魔物化被害者は人外とします。

 次の日から真央は家に引きこもってしまった。

 でも、僕はそれで良かったかもしれないと思っている。家に帰った僕を慌てた様子で迎えた母さんが教えてくれたのだけど、あの日の午後のニュースで真央にとって最悪の報道があったらしい。


「本日未明、頭部が魔物化したと見られる人物が錯乱、遊園地の客数名を噛み殺すという大変痛ましい事件が起こりました」


 それが、おじさん達が向けた敵意の正体だったのかは、分からない。

 でも、その事件は大きく取り沙汰された。真央以外にも魔物化という病気が出た事、それが被害者を出した事で事件はメディアにとって面白いものから切迫したものになり、真央の家を囲むカメラの数も人の数も日に日に増えていった。


 多分、真央には今助けてくれる人が必要だ。

 でも、それはきっと僕じゃない。ニュースを知ったあと、僕は真央の家に行った。でも真央は部屋から出てこなくて、扉越しに話しただけだった。


「僕はずっと真央の味方だよ」


 あの時、あの無関心なおじさんに言い返す事も出来なかったくせにそう言った。真央の返事はなかった。


「みんなで遊べばなんでも楽しいよ」


 真央の返事はなかった。

 そもそも、それは僕だって信じてもいない事だ。僕の言葉はどれもでまかせだった。当然、それは真央の心に一つとして届いていない様だった。それでも僕は真央の家に通い、硬く閉ざされたままの扉を前にでまかせを続けて、そんな日が数日続いたあと、真央部屋の前から離れる時に酷くやつれたお母さんが言った。


「ごめんなさい。これは、真央からの伝言なんだけど、もう、ここには来ないでって……魔物化した人の気持ちは魔物化した人にしか分からないからと……」

「……」


 俺は言い返せなかった。

 無力だった。無力だと分かっていて心にもない事をたくさん言っていただけだった。


「僕、最低だ……」


 ……


 いつからか、どこからかは分からない。

 いつからか、真央みたいに魔物化をした人に酷く当たってもいい雰囲気は日本中に広がってしまったみたいで、それは僕のクラスでも起きていた。


「よ! 有名人! つれないじゃん。友達だろ?」

「……有名人?」


 優しくて面倒見の良い先輩。

 あの日まで、真央は僕のクラスメイトにとってそんな印象だったと思う。それがどうしてこんなに変われるのだろう。


「だってお前、あの魔王の幼馴染みなんだろ?」

「それ、誰だよ。そんな名前の知り合いはいないし……」


 会ったことも話したこともある奴もいるはずなのに、彼らはあのおじさんと変わらなかった。ニュースで騒がられた翌朝には翼を面白がり、事件の翌日には化け物の様に嫌悪し、最近では初めての魔物化である真央を魔王なんてあだ名で呼ぶ分、ニュースよりも一層タチが悪い。


「俺の友達にそんな態度をとる人は要らないよ」


 その日から、友達を捨てた。

 意見の合わない周囲の人と距離をとりたかったから、僕という喋り方もやめて俺という事にした。人と会う時間が減り、でも、真央の家に行くこともできない俺は小学校の裏山で過ごす事が増えた。


 ……


 舗装された道のない裏山。

 都会の基準が大型デパートがあるかどうかで判断して良いのかは分からないけど、少なくても田舎ではない証明になると思っている。そんな田舎ではないこの町にありながらこの裏山は奥に深い森があり、人が訪れることは滅多にない。この一帯は本当は私有地らしく、持ち主はとても変わり者だった女性で、外と繋がらずに森の中に小屋を作り1人で暮らしていたという。


『好き嫌いをすると『魔女』に食べられるぞ』

『歯磨きをしないと『魔女』に歯を抜かれるわよ』


 という具合に、俺の家でも小さい頃は彼女をモチーフにしたものが怪談『魔女の家』として教育に使われていた。……だから普通の人にとってここはあまり近づきたくない場所だが、人を避けたい俺にとっては貴重な場所だった。


 初めは裏山に来る事に目的はなかった。

 空を見たり、この葉や生き物の音を聞いて過ごすのも悪くはない。いっそ真央を連れてこういう山の中で暮らすのも良いかもしれないと妄想を膨らませる事も少なくなかった。


「はは……馬鹿だな。彼女は俺に会いたくないって言ってるのにさ……」


 そうは思いながらも、俺はそこでよくキャンプの真似事をして過ごした。

 初めは家にあったキャンプ用品の扱いを覚え、次に山にあるものでの火起こしや食べられる野草に興味が移った。時間は沢山あったから、このまま知識をつけていけば本当に、真央と人里を離れる様な未来もあるかも知れないと思っていたけれど現実はそんなに甘くなかった。


