第二十七話 宣教師②


「そう身構えるな、マルグ・エストリア。私たちはお前を助けに来たのだ」


「……何者だ。神の信徒たる十字を身につけてはいるが、漂う血の臭いが濃すぎる」


 ライオネルと名乗った男は剣先を向けられ、少し残念そうに肩をすくめた。


「知らぬのも無理はない、我々は教会の暗部……。決して表舞台に出ることはない、人形マリオネットの奏者。血なまぐさいことからは切っても切れぬ関係なのでな」


「そんな日陰の住人が、おれを助けにきただと?」


「そうだ。私はずっとお前を見ていた。お前は自分が思っているよりはるかに、特別な存在なのだ」


 特別な存在――――。そう聞き返そうとしたスクートは、喉奥から突如として込み上がってきたものに耐え切れず大きく咳き込んだ。


 スクートの口を押さえた手の隙間を縫って、大量の血が漏れていく。十字剣を持つ右手は振るえ、青ざめた顔には死相が出ていた。


「ふむ、これはまずいな。死の淵を超えて限界までいってしまったか。こうなればよほど高位の御術みわざでもないと回復の見込みはない、となれば……」


 ぶつぶつと呟きながら、両腕を組んでライオネルは思案にふける。


「まあ、少し時期が早まったと考えるべきか。ガリアス」


 やがて思い立ったように顔をあげ、後方に控えている影の名を呼んだ。


「およびでしょうか」


 他の影たちを割って、ひとりの男が進み出る。


 銀十字の首飾りに、二本の剣を柄で繋ぎ合わせたかのような異形の武器。素顔こそフードに隠れてよく見えないが、まとう気配は選び抜かれた強者のそれであった。


「近くに寄れ。私のために尽くす機会をやろう」


 そしてライオネルは何かを耳打ちすると、ガリアスは大きく頷き、他の影形に向かって手で合図を示す。


 すると影たちは蜘蛛の子を散らすように散開した。


 ある者は道を風のように駆け、またある者は路地裏へするりと潜り込む。燃え盛る建物の屋根を飛び跳ねながら伝っていく者さえいた。


 そうして数瞬後には、ライオネルだけが残された。まるで始めから彼ひとりだけだったかのように。


「あ、あの……本当にマルグ様を助けていただけるのでしょうか?」


 再び歩みだしたライオネルに、事態を飲み込めない青年がおどおどしながら問いかける。


「安心したまえ、もちろんだ。私は嘘はかない、その聖騎士は助けよう。その聖騎士は、な」


 ライオネルが青年の横を通り過ぎた瞬間だった。突如として青年の首元から真っ赤な鮮血が舞い上がる。


「だがお前たちには消えてもらおう。残念だがこれも神の定めた運命、どうか受け入れて欲しい」


 何が起こったかも分からず、青年は首元を抑えながら倒れ込む。そして血だまりを作りながら数度痙攣すると、ついに動かなくなった。


 突然の凶行にスクートは勿論、リーシュでさえ呆気にとられた。


 いつ剣を抜いたか。スクートの動体視力を持ってしてもライオネルの抜剣を見ることができなかった。


 戦慄が脳裏をよぎる中、スクートはあることに気付く。ライオネルが鞘を身につけていないということを。青年の血で汚れた長剣は、とても外套の中に隠せる大きさではない。


 だが疑念は次の瞬間に、すでに弾け飛んでいた。命を賭して守った弱き者を、理不尽に奪われた怒りによって。


「貴様ぁ!! いったい何をしたか、わかっているのか!?」


「……ん? ああ、気にすることはない。命あるものは遅かれ早かれいずれ死ぬ。それが今日なのか百年後なのか、それぐらいの違いでしかない」


 自分でも信じがたいほどの怒声を放つスクート。それに対するライオネルの答えは、あまりに人間味に欠ける答えであった。


「今日この日、この街はドラゴンの襲撃によって一夜にして滅び去った。生還者は誰一人としておらず、だが聖騎士マルグ・エストリアは命を賭してドラゴンと相対し、そして刺し違えた……。少々雑だが、まあ筋書きはこんなものでよかろう」


「何をぶつぶつと。……まさか、貴様が部下に与えた命令は――――」


 生き残った民の皆殺しか。問われたライオネルは不気味に薄ら笑う。


「その通りだ、マルグ・エストリア。そして今日この日……お前は歴史の表舞台から消え、私の元で働いてもらう。竜血の毒をものともしないその特別な才能が、真に活かされる時が来た。街ひとつでお前が手に入るのならば、安いものだ」


「……さっきから貴様が何を言っているのか、何が目的なのか、おれには皆目見当もつかん。だが、ひとつだけ分かることがある」


 そこまで言うとスクートは残された力を振り絞り、大地を蹴って滑るように駆け出した。満身創痍の身体では、その一歩ごとが己の命を削る衝撃となる。


「是が非でも、貴様をここで殺さねばならないことを!」


 全身の穴という穴から血を流し、スクートはほんの一瞬でライオネルとの間合いを詰めた。


「おお、これは速い。死にかけの身でこれほどとは、やはり私の目に狂いはなかった」


 そして繰り出される上段からの振り下ろし。対するライオネルは軽く後ろへ飛びのくだけであった。


 それだけでは十字剣の間合いから逃れることはできない。余力の全てをつぎ込んだ一撃はライオネルの脳天に直撃し、そのままの勢いで身体を両断する。


「だが、まだ若い」


 ――――はずだった。


 十字剣は無残にも空を斬り、地面へと叩きつけられる。突如としてライオネルの姿は消えうせ、代わりに無数の光の粒子が残されていた。


「さあ、君を歓迎しよう」


 怖気おじけが走るほどの不気味なささやきが、スクートの背後からぬっと現れる。


 直後としてライオネルの手刀がスクートの頚椎けいついを襲い、ついに街を護った聖騎士は倒れた。


「永かった。あまりにも永かった。しかしようやくこれで、至高の素材を手に入れることができた。あとは極限まで鍛え上げ、世界をひとつにし……来るべき終末の日に備えなければ」


 感極まった呟きと共に、ライオネルは天へと白銀の剣を掲げる。すると地面に十字の文様が浮かび上がり、ライオネルとスクートの姿が光の粒子となり消え去った。


「悪夢の世界が、崩壊していく……」


 世界の景色が硝子ガラスのようにひび割れ、無数の欠片となりはがれ落ちていく。欠け落ちた空間にはすでに、次の世界の断片が見え隠れしている。


 目まぐるしく世界が移り変わりゆく光景に、リーシュはただただ息を飲む。


 これまでも十二分に悪夢であった。だが、悪夢はこれで終わりではない。


 次の世界こそが、きっと悪夢の深淵なのだから。

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