13

 人間にはかつて選択をする自由があった。

 自分で計画を立て、自分で服を選んで、自分で仕事を選んで、自分で生き方を決めて、自分で死に方を決めた。

 戦争があって、紛争があって、テロがあって、パンデミックがあって、僕たちは緩やかに変わっていった。テクノロジーの発達は安心よりも先に恐怖を生み、その恐怖にさらされた人々は、反動として過剰なまでの"安心"を求めた。

 そして僕らはナノマシンを受け入れた。

 そして僕らはバトラーに従っていった。

 そして僕らは自由を手放した。

 

 その後のことを少し話そう。その後、というのは、ウィーランドを殺して帰ってきた後のことだ。

 WHOは、それはそれはおおわらわだった。なんせ、幻想教団イルミナティの件だけでも不祥事の連発だったのに、この上、誘拐事件に関わっていた輩まで出てきたわけである。しかもその中には幻想教団イルミナティの件では大活躍をした人もいたと来たもんだから、叩かれまくって、WHOは解体されるんじゃないかという噂も出ている。

 彼らの民族、ウィーランドと凛の民族は、確かに彼の思惑通り、世界中にその名が知れ渡った。もちろんそれは不名誉な名であって、凛の件は、トチ狂った少数民族のテロということで処理され、ウィーランドの件は、本命のテロが阻止された後の最後の悪あがきというストーリーになった。

 凛の思惑が世界に知られることは永遠にない。民衆にもたらされる情報は、今の監視体制でもまだ不十分だったという結果だけで、今後ナノマシンを利用した情報統制はもっと厳しくなるだろうとされている。

 アメリカに帰ってきてから、僕はすぐに仕事を辞めた。ウィーランドもフラメルさんも居なくなって、これ以上ここにとどまる理由はなかったし。何となく辞めた方が良いような空気が漂っていたからだ。空気を読むという事は大切なことだ。

 それから、CIAからも本当に声がかかった。ダンヴァースさんは結構な頻度でメールをくれるし、ゆかりちゃんを交えてごはんを食べに行ったりもした。僕を雇いたいというのもあるけど、何かと僕のことを気にかけてくれているようで、それに関しては、ありがたいと思っている。仕事の方は、とりあえず保留という事にしてもらっている。

 僕は本当のところ、軍やその周りの組織では働きたくないと思っている。殺しのこと、そしてそこで働いているであろうサイコドライバー達のことはもう考えたくなかった。僕がやらなくても、誰かが誰かを殺し続ける。僕がいなくても、新しいサイコドライバーが任務に就く。

 CIAには1つ頼みごとをした。日本に置いてきた、スティーブン博士の遺体の回収だ。遺体はアメリカまで運ばれて、丁重に葬られた。博士は生粋のアメリカ人だった。彼も、死ぬときは故郷で死にたいと思っていたのだろうか。

 この世の中の、すべての情報が、僕には上滑りしていく。情報統制も、セキュリティの強化も、僕には何一つ意味のないことだ。僕には何一つ関係のない、離脱したコミュニティのことだから。

 僕が顧みるのはただ1つ、僕の世界の事だけ


 車は荒野を走り続けている。景色を見ても何も見つけられないが、パラミリと話すような話題もなかった。ゆかりちゃんとどんな話をすればいいかもわからなかったから、結局黙って外を見続けていた。

 「ねえ、陸人…」

 けれども、彼女の方から僕に話しかけてきた。僕は顔を彼女の方に向けた

 「ん?」

 「前に日本語の話をしたのを覚えてる?日本の文化が消えていきそうで怖いって、話したこと」

 幻想教団イルミナティが蜂起した日。凜が生きているとわかった日のことだ。忘れるはずもない。

 「覚えてるよ。あの時は、正直君の言ってることがよく分からなかったけど...今は少しだけ分かる。消えていくのは怖い...そう思ったから彼も狂ってしまった」

 目線を外に戻した。何となく彼女と目を合わせるのが気まずかったからだ。

 「私が感じた恐怖を、あの人も感じたのかもしれない。でも私は、記録に残るだけでは意味が無いと思う。文化や、言葉は、人々の間を正しく伝承されてその形を保ち続けていく。1人ぼっちで何かを残しても、それは跡形もなく変わっていってしまう。きっとそれは、ただ滅亡してしまうよりもずっと悲しいことだわ」

 彼女が僕の手を握った。僕は驚いて彼女の方を向いた。

 「陸斗、あなたは1人ぼっちなんかじゃない。1度はあなたを拒んでしまったけれど、もう逃げない。あなたはWHOの特殊部隊で、サイコドライバーで、それ以上の何かになってしまったとしても、私はあなたを知っている。私はあなたを見て、こうしてあなたの手を握っている。あなたはあの人とは違う。1人ぼっちなんかじゃないよ」

 ゆかりちゃん

 僕は君にすべてを話してはいないし、きっと君もそうだ。僕らは触れあってお互いの形を知ることしかできない。その狭い範囲だけで、お互いのことを理解しあえたつもりになって…きっと、片方の形が変わってしまっても、そのことに気付け少ないだろう。

 それでも僕は...まだ居続けていいのか?君の世界に。だとしたら、僕はまだ、人としての形を保ち続けられるかもしれない


 人間は選択をしなくてはならない。

 義体や人工筋肉はあれからも僕らの生活に根差し続け、変わらずに人々に使われ続けている。それらには確かにゾンビの肉体が使われていたが、そのことが人々に知らされることはなかった。義体は100%コントロール下にあり、市民には何も危害が及ぶことはない、というのがアメリカ政府の公式な見解であり、それを信じるというのが今のところの人々の選択だ。けれど、僕らの中には確かに、得たいの知れない恐怖と不満が蓄積されているはずだ。日本で何が行われているかを、自分たちが屍の上に立っていることを、結局人々は知ることはなかった。いつか人々が真実を知り、不満を抑えきれなくなった時、僕らは再び選択を迫られる。そしてそれはどう転がろうと致命的なものになるだろう。


 「こんにちは。陸人。よく寝られた?」

 僕の家の中、目の前にゆかりちゃんがいる。あの日の事を思い出していると、彼女が愛しくなって、彼女の事を抱きしめた。彼女も僕の事を抱き返す。彼女の体温を確かに感じる。

 僕は一つだけ選択をした。僕は、彼女と僕だけの狭い世界で生きていくことを選んだ。寂しがり屋の甘ったれのまま生きていきたいと思った。

 凜。僕は君を殺したことに関して何も言い訳はしない。自分が生き延びたいから君を殺した。けれど———


 僕にはまだ、この感情が必要だ

 

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幻想教団 黒桃太郎 @gohhong99

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