 そういったサバイバルの知識を知るほどに分かってしまった。

 人は、野山で暮らすのにあまりにも向いていない。


 まず、皮膚が弱い。

 野外で毎日過ごすともなれば日射病のリスクは高いし、日焼けだって火傷の一種で毎日焼け続ける生活など耐えられるものではない。

 皮膚といえば足もそうだ。

 人間は尖った岩場の上を素足で走る事も出来ず、靴がなければ身体能力はあまりにも低い。それに、野草を探すにしろ、動物を捕まえて捌くにしても、それらには多くの体力を使う。場合によっては調達した食料のエネルギーよりも沢山の消耗をしてしまう。

 もちろん、雨の日や冬、体温維持にもやはりエネルギーは消耗されるのだから環境コンディション次第ではさらに険しく、サバイバル生活というものは技術があれば簡単にできるものという類でさえない様だ。


 そうして俺が無駄な知識を蓄えている間にも、真央たち、魔物化した人たちについての風評はどんどん悪化し、世間では彼女たちを魔物化被害者という言葉で一括りにする様になり、ほどなくして信じられないニュースが流れた。


「魔物化被害者はその凶暴性から非魔物化被害者への危険がある重篤な症状であり、また、感染の疑いがある事から人類の区分から非該当とする取り決めが可決……」

「……」


 つまり、見捨てられたのだ。

 世界が、彼女を、彼女達魔物化被害者を見捨てた瞬間だったが、驚きはなかった。そういう流れは前からあった。それにもう、真央の家には両親がいないらしい。食料の配送だけはあるようだけど、あの家の中に今いるのは真央だけらしく、それも雨戸の締まったままの家からはうかがい知る事も出来ない。


「……俺には、何も出来ないのか……」


 そんな無力感に苛まれたまま時は過ぎ、あの日の真央と同じ中学生になった。


 その学校が真央と同じ中学になったには偶然だ。

 俺は学歴というものにあまり関心が持てなくて、中学は家から1番近い公立の学校を選んだ。だから入学してから気づいた事だが、ここは築年は古いにも関わらず汚れの目立たない掃除が行き届いた校舎、丈の短いスカートを着た学生もいない様な真面目で規律に忠実な校風の学校の様だった。


 相変わらず友達はいなくて、友達を作る気にもならなかった。

 1人の世界に埋没出来ればまだましだった。いっそ耳なんていらないと言いたくなるほど、教室では毎日魔物化被害者を馬鹿にする様な会話がなされ、いやでも耳に入ってきた。ただ、それが俺に新しい目的をくれた。


「え、お前それ強姦……」

「……?」

「馬鹿、魔物化被害者は人間じゃないから無罪だろ?」

「いや、よせよ。感染もあるかもってTVでもいってたじゃん」


 とんでもない馬鹿はいるものだ。

 そもそもあそこは魔物化していない真央の両親の土地でありそこに無断で入る事は不法侵入だ。ただ、俺がそれ以上に驚いたのは、それを提案したのが不良どころか、この学校でも成績優秀な部類の男だった事だ。……これは世間的には悪いことではない。それが今の世のモラルというもので、それ故に、男は娯楽施設に遊びに行くような気軽さでそれを口にしていた。


「俺見たことあるんだよ。今はちょっとキモいけど、胸も大きくて結構良い身体で……とにかくやりたいやつ集めろよ。今日の夕方行くからさ」

「……」


 俺がするべき事は決まっていた。

 もちろん、教室での口論は敵を増やしかねない。真面目に授業を受けてから真央に悪戯に行くだろう優等生たちに先回りする為、俺は学校を早退し、準備を始めた。


……


 昼下がり、自宅に帰ると、誰もいなかった。

 シンと静まり音のない部屋、明かりの消えた今を抜けて自室に向かった。こんな風に早退でもしなければ、俺が帰る時間には仕事をあがっているから忘れがちだが、母は専業主婦ではないし、父はいつも帰りが遅い。父と母は、俺の真央への気持ちを多分知っているけど、俺が真央を今でも好きなことに本音ではどう思っているのかは、分からない。


 真央が魔物化するまで俺の家では家族ぐるみでの付き合いがあった。

 父母、真央の両親との6人で河川敷に集まってBBQをした事もあった。信頼関係があり、子供を預けられる関係は共働きの俺の家にとっても助かるものだったはずだけど、あの事件以来、俺の家でその話しは何もされない。俺が真央の心配を口にしても怒ったり、止める事はないが、淡白な相槌しか返ってこない。どういう意図かは分からないが、この話題には触れないと決めている様だった。


