後編

 麦茶のボトルを空にして落ち着いたあと、難波さんに一声かけてあずま屋を離れた。目当てのキャラクターを取りに頂上展望台へ行くつもりだったけど、ちょっと遠回りをして名所になっている神社仏閣をぶらついていた。苔むした日陰を歩いていると、冷気で頭がすっきりしてきた。そして、地に足をつけているのに浮かび上がるような、変な感覚がするのに気づく。空を飛んでるみたいなワクワク感もあれば、元いた場所に戻れなくなるような不安もあった。

 いつもは使わない頭を久々にひねって、その違和感について順番に考えてみる。


 中学、高校は人生を学ぶところ。そう教えられて、テストの点数にもそこまで厳しくはなかった親には感謝してる。僕はあの高校で必要とされていた。いじられるのは立派な役割で、少なからずみんなを愉快にして、クラスを元気にした。そう、みんなで笑い合っている時間は確かに輝いていたし、仲の悪くなった友達もいない。

 けれど、卒業式を終えたときの心境は「やっと落ち着いた」だった。僕はそれを、高校生活をやりきった達成感だと思っていた。

 ……だけど、何だったんだろうって思う。場を盛り上げてはみんなが楽しそうなのを確認して、また次の波を待つ。そんな毎日が、急にちゃっちく思えてきてしまった。ひとりの人と話してここまで楽しかったのは、そしてゆったりと時間を過ごせたのはこれが初めて。僕を揺さぶるのには充分すぎる体験だった。

 それでも僕は、三年間を棒に振ったなんて考えたくなかった。


 頭の中がまとまらないまま、頂上展望台に近いところまで来てしまった。視界の先に、画像検索で見たまんまの風景が広がる────岩肌がむき出しで、断崖絶壁がのぞき込めることでおなじみの撮影スポットだ。高度条件をクリアしたらしく、ポケットのスマホがぶるっと振動した。


『此処ではない何処かを求め、いざ!』


 よし、とりあえずキャラクターは回収するだけした。八重歯山という地名からそのまんま取って、八重衛門というらしい。キャラ説明には「ずっと同じ場所に留まっていられない」とあった。たしかに、声を張り上げてせっかちな奴だ。


『よくここまで来たな。しかし、此処での修行はもう十二分じゃ。儂はもうさっさと次に往くぞ』


 もういいから、と思ってスマホの画面をロックした。急かされているようで、なんだかばつの悪い気分になってしまった。


◆  ◆  ◆


 頂上展望台を後にしてあずま屋まで下ってくると、難波さんはもうお弁当を済ませて、風呂敷を結んでいたところだった。そういえば、絵はどうなっているだろうか。声をかける前にちょっと階段を往復して、キャンバスをのぞいてきた。風景はだいたい描き終わっていて、後は高速道路やトンネル、高架線なんかを付け足すだけだろう。

────すごい、あっという間にほぼ完成だ。


「すごい、あれ、もう描き終わったの?」

「いやいや、あれで終わっちゃだめでしょ。やっと半分ってところよ」


 前言撤回、わかってなかった。だって、素人からするとこのままでも充分うまい。まるでいろんな時空から引っ張ってきたような、少しずつ雰囲気の違う青色がちらし寿司のように散りばめられて……いや、なにかに例えようとするのはやめとこう。僕じゃセンスがなさすぎる。

 気を取り直して、僕もちょっと遅めの昼ごはんにしよう。朝は親父にまかない飯の残りをがっつり食わされたから、お昼はパンを何個かかじるだけでいい。

 話し込んでちょっと慣れたからといっても、女の子の隣に座りに行くにはまだちょっと勇気がいる。だから最大限の涼しい顔をしながら「日陰だと思ったよりも涼しいね」なんて言いながら席につくのだ。


「風があるからでしょうね。それで、なんかゲットできたの?」

「こいつこいつ」すかさずスマホを出して、頂上で手に入れた“八重衛門”のステータス画面を見せる。

『此処ではない何処かを求め、いざ!』また同じ台詞だ。僕と同じで落ち着きがない。

 難波さんからは「わりと好きな絵かも」という答えが返ってきて、それだけだった。


「ここではない何処かか……」


 時間差でそうつぶやいて、ため息ひとつ吐く。予備校のことか進路のことか、難波さんが思い悩むことは多そうだ。

「ハタノくんさ」

 ちょうどパンを口に入れたところでタイミングが悪く、もぐもぐしながら首を縦に振る。

「卒業して自由になったとかって、思う?」

「自由っていう感じじゃないかな。これから何すんのかな、っていう気持ち」

「とくに決めてないの?」

「うん。このままなんとなく店の手伝いして、そのまま過ごしていくのかなって思うけど」

「いいじゃん、居酒屋。継げる仕事があるってうらやましい」

「退屈だよ」

「高校のときの方がよかった?」

 その質問には、すぐに答えられなかった。

 難波さんはそれから、高校時代のことをいろいろと聞いてきた。はじめは、部活や文化祭準備の話をした。だけど、ジャージがすり切れてた理由を聞いてきたあたりで、難波さんが何を気にしているのかわかってきた。

