ。これでまあ、俺は必死になるしかなくなったな」
己の墓を掘るのはいつも他人だが。墓石になにを刻むかは自分で決めることが出来る。
「ははっ、良いぜ、やってやる。【黄泉返り】の名前は伊達じゃねぇってとこ、見せてやるさぁっ!!」
ホルンの【
概要だけを説明すると、多くの他人様は目の色を変えて興奮し、ホルンに彼の持つ羽目になった能力を絶賛し、その有用性を説き伏せようとしてくるものだ。
そうした連中の決まり文句は暗記できるくらいに単純だった――君は、主の奇蹟を受け継いだのだ。
はっ、安い奇蹟もあったものだ。
死ぬ、そして甦る。
成る程確かに、その結論は奇跡的だろう。だが問題は、その過程にある。
生き返るためには、死ななくてはならない。
当たり前といえば当たり前だ。『死んだ』から『甦る』のであって、死んでもいないのに甦ることなど出来る訳がない。
詰まり、結果はどうあれ、【
そして【
どんな死因であれ、そこに付随する苦痛はそのままホルンが受け取ることになるのだ――即死ならまだましで、例えば崖の上から転落したとして、死ぬまでに腕や足が折れたり骨が内蔵に突き刺さったりしたらそれは勿論痛い。半端無く痛い。
死ぬくらいには、痛いのだ。
そしてもう一つ。この能力には酷く悪辣な罠が仕掛けられている。
『君が恐れる限り、君は死を遠ざけることが出来るよ』
ホルンに、あいつはそう言ったのだ――虹色髪のあいつは、笑いながら、楽しみながら。『だから気を付けて。うっかり「死んでも甦るから良いや」なんて思わないようにね?』
そう。
死ねば甦る。
だが、それに甘えたら死ぬ。
では甘えとは?
自分が死を、本当に恐れているかどうかなんて、自分でさえ解らないものなんじゃあないのか?
自分の知らない基準で、自分は死ぬんじゃあないのか。
その恐怖が、ホルンを繋ぎ止める。
その恐怖ゆえ、ホルンは慣れることが出来ない。
『死なない』のではなく『死ねない』。
ホルンにとってこの能力は、夢ではなく悪夢そのものなのだった。
「……結構、ギリギリだよな……」
そういう意味では、ホルンの今の精神状況は危険極まりなかった。
勿論今でも死ぬのは怖い。傷付くのも、苦痛を与えられるのも願い下げだ。
だけど。
一瞬こう思ってしまった――アイツのためなら死ねる。
死んでも良い、全身を大岩に砕かれるような苦痛を受けてでも、【
そう思ってしまった、ような、気がする。
そう思ってしまったら、それは、もしかすると。
「今さら、どうしようもないけどよ」
既に、大岩は目前に迫っている。今から駆け出したところで、加速の乗った岩玉から逃げ切れるとは思えない。
(やるしかない――けど)
問題は、どう死ぬかだ。
【
だから、例えば海で溺れ死んだ場合はそのまま海中で目覚めることになる――息が切れるまでに浮上できなければ、結局そのまま死に続けるだけだ。
翻って今回。
岩に潰される、甦る。
これはまだ良い、通りすぎた岩を追い掛けて、後ろからどうにか出来るかもしれない。
問題は、例えば岩に張り付いてしまった場合だ。
死ぬ、甦る、けど張り付いたままなので直ぐ地面に引き潰される、甦る、けど張り付いたままなので直ぐ地面に引き潰される、甦る、けど張り付いたままなので直ぐ地面に引き潰される、甦る。
そんな苦行の極みみたいな繰り返しは絶対に御免だ。第一それだと岩が止まっていないので、結局ミザロッソに追い付いて彼女が死ぬ。
「さて、どう死ぬかが問題だな……」
それからふと、背中に負った荷物を思い出した。「……悪いな、静かに眠らせてやりたかったが……」
置き去りにすれば彼女の遺体は岩に潰されるだけだ――岩は正確に通路を埋めるよう作られているようで、隅に置いても避けれはしないだろう。
勿論背負ったままでも潰されるのは確実だろうから、これはただの自己満足。
最後まで誰かを背負って立ち向かったという称号が欲しいだけだ。
「こんなことなら、置いてきてやるべきだったかな。その方が、仲間と一緒に……」
「ご心配無く」
「うおぉっ!?」
(しまったっ!)
耳元で囁かれ、思わずホルンは、その荷物を放り投げてしまった。
……前方へ、岩の方へと勢い良く。
何てことだ、後悔の中で奇妙にゆっくりと飛んでいく彼女の死体――否、閉じていた筈の目を開いた様は、最早疑いようもなくケテルの生存を証明しているではないか。
生きていたのだ、良く考えたら首を裂いただけで即死と判断して、ろくに呼吸や心音の確認をしていなかった。
それがここに来て意識を取り戻したのだろう、だというのに、ホルンはそれを投げつけてしまった!
彼女の肢体は砲弾のように凄まじい勢いで岩へと飛んでいき、あぁ、そのまま挽き肉にされてしまうことだろう。
そう、思ったのに。
「優しいのか残酷なのか、解らない方ですね」
そう、彼女は言って。
「……けれども、えぇ。確かに貴殿方は私を目覚めさせ、そして打倒した」
そして岩は止まった。
空中で体勢を整えた彼女が、片手で止めていたのだ。
「お見事、合格です」
「……はぁ?」
呆然と見詰めるホルンの前で、彼女、ケテルは優雅に微笑んだ。
その首に、傷がぱっくりと口を開けたまま。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます