第三十六話 黒白、決意と共に邂逅す


 リーシュにより放たれるいくつもの氷槍。対する霧喰らいは根の壁を張り防御したかと思えば、守りを解き根を槍のように尖らせ強襲する。


 繰り出される槍衾やりぶすまの間を、リーシュは箒に走らせ間を縫うように避け続ける。そして僅かにでも隙ができれば、間髪いれずに氷槍を打ち込む。


「ヲヲヲ――――!」


 氷槍によって身体の一部が抉れても、霧喰らいは白霧はくむを喰らい再生しながら攻めの手を緩めない。


 霧喰らいは枯れ木の化け物である。ドラゴンのように脳も心臓も存在しない。さらに傷を負った次の瞬間には再生が始まっているとなると、倒す方法さえあるか怪しい。


 霧喰らいの攻防を見て、リーシュには魔法の才だけではなく戦いの才も備わっているとスクートは感じた。


 いくつもの死線を掻い潜ってきた歴戦の戦士であるスクートから見ても、目の前で繰り広げられている死闘は凄まじいものであった。


 少しでも反応が遅れれば串刺しは免れないであろう猛攻を、リーシュは見事にいなし反撃にさえ転じていた。


 死角からの不意打ちでさえ、彼女はものの見事にかわして見せる。人生の大半を深窓に閉じこもって過ごしてきたとは思えない、舌を巻くほどの戦闘の才覚。


 だがそれを持ってしても、スクートにはリーシュが劣勢に立たされているように見えてやまなかった。


「リーシュ……」


 本当にあの化け物を倒せるのか? 死も滅びも知らないと称される存在を、消耗しきっているはずのリーシュが?


 ここでおれが逃げたら、おそらくリーシュは死ぬ。今日まで生きてきて、悪い予感ほどよく当たるということは身に染みるほど理解している。


 「……おれの名は、なんだ?」 


 スクートは盾という意味がある。盾であるはずのおれを、リーシュは死に物狂いで助けようとしている。


 助けに来てなお、逃げろだと?


 盾が、守るべき主に守られるなど。


 そんな馬鹿な話が――――あっていいはずがない。


「スクート!? なぜ逃げないの!!?」


「ヲヲ……ヲヲ!!」


 悲鳴にも似たリーシュの叫びが響く中、霧喰らいは狙いをスクートに変え襲い掛かる。


 しなりうねる何本もの根の槍が、まるで騎兵隊の突撃のような迫力で迫り来る。だがスクートは下をうつむき動かない。


「スクート!? 逃げ――――」


「――――君はいつも自分勝手だ」


 スクートが大きく踏み込むと共に、いくつもの黒閃が嵐のように吹き荒れる。


 湧き上がる激情のままに振るわれる十字剣クレイモアは、槍を弾き、払い、そして斬り捨てる。


 黒き嵐が止んだとき、全ての槍は木片と化していた。


「気まぐれで、わがままで。だがそんな君におれは救われた。そんな君だからこそ、おれは生きたいと願えるようになった」


 十字剣を残心ざんしんしながら、スクートは思いのたけを包み隠さず語る。


「おれの名前はスクート・クロスフォード。主であるリーシュに仕える従者であり……盾だ」


 黒く沈んでいたはずのスクートの目には、迷いなき光がともっていた。


「こい、化け物。おれが相手になってやる!」


 霧喰らいに十字剣の切っ先を構え、スクートは決意と共に言い放つ。その立ち姿は、悪夢でドラゴンと対峙した竜狩りの英雄そのものであった。


 人の限界をゆうに超えた剣技、生気と気迫に満ちた顔。戦いの最中だというのに、リーシュはスクートの雄姿を食い入るように見張っていた。


「あれが本来のスクート、か」


 リーシュは呟く。そして確信を持って過去の自分に賛辞を送った。彼を従者にしたのは正解だったと。


「リーシュ! 死なずの化け物を殺すには、どうすればいい?」


 霧喰らいを睨みつけながら、スクートは上空に漂うリーシュに指示を仰ぐ。その声でようやくリーシュはふと我に返る。


「ミスティアに遺された記録に霧喰らいを倒したという前例はひとつもないわ。でもよく考えてみて、奴の名前は霧喰らい。喰える霧がなくなれば、身体の再生もできなくなるはずよ」


