第10話 あたしがロビーに降りると、ノン君はスマホを見てた顔を上げて。

 〇二階堂紅美


 あたしがロビーに降りると、ノン君はスマホを見てた顔を上げて。


「お疲れ。」


 座ったまま…少し低い声で言った。


「ごめんね。スマホ見たの、スタジオ終わってからだったから。」


「いいさ。」



 ルームに戻ると、ノン君からLINEが来てた。


『まだスタジオみたいだな。俺、ぼっち部屋で練習して20時頃ロビーに降りとくわ。連絡なかったら先に帰るけど、紅美の話聞きたいから電話くれ』


 もしかしたら明日解散かも。って焦燥感を何とか払拭したつもりでも…

 どうしても不安は残ってるあたしにとって、その連絡はギュウギュウに詰め込んだプレッシャーを散らばせてくれるほどの力があった。


 自然とスマホを抱きしめてたもんな…

 あたし、ほんと…不安なんだろうな。


 麻衣子と多香子にじゃなく…

 強靭なサポートがなくなって、心許なくなったあたしの歌とギターが。



「飯食いに行くか?」


「んー…」


「ん?」


 並んで歩きながら、あたしは…


「…二人きりになりたい。」


 足元を見たまま言った。



 ああ…恥ずかしい。

 て言うか、こんな状況の時に…こんな事言うなんて…って呆れるかな…


 あたしがあれこれ考えてモヤモヤしてると。


「…じゃ、ホテル行くか。」


「えっ?」


 ノン君はあたしの手をギュっと握って、地下の駐車場に向かった。


 え?え?

 こ…このままホテル行くの?


 ドキドキしながら運転席のノン君を見ると。


「今日の成果、聞かせてくれよ。」


 ノン君は後ろに乗せたギターを見ながら言った。


 …あ…そうですか…



 車を走らせる間、ノン君は無言だった。

 確か今日は打ち合わせだったはず。

 …面白くなかったのかな。


 って、まあ…あたし達も…

 面白かったか。って言われると…

 個人的なワクワク感と、メンバーが揃ってからの気持ちは少し違ったし。

 やり始めてからの里中さんからのダメ出しには…へこんだし。


 だけど、解散なんて嫌だ!!って四人で頑張った成果が見えた時は…


 …うん。

 楽しいって思った。


 ミッキーこと本間さんが要るのかどうか、あたしには謎なんだけど。

 今のところ、まだ一曲しかやらせてもらえてないあたし達は、明日里中さんにOKをもらわなきゃ…どうにもならない。



 …そんな時に、あたし…

 ノン君とホテルになんて。


 突然、二人きりになりたいって言った事を後悔した。

 明日のために、やらなきゃいけない事…あるのに…



「…どうした?」


「え?」


「百面相してる。」


「……」


 な…何で分かるのかな。


 あたしは背筋を伸ばすと。


「…ごめん、ノン君。やっぱり…今日は帰っていい?」


 ノン君の横顔を見つめて言った。


「……」


「あたし達…里中さんにダメ出しされて…明日OKもらえなかったら、解散って言われたんだ。」


 あたしの言葉に、ノン君は驚く事もなく。

 ただ…無言でハンドルを切った。


 …怒った?



「え…えーと…ノン君たち、どうだったの?打ち合わせ…」


「…スタジオ入った。」


「あ、そうなんだ。」


 合わせたとしたら…杉乃井さんはどうだったんだろう。

 声とMCはすごいって思うけど…キーボーディストのイメージは全く湧かない。



「…杉乃井がすご過ぎて、ついてけなかった。」


「ふーん…やっぱりね………………え?」


「……」


「ついてけなかった…って……ノン君が?」


「俺もガクも希世も。思ったより体力も迫力もない、曲作りは自分がするから、体力作っとけって言われた。」


「……」


 あたしは、口を開けたまま…ノン君を見た。


 え…?

 え?え?


 ノン君にダメ出し出来る人って…居たとしても、里中さんぐらいだと思ってた…


 …杉乃井さんが?


