Libido's toy

悠Q五月

第1話 『痒いところに手が届く』

【───√A−1】


 神奈川。鞠ヶ崎市と呼ばれる地帯で、あるひとつの噂が飛び交っていた。


 黒服に身を包んだ、謎の大人たちが現れた────と。


 というのも所謂都市伝説のようなもので、その真意はわからない。

 曰く、出会うなり命を奪われる。

 曰く、現れれば辺りの時間が止まってしまう。

 曰く、曰く、曰く。無数の噂が飛び交い、尾鰭がついて辺りに広がる。噂というのは代々そういうもので、〝面白いから〟こそ噂、都市伝説となる。人間という生き物は常に刺激を求めて生き、口々にするからこそ人生を彩るものである。

 しかし、そんな話題性も、一夜にして別のものに塗り替えられてしまうのだが。

 鞠ヶ崎市怪奇殺害事件。人間の身体能力では到底起こしようのない怪奇死体が街で発見された。

 頭部が粉砕し、辺りに脳髄を撒き散らした遺体や、あちこちに銃痕を残した遺体。まだまだ、挙げ始めればキリがない。どれも現代日本────法律で縛られた世界では起こり得るはずのない非日常である。

 ソレは話題を攫うには充分だった。故に、市立鞠ヶ崎高校2−A……否、その学校全体が、怪奇殺人の話題で持ちきりであった。


「ねえ、知ってる? 例の怪奇殺人」

「知ってる知ってる、北口のルビロードの辺りで見つかったやつでしょ? しかも道のど真ん中で」

「すげーよなあ、あの死体。SNSに写真回ってきてさ」


 ……と言った様子で。朝から放課後まで、ずっとこの話題がどこからともなく聞こえてくる始末である。

 そんな噂に、嫌気がさしている少年がひとり。

 教室の窓際、その一番後ろの席に座る、陽の光を反射する栗色の髪の毛が特徴的な少年。


 名を、ひじり 真人まさと


 この者が、この物語の────否、この物語の〝一片〟の主人公である。


 ◇◆◇


 人の生死を餌に盛り上がるのは気に入らない。

 確かに日常では起こりえない出来事だ。それを語らうというのは理解ができなくもないけど、それでも。俺が一番気にくわないのは、ソレを〝面白がって〟語ること。悲しむわけでもなく、ただ面白いから────そうあってほしいからと尾鰭を生やし、人の死を誇張する。

 その死の向こうには、悲しんだ人間が沢山いるだろうに。悲しんだ人間以上に、面白がってる人間がいるというのは……その、もやもやするから。


「真人」


 目の前から聞こえた、名前を呼ぶ声に思考が止まる。机の木目をひたすら眺めていた視線を上げてやると、何やら不安げな視線と絡み合った。


「……成海なるみ? なんだよ。どうかしたか?」

「どうかしたか、じゃなくてさ。……またすごい顔してた。ここの所、ずっとだよ」


 はて。思わず首を傾げながら自分の顔に触れてやるが、自分では変化に気づけない。

 ……幼馴染ということもあって、細かい変化に気付きやすいのかもしれない。なんて自分の中で答えを下したのと同時、更に成海は呆れたような声音を乗せて口を開いた。


「また例の噂のことでしょ」

「ば、バレた……?」

「バレバレ。真人、こういう話が上がる度にそんな顔してるもん。仕方ないけどさ、私も思うところが無いわけじゃないし」


 本当にコイツには隠し事ができない。ほんの少しの不調でもすぐに見抜かれて風邪薬やら差し出してくるし、酷い時は保健室まで連行されるほどだ。

 まあこれに限っては俺に限った話ではなく。普段から成海は周りをよく見ているということもあるけれど。


「そんな顔ばっかりしてると、幸せが逃げて行っちゃうんだからね。気をつけないと」

「んなことないさ。俺はね、みんなが笑顔で、美味い飯さえ食えてればソレで幸せなワケ。やっすい幸福抱えてる奴がそんな簡単に不幸になってたまりますかよ」

「はいはい、わかったわかった」


 すっかり慣れた様子で、俺の言葉を流してみせる成海。やや不服だが、これもいつもの流れだし甘んじて受けておく。

 数秒の沈黙があって、成海はスクールバックを肩にかけて。何やら、俺に疑問の念を込めた視線を向けてくる。何を伝えたいのだろうか、なんて小首を傾げていると、大きなため息を吐かれた。


「……ちょっと、真人。帰らないの?」

「えっ、」


 黒板の上の時計を確認してやる。気づかないうちに授業を全て消化し終えていたらしい。確かに辺りではクラスメートたちがチラホラと帰り支度を始めていて、この後どこに寄るか、なんて話を始めているところだった。


「……え、もう放課後かよ」

「えぇ……ぼうっとしすぎでしょ。もしかして、今日の授業全然聞いてなかったとかないよね?」


 図星である。朝からぬぼっとしていたもんで、授業の記憶はほとんどない。机の上にキチンと教科書を出せていたかすら曖昧だ。

 ……成海の咎めるような視線が痛い。


「……仕方ないなあ。今日テスト期間の内容やってたから、あとでノート写させてあげる」

「助かる……サンキュ、成海。神様仏様成海様」

「ただし、タダってワケにはいかないけど」


 まあ、そんなうまい話があるワケないし。覚悟はしていたことだが、成海が何やらニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべて机に身を乗り出すのを見ると、ほんの少し嫌な予感がしてくる。

 顔の距離が近い。そのままの勢いで成海は、


「放課後、私のストレス発散に付き合ってもらうから」

「………………うす」


 帰り支度を終えた俺の手を引っ掴むなり、半ば強引に俺のことを連行していくのだった。


 ◇◆◇


 鞠ヶ崎はホームタウンとしてはそこそこ有名である。

 海が近いこともあってか、冬はすこぶる寒くなることもなく、夏の暑さも落ち着いている。それに駅周辺まで行けばいろいろなものが揃っているし、電車一本で都心部まで迎えるのも魅力的だ。

 クラスメートに言わせてみればゲーセンが無いのがちょっとした難点らしいが、それこそ電車に七分ほど揺られれば解決してしまう。

 ということもあってか、放課後には駅前は学生たちでごった返す。学校で受けたストレスを発散するものたちが殆どだ。

 その方法は様々で、カラオケや買い物。ただブラつくだけの者も居れば、食べ物屋を巡る者も。成海の目的は前者二つだ。

 カラオケで一時間半近く歌い倒し、適当な店を巡って色々と買い物を済ませて。気がつけば、陽もすっかり沈みかけていた。


「いやあ、歌ったし買った買った。荷物持ちがいると助かるわ」

「そりゃよかった……」


 両手にぶら下げた紙袋やらビニール袋が重たくて仕方がないモノだが、ノートを見せてもらう手前文句は言えない。すっかり俺たちの中で上下関係が出来上がってしまっている。

 ……まあこうして、成海に世話をかけてもらってるお陰で色々と助かっているのも事実だし。ここは言葉を飲み込んでおくのが正解だろうか。

 鞠ヶ崎駅周辺で最後の買い物を済ませ、しばらく歩くと大きな『鞠ヶ崎中央公園』と呼ばれる場所が見えてくる。なにかの記念碑と木、芝生とちょっとしたステージしか無いほんの少し寂しい地帯だが、市民の憩いの場となっている場所だ。

 その機能は今日も健在で、少し公園内部に視線をやると、散歩しているご老人や走り回ってる小学生たちが見える。


「ショートカットしよっか。公園の中、斜めに行った方が早いでしょう」


 成海がそんな提案をしながら、中央公園へと足を向けた。付いて来い、とばかりに肩越しに視線を向けながら。

 そんな言葉に頷きながら成海の背中を追いかけると────ふと。俺たちを呼び止める声がする。


「……もし。そっち、行かない方がいいと思いますよ」


 落ち着いた声音。辺りの喧騒にかき消されそうなほど小さな声なのに、ヤケに目立って鼓膜を揺さぶるのが不気味だった。

 声の主は公園の入り口────そこに植え込まれた一本の木の周りを囲うようなブロックに腰かけ、人の良さそうな笑顔でこちらを眺めていた。

 イメージとして上がるのは、黒。そのひと言に限る。

 そう、全体的に黒い。歳は恐らく、二十代後半から三十歳程の男。そして見に纏っているのが黒いジャケット、ズボン、ワイシャツ。そこに白いネクタイを締め、黒いキャップをかぶっているものだから、俺がそういうイメージを受けるのも仕方がないだろう。