「……」


 俺は今日、生まれて初めての喧嘩をする。

 身長は背の順で最前列を独占していた小学生の頃よりは随分伸びたけど、せいぜいが平均だ。力が特別強いという事もないが、それは準備で補うつもりだ。


「世間的には俺が悪い事になるのだろな……」

 

 俺は今、木刀を持っているし人を殴ろうとしている。

 彼らの狙いは強姦だが、世間的には真央が人間として扱われないから悪い事とならず、俺の方が悪者となる。


 俺自身が不良扱いを受けることは、それほど抵抗がなかった。

 ただ、そうなってしまった時に悲しむだろう両親に対しては少し後ろめたさがあって手にした木刀を強く握りしめた。


その木刀は、真央が修学旅行で買ってくれた木刀だった。


……


「セバスちゃん! 修学旅行のお土産何がいいかな?」

「木刀!!」

「わ、即答!?」


 修学旅行の前日、真央の部屋での会話だ。

 玄関から見える2階へ続く階段、それを登って正面のドアを開けると真央の部屋がある。背広のベットとピンクの勉強机、綺麗に片付いた部屋には来るたびに違う人形が飾られていた。当時、よく男子に混じって外遊びをしたり、某アニメの影響で罠作りに夢中になってはジーパンを破ったり泥だらけにした彼女からは意外なほど、そこは女の子の部屋だ。

 あれは真央が小学5年の頃だから、俺が小学2年の頃だ。

 俺はまだ厨二病的な言動はしていなかった頃だが、人気アニメのワンシーンに影響されてのことだった。修学旅行で木刀を購入するシーンを見た俺の中では修学旅行といえば男子はみんな木刀を買うものだと思い込んでいたのだ。


「でも、それ何に使うの?」

「わからない!!」

「ふふ、それも即答なのね」


 口元をおさえてくすくすと笑う大らかな彼女を前に、俺はこう続けた。


「わからないけど、これで真央を守るんだ」

「!? ……ありがとう。じゃあセバスちゃんは私の王子様だね」

「王子じゃなくて騎士だよ? 騎士の誓い!!」

「うん、頼りにしてるね。約束だよ?」


 頬を赤らめ柔和に微笑んだ彼女はそう言って小指を絡めた。

 他愛無い会話だ。当時見ていたアニメの影響で騎士に憧れた少年と、少女向けアニメの王子様に夢を見た少女の、ただの指切りのはずだった。


……

 

「今、約束を果たすよ」


 強く木刀を握りしめた俺は真央の家に近づいた。

 真央の家に騒ぎが聞こえず、だが彼女に悪戯を考えている連中を逃さない場所を選んだ。意気込むも手は小さく震える。個人を特定されない様に私服に着替え、昔祭りで買った鬼の面で顔を隠して時を待った。


 結論から言おう。

 俺は不良になった。


「な、なんだよお前!?」


 制服姿のままで現れた男は3人だった。

 そのうち1人がビデオカメラを持っていたことで、俺の頭に血が昇った。


「お前達が気に入らない、ただの不良だよ!!」

「に、逃げろー!!」


 木刀を振り上げると男たちはすぐに逃げ出した。

 だが、今日のことは始まりだ。彼女が悪戯に合う事は犯罪でもなんでもなく起こり得る事だと気づいた俺にはやる事が、やらなければいけない事が出来た。


 1つは真央の警備、1つはそんな連中と戦える身体を作る事だった。

 2つを同時に行うのは困難に思われたが、幸いにもその日の事件が噂になり、真央を守る良い結果になった。


「ねぇ、聞いた? 魔王を守る鬼の魔物がいるって……」

「【魔王の従者】って言うらしいよ。帯刀していて物凄く強い……」


 噂には尾鰭がつく。

 真央の時と同じだが、今回のそれは都合が良かった。世間の言う【従者】の衣装で時折見回るだけで警備の効果を得られたから、俺は多くの時間を剣術の書籍研究や裏山での修行に費やした。


……


 初めの成長は凄まじいものだ。

 何故なら基本技術というものは、初歩的な印象を与える言葉ではあるがその実、達人になっても変わらない最重要項目の別称だからだ。


 例えば、刀の握り方だ

 正確には握り方と力を入れるタイミング。振るう瞬間に力を入れる技術は理論的にいえばテコの原理の応用にあたり、これを知るだけで一撃は重くなり、歩法を学べば攻撃の届く間合いさえもが変わる。師匠がいない俺は1つの流派を極める事はなく、代わりに多くの流派の基本的なコツを学び、複合した立ち回りを意識したが、それは【従者】としてパフォーマンスをする際にも独自性のある動きとなり、正体がバレない効果があった様だ。


