グリ女へ潜入

「「「キャーッ、ショタくん可愛い―♡」」」


 女子達の歓声が、部屋中に響く。

 僕が今いるのは、グリ女の校舎から少し離れた所にある建物。ここが演劇部の部室だそうだ。


 一見すると、柔道や合気道の道場のようにも思える、畳がしかれた木造の平屋。

 聖子ちゃんや大路さんによると、演劇の練習には広いスペースが必要だから、校舎内にある教室では足りない為、専用の建物が完備されているのだと言う。

 何でもお金持ちの卒業生の寄付金で建てられたものだそうだけど、きっとその人は相当な演劇好きに違いない。


 だけど、本当にいいのかなあ? グリ女の生徒でもない僕がこんな所まで入ってきて。しかもこんな格好で。


 家で聖子ちゃんに殴られて、意識を失った僕。そして次に目を覚ました時には、グリ女の制服に身を包んでいて、顔にはメイクが施されていて、髪は肩までかかるセミロングにウィッグをつけられていた。

 その姿は自分でも、完全に女子のようにしか思えなくて。そして、後はもう逆らうことができずに、今に至るわけだけど。


「ごめんショタくん。私では聖子を止めることはできなかった」


 とても申し訳なさそうに、唇を噛み締めている大路さん。とは言え、聖子ちゃんはともかく、大路さんのことを責めるつもりはない。


 「もういいですよ。ここまで来たんですから。もうどうにでもなれって感じです。門をくぐる時は、バレるかもって心配で、死ぬかと思いましたけど」

「いや、私はその辺の心配はしていなかったけど。誰も君の事を、男の子だと思うまい。きっと十人が十人、可愛い女の子だと答えるだろうからね」

「可愛い女の子ですか。バレずにすむのはいいですけど、僕としてはなんだか複雑です」

「それは……すまない。守るって言ったのに」


 今にも土下座しそうな勢いの大路さん。だけど元凶である聖子ちゃんは暢気なものだ。


「そんなこと言って。満だって本当は、翔太の晴れ姿を見たかったんじゃないの?」

「ちょっと聖子ちゃん、失礼な事を言ったらダメだよ」

「そうとも。私はそんなこと、少ししか思っていなかった」

「少しは思ったんですか⁉」

「君のスカート姿を想像したら、可愛いと思ってしまったからつい」


 もう一度ゴメンと謝られたけど……。はは、本当にもうどうにでもなれって思うよ。


「まあまあ、そんなに怒らないで。今度駅前のクレープ奢るから」

「……苺バナナチョコに、チーズケーキとカスタードとアイスをトッピングしてやる」

「随分高くつくわね。部費で下りるかなあ?」


 たぶん無理だろうね。諦めてそこは自腹を切ってよ。

 その後しばらく、僕は演劇部の女子達にジロジロ見られて、髪や体を触られてくすぐったい思いもしたけれど。皆さん本題を忘れていませんか? 

 僕は何もお披露目会をするために、こんな恥ずかしい恰好をしてここまで足を運んだわけじゃないんですから。


「聖子ちゃん、僕のことよりも練習はしなくていいの? 元々練習風景を見せて、イメージを膨らませるのが目的だったでしょ」

「あ、忘れてた。ぞれじゃあ皆、予定を変更して、ラプンツェルと王子様の出会いのシーンをやるよ」

「「了解!」」


 号令と共に、テキパキと行動を開始する一同。こう言う所は、ちゃんと統制がとれているんだなあ。


 ラプンツェルを演じるのは、この間うちに来ていた雪子さん。そして向かい合って立つのは、王子様を演じる大路さんだ。

 まだ衣装もセットもできていないから雰囲気は出ないけど、本番では雪子さんは長いウィッグをつけて塔の窓から顔を覗かせ、大路さんは下から彼女を見上げているって、聖子ちゃんが説明してくれた。


「だけどよく考えたら、衣装もセットも音楽もないのに、イメージ沸くかなあ?」


 今更だけど、そんなことを思ってしまった。

 わざわざこんな格好をさせられて、ここまで来たけれど、もしかしたら全部無駄骨に終わるのでは? そんな不安が、頭をよぎる。けど……。


「まあ見ててごらん。うちの演劇部の底力、見せてあげるから」


 ニヤリと笑う聖子ちゃん。そして僕はすぐに、その自信が過信でないことを知ることとなる。


 向かい合って立つ、雪子さん演じるラプンツェルと、大路さん演じる王子様。

 少し間があって、雪子さんをじっと見つめていた大路さんが一声放つ……。


「黄金色の、美しい髪の姫君様。ぜひ私に、アナタの名をお聞かせください!」


 瞬間、部室内の空気が変わった。


 それはまるで、遠くに見える地平線の向こうにも届かんと思えるほどの、響くような声。

 だけどそれもそのはず。今二人は向かい合っているけど、実際は高い塔の上と下で会話をしていると言う設定なのだから。離れた場所にも声が届くよう、声を張り上げているのだ。


 だけどただ大きいと言うだけでなくて、とても澄んで力強い。腹から出されたその声が、僕の胸に届いた。


 ……凄い。マイクもスピーカーも使っていないのに。人間の声って、こんなにも響くものなんだ。


 さっきまで、イメージを膨らませられるかなんて思っていたのは何だったのだろう? 

