終 章 後幕
***
C級フレイク杯から、三日が経過した。
「華瑠~、このスープちょっと味付け薄いよ? このまんまでいいの?」
華瑠の一瞬の隙を突き、無許可で味見をスープのしていたルティカに対し、華瑠は慌てた声を出した。
「チョット! ルーちゃん、まだ食べちゃ駄目ヨ!」
「いいじゃない、ちょっと味見よ、味見」
すぐさま駆け込んできた華瑠は、ルティカが開けていたスープの鍋の蓋を閉じて、駄目ヨ駄目ヨと怒っている。
「ねぇ華瑠~、おっちゃんは?」
「シショーは、庭で薪割ってるはずヨ?」
「そうなの? ちょっと覗いてこよ」
「駄目ヨ! ルーちゃん今日はおめかししてるじゃないヨ。大人しくしてるネ」
「はいはい、分かりましたよ」
ぼやきながら椅子に腰かけたルティカは、今日はいつも着ているオーバーオールでは無く、真っ白なワンピースに身を包んでいる。普段は雑に纏めているだけの金髪には、しっかりと櫛を通した上に水晶の髪留めを付けている。おまけに華瑠の手によって、ほんのり薄化粧までしている。
今日はセオクク厩舎で、アレツの世界戦二連覇と、ルティカ達のフレイク杯優勝記念の、合同パーティーを行うのだ。
「ああ、それにしても、おっちゃんのあの拳骨、いつにも増して痛かったなぁ」
ルティカは頭をさすりながらぼやく。
フレイク杯の直後、控え室へと戻ってきたルティカに対し、ジラザはまず一発拳骨を喰らわせた。不意の強烈な痛みに悶えるルティカの手を掴み、力の限り強く引き寄せ、内臓が飛び出る程の勢いで抱きしめた。
「よかったな、よかったなこの野郎!」
ジラザの泣き笑いが、控え室中に響き渡った。
「それだけ、シショーも心配してたのヨ」
先程までルティカが味見をしていたスープに軽く塩を加えながら、華瑠はそう笑った。
そこへ、玄関のドアがノックされる。
「アレツさんだ!」
ルティカは椅子を蹴るように立ち上がると、身軽な足取りで玄関へと向かい、ドアを開ける前にササッと髪を整えた後、いつもよりも少し高い声で、
「どうぞ」
と呟いた。
ガチャリとノブが周り、ドアが開いた先には、小綺麗なスーツを着たベートと、レベが立っていた。
「何だ、あんたか~」
「何だとは何だ! わざわざ来てやったんだぞ!」
「坊っちゃま、そんな言い方はいけませんよ」
レベに窘められ、ベートは渋々と言った態度で口を動かした。
「本日は、お招き頂きまして、誠に、ありがとうございます」
殆ど棒読みのような言い方ではあったが、ルティカはその言葉を額面通りにだけ受け取る事にした。
「コチラコソ、本日ハお越シ頂キマシテ、アリガトウゴザイマス」
ベート以上の棒読みで、まるで機械が喋っているかのように、ルティカは返礼の言葉を述べる。
「何だその言い方は! 折角来てやったんだぞ!」
「あんたと同じ言い方しただけでしょ!」
「そんな変な言い方してない!」
「してたわよ! これでもかってくらい、変な言い方で!」
「ルティカ、落ち着け」
「坊っちゃま、いけませんよ。今日はパーティーなんですから」
睨み合う鴻鵠士達を、お互いの鴻鵠達が後ろから窘める。パーティー、と言う単語に反応したのか、二人の鴻鵠士はそこで言葉を噤んだ。
「バラクアさん、本日は、ありがとうございます」
「いえ、レベさんこそ、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、中へ」
人間達の頭上で、鴻鵠達の挨拶が交わされる。
バラクアがやけに丁寧にレベを案内する様子を見て、ルティカはしたり顔でニヤニヤと笑った。さっきまでいがみ合っていたベートに、ひそひそと囁きかける。
「ねぇ、バラクアの様子、な~んかおかしくない? レベさんに恋しちゃってるんじゃないの?」
「レベに恋? お前の鴻鵠が?」
「そうよ、あんな馬鹿丁寧なバラクア見た事無いわよ。何か怪しいじゃない」
クスクスと鴻鵠達を眺めながら、恋の話題を振ってくるルティカの事を、ベートは暫しぼんやりとした目で見つめた後、軽くため息を吐いた。それからぶっきらぼうに、手に持っていた花束をルティカに向けて差し出した。
「ほら」
突然のベートの行為に、ルティカの顔が豆鉄砲を食らった鳩に酷似する。
