第29話 「…大掃除中か?」

「…大掃除中か?」


 寒いけど部屋の窓全開にして、床にはいつくばって掃除しとると。

 クリスマスイヴから帰ってなかったナッキーが、玄関に立ったまま言うた。


「…年末やし。」


「……」


 ナッキーは靴箱を開けて、戸棚も開けて。

 ついでに、あちこち部屋の戸を開けて…マリの荷物があるか確認してるんか。


「…マリなら出て行ったで。」


「あ、そ。」


 俺の言葉に、興味の無さそうな声で返事したわりに…安心したようにバッグを置いた。



 クリスマス…

 るーに『待たない』『さよなら』言われて…

 たぶん、人生最大級の辛さを経験した。


 マンションに戻って、そんな俺を慰めようとしたマリに。


「こういうのは、マリに対しても失礼やからできへん。今までの事もごめん。」


 そう言うて…土下座した。


 マリはしばらく無言で俺を見下ろしてた思う…けど。


「…情けない男。」


 小さくつぶやいて、荷物をまとめ始めた。


「…マリ?」


 紙袋に次々と荷物を詰め込むマリを、ボンヤリ眺めた。

 それを見てたら…

 ああ、俺、ホンマにマリに対して良かれと思いながら、酷い事してたんやな…って思った。


 あれからずっと一人。

 俺は…初めて、自分と向き合うた。


 楽しければええ。

 好きな子と気持ちええ事の両方があって、さらには夢が叶うんや。

 順風満帆な気がしてた。


 るーは俺の彼女で、マリは俺が慰めてやらなあかん女。


 順風満帆なんは、俺の思い込みで。

 クソみたいな俺の思い込みで。

 ホンマ、クソみたいな俺の思い込みでしかなくて。


 …慰めてやらなあかん…って、何様やねん…ホンマ…


 それに、や。

 るーの事。


 アメリカ行きが決まって、ゼブラの結婚も決まった。

 その話を聞いた時…ゼブラを男らしい思うた。

 けど、結婚について考えると…俺には願望が全くなくて。

 るーの事、置き去りにしたまんま…自分の人生を楽しく生きる事しか頭にない感じやった。


 この数日、ゼブラの言葉が頭ん中で回りまくった。



『デビューを泣いて喜んでくれて…身を引くって言われた』


『俺の夢が叶うのを泣いて喜んでくれるのに、なんで別れなきゃなんねーんだ』


『苦労かける事は百も承知だし、もちろん不安もある。だけど俺自身、向こうに行って頑張るためにもあいつが必要だって気付いた』


 …俺は…まだまだガキやな…



 ゴシゴシゴシゴシ


 俺が床を磨く音だけが響く。

 ナッキーはソファーに座って、そんな俺を見ながら。


「ゼブラの結婚パーティーをしようと思うんだけどさ。」


 そばに置いてた新しいカレンダーを手にした。


「…ああ。ええんちゃう。」


「おまえ、曲書いてくんねー?」


「……」


「歌詞は俺が書くから。」


 ナッキーは…

 極上の歌が歌えて、歌詞も曲も書けて、英語も日本語も喋れて。

 料理も出来るし、人望も厚いし、意外と真面目やし、そこそこに頭もええ。


 …俺は?