「難波さん、もしかしてだけど……」

 いつになく真剣な顔で、次の言葉を待つ難波さん。

「僕がいじられるの、本気で心配してた?」

「心配っていうか、自分が何されてたかほんとにわかんないの……?」

 そこまで取り乱す理由がわからない。僕からすれば当たり前のことだった。

「そりゃ、知ってるとも。でもああいうノリだから」

「明らかに度を越してたでしょ」

 そこからしばらくは「大丈夫だって」「明らかに大丈夫じゃなかった」そんな押し問答をひたすら続けた。僕がいじられてきた事は、僕の唯一の実績でもある。それを簡単には否定されたくなかった。

「しつこくしてごめん。けど、自分のこと大事にしてない感じがして」

「心配しないで、もう昔のことだからさ」


 難波さんはそれから、絵を完成させにその場を離れた。去りがけの横顔はなんだか不思議と寂しそうで、あんなに気にかけてくれてたのに、結局安心させてあげられなかった。

────後から後から、なぜか僕のほうがどんどん寂しくなってくる。まるで、かくれんぼで意気揚々と隠れたのに、誰も探しにきてくれないみたいで。

 暇だからって理由をつけて、難波さんの後を追いかけてみたら、ワイヤレスヘッドホンをつけてひたすら絵に集中していた。僕だったら、それを外してでも話に付き合ってたのかな。


◆  ◆  ◆


「え、ずっとここ居たの……?」

 引き返してからしばらく時間を共にしていたゲーム機は充電が切れそうで、電源ランプが赤く点滅していた。

「八重衛門をゲーム機に移して、新しいパーティを試してたんだ。前より強くなったよ」

 降りてくるまで待っていたとは、さすがに言いづらかった。べつに何ひとつ嘘じゃないし。

「私もう片付けちゃうけど、ハタノくんはどうすんの」

「うーん、とりあえず手伝うよ」

 完成した絵を一目みたいという理由もあったけど、上に行ってみたらスケッチブックは閉じてあった。デニム生地のリュックに小物をしまい込んで、スケッチブックをおろして、イーゼルを閉じて、折りたたみ椅子を畳んだ。

「できた絵、後で見てもいい?」

「スケブしまっちゃったから、帰りのロープウェーでね」


 それから、頂上駅に戻るまではすぐだった。元きた道もわかるし、人気も昼よりずっと少ない。それにしても行きはあんなにワクワクしていたのが、もう終わりだなんて。いつか見た小難しそうな映画で、時間は伸び縮みするものだとか言ってたけど、確かに加速してるような気がする。

「難波さんも旅とかするの?」

「いや、自分から行こうとかは思わない。写生なんて高校のとき以来だし」

「どうしてまたやろうと思ったの?」

「なんていうか、現実逃避。たかだか写生大会の賞をもらって喜んでた自分に帰ってるだけ」

 旅好きだと答えてくれれば、いろんな所を教えられたんだけど。難波さんの心境は複雑だった。だったら逆に、僕が絵を好きになればいいかもって思った。そうだ、これを機に新しい趣味をはじめるのもアリじゃないか。

 帰りのロープウェーに乗り込むと、難波さんがスケッチブックを引っ張り出してくれた。西日が邪魔して少し見にくいけど、それは描きかけのときとはまるで別物だった。手前の山と奥の山、空と海とで色がくっきり分かれてる。リアルなのに絵本みたいで、まるで…………

────ダメだ、出てこない。いい絵だって目でみてわかっても、自分にセンスがなさすぎて良さを伝えられない。難波さんにわざわざ見せてもらったのに、気の利いた感想が言えない。


「い、いろんな青があって、いいよね……」

「好きなんだっけ、青」

 めちゃくちゃな感想でも、本心を言おうと思った。だって、難波さんは相変わらず正面から受け止めてくれる。

「うん……ずっと見てたい」

 でも、ずっとは無理なんだ。この時間もそろそろ終わってしまう。せっかく手に入れかけたものを手放してしまうような気がして、なにかに置いていかれるような気がして、どんどん焦りが出てくる。

 僕はスケッチブックをじっと見つめたまま考える。ここで難波さんとさよならしたら、それっきり。クラスが違うってことはメッセンジャーもグループ違いってことだから、後から連絡する手段もない。

「ハタノくん?」

 そうだ、頼み込んで絵を教えてもらうってのはどうだろうか。あきらめるもんか、センスが身につくまで頑張るんだ。もしかしたら、これが僕の創作とのはじめての出会いかもしれない。仲良くしたいから共通の趣味が欲しいだけだって? 望むところだ。どっちかである必要なんてないし、どっちもいただきだ。


────さあ、なんか言えよ!


