事故
笑った顔や、涙した顔。今まで色んな大路さんの表情を見てきたけれど、怒った姿なんて初めて見た。
大路さんは鋭い目で秋乃さん達を見つめ、激しい口調で言い放つ。
「君達はいったい何を考えているんだ! 気に入らないからって後輩をイジメて……そんな人がファンであることが、私は恥ずかしい!」
怒りと悲しみが入り混じった大路さんの悲痛な叫びが、空気を震わせる。
僕は信じてもらえて嬉しいはずなのに、ちっとも喜ぶ気にはなれなかった。どんな事情があるにせよ、自分のファンを名乗る人がしでかした許されない行為。その事が、大路さんを苦しめてしまっている。
秋乃さん達もそんな大路さんを見て、さすがに言い逃れする気がなくなったのか。小さくなりながら「ごめんなさい」と呟いた。
だけど、これで許してくれるほど、大路さんは甘くはなかった。小さく、だけどハッキリした強い声で、秋乃さん達に告げる。
「……三人とも、今度の公演には来ないでくれ。ちゃんとした気持ちで劇を楽しみにしている人達の邪魔になる」
「そんな。私達だってちゃんと……」
「ちゃんとしているなら、どうしてこんな邪魔をするような事をしたの? どうして真剣に頑張っている子を、傷つけるような真似をしたんだ⁉」
「―———ッ」
驚くほど冷たくて、それでいて切ない叫び。僕は被害に遭っておきながら、劇を見に来れない秋乃さん達のことを、少し可哀想だなんて思ってしまったけど。きっとこれは、大路さんなりのケジメなのだろう。
大路さんはそれ以上何も言わずに、彼女達に背を向けると。今度は僕達の方へと近づいてきて、勢い良く頭を下げた。
「ショタくん……それに雪子も。ゴメン、あの子達の暴走に、もっと早く気づいておかなきゃいけなかったのに」
「そんな、大路さんのせいじゃありませんよ」
「そうです。私達は別に、ねえ……」
僕も雪子先輩もそう言ったけど、それでも大路さんは自分を許せなかったらしい。
「いや、やっぱりこれは、私の責任でもあるから。雪子は、嫌がらせに遭って役を降りたのだろう。それにショタくんだって……。こんな事になっているのに気付きもしなかったなんて、本当に情けない」
「だから、もういいですって。幸い僕は、何事も無かった訳ですから」
「私だって、もう過ぎた事ですから」
今にも土下座しそうな勢いの大路さんを前に、僕達はどうしていいか分からずにオロオロするばかり。だけどそれを見かねたように、聖子ちゃんが割って入ってくる。
「はいはい、そこまで。満、もうその辺にしておいたら。この子達がもう良いって言ってるんだから、これ以上頭下げたって、かえって迷惑でしょ」
「いや、しかし……」
「それにね、アンタ達だって悪いわよ。翔太、前にアタシ言ったよね。何かあったら、アタシでも満にでもいいから相談しなさいって。雪子だってそう。ダメじゃない、そんな事を一人で抱え込んでちゃ」
それを言われると辛い。雪子先輩も同じことを思ったのか、シュンと小さくなってしまっている。
「言い難い事だって言うのは分かるけど、アタシ達だって全部察してあげられるわけじゃないの。だからね、頑張って話すくらいはしてみてよ。これからはもっと、相談しやすい雰囲気を、作っていくからさ。ねっ」
そう言って聖子ちゃんは、雪子先輩の頭を、そっと撫でる。
思えば僕は、皆に迷惑かけまいと思って黙っていたけれど、結果こんな大事になってしまって。
もしかしたら最初からちゃんと相談していれば、こうはならなかったかもしれない。自分一人の力でどうにかしようとしたのがそもそも間違いだったのかもって、今なら思う。
大路さんが駆けつけてくれた時の、慌ててドアを叩いていた様子や、僕の顔を見た時の安堵した表情を思い出す。きっと僕が思っている以上に、たくさん心配をかけてしまったのだろう。
「大路さん……聖子ちゃんも、ゴメン」
「分かればいいのよ。それはそうとアンタ達、今回の件は先生には黙っておくけど、もしも次同じ事をしたら、分かってるね」
「——ッ!」
聖子ちゃんに睨まれた三人は身を寄せ合って。逃げられるわけじゃないと分かっているだろうけど、それでも後ずさって。背後に積み重なっている椅子に背中を押し付けながら、身を震わせている。
こうなると、彼女達も哀れなものだ。
だけどこれだけ厳しく言っておけば、さすがにもう馬鹿な真似はしないだろう。この人達が大路さんのファンだと言うなら、これ以上嫌われたくはないだろうし。そう安堵したその時――。
「……えっ?」
秋乃さん達の背後、積む重なっていた椅子や机が、グラリと傾いた。
さっき僕が、抱えて振り回そうと、手をかけていたり。大路さんが壁ドンならぬ椅子ガチャをしていたり。それに加えて、今度は三人が後退しながらグラグラと揺らしていたものだから、すっかり安定性は悪くなっていて。
積み重なっていたその山が、大きく崩れてきた。近くにいた、秋乃さん目掛けて――
「――っ! 先輩、後ろ!」
「えっ――?」
思わず叫んだけど、もう遅い。
秋乃さん達も慌てて振り返ったけど、とっさのことで身動きが取れなくて……。積み上げられていたそれらが、一斉に崩れ落ちてくる。
マズイ! このままじゃ大変なことになる!
