5.襲撃者

 パイプをこんこんと器用に伝いながら、ノエは路面に降り立った。

 ウエストポーチに片手を乗せたまま、ノエは先程の男が視線を向けていた道へ走る。

 その先に居たのは、一人の女だった。

 目はぼんやりと虚ろで、男と同じく外套も纏っていない。薄青のシャツは黒く汚れており、肌も煤だらけである。だが、彼女は特に気にした様子もなく、首を左右に振っていて――ノエの方へ顔を向けた。

 その顔は、先程の男と瓜二つなほど、よく似通っていた。


「……君は、人間?」


 ノエの問いかけに、彼女は答えない。代わりに、腰に差していた剣を抜いた。


「……あまり、穏やかに話し合えそうにはないかな」


 ノエは小さく溜息を吐いて、それから指を軽やかに動かす。すると、全指十本全てに金色の光が宿る。光が宿ったと同時に、女は抜いた剣をノエへ振りかぶる。


Nent Filum糸を紡ごう!──Involutæ絡めて!」


 ノエが詠唱を行なったと同時に、彼女の指先に灯っていた光が黒い糸へと変貌する。それは鋼線ワイヤーのように硬く、しかし糸のように柔らかに波打つ。

 ノエが生んだ黒い糸は、女の刃を受け止めた。

 びりびりと、ノエの指に衝撃が伝わってくる。


「なかなか、力が強いね!」


 ノエは音色を奏でるように十指全てを動かす。それぞれが意志を持っているかのように動き出し、女の刃に絡みついた。

 魔術で生み出された物は、あくまでも実物の投影に過ぎない。その強度は、実物に比べると圧倒的に脆く、壊れやすい。だからこそ、造形魔術を戦闘に応用する人間は極めて少ない。

 魔術で生み出すよりも、実物を買って持つ方が、明らかに護身になるからだ。

 だがノエは、自由自在に硬度を変化させられる糸の造形魔術を用いる。

 確かに一本の糸では到底弱く脆いままだ。が、より合わせた十本の硬い糸であれば、そして、強化魔術によって糸を鋼鉄の強度に引き上げれば、ある程度の物を砕くことが出来る。

 ノエはぐっと拳を握り、思い切り両腕を左右に引いた。

 強靭なワイヤーは、見事刃を砕き、女の手から柄が零れ落ちる。


「君が心臓泥棒ハート・スナッチャーってわけではなさそうだけど、君の主人が心臓泥棒ハート・スナッチャーだったりするかな?……すまないけど、大人しく捕まってくれると、自分としても仕事が早く済んで楽になるんだけど」


 ノエがそう言っている間に、女は下に向けていた顔をノエの方へ向けた。

 そして、ぽかりと口を開けた。そんな行動にノエが眉を顰めていると、女の口の周囲に、環状の光が零れ始める。


「なに」


 ぽつりとノエが零した言葉は、女の口から零れた叫び声が掻き消した。


「————————————————ッ!」


 絶唱。絶叫。絶吠。叫び。叫び。叫び。叫び。

 頭蓋骨が、鼓膜が、肌が、全身が、震える。集中させていた意識にブレが生じ、ノエの指のワイヤーは消えてしまう。

 その叫び声に呼応するように、環状の光がぼこぼこと慌ただしく波打ち、風の弾丸となって射出される。


「ッ!」


 ノエは耳を押さえながら、跳び躱していく。だが、弾丸は止むことなく、断続的に次から次へと襲ってくる。

 風の弾丸を撃つという魔術そのものは、複雑な魔術ではない。銀符ぎんふ一枚で足りる程度のものだ。

 だが、ここまで詠唱呪文なしに連続して撃つことは不可能だ。加えて、ここまで大量に弾丸を撃てば、使用者の魔力が保たない。

 ノエは、風の魔術があらかじめ組み込まれた銀符を数枚投げつけ、いくつかの風の弾丸を相殺する。だが、それでも間に合わない。

 何とかブレていた意識を集中させ、黒い糸を編み出し、女の足元に放つ。片足にだけその糸を収束させ、そして足首をぎりぎりと締め上げる。

 ぶしゅっと女の皮膚が裂け、血が溢れる。皮膚の下の肉まで切断にかかる。

 魔術はイメージを基礎とする。痛みや不安感などに襲われ集中出来ないと、魔術は使えない。

 だが、女は痛みなど感じていないようで、また更に弾丸を撃ち込んでくる。

 黒い糸を解き、躱すだけの時間がなかった。間違いなく彼女の生む強烈な風は、ノエを吹き飛ばす。

 自身の骨が折れることを覚悟しながら、ノエは足の切断に意識を集約させる。


「──────ノエッ!」


 その時。

 上から、声が降って来た。

 ノエへ向かってきていた弾丸は斬り裂かれ、視界に居たはずの女は黒い外套の向こう側に隠れてしまう。切断された足首が飛ぶ様子が視界の端に映り、ノエの目的が達成できたことは理解できた。

