第14話

 教会に到着すると、やはりあの神父が出迎えてくれた。

 訪れた面々を見渡し、朔耶を認めたところで、その目は僅かながら哀れみを帯びる。

 朔耶は光輝に促されるままに聖堂の長椅子に座った。隣には己刃が力なく項垂れて座っている。

 智治は、学校内の見回りを再開する、と告げて既にここから離れていた。

 疲れた風の言葉は方便だったようだ。

 見上げた先、いつか見たステンドグラスには鮮やかな色彩が生まれ、しかも、そこからは穢れた印象を一切受けなかった。

 教会の外観もそうだったが、それは現実に存在しないが故の特別なのか、それとも――。


「とりあえず、アノミア……この世界に入ってからのことを話してくれるか?」


 思考を遮るように光輝に尋ねられ、慌てて頷く。

 そして、朔耶はこの世界に囚われてから己刃達に助けられるまでの出来事を語った。

 途中何度か言葉に詰まってしまったが、光輝も神父も、己刃も一切口を開くことはなく、その話を黙って聞いていた。


「光を放つ何か……それは、まさか――」

「恐らくは精神、その光でしょう。私も見たことはありませんが、そのような話を聞いたことがあります」


 信じられない、といった様子の光輝とは対照的に落ち着いた口調で神父が続ける。


「朝日奈君。これを持ってみて下さい」


 彼に渡されたのは千影のものに似た虹色に輝く欠片だった。しかし、それは粒子となることなく、手に冷たく硬い感触を与えるだけだ。


「やはり他者の欠片では意味がないようですね。あくまで照屋さんの魂の欠片にのみ反応するようだ」


 その欠片を神父に返すと、彼は穏やかに微笑んだ。


「これはあくまでも推測ですが……恐らく、その左手には照屋さんの精神が宿っているのでしょう。そして、彼女の魂の欠片を全て集めれば、彼女は甦る、かもしれない」

「え!?」


 思わぬ言葉に一瞬理解が追いつかず、神父の顔を見上げる。

 隣で俯いていた己刃もまた、はっとしたように顔を上げていた。

 その瞳には、続く言葉を聞き逃すまい、という意思が見て取れる。


「人間は肉体、魂、精神から成り立っています。この世界、アノミアは肉体を縛る法則が曖昧になり、魂が肉体的に振舞う世界。精神がそこに存在し、肉体との架け橋となる魂が完全な形で伴っていれば、アノミアが終わる瞬間に肉体が再構築される可能性は高い」

「ど、どういう、ことですか?」

「そうですね。いきなりこんなことを言われても、よく理解できないでしょう。まず、この世界について説明する必要がありますね」


 結論を今すぐに聞きたい気持ちが強かったが、朔耶はそれを抑え込んで頷いた。


「その前に、そう言えば自己紹介がまだでしたね。私はこの教会の司祭を勤めている時乃宮パウロです。これから長いつき合いになるでしょうから、以後よろしくお願いします」

「あ、は、はい。よろしくお願いします」


 パウロは洗礼名だろう。時乃宮市にいるパウロ。

 洗礼名は過去の聖人の名が用いられるため、同じ名が少なくなく、地名で区別することが多い。


「では、まずはこの世界、アノミアについて説明しましょう。朝日奈君はデストルドーという言葉を知っていますか?」


 朔耶は、いえ、と首を横に降った。初耳の言葉だ。


「それなら、死の欲動。死へと向かう衝動のことは?」


 パウロの問いにはっとする。それはあの影の名が持つ別の意味ではなかったか。


「……タナトス」

「そう。デストルドーは精神分析学の用語でタナトスとほぼ同義。死の欲動のことです」


 生の欲動。生きたいと思う気持ちに相対する、死にたいと思う気持ち。死の欲動。

 自傷行為やその果ての自殺、あるいは周囲に対する破壊衝動などに繋がるもの。

 ジークムント・フロイトが提唱した考えだ。


「私達の世界もまた一つの存在である以上、あり続けようとする作用と滅びに向かう作用があります。このアノミアは世界そのものが持つ後者の作用、世界のデストルドーと世界の観測者たる人間のデストルドーが呼応し、形作られた世界なのです」

「な、なら、タナトスというのは――」

「あれは人間のデストルドーが具現化したものです。アノミアとは物理法則が曖昧となった、人類の精神世界とでも言うべきもの。そのため、人の思念が形を成すということもあります。事実、私達が持つ力はそれに由来するものですから」

「恐らく朝日奈が見た巨大なタナトス。それは照屋から生まれたものだ。そして、小型のタナトスは朝日奈から生じたもの。一度アノミアに入り、鳴瀬に浄化されていたから小さく弱かった訳だ。それ以外にも世界に蓄積されたデストルドーから生じる野良タナトスのようなものも存在する」


 つけ加えるように光輝が告げる。

 それはつまり、千影を殺したのは他でもない朔耶自身のタナトスだということだ。

 実際は朔耶がいてもいなくても千影からもタナトスは生じる以上、結果は同じだったかもしれない。

 しかし、それでも朔耶は強い衝撃を受けていた。

 彼女を殺したものを生み出したのは他の誰でもない自分なのだ、という事実に。

 一度非日常と決別したつもりだったが、それでも憧憬は残り、再び積み重なっていたのだろう。

 全く愚かしい。


「せ、先生。それ、デリカシーがないですよ」


 先程までより多少落ち着いた様子の己刃が光輝を諌めるように言った。


「ん? ああ……そうだな、すまない」


 気まずそうに頭を下げる光輝。

 彼は純粋にパウロの補足をしようとしただけだろう。

 思えば、彼の授業は細かい部分まで詳しく丁寧に説明してくれるので分かり易かった。

 きっとそういう性格なのだ。


「い、いえ……続けて下さい」


 何にせよ、事実は事実として受け止めなければならない。

 それに今は話の続き、千影を生き返らせることができるかもしれない可能性について聞きたい。

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