エルンストとフレスベルグの日常

「だるーい。動きたくなーい。ねむーい」

 いつにも増して気だるげな声が振りまかれる。

 見た目だけなら、はっと目を見張るような美少女がいた。

 

 睫毛は長く手入れが行き届き、桜色の唇が可憐さを醸し出している。肌は白磁色。透き通るような美しい肢体の少女だった。

 髪は長く、腰の先に届くそれはベッドの上で艶めかしく広がっている。

 じつに悩ましい光景である。けれど誰でも彼女のことは避ける。関わるとろくなことにならないためだ。


「飲み物のみたーい。どこかにないの」

 しゃべれば食い物欲しいと口にする。

「狭い場所きらーい。大空に連れ出して」

 文句や不平を言うのは日常茶飯事なこと。

 黙っていれば美人なのにもったいない。関わった誰もに思われる少女。

 彼女の名はフレスベルグ。

 正体は大鷲の魔物であり、アルシエル・ゲームにいるペアの中でも、最高位に位置する武闘派の少女である。


「何か美味しいお菓子食べたい……」

 牢屋、鉄製のベッド。その上で彼女は息を吐く。

 彼女にとって万物は退屈だった。

 大抵の者はフレスベルグより弱いし脆いのが難点だ。

 生まれつき強大な力を持った彼女は、地位も、名誉も、金銭も、当たり前のように持っていた。望むものは何でも手に入ったし、退屈することはなかった。けれどあまりに恵まれすぎて、逆に皆飽きてしまったのである。


 そのせいか、最近では強い欲望も持ってはいない。

 ここ数日もそうだ。理不尽なサバイバルゲームに巻き込まれ、異世界へ召喚されたとしても、周りは貧弱で軟弱者ばかり。

 心はざわめかず、些細な出来事にしか思えない。フレスベルグは、今日も眠そうにしていた。


 そこへ、声をかける人物がいる。

「フレスベルグはじつに怠惰な娘であるな。あやかりたいものである」

「なにそれ、皮肉?」


 ベッドに寝そべり肢体を伸びやかにしていた少女は、視線を横へ転じた。

 白衣の青年だった。小さなガラス管を振り、何かの実験をしている。

 精悍な顔つきの青年である。背は高く細い体型で、いつも白衣を着ていて薬品の匂いを撒き散らしている。たいていは笑顔を浮かべていて、今もそう。けったいな七色の薬品と毒々しい薬品を混ぜあわせて何やら、肩を震わせて喜んでいる。

 不気味だ。

 ある意味、自分以上にけったいな人間だ。

 白衣の青年エルンストは言う。


「我々は厳しいゲームの中に放り込まれたというのに、君は毎日食っちゃ寝してはまた食っている。素晴らしいほどの人生の浪費であるな。ふふ。浪費は贅沢だ。贅沢は楽しい。羨ましいぞフフフフハハハッ」