「何よ、私に? どう言う風の吹き回しよ」
「レベの奴が、女性にお呼ばれしたのに、花の一つも手土産に無いのはいかん、とか言い出してな。まぁ、お前には勿体無いくらいだが、義理を欠くのもなんだしな。受け取れ」
「……その癪な言い方は気に入らないけど、まぁ、折角のレベさんの気遣いだしね。貰ってあげるわ」
ベートの手から受け取った花束は、暖色を基調とした明るい物だった。爽やかな香りがふわりと鼻腔を擽り、ルティカはにこやかに笑う。
「いい匂い。ありがとね、ベート」
いつもと装いも違う所為か、ルティカの微笑みに対し、図らずもベートは胸の内が僅かに高鳴るのを感じた。
その時、まるでベートのドキドキを吹き飛ばすのを狙ったかの様なタイミングで、鴻鵠の羽ばたく音が外から聞こえてきた。
「今度こそアレツさんかも!」
外へ飛び出していくルティカの後をベートも追いかけると、厩舎横の広く開けたスペースに、ミリビネに跨ったアレツがこちらへ向かって下降してくる姿が目に飛び込んできた。
「アレツさ……」
「うわぁ! 凄い! 本当にアレツさんだ!」
ルティカの声を完全にかき消す様に、ベートが歓喜に満ちた声を上げた。
ゆっくりとセオクク厩舎の前に着陸するミリビネの首元から、アレツは颯爽と飛び降りる。
「アレツさん。世界戦二連覇、改めておめでとうございます! 今日はお目にかかれて光栄です!」
「ちょっとベート! 何勝手にアレツさんに話しかけてるのよ!」
アレツの元へと一目散に駆け寄ったベートに、ルティカは文句を言うが、ベートの耳にはまるで入ってこない。
「ああ、君は、以前花束をくれた子だったね」
「はい、ベルキウツ=ベートと言います! アレツさんに憧れて、この世界に入りました!」
「そうだったのか。それは嬉しいな。実は僕も、この間のフレイク杯、見させて貰ってたんだたよ。惜しくも二位だったけど、とてもいいレースだったね。これからも頑張って」
「見て下さったんですか! ありがとうございます! 頑張ります!」
自然と差し出されるアレツの右手を、ベートは震える手で握り返した。
「アレツさん! 見て見て!」
ベートの思い出に永く残り続けるであろう感動のシーンに、ぶっかけるように水を差したルティカは、ベートの後ろからアレツに向かって大声で呼びかけた。アレツの視線がこちらへと向いたのを確認すると、両手を広げてくるりと回って見せた。スカートの裾がふわりと浮かび上がり、一周したのと同時にアレツに向けて、まるで不慣れな、はにかんだ笑顔を浮かべて見せる。
「やぁルティカちゃん、フレイク杯優勝おめでとう。見事だったね」
そう微笑むアレツに、ルティカはちょっとだけ口を尖らせて呟く。
「アレツさん、それもなんですけど、まずそれよりも先に、女の子に対して、言う事があるんじゃないんですか?」
ルティカは再びこれ見よがしに、くるりと回転しながらスカートを浮かせてみせる。ルティカの意図を読み取ったのか、アレツは湧き上がる苦笑を抑えながら、穏やかな表情のまま、彼女の意図に応えた。
「ああ、そうだね、ごめんごめん。その白いワンピース、よく似合ってるね。とっても可愛いよ」
憧れの世界チャンピオンよりご期待通りの御言葉を無事に頂戴したルティカは、喜色満面でアレツの手を引き、厩舎へ向けて引っ張った。ベートもその後に続き、三人で厩舎内へと向かう。
その三人を見送る様にその場に留まり、厩舎の入り口横に佇んだままのミリビネの背後から、強めの声量で
「よぅ、ミリビネ」
ジラザが声を掛けた。
その声にビクッと反応し、ミリビネはゆっくりと振り返った。
「おめぇ、何かまた一回りでかくなったんじゃねぇのか?」
「……オーナー、お久しぶりです」
肩に薪を担いだまま、ジラザが鼻で笑う。
「へっ、馬鹿野郎が。俺はもうお前のオーナーじゃねぇだろ? そんな畏まんなや」
「はい、すいません」
「こんな所に突っ立ってねぇで、お前も早く中に入れ」
「……ですがオーナー。アレツとは違い、私はここを裏切るように去った鴻鵠です。今更そんな……」
「いいから、さっさと入れってんだよ!」