 それに…

 ノン君の口から『すご過ぎてついてけなかった』って…言わせるほど…の、人なの…?



 それからは無言になって。

 すぐ隣にいるのに…ノン君の事、ひどく遠くに感じた。

 そうこうしてると、うちに着いて…


「…寄る?」


「いや…やめとく。」


「……」


「じゃあな。」


「ノン君。」


「…あ?」


 運転席の窓に手をかけて、ノン君にキスをした。

 今まで…毎日ルームでキスする事から始まってたのが…今日からなくなって。

 唇が寂しかった。

 たったそれだけ…


 …ううん。

 それだけじゃないよね、あたし。



「…おやすみ。」


 唇が離れて。

 ノン君は、あたしの頬を優しく触って言った。


 大好きなノン君の声。

 …ああ…やっぱホテル行きたかった…って、つい後悔してしまう。


 でも、DANGERが解散なんて、絶対ダメだから…我慢我慢!!



「おやすみ。」


 手を振って、車を見送る。


 …今まで、ずっと一緒だったから…

 離れるのが怖い。


 …ノン君は沙都とは違うよ。って思いながらも…

 あたしは、ノン君が杉乃井さんの事を『すごい人物』として認めてる事に…モヤモヤしてしまってた。





 〇桐生院華音


「…おう。」


 翌日、朝一でルームに来て弦の張替えをしてると…杉乃井が来た。

 思いがけない早い登場に、少しだけ面食らう。


「おはようございます。」


 杉乃井は、俺の前で姿勢を正して頭を下げて。


「できれば、こっち側だけでもあたしのスペースにしてもらえますか?」


 無表情で、部屋の隅を指差して言った。


 紅一点だからな…着替えなんかも気を遣うだろうし。


「パーテーションもらって来る。」


 そう言って立ち上がると。


「あ、結構です。カーテンで仕切りますから。」


 杉乃井はバッグからワイヤーやカーテン、その他色々を取り出しながら言った。


 …段取りのいい事で…。



「…なあ。」


「はい。」


 昨日から気になってる事を聞こうと思って、カーテンの取り付け作業をしてる杉乃井の背中に問いかける。


「やけに刺々しい気がするのは気のせいか?」


「……」



 F'sのライヴの後、ダリアで話し込んで…俺と杉乃井は普通に友達感覚で話せるようになってたはず。

 面接に来た日だって、エレベーターの前で笑顔で話した。


 が。


 昨日からの、この無表情。

 何なら少し睨みもきいてる。



 杉乃井はカーテンをギュッと握って。


「…DANGERに入りたかったのに…」


 すごく不機嫌な顔をした。


 まだ言うのかよ。

 そんなにかよ。

 そんなに、DANGERに入りたかったのかよ。

 つーか、DANGERには杉乃井ほどの腕前のキーボーディストは要らねーと思うんだけど。


 実際、本間もサポートメンバーらしいし。



「…紅美さんと、付き合ってるそうですね。」


 え。と思って杉乃井を見た時には、すでに杉乃井は至近距離に来てて。


「いつから…付き合ってたんですか?」


 つい…椅子ごと後退する。


「い…いつって…」


「ダリアでご一緒した時は…もう…?」


「…夏…から。」


「夏?」


「……」


 な…何なんだ。

 俺は別に、思わせぶりにしたつもりはないぞ。


「……」


 杉乃井は、ずんずんと顔を近付けて来て。

 それに合わせて、俺も椅子から立ち上がって後退して。

 だが…壁に追いつめられた。



「…好きだったのに…」


 杉乃井は…目を潤ませてそう言うと。

 俺の顔を両手で挟んで…


 キスをした。




 ぶっちゃけ…強引な女は嫌いじゃない。



 って…


 ………いや、違うし!!




 俺が杉乃井を突き飛ばそうとすると、杉乃井はやたらと強い力で俺の首に腕を回して…

 顔の角度を変えてまでキスを深めた。


 お…

 おいおいおいおいおいーーーー!!



