第40話  エルンストの推理

姉妹の優しい抱擁を見つめながら、彩斗はあれが本来のスララとアルシエルの姿なのだと思った。


 姉のことが大好きな妹と、妹を優しく見守る姉。

 集落の元々の生活で、ベリアルさえ現れなければ、二人はきっと穏やかな生活を送っていたのだろう。

 スララはいつも笑顔を浮かべていて、アルシエルがそれを暖かく包み込む。時にふざけて童心に返ることもあるだろう。喧嘩することもあるかもしれない。けれど、最後は笑って、触れ合って、姉妹の絆を深めていく――。


「良かったね。スララ……本当に良かった……」


 思わず彩斗から、涙がにじみ出る。

 今まで越えてきた激しい闘技の苦労が、報われた思いだった。憂いが、疲れが晴れたように感じ、胸が一杯になる。

 甘えた声でスララが「お姉ちゃん。お姉ちゃん……」とささやけば、アルシエルが「ああ、お前は大事な妹だ」と愛おしさのたっぷり込もった声で抱き締める。


 いつまでも、彼女らを見ていたかった。

 幸福なひと時を、心ゆくまで堪能していたかった。


 けれど暖かな時間は――いつまでも続かない。

 隠れていた闇の存在は未だ健在で、この瞬間がひと時の平穏であることを忘れてはならない。


「――彩斗、少しいいであるか。こちらへ来てほしいである」


 それまでずっと思索にふけっていたエルンストが、静かに口を開いた。


「え、あ、はい」


 怪訝な表情で、彩斗は離れた彼の方へ向かう。

 エルンストは神妙な顔つきをしていた。これほど真面目な表情を見せていたのは今までになかった。自然と、彩斗も釣られてしまう。

 強張った顔の彩斗の前で、エルンストはポケットからガラス管を取り出した。


「……それは?」


 エルンストの取り出したのは、薄紅色の液体だった。透明感があり、いくつかの気泡が浮かんでいる。エルンストが軽く振ってみせれば、ガラス管の中で薄紅色の液体がちゃぷりと音を立てた。

 彼は彩斗の問いには直接答えず、


「彩斗、さっき君はスララに押し倒されて肘を擦りむいたであるな?」


 途端に、彩斗はスララの胸の感触を思い出して赤くなる。


「え、お、押し倒されたなんて……あ、本当だ、擦りむいてますね」


 自分の肘を確認してみたら、確かに擦りむいた痕がある。硬い床で擦った右肘から、じわりと血が滲んでいた。


「それが……何か?」

「その血を少し、このガラス管の中へ垂らしてほしいのである」

「……?」


 なお怪訝な表情のままのエルンストに、彩斗は首を傾げた。

 意図が掴めないが、彩斗は言われた通り、頷いた。そして差し出されたガラス管へ、血をを垂らしてみせる。

 そんな二人の様子を、スララとアルシエルも抱擁を止めて視線を向ける。四人分の視線を集める中、ガラス管の液体と彩斗の血が交じり合う。


「ふむ……」


 そうして、エルンストが深く頷いた。

 ガラス管の中の液体は、彩斗の血に触れて色が変色していった。薄紅色だった液体は深い闇のような色になり、およそ五秒経った後にまた薄紅色に戻っていく。


「なるほど、そうであったか」

「……それが、どうしたんですか?」


 彩斗は意味がわからなかった。いや、エルンスト以外全員がそうだったろう。エルンストの意図は完全に不明で、不可解だ。

 彼だけがしきりにガラス管wpうんうん唸りながら眺めると、やがて表情を険しくさせる。


「まず、皆に断っておきたい。これからワタシが言うことは、極めて重大かつ、衝撃的な内容を含んだものである。話の腰を折らず、最後まで聞いてほしいのである」


「あ、はい……」


 改まった様子の彼に、全員が怪訝な顔で互いを見合わせた。 

 そういえばエルンストは、先ほどのパズル勝負の時以降、半分上の空だった。


 いや、そればかりではない。もっと前、シャノンが本を取りに行く以前から、彼は極端に口数が減っていた。

 その答えが、あのガラス管にあるのかもしれない。


「……あの、いったい、何について話すつもりですか?」

「質問に答えよう。誰が、ベリアルなのか――その疑問についての解答である」

「え?」


 緊張が、皆の中で走り抜ける。それぞれの中で、電撃でも受けたかのような衝撃が走る。


「エルンストさん、それって……」

「魔神ベリアルは、じつに巧妙に我々を欺き続けた。我々は少しも疑問を抱くことなく、彼の手のひらの中で踊らされていた。ワタシも、つい先ほどまで、気が付かなかったほどである。見事だと言う他はあるまい」


 エルンストは彩斗の言葉を無視し、語り続けた。

 そうして全員の顔を眺め回した後、再開する。


「事態はなかなかに深刻である。そしておそらくは真実に気づける可能性は相当低かったと思われる。しかし、いくつかの偶然と幸運が、ワタシを真実へ近づけた。ベリアルは、極めてワタシたちと近い所にいたのだ」