だけど逃げないといけないのに。秋乃さん達も僕も、全く反応することはできなかった。ただ……。
「危ない!」
鬼気迫る声が、教室に響く。
咄嗟の出来事に、誰もが動くことのできなかったこの状況でただ一人、大路さんだけが素早く反応して、秋乃さんの元へと駆けたのだ。
「大路さん⁉」
その時どんな動きをしていたかは、よくは分からなかった。
僕の横にいたはずの大路さんが床を蹴って、気が付いた時には秋乃さんを庇うように抱きしめていて。そしてその身体を、崩れてきた椅子や机が、容赦なく襲った。
「ーーーーッ!」
崩壊した机や椅子が、大路さんの体を打ち付けていく。
なんで……いったい今、何が起きているの?
今目の前で起きていることは、とても受け入れられるものじゃなかった。
とっさに身をよじらせた大路さんだったけど、その背中や肩を容赦なく襲っていく。
それはほんの数秒の出来事だったけど、僕にはそれがスローモーションのように見えた。
だけど不思議と一歩も動くことができなくて。頭の中では警鐘が鳴りっぱなしなのに、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
教室内に響いたのは、固い金属と床がぶつかり合う崩壊の音。
そしてその音が止んだ時、目の前にあったのは、さっきまでは積み上げられていた椅子や机が崩壊した姿と、秋乃さん達を庇ってうずくまっている大路さんだった。
……そう、うずくまって。じっと動かないままの大路さん。……そうだ、こうしちゃいられない。早く助けないと!
ここに来てようやく我に返った僕は、彼女の名前を大声で叫んだ。
「大路さん……大路さん、大丈夫ですか!」
ついそんな事を言ったけど、あれだけ激しく体を打ち付けられたのだから、大丈夫なはずがない。
にも関わらず、大路さんは屈めていた体をゆっくりと起こして。そして最初に心配したのは自身ではなくて、自らが庇った秋乃さんの方だった。
「……怪我は……無いかい?」
「は、はい……」
静かな声で、彼女達の無事を確認する大路さん。さっきまであんなに怒っていたのに、彼女はそれでもそれでも秋乃さんを庇ったのだ。
その甲斐あって、腕の中で守られた秋乃さんに、ケガをした様子はない。だけど、その代わり……。
「満! 人の心配よりも、まず自分の心配でしょうが!」
聖子ちゃんの悲鳴にも似た叫びが、教室内に響く。
そう、崩れてくる椅子の直撃を受けたのだから、無事なはずがない。僕も、それから雪子さんも、慌てて大路さんへと駆け寄る。
「大路さん、ケガは⁉ 頭は打っていませんか⁉」
「は、早く保健室に……ううん、病院に行った方がいいかも。ええと、イチイチキュウって、何番だったっけ?」
慌てた様子の雪子さんがおかしなことを言うけど、その場にいた誰も笑う余裕なんて無くて。代わりに大路さんが、精一杯の強がりを見せる。
「病院なんて大げさだから。大丈夫、大したことは無いから……」
こっちを振り向いて、無理やり笑ったような顔を見せてきて。
だけど顔色は悪くて。大丈夫じゃないのは、誰の目からも明らか。あんなに激しく打ち付けたのだから当然だけど、これじゃあ見ているこっちが辛くなる。
「そんなこと言ってる場合ですか! ちゃんと診てもらわないと!」
「ショタくん……そんな心配そうな顔をしないで。大丈夫、大丈夫だから……」
苦痛を必死に我慢する様子が、とても痛々しくて。見ているこっちの方が、頭の中が真っ白になってしまいそう。
何度も大丈夫と連呼する大路さんを、僕は呆然と見つめる事しかできなかった。
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