大路さんクッキング

 日曜日。グリ女の文化祭まで、後一週間に迫ったこの日、僕は大路さんの家を訪れていた。


 この前頼まれた、お菓子の作り方を教えてほしいと言う大路さんのお願い。

 文化祭まであまり時間が無くて、教える時間があるかどうか心配だったけど、本番前に少しはゆっくりした方がいいと言う聖子ちゃんの提案で、今日は演劇部の練習はお休み。今しかチャンスが無いと言う事で、こうしてやって来たと言うわけだけど。


 大路さんの家は、住宅街にある一軒家。

 教えられた住所を頼りに、家の前までやって来たはいいけど、初めてのお宅訪問と言うのは、やっぱり緊張する。

 僕は決して人見知りと言うわけじゃないけど、先輩の、しかも女子の家となると、やっぱりねえ。


 大路さんは気にしていないみたいだけどね。どこでお菓子を作るかって話になった時、それなら私の家に来ると良いって、躊躇なく提案してくれたっけ。

 僕だけ変に意識するのもおかしかったから言われた通り来たけれど、やっぱりあの人は少し無防備すぎる気がする。もっともそれは、僕の事を弟、もしくは妹みたいに思っているからなのかもしれないけど。


 心を許してくれているのは嬉しいけど、もうちょっとちゃんと男扱いしてくれてもいいのに。

 そんなことを考えながら、玄関のチャイムを鳴らすと、扉が開いて大路さんが顔を覗かせた。


「おはようショタくん。わざわざ来てもらって悪かったね。それで、その……このことは聖子や他の人には……」

「大丈夫です。友達の家に遊びに行くって言ってありますから」


 それを聞いた大路さんは、ホッと胸をなでおろす。正確には聖子ちゃんの友達なのだけど、僕の友達ともいえるから、嘘にはならないだろう。


 僕は案内されるがまま家の中に入って、リビングまで来たけど、人の気配は感じられない。

 ご家族は、どうしているのだろう?


「あの、大路さんの家族の方は……」

「ああ、父も母も、今日は出かけていてね。二人とも夜まで帰らない。だからショタ君と二人きり、邪魔をされる事なく作業に専念できると言うわけだ」


 にこやかな笑顔で説明してくれる大路さん。

……そうか、僕は両親不在の家に呼ばれてたのか。まあいいけどね、大路さんが僕に対して、そう言うのを気にしない人だって言うのは分かっていたし。


 それよりも本題は、お菓子作りだ。

 今日僕が教えるのは、電子レンジで作る事の出来るプリン。簡単に作れるレシピを知っていたし、大路さんが、「プリンなら川津君も、絶対に喜んでくれるはず」って乗り気だったから。

 川津先輩というよりは、大路さんがプリンを好きなんじゃって気もしたけど、そこは置いておこう。


 案内されてキッチンに行くと、さすが大路さん、すでに準備ができていて。流し台の上には、事前に伝えてあったプリン作りに必要な道具や材料が並べられていた。ただ……。


「あの、これって何人分あるんですか?」


 その材料は、どう見ても必要な量の5倍はあった。メールでレシピを送った際に、何がどれだけ必要かもちゃんと明記してたんだけどなあ。

 すると大路さんは、恥ずかしそうにしながら答える。


「ああ、実は一回で上手く出来る自信が無くてね。もしもの時に多めに用意しておいたんだけど……いけなかったかな?」

「いえ、そんな事ありません。本番で作る時も必要になるんですから、無駄にはならないでしょう」


 そう言ったけど、中には気になる物もある。例えば、ラベルが付いたままになっている泡だて器。これはどう見ても新品なんだけど。


「もしかして、道具も全部新しく買ったんですか?」

「家でお菓子を作るなんて、初めてだからね。もちろん母は料理するけど、うちでは泡だて器なんて、使う機会が無くてね」


 言ってくれたら、僕の家にあったのを持ってきたのに。材料も道具も、これだけ揃えたんじゃ費用も馬鹿にならないだろう。

 どう考えても市販のプリンを買うよりも高くつきそうだけど、これはお菓子作りあるあるだ。


「とにかく、まずは作っていきましょうか」


 とにかくそう言うわけで、大路さんのプリン作りが始まる。

 作るのはお鍋で火にかける必要の無い、電子レンジで作ることができる簡単レシピだ。


 卵を泡立てたり、数回に分けて牛乳を混ぜたりするのが少し面倒かもしれないけど、そんな面倒が無いと、わざわざ作る意味が無いと言うのが大路さんの意見。好きな人に食べてもらうんだから、少し頑張ってみたいと言う乙女心だろう。


 最初、他の子が作った物や市販のお菓子をプレゼントしようなんて言ってた人とは思えない、真っ当な考えで、僕は嬉しいよ。何だかそれだけで、涙が出そうなくらい感動してしまう。


