第16話 ゴールド

 ヘレナは通りすがりにCatsを眺める。あ、『Open』のプレートが掛かっていないのは初めてや。あの時は香苗さんに言われるがままに頷いたヘレナだったが、いざ、この状態を目の当たりにすると腰が引けてしまう。せやけど、このまんまやったら何も解決せぇへん。ヘレナは目を瞑ってCatsのドアを開けた。


♪ チョリーン


「いらっしゃい、ヘレナちゃん。待ってたよ」


 香苗さんが微笑んでカウンター席を勧める。いっぱしの大人になったみたいだ。俯いているヘレナの前に、すぐに例のジュースが出てきた。

「バイト代、先に置いたよ。シャニー! 今日はヘレナちゃんが来てくれたよ!」

「ナーォ」

 ヘレナは近寄って来たシャニーのお腹をそうっと撫でた。あげはが楽しみにしているという赤ちゃん。元気に生まれるんやで。何匹いるんやろ。シャニーは益々甘えてヘレナの足元に寄り掛かる。姿を消していた香苗さんがホールに入って来た。

「ヘレナちゃん、ちょっと手伝ってー。これカウンターに置きたいのよ」


 香苗さんが運んで来たのは、丸いプランターに植わった笹。

「えーっと、カウンターの上に載せるんですか?」

「ううん、それじゃちょっと高いから、床に置くのよ」

香苗さんはカウンターの中に入ると、今度は丸い受皿を持って来て、床に置く。

「この上に載せてくれる?」

ヘレナが笹の木を置いていると、香苗さんはトレイをカウンターに置いた。

「もしかして、七夕?」

「正解!お店に来た人が願事を書いて結べるようにするのよ」

トレイには糸のついた短冊とペンが入っている。

「第1号でヘレナちゃん、書いてみる?」

「はい…」


 ヘレナは短冊を1枚取るとペンを持って宙を睨んだ。どうしよ。あげはと喋れるように?いや、あげはとか書いてるのをあげはが見つけたら大変になる。ナーォ、またシャニーが足元にやって来た。そうや、シャニーの赤ちゃん。


 ”May the kitten bring her the swallowtail wings.”


 子ネコちゃんが、何て言うたかな、カスカベ?ちゃう、ガスダイ?、そうや、カスガイ。難しい日本語や言うてた。あげはとあたしのカスガイになったらええのに…。ヘレナは無記名でサラサラっと書くと、短冊を笹の枝に結んだ。


 翌日のCatsのプレートは『Open』。今度は店内で、あげはが短冊と睨めっこしている。真摯な願事から調子のよい願事まで、既に笹には10枚以上の短冊がぶら下げられていた。頭が沸騰気味のあげはは、立ち上がって何気にそれらを眺める。

「うわっ、英語で書いてんのがある!きれい過ぎてサインみたいで読まれへん!」

勿論ヘレナの願いだとは気づかない。それで閃いたのか、あげははおもむろにペンを取って素早く願い事を書くとさっさと笹に結んだ。カウンターの中から香苗さんが見ている。

「あげはちゃん、何書いたの?お願い事」

「ヒミツでーす」

「ヒミツなの?」

「はい、アホちゃうかって思われるから、恥ずかしいし」

「へーぇ、何だろ。そう言われると見たくなっちゃうな」

「あきませんよー。いくら香苗さんでもあかんものはあかんです」


 ”きれいな羽が生えますように  あげは”


あげはの短冊は器用に二つ折りになって結ばれていた。



 中学生たちが期末テストで四苦八苦している頃、シャニーは1匹の子ネコを産んだ。あげははテストが終わったその日にCatsへ寄って対面した。


「うわー、ちっちゃい!きれいな色ー」

「でしょ。模様がないのはちょっと珍しいかもなんだ」

「なんか寝てるーって言う顔してる」

「やっと目が開いた所なんだけど、まだ見えてないのよ」

「へえ?」

「シャニーがお世話しないと生きてけないのね」

「そっか」

「あげはちゃんもきっとそうだったのよ」

「えー、覚えてへん。あー、香苗さんこの子の名前は?」

「まだよ。キティちゃんって呼んでんだけど、なんかいい名前ある?」

「うーん」


 あげはは思った。金色の毛並みの子ネコ。クラスのヘレナとそっくりや。せやけど…あげはは唯から聞いた話を思い出す。なんやねん、ヘレナ。あげは自身はヘレナがあげはに気があるなんて思っても見なかったから、それに女の子に好意を抱かれるなんてちょっとショックだった。だいたいウチは男の子にもそんな気持ち持ったことないのに、女の子相手ってそんなん、あかんのちゃうん。だからヘレナにあの反応だったのだが、証拠は?って考えると出て来ない。


 あげはの中のモヤモヤはヘレナに聞かない事には消化できないことも解っていた。ま、仮にそうやとしても、ヘレナかていつまでも足も性格も悪いウチなんかに興味は持たんやろ。あの子の方がよっぽどモテるし。だって、あんな綺麗な髪にきれいな目してるんやもん。あーあ。せやから、あんたにヘレナってつける訳にいかへんわ。ここは素直に『ゴールド』やな。金さんって縁起も良さげやし。


「香苗さん、『ゴールド』は?」

「ゴールド?」

「うん。きれいな金髪やし」

「悪くないね。じゃゴールドにしよう」

「やった!」

 あげははシャニーのおっぱいにくっついて離れないゴールドの背中をそっと触ってみる。柔らかいなあ。お陽様の下やったらきれいに輝くやろなあ。ウチが名づけ親のあげはやで、よろしくね。


 ヘレナがゴールドに触れたのはそれから数日たってからだった。『Open』のプレートが毎日掛かっていたからだ。入るにはまだ躊躇いはあるが、この前も入ってしまえば結構楽しかった。ヘレナはまた目を瞑ってドアを開けた。


♪ チョリーン


「お。ヘレナちゃんやっと登場だね」

「はい、すいません。あ…」

 床のもふもふマットの上に、シャニーにくっついている子ネコがいた。

「生まれたんですか?」

「そうよ。もう2週間だけどね。ゴールドって言う名前なの。あげはちゃんがつけたの」

「ゴールド?」

「うん、毛並みがほら、金色でしょ。あれ、ヘレナちゃんと似てるなあ」


 そう言いながらカウンターから出てきた香苗さんは、シャニーのお腹からそっとゴールドを抱き上げる。

ほら!そーっと受け取ったヘレナはゴールドの毛並みに見入った。あ!


 願い、叶うかも知れへん…。ほんまに二人のカスガイになるかもしれへん。ヘレナは細い指でゴールドのおでこをそっと撫でた。だって、この子、あたしが小っちゃい頃にお伴にしたかった『金色のちっちゃいネコ』、Golden kittenやねんもん。

 ゴールドは小さな頭をヘレナに向けた。ようやく見開いたゴールドの目は、ヘレナと同じグリーン。ヘレナとゴールドはしばし見つめ合った。

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