 僕は一瞬のうちに、物語の世界に引き込まれてしまった。


「私の名は、ラプンツェル。そう言う貴方は、いったい何者ですか?」

「私は東の国より、参った王子にございます。見聞を広めるため、各地を旅している最中、ここを通りかかりました」

「まあ、本物の王子様なのですか? 私、王子様なんて、本でしか見た事がなくて。いいえ、魔女様以外の人とこうして話すのも、初めてなんです」

「話すのが初めて? それではさぞ、寂しい思いをしてきたのでしょう。けど、私は幸運です。そんなアナタと、こうして話をすることができるのですから。ああ、もっと近くに行きたい」


 会ったばかりだと言うのに、とても仲良さげな二人。

 そんな様子を見て、僕は全然、お芝居と言うものが分かっていなかったのだと痛感させられる。映画と比べて、派手なアクションもCGも無いお芝居は、地味な印象があったけど、全然そんなことは無かった。


 間近で発せられる声が、台詞の合間の独特の間が、部室の中を現実とは違う、別世界へと変えて行く。それはまるで、魔法でもかけられたかのようで。

 僕は息をするのも忘れて、大路さんと雪子さん……いや、王子様とラプンツェルに、目を奪われていたけれど……。


「ん? あ、こらーっ、何覗いてるの!」


 魔法に掛かったような世界を現実に引き戻したのは、突然響いた聖子ちゃん叫びだった。


 いったい何事? そう思って聖子ちゃんの視線をたどると、高い位置に取り付けられた窓の外から、女子生徒が顔を覗かせているのが見えた。


「あ、ヤバイ。逃げるよ」


 脱兎のごとく逃げ出す女子生徒。ずいぶん高い所にある窓から覗いていたけど、いったいどうやったんだろう? 

 そう言えばここに入る時、近くに大きな木が生えているのを見た気がする。もしやその木に登って、中を覗いていたのかなあ? でも、そもそも……。


「さっきの人は何なの? 劇の練習を覗いていたみたいだけど」

「あれは満のファンね。練習しているところを何とか見ようとして時々ああやって覗いてくるの」


 練習を覗きに? すると雪子さんや西本さんが、揃ってため息をつく。


「うちの部は秘密主義だから、練習の様子は見せないことにしてるんだけどねえ」 

「見るなって言うから、余計に見たくなるのかな? あんな風に覗こうとする子達が後を断たないのよねえ。きっと外には、もう4、5人はいたと思うよ。木に上ったり、前は隠しカメラを仕掛けられたこともあったっけ」


 それは随分と凄い人達だ。

 だけど、本当に凄いのは大路さんかも。そんな事をしてまで、練習を見たいだなんて。だけど今の演技を見た後だと、その気持ちも分かるきがする。


「そう言えば今、秘密主義って言ってましたけど、それなら部外者の僕に練習を見せても良かったんですか?」

「ショタくんは特別だよ。こちらから衣装制作を依頼したんだから、できる限りのことはしないとね」

「そうそう。あ、でもこっそりここに来たことや、練習を見たのは秘密にしておいてくれるかな」


 雪子さんや西本さんはそう言ってきたけど、言われなくても黙っておきますよ。

 というかそもそも、部外者を勝手に入れて、演劇部の問題にならないかが心配だ。けど、どうやら聖子ちゃん達の心配と言うのは、それとは別の所にあったらしい。


「翔太、アンタくれぐれも、さっきの子達に正体をバレないようにね」

「そうだね。もし満の晴れ姿を一足先に、しかも男の子が見たなんて知られたら……ショタくんの命が危ないわ」


 そんなことを言い出す、聖子ちゃんと西本さん。けど、命って。


「命ですか? はは、そんなオーバーな」


 それはさすがに、話が飛躍しすぎ。そう言って笑ったけど、不思議な事に彼女達は一切笑っていない。

 それどころか大路さんまでも僕の前にやってきて、向かい合う形で両肩にそっと手を置いてくる。


「ショタくん、信じられないかもしれないけど、どうか今言ったことを真剣に受け止めてほしい。親衛隊と呼ばれる人達は少々……いや、だいぶ行き過ぎたところがあるから。さすがに命を奪うまではしないかもしれないけど、その一歩手前くらいまでなら、あるいは」

「い、一歩手前って、どういうことですか?」

「そうだな。例えば前に、私がストーカーに後をつけられていると言う噂が流れた時は、犯人は夜道で親衛隊に襲われて、命からがら自ら警察に駆けこんでいた」


 何ですかそれは?