「それじゃあレシピ通りに作っていくから、もしもおかしなところがあったら、遠慮なく言って」

「了解です。頑張ってください」


 今回作るのは、あくまで大路さんだ。

 僕は直接手を貸すことはなく、隣で見ながらアドバイスしたり、おかしな所があったら訂正したりすることになっていたんだけど……。


「へえー、卵を混ぜるのは早い……って、早すぎてボウルから飛び散っちゃってます!」

「ああ、力加減が分からなかった。すまない、君の顔が、卵の黄身で真っ黄色になってしまった」


 こんな風に、卵を混ぜたら大惨事になって。またある時は……。


「牛乳と卵を混ぜる時は数回に分けて。少しずつですよ」

「ええと、こうかな……あっ!」

「……全部入れちゃいましたか。次、頑張りましょう」


 結局この後、牛乳と卵を上手く混ぜることができるまで、何度か失敗した。更に……。


「熱っ⁉ ショタくん、レンジで温めていたプリンが大変な事に」

「大路さん、これ間違ってオーブン機能を使っちゃってますよ!」


 ……まあこんなわけで。やらせてみてすぐに痛感した。

 大路さんは前に言っていたように、確かに聖子ちゃんにも負けないくらい、料理には全く向かない人だった。

 軽い気持ちで引き受けてしまったけど、まさかここまで不器用だったなんて……。


「すまない。下手なせいでこんなにも迷惑をかけてしまって」


 ガックリと肩を落としながら、謝罪の言葉をのべる大路さん。そんな、下手だなんて……ごめんなさい、下手なことは否定できません。

 けど、そんなことを言うわけにもいかないから、僕はわざと明るい声を出す。


「大丈夫ですよ。最初から上手くできる人なんていませんもの。上手くなるために、練習するんですから」


 見ていて危なっかしくて、これで相手が聖子ちゃんだったら、途中で指導役を投げ出していたかもしれないけど。でも今回は、そう言う訳にはいかない。


 そして生憎、僕が手を貸すわけにもいかない。だってこれは、大路さんが作らなければ意味が無いんだから。

 作っている時の大路さんの目は真剣で、演劇の練習をしている時のそれと通ずるものがある。


 失敗しても挫けずに、直そうと頑張る姿を見せられていたら、僕が弱音を吐いてどうするって気持ちになって。

 何度失敗しても、励ましながら繰り返し作っていった。


「それじゃあ、また一からやってみましょう。材料はまだありますし」

「すまない。よろしく頼むよ」


 大路さんが、大量の材料を買っておいてくれて助かった。何回だって作り直すことができるもの。


 そうして僕等は、もう何度目かも分からないプリン作りに挑む。

 大路さん、料理は苦手ではあるけれど、それでもミスした後はちゃんとその部分を注意しているから、少しずつではあるけれど進歩は見られている。


 途中、やっぱり声を上げたくなるような危なっかしい場面はあったけれど、ギリギリのところで乗り越えて。

 何とか生地を電子レンジで温める所までは、クリアすることができた。


「後はもう、冷蔵庫で冷やすだけです。さすがにもう、失敗しようがないですよ」

「ようやく……ようやくここまでこぎ着けることができた。もう大丈夫なんだよね? 爆発したりしないかい?」

「そんな漫画じゃあるまいし。冷蔵庫に入れて、爆発するわけが無いじゃないですか」


 安心した大路さんは、出来上がったそれを冷蔵庫へと入れる。このまま冷やせば完成だ。

 本当なら今のうちに、使い終わった器具を洗っておきたいのだけど、万が一また失敗していたら、また作り直さなくちゃって大路さんが言うから。一応道具はそのままにしている。

 心配症だとは思うけど、今までの事を思うと、不安になる気持ちも分からないわけじゃないかな。


 何はともあれ、これでようやく一息つける。

 さて、それじゃあこれからどうしよう? 少しの間、やることが無くなってしまったけど…… 。

 僕は何の気無しに部屋の中を見ていると、大路さんはテーブルの上に置いてあった冊子を手に取った。あれ? たしかそれは。


「それって、劇の台本ですよね、ラプンツェルの。上手くいきそうですか?」


 公演までもう一週間。それなりに関わった身としては、気にせずにはいられない。


「大丈夫、と言いたいところだけど……演劇部の皆にはとても言えないけど、正直いつもよりずっと緊張しているよ。川津君に見られるかと思うと、未だに手が震えるんだ」


 途端に大路さんの顔に影が落ちる。

 確かに前に練習で、嚙み噛みだったりセリフが飛んじゃったりしていたからなあ。いったいあれから、どれくらい克服できたのだろう?


 下手をすると告白以前に、劇が上手くいかないんじゃないだろうか? 大きな問題が残っていた事を思い出して、僕は急に不安になってきた。

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