「変な人間」


 フレスベルグは退屈している。けれど例外というものもある。それがペアとなった青年、エルンストの存在だ。

 職業は科学者だというエルンストは、暇があれば、何やら妖しい実験をしている。

 爆発したりうねったり、ぶよぶよしていたりする物体。

 くねくね自動で動く、軟体植物の類。

 千差万別。危険物から用途不明のものまで、じつに様々だ。


 そして性格も変である。フレスベルグの横暴な態度にも腹を立てない。我儘を言っても愚痴を告げても、軽く受け流してしまう。

 牢屋で出される飯がマズイと文句を言っても笑っているし、狭くて嫌だと言っても笑っている。

 こいつ笑うしかない病気じゃないの? とフレスベルグは思うのだが、事実はわからない。


「それ、何の薬?」

 フレスベルグは彼の手元、赤紫の何かが入ったガラス管を指差した。


「これであるか。これはな、凄いものだ、一口飲めば体の力が五倍、いや十倍に増すというスグレモノである!」

「一口で十倍? ふーん、じゃあそれ飲んで戦いに挑んだら?」

「だが副作用として飲んだら記憶がパーになる欠点があってな。困ったものである」

「つかえなーい」

 エルンストは笑顔のまま続けた。


「次にこの黄緑色の液体であるがな、飲むと思考がすっきりして素晴らしいアイデアや戦術が、湯水のごとく出てくるのである!」

「じゃあそれ飲んで戦えば楽勝?」


「しかし副作用として翌日から頭が真っ白になって何も考えられなくなるのである」

「ろくでもなーい」

「さらにさらに、こちらの斑模様の濃紫薬品はな、筋力も思考力も飛躍的に上がるとっておきの秘薬である!」

「すばらしー」


「しかしながら問題点があり、この薬品の匂いを嗅ぐだけで女の子にドキドキしてしまうのである! そんなもの使ったら誰彼見境なく恋してしまう。色欲魔! 色欲魔!」

「マジつかえなーい」


「ちなみに調合したときにだがな、ワタシはこれを少し嗅いでしまったのである。そのせいで、フレスベルグ、君にちょっとときめいている……っ」

「頬を赤らめてこっち来るなっ」

 ずざざざざ、とフレスベルグはベッド脇にまで退散した。彼女にしては珍しい挙動だった。


 大体、彼はこのようなものばかり作っている。正直フレスベルグはやめてほしい。

「はっはっ。自制はするのである。さすがにワタシに幼女趣味はない」

「……フレスベルグ、これでも十八歳だけど」

 エルンストはびっくりして目を見開いた。

「えええ!? うそであろう!? だって胸ぺったんこではないか!」

「風のルーンで吹っ飛ばすよ?」

「待ってくれフレスベルグ。吹き飛ばす前に聞いてくれ、次なる薬品は素晴らしいのだ! この橙色の薬品はな、飲めば相手の思考を覗くことができるというスグレモノっ!」

「またどうせ副作用あるんでしょ……」

「当然! これは相手の思考が見えすぎて、自分の頭が全部埋め尽くされる欠点がある! ワタシは飲んでみたがその影響で、いまフレスベルグの思考が見える。ねむーいだるーい休みたーいご飯ほしーいせまーい汚ーい。まるで駄目な人間のようであるな!」

「うるさい大きなお世話!」

「なになに? 胸大きくならないかな、おっぱいでかくなりたいな、谷間って憧れなんだよね……だと? おお、フレスベルグ、君にも表に出さないだけで、年頃の少女らしい思考がある――」