「つまり、斬って斬って斬りまくればいいのか」


「そういうことね。さあスクート、派手にいきましょう!」


 リーシュの掛け声と共に、スクートは霧喰らいに向かって斬りこんだ。リーシュも精神を集中させ、威力に長けた魔法の準備にうつる。


「ヲヲヲヲ――――!」


 根の猛攻と腕によるなぎ払いを避け、スクートは霧喰らいに肉薄すると下段からの斬撃を叩きこむ。


「固い。だがドラゴンの鱗よりは柔い」


 いわおのような樹皮の鎧に刻まれた鋭く深い傷跡。しかし痛みを知らぬ霧喰らいは、怯むことなく両腕を振り上げ叩きつける。


 凄まじい振動が足をすくわれるほどの地響きと化すなか、スクートとリーシュの視線が交差する。


 互いに目で物語り頷きあうと、重い十字剣を持ちながらスクートは軽々と避け背後に回りこむ。


「こっちだ化け物」


「ヲヲ――――!」


 振り向きざまに放たれる霧喰らいの力任せのなぎ払い。だがスクートはすでに腕が届かない位置まで走り去っていた。


「いまだリーシュ」


「上出来ね、スクート。背中ががら空きだわ」


 霧喰らいの意識は完全にスクートに向けられている。その大きな隙を白肌の魔女は見逃さない。


 箒に乗るリーシュが掲げる手の先には、螺旋らせん状の形をした巨大な氷塊が形成されていた。


「……氷塊よ。渦巻く螺旋となり――――」


 氷塊はリーシュの詠唱と共に回転しだす。その速さはみるみるうちに上昇していき、ついには周囲の空気を巻き込み暴風雨のようにうなりだす。


「我らが敵を貫き削れ!!」


 リーシュが手を振り下ろすのと同時、螺旋の氷塊は風をまといながら霧喰らいの腹に向かって射出された。


「グォヲヲヲ――――!?」


 霧喰らいに打ち込まれた螺旋は胴体に直撃してなお、勢いが弱まることはない。バキバキとひしゃげる重音が辺りいったいに響く中、削りに削り……螺旋はついに胴体を貫通し大地さえもえぐっていく。


 ようやく回転が止んだころには、霧喰らいはすっかり地面に縫い付けられてしまった。


「次はおれの出番だな」


 化け物が拘束が逃れようともがく中、スクートは意気揚々と駆け出す。


 束なり折り重なりあう黒閃は吹き荒れる嵐と化し、霧喰らいの巨体を支える強靭きょうじんな根を次々に切り刻んでいく。


 そして自身の足を破壊され体勢を崩した化け物は、身体を支えようと地面に向かって右手を伸ばす。


「悪いがもらっていくぞ」


 右腕の間接に目掛けて、スクートは気勢と共に渾身の力を込めて十字剣を振るう。霧喰らいの腕は岩のように固く、丸太のように太い。だが可動部であれば幾分か柔いだろうとスクートは洞察したのだ。


 彼の目論見どおり、霧喰らいの右腕は一撃をもって斬り飛ばされる。勢いに身を任せさらなる猛攻を叩き込むかと思えば、しかしスクートはそれ以上の追撃はせず、リーシュのいる方向へ走り出す。


「これでいいか?」


 スクートの問いに、リーシュは魔法を行使しながら黙って頷いた。


「欠片は刃に、粒は花びらに。――――爆ぜなさい!」


 リーシュの命を帯びた螺旋の氷塊は青白く光りだし、ひび割れが全身を走ったかと思うと……次の瞬間には粉々に爆散した。


「ヲヲ……ヲ」


 その威力は凄まじく、霧喰らいの下腹部を消し飛ばし、残った身体も氷片によって切り裂かれ見るも無残な姿へと変貌していた。


 高名な聖騎士といえど、いまのリーシュの魔法に匹敵する御術みわざを扱える者などスクートは見たことも聞いたこともなかった。


 あんなものを打ち込まれれば、たとえドラゴンとて一撃で無力化されるだろう。


「言葉は交わさずとも通じ合うものだな」


「つまり、考えることが似ているという訳ね」


「確かにな。互いのことを思って、勝手に良かれと行動するところなんかも似ているな」


「……そこは皮肉を言うところじゃないわ」


「皮肉を言ったつもりはないが……」


 舞い散る氷の粒が立ち込める中、リーシュとスクートがそんな他愛のない会話をしていると、漂う白霧が暴れ狂うように霧喰らいの身体に向かって流れ出す。


 もはや大口を開けて喰らうというより、全身で霧を吸収していた。


 このとき、ふたりはまだ知らなかった。霧喰らいという怪物は、まだ力の一端しか見せていないということを。

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