6.死へと誘う歌

 それは、魂の叫びだった。

 彼らには魂と呼べるものがないというのに、それでも彼らに魂があるように感じさせられた。

 先程の女の歌と比べることすら躊躇われる。規模が違う。物差しが違う。圧倒的なその迫力に、思わず息を飲んでしまう。

 ソプラノ、アルト、テナー、ベース。全ての声が混ざり合い、溶け合い、融和し、一つの音楽となっていた。

 周囲はこの美しく素晴らしい合唱団の声が聞こえていないのか、誰も窓を開けたり近寄ってこようとしたりする人影はない。

 彼らの歌には、固有結界を瞬時に張る魔術も組み込まれているのかもしれない。

 ノエは、そんなことを考える余裕がありながらも、既に彼らの歌にされていた。

 頭蓋骨が震える。脳が震える。身体が、肌が、眼球が震える。魂も、もびりびりと震えている。

 ノエは瞬時に瞑想メディテーションで意識を集中させようとしたが、間に合わなかった。

 完全に身体を動かす権利は、この場を制圧しているホムンクルスの合唱団に奪われてしまっている。


「ま、ず……」


 声帯を震わせて声を出すことすら、今のノエには苦しい。

 身体は思い通りには出来ず、指が勝手にぶるぶると動き始める。その手は、先程彼らが落とした剣を手繰り寄せ、握ろうとしていた。

 勝手に動き出した彼女の手を、慌ててベディが押さえつける。


「ノエ!」

「ベディ……っ」


 この歌が充満する結界の中で、ベディだけは平常と変わらぬまま、血相を変えてノエを見つめていた。


「ご、めん……。上手く、から、だが、動かなくて……っ。きみは、無事、みたい、だね…っ」

「は、はい。……この、彼らの歌が原因ですよね?でも、何故私は無事で……」


 ベディの当惑に、ノエも頷く。

 歌に阻害され上手く働かない思考の中、ノエは奥歯を噛み締めながら懸命に考え、考えられる可能性を口にした。


「君のは、……擬似、経路……だから」


 人形師から常に魔力を受け取らなければ動かない魔術経路であるからこそ、この歌の効力が低いのではないか、とノエは考えた。

 実証も実験結果も何もない、ただの推論でしかないが、この場において考えられることだった。


「恐らく……っ。これ、で、もし、かしたら、被害者の、魔術経路、を操って、し、心臓を……、取って」


 ノエは、言葉を区切りながら懸命にベディに伝える。それと同時に、この状況いついても頭を巡らせていた。

 恐らく、そもそもこの歌は。ホムンクルス二人を殺しているお陰で、辛うじてノエは指を動かしたり会話したりが出来ているのだろう。

 もし彼ら二人がまだ生きていて、このような状況に追い込まれたとしたら。

 もし魔術や異形、奇妙な現象などに耐性を持たぬ人間が、この歌を浴びたとしたら。

 耐性のある魔術師ですら、このざまである。

 耐性のない人間であれば、ひとたまりもないだろう。彼らの歌に身体を縛られ、放られた剣を取り、心臓を突き刺して取り出すなど、きっと造作もない。

 それほどまでに、彼らの歌声まじゅつは強制力が強い。

 今のノエでは、魔術を使えない。

 だが、ベディは違う。


「ベディ」

「は、はいっ」

「自分の、手を、離して。君の、固有能力スキルを、使って。一掃しよ、う」

「ッで、ですが、私の固有能力スキルは対単体で、その間に貴方が自害してしまったら……」


 ノエが剣を振るわないのは、ベディがしっかりと押さえてくれているからだ。もし彼が手を離してしまったら、ノエの手は勢いよく動いて首を掻き切る恐れがある。他にも、ベディがホムンクルスを一掃している間に、身体の制御を押さえられなくなってしまうことも考えられる。

 ベディには、ふんぎりがつかなかった。


「そう、だね。だから、これは……、賭けだ。自分は、君に賭ける、けど……。君は?」


 ノエは、ベディへ笑いかける。

 そのアイスブルーの双眸は、初めて出会った時のような強い光をたたえて、ベディを真っ直ぐに見据えていた。

 ベディは瞼を閉じ、それから腹を決める。


「分かりました。……やってみせます」

「うん、それでこそ、ベディだよ」


 ベディはゆっくりと押さえつけていた手を離す。思いのほか力を込めてしまっていたようで、彼女の手首には薄っすらと痕が付いていた。

 その痛々しさに顔を顰めながら、すぐに立ち上がって黒革手袋を外して、路面に投げ置いた。そして、剣を機関義手マシーン・アームを嵌めた白銀の右腕へ持ち替え、上空に向かって突き上げる。