 黒い男の声は別に俺だけが聞こえているわけではないらしく、成海もその声に不審そうに眉を顰めながら。男に、眉と同様あまりよろしくない色を込めた視線を送っていた。


「まあまあ、そんな顔をせずとも。決して僕は怪しい存在ではありません」

「見るからに怪しいんですけど……公園に何があるんです?」


 ほんの少し先を歩いていた成海が、ゆっくりと俺の方へと歩み寄ってくる。そのまま俺の背後に隠れる辺り、警戒心が隠しきれていない。

 そんな様子を見ても黒い男は別段機嫌を損ねることもなく、同じようにニコニコと笑うだけ。


「いいえ、それは教えられません。決まりですから」

「決まりって、なんの」

「────────」


 俺の問いにも応えてくれない。笑顔と沈黙を返すだけ。

 明らかに不審なやりとりだが、俺たち以外の通行人がこの男を気にすらしていないのが、更に怪しさを際立てている。……気味の悪い話だ。春になると湧き出る不審者、なんて済ませるには些か不気味すぎる。


「……いいよ、真人。気にすることないって。行こ?」

「あ、ああ」


 またもや手を引っ張られる形で、今度こそ公園に向かっていく。それっきり黒い男は言葉を発することなく、笑顔で俺たちを見送るだけだった。

 いったい公園に何があるのか。そんな疑問を胸に抱いた、途端。


「────なに、あれ」


 足が、止まる。

 否。止まらざるを得なかった。あまりにも膨大な情報量と、殴りつけるような非日常に。

 公園に足を踏み入れた途端、雰囲気がガラリと変色した。

 鼻腔を突くのは生臭さ。視界に映るのは赤、赤、赤。地面に転がる無数の人形。

 ……いや、現実から目を逸らすのは良くない。人形なんかじゃない。死体だ。頭が無残に潰れたモノ、上半身が消し飛んだモノ、四肢が跡形も無いモノ────その様子は様々だが、全てに共通して、恐怖の表情を浮かべているのがわかる。頭の形が残っていて視認できるものに限った話ではあるが。

 その数、六体。六人分の死体の中心に、ひとりの少女の影がある。

 夕陽を受けながら佇む少女。俺たちと同じ学校の制服を身に纏っているはずなのに、受けるイメージが全く違う。

 それもそのはず。あちこちに返り血を浴びて、ここまで様変わりしていれば、思考が〝同じものだ〟と判断するのを拒む理由もわかるというもの。

 俺も成海も、言葉を発することすら許されない。痛いだけの沈黙が続き、逃げるという選択肢が脳内に浮かんだ瞬間。五時を知らせる『夕焼け小焼け』のチャイムが、あたりに鳴り響いた。


「────っ!」


 それに驚いたのか肩を跳ねさせる成海。途端に足が無意識のうちに地面へ引きずられる形で後退し、その音に反応した地獄を生み出している少女の視線がこちらへ向いた。


「……ぁ、れ? まだ、居たんですね」


 逃走の二文字はこの瞬間に掻き消された。背後に視線をやると、どういうわけか俺たちは公園入り口付近ではなく、公園の中央部に居る。

 きっと、足を踏み入れた瞬間から、ずっとそこに。あまりにも目の前の光景が異常すぎて、そちらに意識を持っていかれすぎたんだろう。


 ────どうする。


 思考を回せ。回さなければ、俺も成海も足元に転がっている連中の仲間入りを果たしてしまう。

 成海の手を取る。同時に返り血を浴びた少女の手には、この地獄を生み出したものであろう凶器が握られた。


「────けん玉?」


 そう。そうとしか表現しようがない。

 小さい頃によく遊んだおもちゃ。ハンマーのような見た目の本体から、夕陽を反射して輝く鎖が伸びて、その先に球体がつながっている。

 しかしそのけん玉からは、決して目を逸らせない異彩が放たれていた。


 大きい。明らかに、大きさが普通のけん玉と違う。


 手のひらサイズと形容するには些か大きすぎる。少女の腕一本分はあろう〝けん〟部分と、その二倍近くの大きさ、太さを誇る大皿と小皿。鎖で繋がれた球体なんて、俺の腕でも抱えきれるかわからない。