声の圧は増したが、ジラザは先程よりも柔和な表情を浮かべた。
「本当に頭の固い奴だなおめぇは。俺はもう今更どうこう言うつもりもねぇし、お前に気ぃ遣われるとこっちも面倒くせぇじゃねぇかよ。それによ、今日はルティカ達と一緒に、お前達の祝賀パーティーでもあるんだぞ。主役の四分の一が、外で突っ立ってる訳にもいかねぇだろ。アレツの立場的にもな。解ったんなら、とっとと入って来い! 俺は今日はしこたま飲むんだからな! さっさとおっ始めてぇんだよ!」
豪快に笑いを飛ばすジラザの後ろを、未だ少しだけ申し訳無さそうに、ミリビネはついていった。
四角いテーブルの上には既に、華瑠の作った料理が所狭しと並んでいた。
「ルーちゃん、気をつけて食べるのヨ! 今日は白い服なんだからネ! 汚れたら大変ヨ!」
「分かってるわよ~。今日の華瑠ったら、おせっかいおばちゃんみたいね~」
「オバちゃん! オバちゃんは酷いネ! 華瑠オバちゃんじゃないヨー!!」
華瑠が泣きそうな声を出したので、ルティカは慌てて、
「あー、ごめんね華瑠。冗談よ、冗談」
と付け加えた。
まず人間達が各々の椅子に座りテーブルを囲む。そしてその横に、相棒の鴻鵠達が並んだ。
全員が揃った事を見計らうと、ジラザは待ってましたとばかりに威勢のいい声を出した。
「うっしゃ! 細けぇ事は面倒くせぇから省くぞ! じゃあ、アレツとルティカの勝利を祝って!」
「「「かんぱーい!!!」」」
パーティーの開始と共に、持ち上げたグラスを互いにぶつけ合う小気味良い音がそこかしこで響き渡る。そしてその音のバックには、ヒュルルルルと楽しげに嘶く鴻鵠達の鳴き声が重なり合う。
「……おい、ルティカ」
一通りの乾杯を済ませ、皆がグラスを置いてテーブルに戻ってすぐ、ベートはこっそりと、ルティカに囁いた。
「どうして今日、わざわざ僕とレベを呼んだんだ? 完全に部外者どころか、商売敵だろ」
あれだけ憎まれ口を叩き合い、お互いに良い感情を持っていないだろうと感じていたベートは、ずっと抱いていた当然の疑問をぶつけた。
ルティカは、何故そんな疑問を抱くのか解らない、と言うような、僅かに呆れた表情を浮かべた後、ベートに耳打ちを返した。
「だってあんた、アレツさんの大ファンじゃないのよ。だったら当然、アレツさんにお祝いの言葉言いたかったでしょ? だったらいい機会になるだろうし、呼んだげようかなって思ったのよ。別に、ただそんだけよ」
そうあっけらかんと語るルティカは、ベートの耳から口を離し、手元のグラスに注がれたオレンジジュースを一口飲むと、白い歯を見せて豪快に笑った。
「感謝しなさいよ」
器の大きさを見せ付けられたのは気に食わなかったが、先程アレツと交わす事の出来た握手と会話の重みが、ベートの心の奥深くを強く掴んだ。両方を天秤に乗せた時、断然勝ったのは、感謝の方であった。
「ああ、感謝してやるよ。だけど、これと勝負とは別問題だからな! 次のレースで戦う事になったとしても、今度こそ絶対に負けないからな!」
「はっ、望むところよ! また返り討ちにしてやるんだから」
そこでルティカとベートは、お互いのグラスをぶつけ合いながら、次回の健闘を称えあった。その様子を向かい側で密かに見ていたアレツは、その二人の姿が、かつて共に酒を酌み交わした自分とガイゼルの姿に重なり、思わず熱くなった目頭をそっと指で押さえたのであった。
その賑わいが僅かに届く程度の距離、厩舎から少し離れた場所に位置する、ルティカの母、テレアの墓前には、二人が初勝利を収めた際に頂戴した、フレイク杯のトロフィーがそっと添えられていた。
その時、ルーテジドの草原に、甲高い声が微かに響いた気がした。
どこかで鴻鵠が嘶いたか。
それとも、ただの空耳か。
晴れ渡る空へ抜ける様に一つ、甲高い声が響いたかと思えば、その音はすぐさま、草原を撫でる一陣の風に飛ばされて、遠く山の向こうへと消えていった。
遠く聞こえるは鴻鵠の声音 ーー異世界では巨大な鳥の首に跨りレースをするようです 泣村健汰 @nakimurarumikan
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