「大丈夫?」

 緊張して固まっているところで顔をのぞき込まれて、胸がこらえきれなくなった。

「難波さん、僕に教えてくれない? その……もし時間があったらだけど……」

 僕は突撃を決めた。

「教えるって?」

「話が長くなるけど、今日がきっかけで……僕も絵をやってみたいって思ったんだ。今まではとてもじゃないけど無理な世界だって思ってた、だから……その……」

 難波さんは途中からずっとうつむき加減でいる。結論を先のばしにして、きっとまだちゃんと伝えられてないんだ。

 思ってることを率直に言えばきっと伝わる。もうひと声だ。

「僕は景色も好きだし、これがやりたい事だってわかったんだ。今日みたいにまたどこかで写経するのでもいいし、どこかまたいい場所を探して……」

「ごめん、やめとく」


 きっぱり。

 胸のなかでめちゃくちゃに絡まっていた緊張の糸が一目散にほぐれて、それからどんどん心が冷やされていくのがわかった。

「悪いけど、今はそういう余裕なくて」

 難波さんは額に指を当ててうつむく。すごく考えて次の言葉を選んでいるのがわかる。それか、もううんざりしてしまっているか。

 僕の気持ちはすっかり負けていて、あとは怒られるのを待つだけだった。

「それもあるし、ひとに合わせて新しい趣味をはじめなくても……」

「違う、わかったんだ。ほら、自分のこと大事にしてないって言ったでしょ? 自分に正直になって、やりたいことをやればいいって思ったんだ」

 もしかしたら、もしかしたらと永遠にしがみつこうとする僕を、ゴンドラの天井からもう一人の自分が見ているようだった。


──だったら私から降りて。


 はじめに会ったときみたいな、あのじろりとした横目をこっちに向けてそう言った。

 すっかり気力を使い果たしてしまった僕は、降参して難波さんにスケッチブックを畳んで返した。難波さんはそれをまた広げて、自分の作品をもう一度見つめなおす。それは、自分の気持ちをもういちど確かめているように見えた。


「青春なんて、あるかないかも曖昧なものでさ」

 気まずい時間が永久に続くと思ってたけど、先に持ち直したのは向こうだった。人はイライラすると早口になるけど、難波さんはテンポも声色にも狂いがない。まるでさっきまでの話が帳消しになったみたいで、僕は拍子抜けした。

 正直なぶん、きっと考えもまとまっているんだろうと思う。

「追いかければ追いかけるほど、今がイヤになるだけなの」

 それが難波さんの優しさだと気づくまで、ほんの少し時間がかかった。


「青春……青い春がだめなら、青い夏もそうなのかな」

 ふと気になって、ぽつりと聞いてみた。

「青もいいけど、ほかの色も気にしてみたら」

 青って、一体なんなんだろう。そりゃ、なにって聞かれたらただの色なんだけど────考えてみれば、空や海の青さがそのまま友情や恋愛に結びついてるわけでもない。晴れていれば一年中空は青いままだけど、夏だけがどこか違うのはなぜだろう。

 僕らはそれからふもとに着くまで、色についてあれこれ話しこんだ。青だけじゃなくて、それに近い緑や、白や、黒や、お互いの服の色のことも。結論らしい結論は何も出なかったけど、どれも見かたによってはきれいなものだと知って、青へのこだわりが少しずつやわらいでいった。

 ロープウェーを降りるころには一山超えたような気持ちがして、自然と「ありがとう」の言葉がでてきた。僕はもちろんだけど、難波さんだって嫌ってはいない。けれど、お互いの未来のことを想って一期一会を選ぶことを。

「あの、もし誤解があったら悪いけど……今日は楽しかったよ。ふってるとかそういう事じゃなくて、受け止められない私が悪いだけだから」

 難波さんの中でも迷いがある。別れる直前なのに彼女の気持ちをもっと知ってしまってフクザツな気持ちになった。きっと、嘘がつけないんだ。きっと、お互いにくっつくにはまだ早いんだ。いずれにしても、今日という日がとても楽しい時間だったのは間違いないのだから。

 難波さん、今日はほんとうにお世話になりました──現実に巻き戻ったあとの僕は、変にかしこまった気持ちでいた。


 ゴンドラを降りる瞬間、振り返って空っぽになったシートを見つめる。もちろん誰もいないけれど、オレンジ色の西日に照らされて一枚の絵のようだった。

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Summer Edge, Into The Ridge 嶋幸夫 @Caffeine_Drive

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