 指先から風を巻き起こし、フレスベルグは白衣の青年をふっ飛ばした。

 螺旋に回転しながらエルンストが壁に激突する。が、青年はすごく良い笑顔である。


 白い歯を彼はきらっと見せつけて、

「はっははは。少女は怒っている顔が最も美しい!」

「……疲れた。ほんと疲れた。だるーい」

 ぱたんと、大の字になりながらフレスベルグはベッドに横になる。

 艶やかな長い髪が、ベッドを染めるかのように広がる。

 絹糸が優雅に広がるような、美しい光景。

 その様を眺めて、ぽつりとエルンストが呟いた。


「……ふーむ。しかし今さらだが、もったいないな」

「何が」

「少女は怒っている時と、恋をしている様が、最も美しい。ワタシはそう思うのである。ゆえにフレスベルグ、君を見ていると、もどかしい」

「恋? 恋愛? 何の話?」

「見た目が良いのに仏頂面が多いというのは、じつに損してるなと思っただけである」


 するとフレスベルグは、寝そべったまま嘆息した。

「興味、ないし。フレスベルグは強く美しい。それだけで満足してる」

 実際、元の世界ではフレスベルグは最強の守護者として崇められていた。

世界の秩序を司る世界樹では伝説の番人。大樹を我が物としようとする人間を撃退していた、至高の存在だった。


 その美貌も高く評価され、フレスベルグは神話の女神だろうが、絶世の美女だろうが、自分はそれ以上の美貌を持っていると自負している。

 ゆえに、フレスベルグが欲しいものはない。

 全て、手に入れてしまっている。


「なるほどなぁ。しかしそんなフレスベルグに、良い物があるぞ」

 そう言うと、エルンストは白衣のポケットからガラス管を取り出した。

 中はピンク色の妖しい液体がある。

 どう見ても嫌な予感しかしないフレスベルグは半眼で、


「そのいかにも怪しげな薬は、なに?」

「女の子を一番美しい状態にさせる秘薬、とだけ言っておこう」

 フレスベルグは呆れた。

「くだらない……眠ーい。だるーい。もう疲れた、寝る」

 どさっ、と大きな音を立てて、フレスベルグは鉄ベッドに横になる。


 それっきり、もうエルンストが声をかけても反応しない。長いまつげを伏せて、やがて、小さな寝息が牢屋の中に広がっていった。


 夢の世界に入り込んだ少女を前に、エルンストは呟く。


「……ふむ。まあ見た目が怪しげな薬、というのは否定しない」

 ピンク色の湯気が沸き立つ液体をしげしげと眺める。


「だが残念であるな。フレスベルグは絶対、恋をすれば可愛いのに」

 寝入ってすやすやと吐息を吐く彼女へ、目を向ける。


 やがてエルンストはふと拳で己の掌を叩いた。

「ふむ、そうだ。良いことを考えた」


 いかにも楽しそうに、笑みを満面に浮かべながら彼は言う。

 目の前には、眠り続けるフレスベルグとピンクの薬品。

 エルンストは自分の考えにほくそ笑んだ。



 そして時は過ぎ、夜が明ける。


「……?」

 起きて上体を起こすなり、フレスベルグは自分の胸に手を添えた。


 ――なんだか胸が熱い。

 朝起きて意識を覚醒してみれば、妙に胸元が熱い。顔は火照っているし、心臓の音はばくばくばくと早鐘のように打っている。少し吐息を吐けばびっくりするほど熱く甘い息が出る。


 内から湧き上がる、多幸感のある熱さ。体が羽根にでもなったかのように軽い。思わず戸惑っていると。


「おはよう、フレスベルグ」

 いつもと変わらない笑顔でエルンストが、ベッド脇から振り返った。

「え?」


 ドキーン。


 とんでもなくフレスベルグの鼓動が揺れた。気のせいではない。え、なに、なに、なにと思ううちに顔は見る見るうちに赤みを増し、耳たぶまで真っ赤っ赤。思わず頬に手を添えると、火のように熱くなっている。


「どうしたのであるか、フレスベルグ」

「え、う、あう……」

 エルンストの顔が見られない。というより見たら胸が熱くて苦しくて直視できない。


 え、あれ?

 なんで? 

 どうして?


「なんだか顔が火のように紅いぞ。大丈夫か」

「ああわ、うう……」


 エルンストが顔を近づけた。その瞬間、胸の奥がきゅんきゅんしてたまらない。彼の瞳を見るだけで胸がときめいて仕方ない。


 火照った体が燃えそうなほど熱いし、よく見ればエルンストのまつげは、ちょっぴり上にカールしているな、眉の形が綺麗だな、もっと近づきたいな、上腕二頭筋、よく見ればけっこう太いんじゃ……? 白衣で隠れているけどじつは筋肉質? じゃあもしあの腕で抱きしめられたら、どんなに気持ちいいだろ――!?


「ちょっと待って!」

 高速でフレスベルグは背後に下がった。


 ばくばくばくばくと、超速で打たれる胸を抑えつつ、

「――エルンスト、いったい何をした!」

「ん? 何がだ?」

 素知らぬ顔で応える青年。それを見てさらに胸がきゅんきゅん、ではなくて。

「フレスベルグに、何か、変なこと、したの!?」

「いやまったく全然。これっぽっちも覚えがないな」


 ――嘘つけこのやろー、という罵声と。

 ――ああん、エルンスト、かっこいい!

 という反する言葉が、フレスベルグの中で反響する。


「うそだ、絶対何か、やったはず!」

 そのとき、視界の端に『あるもの』が見えて、フレスベルグは戦慄する。

 ガラス管の中身が、ない。

 ピンク色の液体だけ、ない。

 いくつも並ぶガラス管のなかで、一つだけ、中身が空っぽのものがある。

「エルンストォォォ! この、大馬鹿科学者――――っ!」

「何のことだかわからないな――――!?」

「あなたのせいで、フレスベルグは変な気持ちに――――っ!」

「いやいや違うぞ、フレスベルグ。ワタシは無断で、寝ている美少女に、自分の作った惚れ薬を飲ませたりなどしない。たとえ無防備に口を開けて、すやすや眠っているフレスベルグが目の前にいようとも! ワタシは! 断じて! 飲ますチャンスだと! 思ったりはしていないっ!」

「うそつけ――――っ!」

 風のルーンで、フレスベルグは彼を吹き飛ばそうとした。


 しかし駄目だった。


 いつもなら大男も吹っ飛ばす力は、よそ風のような力しか出ない。


 エルンストの前髪が、ほんのちょっぴりなびく。

 ふぁさぁ、と、じつに格好良く、彼の髪がフレスベルグの眼前で舞い上がる。

 ドキーンッ。

 ドキーンッ。

 ドキーンッ!

