第19話 水やり

 夏休みまっただ中、あげはは学校へやって来た。今日は部活もないようで蝉の声だけがグラウンドに響いている。夏休みが始まる時に借りた本を読み終わってしまったので、図書室に返却し、読書感想文のために別の本を借りようと思って来たのだ。

「あれ?お水、誰もあげてへんのちゃうん?」

あげはは昇降口の脇から続く花壇の花に目をやった。2年生クラスで一人3日ずつ、花壇とプランターの水やり当番が割り当てられていて、朝のこの時間は誰かがホースで水を撒いている筈だった。あげはがプランターを覗き込むと草花が項垂れている。うわ、かわいそうになってる…。


 あげはは持参した本を一旦靴箱の中に放り込み、昇降口の脇からホースリールを持ち出した。あげはの当番は2日後からだったが仕方ない。

「喉乾いたやろ、ごめんな、誰かが忘れてて」

あげはは一人独ちながら、花壇の日日草やヒマワリ、キバナコスモスなどにシャワーを浴びせる。続いてプランターの草花にも水をやろうとして気が付いた。花壇の草花より弱ってる感じがする。確かにプランターの方が熱射の影響を受けやすく思える。あげははプランターの土を触ってみた。

「やっぱり、土まであっちっちになってるわ。ここはあかんな」

 周囲を見回すと昇降口の屋根の下は陰になる。よし、あっちへ持って行ってあげよう。あげははプランターを抱えようとした。

「あかん、重い。曲がってしまうわ」

已む無くプランターを引きずる。Tシャツも土だらけだ。プランターの端を持ってずるずると昇降口前まで移動させた。プランターは数個ある。一つ移動させるだけでもあげはにとっては重労働だった。


「ごめんなー、ウチがもっと力持ちですっすと歩けたら、こんな目に遭わさんでも良かったんやけど」

汗を拭きながら、あげはは息をついた。プランターを移動させた跡にはこぼれた土が道を作っている。今度は校舎に入り、あげはは箒を持ってきた。零れた土を掃いて集め、プランターに撒く。顔を真っ赤にして、全身を汗まみれにしてあげはは働いた。


 校庭に1台の軽自動車が入ってきた。軽自動車は昇降口の向こうで停まり、ドアが開いた。

「沢井さーん、どうしたの?」

車から降りてきたのは丹波先生だった。あげはが振り向く。

「あーせんせ。水やり誰かがサボってお花カラカラやったから、お水あげてたんですけど、プランターの子たち、しんどそうやったから日陰に移してたんです」

「あらー、それはご苦労様。大変だったでしょ」

「はいー、ウチ上手いことプランターよう運ばんかったんで、土たくさん零してしもて、それ戻してる所です」

「うわ、有難うね。当番じゃないんでしょ?」

「はい。図書室に本返しに来ただけなんですけど」

「そっか。えーと今日は誰だろ」

丹波先生は肩掛けバックをゴソゴソしている。

「多分、昨日もお水あげてへんのと違いますか。土、カチカチでした」

「そっかー、えーと、村上君だな、昨日から明日までは。その次が沢井さんだね」

「あー、あいつか。ええカッコばっかりして、肝腎のこと出来へん奴やな」

あげはは辛辣に言った。

「言われても仕方ないよね。じゃ、先生も手伝うから」

「はい、すみません。でももう終わりです。あとちょっと掃いたら箒片付けますんで大丈夫です」

「そーお?ごめんねえ」

「いいえ、ごめんはお花に言うたげんと」


 そう言うとあげははまた箒をぎこちなく使って、零れた土を塵取りに集め、プランターに戻した。


 翌朝、あげははまた学校にやって来た。大樹が水やりしているのか心配だったのだ。

「あれー、またさぼっとる」

あげはは溜息つくと、またホースリールを引っ張り出す。昨日動かしたプランターにもたっぷりお水を撒く。撒き終るまで、大樹は遂に姿を見せなかった。


 その次の日はあげはが水やり当番だった。あげはは千夏に聞いて、栄養剤のアンプルを持参していた。一通り花壇とプランターに水を撒き、花殻を摘んで、そしてプランターの前にしゃがみ込む。栄養剤の口を捻って、順番にプランターに挿してゆく。草花は幾分持ち直した気がするが、まだ項垂れている子がいる。

「今日はご馳走持ってきたで。これ飲んで元気になりや。折角きれいなお花やねんから、ウチ羨ましいわ」

全てのプランターにアンプルを挿すと、あげはは立ち上がった。花壇もプランターもすっきり小奇麗になっている。よっしゃ、これで頑張れるやろ。あげはが手をはたいて腰を伸ばした時、後ろで声がした。


「沢井さん!」


腰に手を当てたまま、あげはが振り返る。おっと。はずみにあげはよろけた。危ない!あげはに手を差し伸べて支えたのは大樹だった。


「ごめん!ほんっとにごめん!先生から電話かかってきて、沢井さんが代わりにやってくれたって聞いて、俺、家族旅行でいなかったんだ。すっかり当番忘れてて。ホントにごめん」


 大樹はあげはの前で手を合わせて頭を下げた。


「ごめんはお花に言うたげて。死にそうやったんはお花やから」

「あ、ああ」


 大樹は慌てて花壇とプランターにも手を合わせた。あげははくすっと笑った。


「なんや、お墓参りみたい」

「そりゃないだろ。誠心誠意だよ。あー、でもプランター動かしてくれたの?」

「うん、日向にずっとおるとあっちっちになってしもて、可哀想やったから」

「沢井さんが持って運んだの?」


あげははちょっとはにかんだ。


「ううん、ウチそんな力ないし、持ってもよろけるから引きずって行って、せやから土たくさん零してしもて」

「へえ?きれいだけど」

「みんな掃いたもん。プランターに土、戻してあげんと土少ないとあかんやろ?」


『あかんやろ』… 


 恥ずかしげに言うあげはを大樹は見つめた。沢井って全然イタくないじゃん。普通じゃん。いや、普通以上じゃん。一人で重いプランターを引きずって運ぶあげはが、大樹のまぶたに浮かんだ。何回も引っ張って運んだんだ。足、悪いのに、それは大変だったろう。女の子だからさぞ重かったろう…。


「ほんならウチ帰るわ。読書感想文まだ書いてへんねん」

「あ、ちょっと待って」


慌てて大樹があげはの腕をつかんだ。


「ごめん、そこで買っただけなんだけど、これ、飲んで」


大樹が取り出したのは、ペットボトルのジュース。柑橘フレッシュと書いてある。大樹はあげはの手にペットボトルを押し付けた。


「うわー、冷たい、気持ちええ。ありがと。ウチ、柑橘系大好きやねん」

そっかー、それは良かった。本当に良かった。大樹はちょっと泣きそうになった。


「あげはだから、シトラス好きなんだよ、きっと」

「シトラス? あー、カッコええなあ。さすがはええカッコしいのムラカミや」


 そう言って微笑むと、『ほんならねー』と言ってあげはは歩き出した。肩が揺れている。それでも着実に前に進む。今日会えて良かった。大樹はあげはの姿が見えなくなるまで、じっと昇降口に立ち尽くした。


 夏の午前の風に、ヒマワリも肩を揺らしていた。

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