 だが、飛んだのは足首だけではない。真っ赤な血飛沫も、同時に壁や路面に飛び散った。


「ノエ、大丈夫ですかっ?」

「ベディ」

「あぁ、頬に傷が……」


 ベディは剣に付いた血を振り払い、慌ててノエの頬を指先で撫でた。チリッとした痛みを感じ、そこでノエは頬に切り傷があることに気付いた。


「他にお怪我は…」

「大丈夫。君も、……特に怪我はなさそうだね。身体の調子は?」

「問題ありません。ただ、異様な叫び声に反応してここへ来たので、」


 ベディはそこで言葉を区切って立ち上がり、上から飛び降りて来た男の刃を受け止めて、地面へ振り落とす。男の身体は、斬られた女の上に落ちる。

 ノエを背に庇い、ベディは剣先を男へ向けた。


「……自分が動きを封じる。ベディ、その間に」

「……了解です」

「——Nent Filum糸を紡ごう。──Involutæ絡めて


 金色に輝くノエの指が、空中を軽やかに撫でる。

 光は再び黒い糸へと変わり、迫って来ていた男の腕と近くの蒸気用配管パイプとを結びつける。そして更に、もう片方の手から出した糸で剣を抑え込む。

 完全に男の身体の動きが抑えられた状態で、ベディは腹部から肩へと刃を滑らせた。

 勢いよく鮮血が噴き、開かれた傷から臓腑が溢れ、男は数瞬の間に絶命した。


 急に襲って来た軽い眩暈に身体をよろめかせ、ノエはその場に座り込んでしまう。


「ノエ!」

「大丈夫……。いつものだから」


 ベディが慌てて駆け寄って、ノエの肩を支える。


 ノエは、他の魔術師とは違い、魔素を体内に取り込んで魔力を回復することが出来ない障害を持っている。

 このため、大魔術や魔術を一度に複数展開するなどといったことをすると、魔力欠乏症をすぐに引き起こす。

 端的に言えば、頭痛や耳鳴り、経路への痛みや出血、酷いと意識を失ってしまうのだ。


 ノエはウエストポーチに手を伸ばし、応急処置用の魔法薬を取り出して口に含んだ。じわじわと身体に温かいものが広がり、頭痛がゆっくりと治まっていくのを感じながら、二つの死体を見やる。


「……彼らは一体何者なのでしょうか?痛みなど、まるで感じていないようでしたし」


 ベディは何度か手を握ったり開いたりを繰り返しながら、先程の男の太刀筋を思い出す。

 あまりにも真っ直ぐに、教わって来た型のまま彼は刃を振るっていた。剣の道を極めるといった点では優秀な腕前であったが、命のやり取りをする戦いの場においては赤子のようだ。ベディの敵ではない。


「……この子達は、ホムンクルスなのかもしれない」

「ホムンクルス、ですか」


 ノエはこくりと頷いた。

 ホムンクルスは、現代魔術師にとっては使い魔であり、魔術を行なうための触媒といえる。

 ホムンクルスの身体は、魔術師の身体の一部を用いて生み出されるため、魔術師とほぼ同じレベルの身体として生み落ちる。

 だがその身体には、魔術師が魔術経路の増幅改造や身体機能の削除・付加を施すので、身体の造りが似ていても能力値は桁違いに高くなる。

 つまり、通常の魔術師は魔力欠乏症を起こすことで制限リミットされているが、それがないために無茶苦茶な戦いが出来てしまうのだ。

 そもそもホムンクルスとは、身体の一部と日数さえかければ何度でも生み出せる、使い捨ての道具に過ぎない。だからこそ魔術師は、人体が耐えきれるかどうかのギリギリの改造を施し、自らのために彼らを用いるのだ。


「このホムンクルス達を使ってる魔術師が、心臓泥棒ハート・スナッチャーだろうね。主の命令がない限り、彼らは自発的に動かないから」

「では、この近くに?」

「いや、どうだろう。いない可能性の方が高いと思う。ホムンクルスは人形ドールとは違って、魔力供給がなくても動けるから」


 ホムンクルスは、あくまでも身体の仕組みだけでは魔術師と同格だ。大気中の魔素を魔力に変換し、身体を動かすことが出来る。

 一方、人形ドールは、契約をした魔術師からの永続的な供給がなければ、休眠状態スリープモードに陥ってしまう。ホムンクルスに比べ、主人マスターへの依存度がとても高いのだ。


「とりあえずは地道に姿をさが、」

「来ましたね」


 立ち上がろうとしたノエの視界に、先程の男と瓜二つの顔をした男が立っていた。


「ノエ、後ろも、上もです」


 ベディはノエに耳打ちし、彼女の背後に立つ女と屋根の上に立っている四人の男女の姿を確認する。年の若さによる顔の違いはあれど、どの顔もそっくりであった。これがホムンクルス最大の特徴である。

 生成に身体の一部を要するため、遺伝子情報が創造主の遺伝子と類似する。故に、創造主たる魔術師の顔立ちとそっくりになるのだ。

 顔の似た人間に囲まれるという、異様な光景だ。

 全員が同じタイミングで剣を持っている腕を空へ掲げると、手にしていた剣を

 自ら武器を手放すという行為に、ベティは目を丸くして、ノエは魔術の為に意識を集中し始めていた。だが、遅かった。

 先程の女と同じように。全員がぽかりと口を開け、その口の周囲に金環が生まれる。


「ッまず」


 そして、六人は一斉に声を発した。

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