 体勢を変えて逃げようとすると…それが裏目に出て、床に押し倒された。


「おっ…おま…」


 一瞬自由になったと思うと、また唇を塞がれる。


 だ…誰か…!!



「おはようご…えっ!!!!????」


 助けてくれ。


 そう祈りはしたが…

 入って来たのは、ガクと希世で。

 二人は、床で重なってる俺と杉乃井を見て。


「ししししししし失礼しましたー!!」


 ドアを閉めた。


「ちっ…違う!!」


「あーあ…見られちゃった…」


「お…おまえなあ!!」


「拒もうと思えば拒めたでしょ?柔道二段の桐生院華音さん。」


「っ……」


 杉乃井はパンパンと手を叩いた後、髪の毛を後ろに追いやって。


「入って。」


 ドアを開けて、ガクと希世に言った。


「え…え…えーと…」


 呼ばれた二人は俺と視線を合わせないように、遠慮がちにルームに入って来た。


 って、おい!!


「なんでもないんだからな。」


 俺がゴシゴシと腕で唇を拭きながら言うと。


「あんなに情熱的なキスしたのに?」


 杉乃井は流し目。


「……」


 俺は目を細めて、ガクと希世に首を横に振って見せた。

 違うからな。って意味を込めて。


 だけど二人は…それを。

『誰にも言うな』と受け止めたようで。

 杉乃井が『やっぱりパーテーションもらって来ます』ってルームを出た後…



「…いつから…?」


 希世!!


「違う。何も関係ないから。」


「ノン君…悪いけど、俺…かなりショックなんだけど…」


「おい。だから違うんだってば。あいつが勝手にグイグイ来て…」


「いくらグイグイ来ても、逃げられるっしょ。ノン君…紅美とどーなってんだよ…」


「お…ガク。マジであいつが俺に逃げる隙を与えずに…」


「ノン君、柔道習ってなかったっけ…」


「昔の話だろ。今は役にも立たねーよ。つか、話聞けよ。」



 そこで俺はようやく、杉乃井がどれだけスムーズかつ大胆に俺にキスをしたか説明した。


 …が。



 何だって俺…


 こんなに必死で弁解してんだ…?




 〇二階堂紅美


「よし。『Ugly』やってくれ。」


 今日も里中さんはスタジオに入った途端…スイッチの入った顔だった。

 あたし達四人はゴクンって生唾飲み込んで…顔を見合わせる。


 …大丈夫。


 昨日、あれだけ練習して…今朝もルームで合わせるだけ合わせた。

 何より…多香子と麻衣子の『DANGERとして認められたい』って気持ちと…

 沙也伽の『DANGERを守りたい』って気持ち…

 それがすごく伝わって。


 あたしも、負けてらんないって思った。



「……」


 あたしは三人に目配せをしながら…ニッと笑ってみせる。


 必死なだけじゃ伝わんないよ。

 この曲は、醜い事について歌ってる曲だけど…作ったあたしに言わせると、ゴキゲンなナンバー。

 そんなゴキゲンなナンバーを、縮こまって演る必要はない。


 あたし達はDANGER

 やーらしく激しく、あたし達DANGERらしく。

 女にしか出せない音。

 出してやろうじゃない。



 あたしがイントロを弾き始めて。

 そこに麻衣子が加わる。

 そして、多香子と沙也伽が加わって……うん。

 弾きやすい。

 昨日の初回と全然違う。



 歌に入ると自分でも驚くほど声が出てる気がした。


 何だろう…



 あたしは少し、間抜けな顔をしてしまったと思う。

 そんなあたしと目が合った里中さんは…



『ぐぉうるああああああ~!!紅美~!!!』




 って…叫ぶのかと思いきや。


「………」


 意外にも無言で。

 何なら…少し口元が緩んでる。


 …鬼が笑うなら、楽しむ他手はない!!



