第十話 力の天秤


「……なるほどね。そこまで思い入れがあるのであれば、別に無理強いすることもないわ」


 まさかスクートと剣の間にかような過去があるとは、いったい誰が予想できようか。


 もう少し話を深堀りしたい好奇心はあるものの、さすがのリーシュも時と場合を選ばざる雰囲気に飲まれていた。


 かといっていつまでもどんよりした空気の中に身を置くのは、退屈を嫌うリーシュの望むことではない。


 彼女は少しばかり話題を変えることにした。


「神より授けられた鋼、言葉とは便利なものね。詭弁きべんろうすれば血を喰らうような呪物を、神聖だと吹聴できるなんて。魔法を模した御術もそう。神の力とやらが干渉するのかもしれないけど、どちらも元素マナを伝って事象を書き換えるのだから結局は同じことなのに。外の人々はまどろっこしいことが好きみたいね」


「魔法は邪なる術だと古くから教えられてきた。何千年前、あるいはそれよりも遥か昔からな。塗り固まった常識を疑うのは存外に難しい。おれだってつい最近まではそう思っていた」


「いまは?」


「少なくとも、魔法は常識通りの邪術ではないことは分かった」


 スクートは手にぐっと力を込めて拳を作った。手を開くと真っ黒な血はすでに止まりかけていた。


 慣れた手つきで傷に布を巻いていく最中、彼は再び口を開く。


「魔法はどこか暖かい」


「暖かい?」


 これまでの過去を振り返るようなスクートの一言。意味を計りかねたリーシュは首をひねる。


「ああ」


 スクートは立ち上がると、机に置いてある杯をあおった。


 水を入れてからしばらく経つが、氷が入っていないにも関わらず未だ冷たい。魔法により細工を施された杯は、魔力が尽きるまで中身を冷やし続けるのだ。


「この杯も、庭をうろつく人形もそうだ。この里では魔法は生活の一部となり溶け込んでいる。人は魔法という不可思議な存在を受け入れ、そして魔法は人を活かしている。だから、暖かいと言ったのだ」


 ミスティアは外界と遮断されているがゆえに、不便を強いられる。人も物資も豊富な都市とは何もかもが雲泥の差と言えよう。


 人の世で例えるのならば、はるか辺境の山奥で自給自足の生活をしているよりも、ずっと厳しい営みをミスティアは長きに渡って続けてきた。


 だからこそ魔法は膨大な不便の溝を埋めるべく、里の住民と共に生きてきた。


 物を運ぶにも、家を建てるにも、霧の天蓋てんがいが空を覆うなか作物を育て食事を作ることに至るまで。


 その全てに魔法の恩恵を受けているのだ。


「その言い方だと、御術とやらはそうじゃないみたいね」


 スクートは深く頷いた。


「御術は本来、災厄を打ち払う力であった。絶望を無作為に振りまく災厄より、弱き者たちを守る。それだけならば、なんと尊き力かと思えるものだ。だが時が流れゆくにつれ、御術の存在理由も同時に移り変わっていく」


 理想と現実の差に失望するかのように、苦々しい表情でスクートは頭を横に振った。


「いまとなっては、御術は戦いの道具に過ぎない。ミスティアのように生活に利用しようという考えなど、微塵もありはしない。神より授けられた大いなる力の大半は、本来の使い方ではなく敵兵の命を奪うことにしか使われないのだ。おれは……国同士の戦争でその有様を嫌というほどに見てきた。神聖なはずの御術は殺しに使われ、邪悪とさげすまされた魔法は人々の生活を支えている。なんとも皮肉なものだ」


「……そうかしら」


 同意を得られると思っていたスクートの耳朶じだを打ったのは、リーシュの意外な一言であった。


「力そのものに善も悪もないわ。天秤をどちらに傾けるかは、あくまで力の持ち主が決めること。使い方次第で魔法は人を殺める道具にもなるし、御術だって人々を助けることもできるはず。……ああ、もちろんスクートの過去には同情するけれどもね」


 生粋の魔女の矜持きょうじともとれる、力に対しての達観であった。まるで全知を極めし賢者のような物言いに矛盾はなく、確かに真理である。


 忌まわれ追われ、何千年も姿を隠していた魔法の伝承者だからこそ言えるのだろうか。妙にスクートの心の深奥に染み渡る一言であった。


 さらにリーシュは言葉を、こう継ぎ足した。


 あなたの黒い血がたとえ呪いのようなものだったとしても、それもまた力。きっと何かに活かせるはず、と。


「それは、おれを慰めているのか? であれば、いったい何に活かせる? 血の毒は触れる者を無作為に蝕む。倒すべき相手以外を巻き込み、おろか守るべきものさえも傷付けてしまう。使いようなどあるものか」


「欠点もまた長所よ。剣に血を塗って振り回せば、たとえ敵が多勢でも優位に立てるかもしれないわ。後は、そうね。何らかの手段を用いて血を蒸発させれば、毒の霧で辺り一面を制圧することだってできるかもしれない」


 なんのためらいもなくリーシュは淡々と、平気で恐ろしいことを口にした。


 スクートの背筋に冷たいものが流れる。だが同時に、ものの一瞬で毒血を活かす戦術を考え付いたリーシュの才に思わず舌を巻いた。


「お前は中々、恐ろしいことを口にするな。まあ……使いどきが来るかは分からないが、頭の片隅にでも置いておこう」


「ふふ、そうしてちょうだい。ああ、そうだ。もうひとつ、最も大事な長所があったわ」


 なんだと問うスクートに対して、リーシュは笑みを浮かべこう言ったのだ。


「わたしの退屈が紛れるということよ」


 やはり、こいつにはどうにも敵いそうにない。こうして共に過ごすうちは、煙に巻かれ続けるのだろうか。


 何もない小さな世界に迷い込んだと思っていたが、外の世界よりはずっと自由に生きれるかもしれない。


 ふとそんなことを思うスクートであった。


 退屈なはずの雨の日は、思いのほか有意義だったのかもしれない。


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