 大路さんがストーカーに後をつけられたと言うのも気になったけど、犯人が警察に逃げ込んだって、中々無い状況だ。


「剣道の有段者、合気道の猛者、古武術を嗜んでいる子もいて、彼女達はとても強いんだ。もし同じ目にあったら、君は逃げきれる自信はあるかい?」


 大路さんの目は真剣そのもの。僕は慌てて、ブンブンと首を横に振る。

 親衛隊って、そんな恐ろしい人達なのか。思わず武術の達人達に囲まれた自分を想像してしまい。身を震わせる。


「僕、本当にここに来て良かったのかなあ?」

「来ちゃったものはしょうがないじゃない。さあ、それより再開しよう。練習見るためにきたんでしょ」


 聖子ちゃん、無理やり連れて来ておいてよく言うよ。けどまあ、確かに練習はちゃんと見ておかなくちゃね。


 そうして中断していた稽古は再開されて、魔女に隠れてコッソリと会う、王子様とラプンツェルの様子が展開される。


 僕が見たのは、全体から見ればほんの一部、ラプンツェルと王子様が出会って、仲良くなるまでの件だけだったけど、それでも王子様がどんな人物なのか、どんな衣装が彼に似合うかなど、イメージを湧かせるには十分で。

 一通り見終わった後も、胸の奥が熱いままだった。


「どうかなショタくん? 何か参考になれたかな?」

「はい、とても。王子様の人となりや、どんな気持ちでラプンツェルの事を好きになったのかが、分かった気がします。あと、劇がとても面白かったです。今度は、全編通して見てみたいですね」

「ふふ、そう言ってくれて嬉しいよ。今年の文化祭は乙木の生徒は自由に出入りできるから、見に来てもらえたら嬉しいな」

「もちろん。絶対行きますね」


 最初は躊躇していた衣装制作だったけれど、さっきの練習風景を見た後だと、ぜひ協力したいって気持ちになってくる。

 下手なものは作れないというプレッシャーも無いわけじゃないけど、それ以上に僕も何かをしてみたいと言う気持ちの方が強かった。

 少しの間練習を見ただけでこの変わり様。これもお芝居の魔力と言うものだろうか?


「それにしても、王子様もラプンツェルも、本当に見事でした。皆さんよく役になりきれますね」

「まあね。何度もその役をイメージして、頭の中でキャラクターを作っていくんだ。さっきのシーンなんかは、恋に落ちる気持ちを強くイメージしたかな。理屈なんて抜きにして、この人しかいないと直感的に思って、恋をした。そんな王子様の気持ちになりきったら、自然と体が動いたんだよ」


 簡単そうに言っているけど、僕が同じことをやってもきっととんでもなく下手な演技になっていただろう。

 そもそも、恋する気持ちなんて言われても、初恋もまだだし……待てよ、それをイメージできたということは?


「満ったら、やけに分かっているね。もしかして王子様みたいに、一目惚れの経験があるのかな」

「なっ⁉」


 とたんに大路さんが驚き目を見開いた。

 すると話を聞いていた他の先輩達も、一斉に途端に色めきだつ。


「ええっ、一目惚れって、大路先輩が⁉」

「スクープよスクープ。へえー、満ってば好きな人がいたのかあ」

「はっ!? どこかで親衛隊が、聞き耳立てていないでしょうね? やばいよ、もし聞かれていたら、相手の男は暗殺されちゃうよ」


 何やら物騒な話も飛び出してきたけど、もし本当に大路さんにそんな相手がいるのなら、そうなる可能性は十分にある。

 だけどこれらの反応に対して、大路さんは激しく首を横に振った。


「待ってくれ誤解だ。私はただ、王子様の気持ちになって物を言っただけ。一目惚れなんてそんな経験……あるわけ無いだろう」

「ええー、本当に―?」

「くどいぞ聖子。だいたい女子ばかりのグリ女で、いつ男子と知り合えと言うんだ?」


 それはまあ確かに。って、そのグリ女に潜入してきている男子の僕が、言えた義理じゃないんだけどね。

 あとあるとしたらアブノーマルな恋愛だけど……無いと言う事にしておこう。


「何だあ、つまらない。けどよく考えたら、満だもんね。その辺の男じゃ、そもそも釣り合わないか」

「そう言うわけではないけど、とにかく無い物は無い。今は部活が恋人のようなもの。それで十分だよ」


 部活が恋人、かあ。大路さんが言うと、本当に演劇に青春をかけているように思えて格好良い。

 それだけ夢中になれるものがある事が、羨ましく思えてくる。



 けど、それはそうと。

 さっき聖子ちゃんに、一目惚れの経験があるのかって聞かれた時の大路さん。一瞬だったけど赤い顔をしていて可愛かった。


 普段は凛としていて、まるで本物の王子様みたいな人だけど、ああいう表情もできるんだなあ。

 

 意外な一面を見られて、何だか不思議な気持ちがした。

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