 あたしはいつも弾いてるフレーズを、邪魔にならない程度に加速させた。

 それに気付いた沙也伽がゴキゲンなシャッフルを入れてくれて。

 多香子と麻衣子も…練習にはなかった雑カッコいい…それこそDANGER…

 あたし達らしい、フレーズを付け足した。



 ノン君と沙都と沙也伽と、あれだけ苦労してアメリカでデビューして。

 沙都が脱退した後は、ガクを加えて洗練されたDANGERになったと思ったけど…


 これが。

 この、雑カッコいいサウンドが。

 今までで…一番、あたしの欲しかった物のような気がする。


 あたしのギターは、元々シャープな切れ味があるようなものじゃない。

 弾き殴って、それに共鳴するようにシャウトして。

 ギターと声とが一体化してナンボ。ってやつだよ。


 だけどノン君はあたしを引き立たそうとしてくれて…ギターを押さえて。

 あたしはノン君のコーラスに引っ張られて、カッコ良くなって。

 自分の望んでたスタイルとは、かけ離れてしまったのかも。



 …だけど。

 あの日々は無駄じゃなかった。

 その証拠に、あたしの歌もギターも…テクニックは数倍も…何十倍も上がった。

 …うん。

 全ては…通過点だったんだ。


 そう思うと、今のこれだって、そう。

 あたし達は…まだまだ進化出来るんだ。




『Yeah!!』


 あたしのシャウトと同時に、沙也伽のシンバルがキマって。

 里中さんのリクエストである『Ugly』は…奇跡的に通す事が出来た。


『……』


 あたし達は…無言でマイクを持ったままの里中さんを見据える。


 ドキドキしてる。

 だって…あたし達…

 自分で言うのも…あれだけど…

 サイコーだったよ!?



『おまえら…』


 …ゴクン…


『よくやった』


 里中さんのその言葉が出た瞬間。

 あたし達は顔を見合わせて…


「やっ」


『って言うと思ったかバーカ!!』


 ……えっ。


『麻衣子!!スライドの練習したのか!?ビニールみたいな音がしてんぞおい!!』


「は…はいっ!!」


『多香子!!ハイフレット押さえる力が弱すぎる!!ひ弱か!!』


「ひっ…きっ鍛えます!!」


『沙也伽!!腕の振りがおせーんだよ!!ライトシンバルが遅れてんだろーが!!』


「うわー!!や…痩せます!!」


『紅美!!』


「…はいっ。」


『……』


 里中さんはあたしの名前を呼んだ後、みんなをぐるりと見渡して。


『いくら気持ちいいからって、一番いいとこでハズすんじゃねーよ!!』


 大声でそう言って、マイクをクッションの上にポトンと投げると。


「明日、本間も交えて他の曲もやれ。」


 ニコリともせずに…スタジオを出て行った。


「……」


「……」


「……」


「……」


 あたし達四人は顔を見合わせると…


「…気持ち良かったよね…」


 沙也伽の言葉を皮切りに。


「あたし鳥肌たった。」


「里中さん、全部やらせてくれたよね。」


「沙也伽、マジで痩せるの?」


「あっ、紅美それ言う!?」


「だって自分で言ったんじゃん!!」


 自然と…スタジオの真ん中に集まって、座り込んだ。


「…スタートラインに立てそうかな?」


 麻衣子が首を傾げてそう言うと。


「あたしはもう立ってるけど。」


 沙也伽が腕を振り回しながら言った。


 …うん。

 そうだ。

 あたし達はもう…スタートラインに立ってる。


「ミッキー呼んで、他の曲も練習しようよ。」


 多香子が立ち上がる。


「ミッキー…」


 沙也伽の意味深な笑顔。


「…本間さんでいいんじゃ?」


 つい、目を細めて言うと。


「サポートでもメンバーなんだから。仲良くやろうよ。」


 麻衣子も立ち上がって、スタジオのドアを開けた。


 …まあ、そっか。



 あたし達は…新生DANGER



 もう…がむしゃらにやるしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る