 それを、少女は、


「────殺さなきゃ」


 なんの不自由もなく、なんの躊躇いもなく、振るった。

 勢いよく〝けん〟を振り上げるなり、その力に従うように鎖が宙を舞う。同時に球体が浮かび上がり、俺たち二人に影を落とした。


 ────動け、動け。動かないと、殺される。


 成海を押し倒す形で地面に転がり込む。そのすぐ近くを轟音が風を裂き、辺りの地面が破裂音を響かせ砕け散った。

 耳鳴りがひどい。視界を覆う砂煙が鬱陶しい。生存をかけた思考を邪魔して、鬱陶しくて仕方がない。

 この場ではきっと、一瞬の余所見が、一瞬の油断が命取りになる。常に情報を収集して、なんとか成海と逃げることを優先しなくちゃいけない。

 回りすぎた思考が熱を持つ。とりあえず腰が抜けた成海を無理矢理立ち上がらせて、さらに先へと突き飛ばす。抱え込むのが効果的かもしれないが、それでは『どちらかが生き残る』という可能性が消えてしまう。抱え込んだところに球体が襲いかかれば、二人して呆気なく死と直面するだろう。


「真人!!!!」


 結果から言えば、その判断は正解であった。

 砂煙を裂き、眼前に迫る球体。大きすぎるほどの死の暴力が、俺に迫ってくる。

 なんとなく、俺の思考は『ああ、俺はここで死ぬんだな』なんて冷静な判断を下して。その全てを投げ出した。


 別にここで死ぬならそれでいい。ただ、ひとつ心残りがあるとすれば。


『貴方は、正しいことをする人になりなさい』


 唯一記憶に残る両親の言葉。俺の名前に込められた真の意味。

 それを、果たしてこなせていたのか。両親の期待に応えていられたのか。それだけが、心残りだった。


 ────いや。答えは、否だ。


 俺はまだ何も成せていない。俺は誰も救えていないじゃないか。

 こんなところで死んでいいのか? 何も残さず、何も得ず、誰も救えず、無残に死んでいいわけがない。

 このまま俺が死ねば、次は成海が死ぬことなんてわかりきってるじゃないか。


 俺に、誰かを救える力があれば────!!


「有言実行────【痒いところに手が届く】といったところでしょうか」


 瞬間、辺りの時間が停止する。

 目前に迫った球体が音も立てずに静止し、宙を舞う砂煙が辺りにとどまる。

 今この場に存在する音は、必要以上に上がった俺の心音と呼吸。それから、こっちに歩み寄ってくるひとつの足音だった。


「誰かを救う力があれば。まだ死にたくない……そんな願いを、叶えに来ました」


 その足音の主は、ついさっき公園の入り口で会った怪しい黒服の男。顔に貼り付けた笑顔も健全で、俺の顔を覗き込んでくる。ついでとばかりに目の前の球体を撫でながら。


「ちゃんと警告したのに……大人の言うことは、しっかり聞いて守るべきだと思いません?」

「……ちゃんと、じゃないだろ。何があるか応えてすらくれなかった」

「それはまあ。素直に話したところで、信じてくれやしなかったでしょう?」


 俺は何も応えない。それを肯定と受け取ったのか、男はなおも言葉を続ける。


「でも、ここまでの非日常が連続すれば、僕の言うことを信じざるを得ない」


 言い終えて、男は大げさな動きで両腕を広げて。そのまま俺の周りをくるりと半回転した。

 まるで俺のこの先の運命を楽しんでいるように。口元には、趣味の悪い笑みが浮かんでいる。

 酷く、快感に歪んだ笑みが。そして、


「君が選べる選択肢は二つ。ひとつは、このまま無残に死ぬか。そして、もうひとつは────」


 問いが、投げられる。


「────僕の手を取り、戦うことを選ぶか。さて、どちらが正解なんでしょうね」


 俺の運命を、大きく変える問いが。

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