 ギターに関しては誰にも負けへんって思うけど…

 映画の約束も全部キャンセル。

 アメリカ行きの事も、ずっと言わんまま。


 ギターを弾いてない『朝霧真音』は…薄っぺらで空っぽで、全然ダメなクソ男やな。

 こんな俺…全然るーに相応しくない…



「…ナッキーは、本気で人を好きになった事、ある?」


 雑巾を置いて立ち上がって。

 ナッキーの目を見て言うと。


「…あ?」


 ナッキーは、呆れたような顔で俺を見た。


「俺は、本気なったの、るーが初めてやねん。」


「……」


「初めてだらけのあいつを可愛い思うたけど、俺かて初めてやった。せやから…せやから…大事にするとか…その方法が分からへんかった…」


 大事にしてたつもりでも、それは…目の前で『可愛い』を連発して、マリで性欲満たせてた分、るーに手を出さんで済んでただけで…

 結局俺は、いつも自分の都合のええようにしか動いてない。


「約束してても、スタジオ入ったらそっち優先やし。映画行きたい、遊園地行きたい、どれも叶えんかった。」


「でも、おまえの夢を応援してくれてたんだろ?」


「…どうやろ。それは…俺がちゃんとるーの事も構ってたら、違うてたかもやけど…」


 ナッキーの隣に座って、溜息を吐く。

 もう、何回…こんな溜息吐いたやろ。

 嫌やな思うけど、自然と出て来る。

 それだけ…自分に呆れてるし、自分を呪ってる。


「…アメリカに行く事、言ったのか?」


「…待っててくれ言うたら、待たん言われた…。」


「……」


 ナッキーは同情したように小さく息を吐いて立ち上がると、テーブルの上にあった箱に目を付けた。

 …るーからの、クリスマスプレゼントや。


「…るーがくれた。」


「……」


 箱を開けたナッキーは、手作りのギタークッキーを見て…ふっと優しい目になった。


「…分かってる。俺はアメリカに行くし、元々俺とあいつは世界が違うてたし…どうしようもないんやって。」


 …このクッキー焼くって決めて、るーはどんだけギターの写真を見たんやろ。

 何か雑誌買うて、食い入るように見たんかな。

 焼いてる間、どんなにワクワクしてくれたんやろ。

 俺が…アメリカ行く事に浮かれて、るーとのデートに寝坊した時も。

 どんな気持ちで…この箱持って、ダリアで待っててくれたんやろ。


 ホンマ…最悪や。

 こんな男…



「…諦めていいのか?」


 ふいに、ナッキーが箱を持ったまま隣に座って。


「るーちゃんを諦めて、いいのか?」


 繰り返した。


「……」


 るーを、諦めて…

 …うん…俺、バンドだけでも…ええんちゃうかな…


 そう思いかけた瞬間、胸の奥が疼いた。


 初めてのキス。

 るーは、震えてた。

 唇を重ねても…なんや気持ちが伝わらんかった。

 あの時、もうマリから色々聞いてたから…か。

 かと言って、マリを責める気にもならへん。

 全て、俺が悪い。


 るーの中で…ファーストキスの思い出があれやなんて…


「……」


 食いしばって俯いてると。


「ゼブラを見習えよ。」


 ナッキーが体をぶつけて来た。


「…どういう意味や。」


「ゼブラみたいに…夢を掴むためには彼女が必要だって思う事、俺の選択肢にはなかったけど、悪いとは思わない。」


「……」


「彼女に好かれたから、好きになったんじゃないんだろ?」


「ああ…」


「なら、待たないって言われても、粘れよ。」


「……」


「おまえのやり方で。」


 …俺のやり方。


 今、思うのは…

 確かに、今までも…俺の頑張りには、るーが関係してたって事。

 それに、るーに相応しい男になるためには、俺はやっぱギターを弾かなあかんって事。

 実際、クリスマスからこっち…俺はギターを手にしてない。

 だとすると、俺には…るーは必要不可欠やん…?



 ナッキーの手からクッキーの箱を取って、一つを口に入れる。


「…美味い…」


 ライヴに差し入れくれた事もあったなあ…

 るーの事、落としてみたい思うてただけやったのに…

 まんまと俺が落とされた。


「俺にも一つ。」


 そう言って箱に手を伸ばしかけたナッキーに。


「ん。」


 クッキーを一つ手にして口元に運ぶ。


「って、誰がやるか。」


「…だよな。」


「ナッキー。」


「ん?」


「俺は、俺のやり方でええよな。」


 クッキーを食べながら立ち上がる。

 俺は俺のやり方で。

 まずは…俺自身が育つ事。

 それから、二人の…溝を縮める事。



「よし。続きやるで。」


 俺は箱をテーブルに戻すと、腕まくりをして雑巾を持った。


「手伝えや。」


 新しい雑巾をナッキーに渡すと。


「もう充分片付いてる。飲みに行こうぜ。」


 ナッキーは窓を閉めながら、俺にジャケットを投げつけた。

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