笹舟

ぐしゃ

笹舟

 笹の船。 

笹の葉をちぎって、作る。お祖父さんが、とても上手だった。べたべた付いて回る私に、すこしやるせない顔をしながら、丁寧に編んでくれた。上手とはいっても、それはたった一度のできごとで、それも私が笹船についてさほど詳しいわけではないから、実のところは知れない。ただ、割りばしのゴム鉄砲などが一種の工芸品のように映る世代であるから、目にしたときの物珍しさが、その舟の出来栄えをとくべつ立派に見せていたとしても不思議なことではないだろう。


 しかし立派であるかと興味があるかは別の話で、そのときの私の頭は、流行りのゲームやテレビ番組でいっぱいだった。ちんまりな笹船を受けとると、別段ありがたがることもなく、それをすぐ川へ放り流した。お祖父さんは後ろから私のシャツを抓んでいて、舟が流れていく間、私の足元に転がる石ころに目をやりながら、おもしろいか、と呟いた。奇妙なことに、心ない感謝が聴こえる、そのまえからずっと微笑んでいた。


 夕の暮れの、下流も岸。もはや擦り切れるほどの昔のことだ。


 お祖父さんとの思い出のうち、この日は変に覚えている。他になにかが浮かぶことはあるけれど、大方それは、焦がし醤油の煎餅や、棒付きアイスの味といったものばかりで、交わしたはずの言葉などは、見事なほどに抜けている。そのくせ笹船を流したこの日にかけては、夕焼けをぼやかす空の曇りかげんや、草の青い汁がついたシャツの裾、街中を渡るドヴォルザークの調べなど、ありありと思い出されるのだ。それが今の暮らしより明瞭で、今の私のほうこそ、微睡むあいだの夢ではないかと、心が陰る時などは恐ろしくなる。


 笹船が揺れている。手からいともたやすく流れたそれは、くるりと旋回し、青いビニールの切れ端と仲良くならんでいる。欠伸がでるほどゆったり流れて、ある時つっぷりと川面に落ち込み、消えた。河童がいるな、とお祖父さんはうそぶきながら、浅瀬でも人は溺れることがあると、しつこく言い聞かせ、それから私の背をピンと張りつめた。


「もう、行こうか。帰り路、なにか買ってこう。」そういって、咳を一つした。


 通りの小売店にて、お祖父さんはワンカップ焼酎をふたつ、それと私のぶんに大きなポテトチップスをひとふくろ買った。店の出口で私とともにほくそ笑むと、ズボンの両ポケットに焼酎をひとつずつ突っ込んでから、こちらへチップスの袋を差し出した。私はシャツの下にそれを潜ませてみるけれど、どだい隠れるはずもなく、帰るまでに食べおえてしまうこととした。


「一枚、おくれ。」

 私がよこしたひとかけらを口にしたお祖父さんは、「濃い」とだけ言ってそれきりだった。


「母さんは怒るか。」私に尋ねた。

「しょっちゅう。」

「ばあちゃんとそっくりだな。」

「ううん。怒らないよ。」

「そりゃ孫ならかわいいもんだ。」私の狭い肩に、松の皮のようにささくれた手をのせて、のどの奥で笑った。


 それから何か語るのだが、間の悪い自動車がかき消しに私たちを追い越してしまう。それがするりと夜に遠のいてから、だいぶ先で赤が二つ灯ると、湿っぽい夜の重苦しい感じが際だつようで、私はなんだかひとりきりでいるような気分がした。逃した言葉を聞き返そうかと思いあぐねているうちに、なんとも取りかえしがたい沈黙が横たわっていて、かと言え自分から切り出す話題の一つも思い浮かぶことなく、ただ、誰に対してかも分からぬ、むず痒く忸怩としたものに苛まれた。唯一、堅く弾けるチップスの感触のみが、この夜の気配を静寂に落ちこませないよう、どうにか慰めてくれる。コンソメ味でないことも、今はまるで気にならなかった。


「いいか、秋沙」 お祖父さんは言った。

「皆が皆、お前に優しいと思うな。」

 私はよく、それを覚えている。


 お祖父さんが亡くなって7年が経つ。今日は町の灯籠流しだ。

川上から、四角い明かりが、群れを成して迫ってきている。それがゆらゆらと流れてくる。障子紙の張り子には、子供の描いた絵や文字がやたらにこびりついている。


 子供はいい。何も知らなくていいのだから。


 ふと、私はこの灯篭が憎たらしくなり、あの幼稚な工作をどうにか沈めてやれないかと思った。思っただけ。本当に沈めるわけがない。私はもう苛立ちも悲しみも、そっと隠して笑顔でいられる。

 

 代わりに、笹舟を1つ編んで流した。あの頃の記憶でこしらえた、出来損ないの笹舟。もう、誰も教えてはくれない。

 

赤いかすみ雲をゆらりと映す、このなだらかな川面の上を、笹船はちっぽけに流れていく。そして、ぐるりと半周回るとともに、強い風が一つ吹き、いともたやすく転覆した。


 ひび割れたスピーカーが、ゆうやけこやけを奏ではじめた。季節外れも甚だしい。向ける先のない愚痴をぽっつり零しながら、私は気づけば泣いていた。


 この川はあまりに浅く、河童が構えてくれているとは思えない。頬を拭うと唄がやんだ。


 咳を一つして、私は川岸を離れた。

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笹舟 ぐしゃ @gusyagusya1884

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