 フレスベルグの胸が、面白いくらい高く鳴る。


「あぅぁぁ……うあ……」

 もうダメだ。些細なことだけのことで彼が愛おしい。エルンストが瞬きするたび、唇から吐息を漏らすため、フレスベルグは体が熱くて、彼に飛びつきたくて、たまらないほど胸がきゅんきゅんする。


「そんなに顔を赤くして、大丈夫であるかフレスベルグ」

 不意に、エルンストが微笑みながらさらに距離を詰めてきた。


 フレスベルグは下がろうとするが、背後は壁なので、これ以上は行けない。

 ドンッ、と壁際にフレスベルグを追い詰めたエルンストは、そのまま少女の頭の脇に手をついた。


 鼻と鼻が触れるような、至近距離。

 互いの吐息が交じり合い、青年の息を吸っていると思うとまた心臓が高鳴る。


「瞳が潤んで可愛いぞ……」

「あううあ……ううあ……うぁ……」

 駄目だもう、もうっ、もうっ、これ以上ささやかれたら! それだけで胸が切なくて彼を抱きしめそうになってしまう。

 情熱的な感情が、胸の内から溢れ出す。

 上目遣いで赤らんだ顔のまま、フレスベルグは青年を見る。

 エルンストの優しげな表情。

 いたずらっぽい眼なのにどこか凛々しくて、榛色の綺麗な瞳。彫りの深い顔立ちはよく見れば美男子で、柔らかそうな唇に、どうしても目が吸い込まれてしまう。


「全てをワタシに委ねるがいい……」

 甘い優しい声で、ささやかれた。


「キミが知らぬ新たな扉を開いてやろう……」

 暖かで柔らかそうな唇で、笑いかけてくる。


「うぁうう……ああう……うぁ……」


 やばい、格好いい。

 抱きしめたい。

 そうしたい。


 フレスベルグの中で、もうこのままでいいや――と最後の理性が、崩れかけた瞬間。


 不意に熱くたぎっていたものが、消えた。


「……あれ?」

 驚いてフレスベルグは自分の胸を撫でる。

 何もない。先ほどまで湧き上がる熱い気持ちは鳴りを潜めて、いつも通りの凪のような感情だけがある。


 目の前のエルンストの顔を見ても、何も感じない。

 むしろ、逆だった。


 顔は確かに整っているが目元はくまができているし、頬に薬品がひっついているのがみっともない。たくましいと思ったその腕は、異臭がするし、白衣はあちこちが汚れていて、とても抱きしめたいとは思えない。


「……フレスベルグ?」

 白衣の青年が話しかけると、フレスベルグは無言で彼を睨んだ。


「……」


「も、もしかして薬の効果が切れたであるか?」

 フレスベルグは、そのまま強く頷いた。


 とても眉を斜めにして。

 長髪を逆立てて。

 体を震わせて。


「(怒)」

「ま、待ったフレスベルグ! あれは冗談だ、ほんの出来心である!」


「(怒っ)」

「ほんとに効くとは思わなかったのだ! 精々胸が軽くうずくくらいかと!」


「(怒っ! 怒っ! 怒っ!)」

「待ってくれフレスベルグーっ! まずは落ち着こう! ワタシが悪っ、アッ――――ッ!」


 風のルーンを受けてくるくる回りつつ、エルンストは反対側の壁に激突する。

 綺麗に螺旋を描いて飛んだ彼に、なおもフレスベルグは風を乱射した。

 度重なる、風の乱舞。


「ふ、フハハッ!」

 けれど、それでも白衣の彼は、笑顔を絶やさない。


「やはりワタシの考えは正しい! 少女とはっ! 恋している時と! 怒っている時が! 最も美しいっ!」

「(怒っ! 怒っ! 怒っ! 怒怒怒怒怒っ!)」

「フフハッ、フハッ、フハハハハハハハハハハッ!」


 壁に何度もぶち当たりつつも、懲りずに笑い飛ばすエルンスト。

 怒れるフレスベルグ。

 牢屋の中で、彼らは牢の番人に止められるまで、ずっとそうしていたのだった。



 そして。翌朝。

「フレスベルグ! 昨日の惚れ薬の改良版、ワタシが飲んでみた!」

「はあ!?」

「フレ――スベルグぅッ! 好きだ! 抱きしめたーいのであ――るぅぅっ!」

「もう嫌っ! 最低っ!」


 退屈。その日以来、フレスベルグは呟くことがめっきり減ったという。

 白衣の青年と大鷲の魔物の少女。彼らの間でもう少しだけ、この日常が続いていく。




――終。


*****

お読みいただきありがとうございました。

番外編、その第四弾です。

今回はメインではなく科学者の青年エルンストと、大鷲の魔物の少女フレスベルグが主役になります。

話の内容は……ラブ、コメ?

楽しんで頂ければ幸いです。

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最弱だと思ったけどじつは【最強の魔神】でした ~スライム娘と戦うレベル1の魔神~ サナギ雄也 @sanagi_yuuya

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