 彼の動作に合わせて、ノエの左手の甲に契約の烙印が浮かび上がり始める。

 一本の剣と、大きく羽根を広げた天使の両翼の烙印は、彼へ魔力を送る経路パスだ。

 そこから彼の身体に向かって流れゆく膨大な魔力を糧に、ベディの腕に、剣に、輝く光が纏い始めた。


 人形ドールは、ありとあらゆる魔術が扱えない。

 どれほど理念を、魔術式を、魔力を身に溜め込んでも、その手の先からは小さな炎すら灯らない。

 しかしその代わりか、創造主たる人形師は人形ドールにある力を付与した。

 それが、契約主から供給される魔力を用いて発動させる、固有能力スキルというものである。

 人形ドール最大の切り札にして、空前絶後の超絶技。奇跡の結晶そのもの。

 人形ドールの人造霊魂の元となった人物オリジナルの逸話に纏わるものを、固有能力スキルとして固定化し顕現させる。


 ベディの用いる固有能力スキルは、彼の魂の元となった人物のある逸話が主軸になっている。

 その者の槍一突きは、他の者の九突きに匹敵し。隻腕にも関わらず、同じ戦場で他の三人の騎士より早く敵を討った。

 大英帝国で最も有名といっても過言でない王に仕えた、忠節の騎士。


我が腕よ、勝利をもたらす剣と成れベドウィル・ベドリバント!」


 剣と腕の境目が分からなくなるまで光を帯びた瞬間、ベディは目の前に立つ男へ一気に距離を詰めた。そして、光る剣を彼に向けて一閃する。

 それだけで、男の首は吹き飛んで行った。

 その勢いのまま、ベディは蒸気用配管パイプを蹴って屋根へと駆け上がり、四人の男女をそれぞれ一振りで首を飛ばす。そして上から飛び降りて、背後にいた女をその光輝く剣で真っ二つに切り裂いた。

 それと同時に彼らが口にしていた歌の効力も消え、ノエの身体も自由となる。震える手で握っていた剣を零し、からりと静かな地面に音が鳴る。

 固有能力スキル使用の反動により、ベディはよろよろと身体をふらつかせた。


「ベディっ!」


 自由になったノエは、すぐに起き上がってベディの傍へ駆け寄る。


「腕は…っ」

「問題ありません。どこも壊れてません。…ノエは、魔力欠乏症を起こしてはいないようですね」

「さっき飲んでた魔法薬が効いてるからかも。……ベディ、我慢してない?」

「我慢してないです」


 きっぱりとそう言う彼に、ノエは小さく肩を竦めながら手を伸ばした。

 ベディの身体を支えようとするノエの手首にある痣を見て、ベディは僅かに顔を顰めた。

 ベディは剣を鞘に収め、ノエの痣のある手首をなぞった。


「すみません。貴方の手首に怪我を。私は貴方の従者であるというのに、主人たる貴方を傷つけてしまった」

「これくらい怪我の内に入らないよ。痛くないから、気にしないで。君の制御リミッターが利かなくなるくらい、自分のことを考えててくれたと思えば、嬉しいものだよ」


 ノエは気にした様子もなく、ひらひらと痣のある手を振って見せた。


「……すみません」

「謝らなくていいってば。……さてと。これから、どうしようか」


 ノエは、路地にぺたりと座り込み、これからのことに考えを巡らせる。

 時刻的にも巡回を切り上げても問題ない。そして、恐らく心臓泥棒ハート・スナッチャーの手先であるホムンクルスは殺している。今日の被害はもう無いだろう。ノエもベティも、随分消耗してしまっている。これ以上ここで行動し続けるのも非効率的だ。

 加えて、ノエも知らないような音楽を用いた魔術を向こうは使っている。


「こういうのは、アリスに聞いた方が早いかな。……あの人の鼻、伸びそうだけど」


 ノエの魔術知識は譲りのものが殆どで、専門的知識になると本で得たもののみだ。きちんと魔術学校に通っていたアリステラの方が、魔術に関してはずっと知識が深い。

 そんな考えに耽っているノエを、ベディはそっと抱き上げた。


「ッベディ!?」

「こんな場所で考えなくても良いのでは」


 彼の言う通り、ここはホムンクルスの死体が転がっている場所だ。

 彼女達が手を下したとはいえ、あまり長居すべきではないだろう。事情を知らぬ他の人間から見れば、ノエ達が大量殺人鬼に見えてしまうはずだ。

 加えて、精神衛生面を考えれば、あまり良い場所だとは言えない。


「……た、確かに、それに関しては君の言う通りかもしれないけど、でも、自分を抱える必要は」

「お疲れでしょう?」

「い、いやいや!それを言うなら君の方が疲れてるだろ。固有能力スキルを使ったし」

「いえ。貴方の身体的負担に比べれば、ずっと楽です。……このまま帰るので、問題ありませんか?」

「……こういう時の君は強情だからなぁ」


 ノエは観念したように身体から力を抜き、小さく頷いてベディの胸へ頭を預ける。

 ベディは大切な主人の身体を抱えたまま、ここへ来た時と同様に屋根へ上って、その上を足早に駆ける。

 ベディはぴょんぴょんと、屋根から屋根へ跳び移って行く。

 しばらくは上からの景色を眺めていたノエだが、徐々に疲れによる眠気が襲って来た。何とか睡魔を堪えていたが、それも敵わなくなってくる。

 ノエは、ゆっくりと目を閉じた。


「——我が愛しき主よ、どうか良い夢を」


 ベディは、腕の中で眠りの世界へ落ちた若き主人へ、柔らかく微笑んでそう言った。

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