 あれから何度か、本当の喧嘩もした。

 殴られる痛みを知り、木刀で人を殴る時の嫌な感触を覚えた。


「お前が【魔王の従者】だな」

「あぁ、そうだ」


 男は、俺の返事を聞いて口角を吊り上げた。


「!?」

「はっははは! 実存したか。私は強者との戦いを求める者!! いざ尋常に勝負だぁ」

「お前の狙いは……【俺】なのか!!?」

「然り!」


 俺は戸惑いを捨て、すぐに相手を見る。

 なるほど、今まで戦った学生、不良、運動部の集団……そのどれとも違う。正面から挑む挑戦者であり、その鍛えられた肉体は彼が強者である事を雄弁に語った。武器は仕込みか或いは格闘術者……恐らくは後者だ。


 その時、強烈な違和感を感じた。


「!? なんだ……これは」


 彼の上半身はほとんど動いていないのに距離が少し近くなった。


「すり足か」

「ほぅ、詳しいな。さて、どこまで読んでいる?」


 まだお互いの距離は遠い。

 ……にも関わらず、一定の速度で接近していた彼の足が止まる。つまり、この距離から攻撃が来る。


「!! っ」

「ほう、これをかわすか……初見殺しの技なのだがね……」


 それを回避出来たのは運が良かっただけだ。

 剣道の書籍を読んでいた俺は、彼がすり足を使って間合いを詰めていたことにはすぐに気が付けた。とはいえ彼の正拳突きをバックステップで回避した直後、悪寒を感じて屈んでいなければこの戦いは負けていた。それほど流れる様な連動で放たれた肘打ちだった。正拳突きを避けた時、彼が足先に体重をかけ、前進を目論んだことに気づかなければ危なかっただろう。


「ならば、これなら?」

「!」


 先の正拳突きより数段素早い正面蹴り。

 足の筋力は腕の数倍に当たり威力、速度は腕力と比較するまでもない。相手との総筋肉量から考えて同じ動きの蹴りで対抗した場合、押し負ける事が容易に想像できた。


「なら、正面から受ける馬鹿はいないよな」

「!?」


 俺は剛速で迫る蹴りの側面に向けて左拳をぶつけた。

 いかに速い蹴りだとしても、その衝撃は前方に向けてのものだ。側面からの衝撃ならば軌道を変える事は難しくない。そして、残した利腕と木刀を男に向けた。


「勝負あり……でいいか?」

「あぁ、私の負けだ」


 その戦いは今までの億劫とした犯罪者の戦いとは明かに違った。

 大声で近所の人間を呼んだり、罵詈雑言を向けられることはなく、刃物や防犯用品を使ったり、人体の急所を狙うこともない。多対1の様に倒した相手を壁にして立ち回る必要もなかった。ストリートファイトではあるが、スポーツマンシップにも似た清々しい戦いだった。彼らが俺の、魔物化被害者に恋をしている人間の感情に共感を得られる事はないし、期待もしていないが、その後も時折現れた【魔王の従者】を狙う者との戦いを俺は心のどこかで楽しんでいた様にも思える。


 そういった日々が俺を強くした。

 身体能力は練り上がり、実戦経験も積んだ。中学を卒業する前には180センチメートルに近い身長を手に入れていたし、どの学科でも首位を独占している……と、いうのも魔物化被害者を悪く言ったり、真央の幼馴染みである俺に嫌がらせを考えるのは学生だけじゃないからだ。


 特に丈太郎という教師の嫌がらせは酷かった。


「んっんー、おい洗馬この問題が解けるか? んー?」

「はい。その問題は答えがありません」

「ば……馬鹿な……これは大学受験用の問題だぞっ!?」

「ええ、先生にそうして段階的に予習をさせて頂いたので……」


 もし予習が届かなければクラスの笑い者。

 その教師の目論みに対抗を続けた事が学業の面でも俺を強くさせてくれた。そして、結果的に【従者】の活動も、学業でも失敗がなかった事が、俺の中である疑問に変わっていった。


「今、俺はどれくらい強いのだろう?」


 学業は成績の良いこの中学での首位、分かりやすいが、身体能力は普段武装した相手や大人との戦いになれてしまった事で年相応の実力が測れていない。慢心は良くないが、自分の実力を正確に知る事は武器になる。そして、その願望が叶ったのは、高校1年になり入部先として剣道部を選んだ時だった。

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