「そ、それは一体どういう……?」


 ますます判らない。エルンストの言い方は完全に意図不明で、彩斗は不安になる。しかし、エルンストはあくまで淡々と、神託を告げる神官のように、真実を語っていく。


「ベリアルは当初、アルシエル・ゲームの開催を知って、おそらく、即座にアルシエルを殺す事を考えたであろう。そもそも、あれは己が考案したベリアル・ゲームの模倣。ガーゴイルに囲まれ、牢屋での窮屈な生活を送らされ、他のペアと同じく長期の闘技の戦いを強いられる事を、屈辱と思わないはずがない。召喚された当初、かの魔神は、殺意を抱いていたはずである」


 彼の話は続く。


「しかし、ベリアルは考えを改めた。何故なら楽しい余興を思いついたからである。アルシエルは殺す、それは変わらない。しかし、普通に倒してしまってはつまらない。彼は気分屋だ、何か、工夫を凝らしから殺した方が、楽しめると考えた。そのために、演技をすることを決めたのである」

「え?」


 予想もしていなかった事に彩斗が呆気にとられる。

 何か、背筋が泡立つような感覚が、彼に訪れる。


「ベリアルは、とある少女とペアになった。ベリアルはわざとゲームに怯えたフリをし、不安がり、恐怖に震えるフリをし続けた。その結果、ペアの少女はベリアルが苦しそうな時も、不安そうな時も、恐怖の演技をしていた時も、彼のためにいつも隣で声をかけ続けた。ベリアルは内心で、それをあざ笑っていたのであろう。大変な役者である」

「エルンスト、さん……?」


 エルンストは振り向かない。彩斗の方を。決して。

 まるで見てはならぬ者であるかのように、硬い声音のまま、語る。


「ベリアルは、演技をしながら闘技で勝利を収めていった。凶悪な殺人鬼や、巨人との戦い。老獪な犬や、稀代の人形師との激闘。それらぎりぎりながらも勝利を収める姿は、見事だった。絶妙な演技だったと言うべきだろう。誰も彼もが。まさか彼をベリアルだとは考えなかった。彼はいつでも穏やかな性格を演じ、優しい物腰をし、巧みに少女を――私を、アルシエルを、その他全てのペアを欺いていったのだ。彼にとって、演技など造作もない。闘技に勝つことも、容易なことだ。何しろ彼は、自在に変身する術を持ち、過去にエレアントの大戦では魔物の軍勢を蹴散らしたのだから。ベリアルにとって、アルシエル・ゲームの中で、最も弱そうな人間を演じ、密かに企みを企てるのは容易だったのだ」


 寒気が、スララとアルシエルの体を包み込む。

 目に見えぬ恐怖が彼女らの周りを覆い、場を凍り尽くす。

 エルンストが、一度だけ目を瞑り、硬い声音のまま続ける。


「さて。ここまで言えば自ずと解答が得られるだろう。ベリアルはどこにいるのか。誰で、何をしていたのか。皆を欺き、影で笑い、アルシエルが隙を見せるのを今か今かと待ち構えていた――最悪の魔神とは、ずばり――」


 エルンストの伸ばした指が、視線が、『彼』の方向を指し示す。


「彩斗、君が『魔神ベリアル』である。何か異論はあるか?」


 固まっていた。

 彩斗は、何も、どんな挙動も起こせなかった。


 それほどエルンストの発した言葉は衝撃的であり、信じられないものだったから。

 愕然とした視線が、スララとアルシエルから発せられる。誰よりも弱く、無害だった少年へと、三者の視線が集中する。


「え? ボクがベリアル? やだなぁ、あはは……」


 はじめ、少年は呆けたような声を出しただけだった。

 しかし、スララの視線を受け、アルシエルに見つめられ、エルンストの強い眼差しを受けて、小さく笑い始めた。


「はは、嫌ですよ。エルンストさん。そんなわけないじゃないですか。ボクがベリアル? 冗談にしてもやり過ぎです。ほら、スララもアルシエルも固まってるじゃないですか。余興はこれまでにしましょうよ」


 彩斗は、努めて明るい声でそう言った。

 けれどエルンストは身じろぎもせず、スララやアルシエルもじっと少年を観察している。


「いやいや、違いますよ。違いますから。どうしてそんな眼で見るんですか、やめてください。ボクは、ベリアルなんかじゃありません。それは本当のことです」

「そうかな? では聞こう。彩斗、キミは闘技の最中、なぜ他の者より長く、ゲヘナを放射出来たのであるか?」


 沈黙が、数秒の間舞い降りる。


「……なぜって……そんな事言われても困ります。そもそもボクは、自分が長くゲヘナを出せるなんて、知りませんでした。長かったんですか?」

「ワタシはこれまで、全ての闘技を観察していたのである。時折、君やスララ、フレスベルグと会話しながらも、目だけはずっと闘技へ注いでいた。その上で言おう。キミのゲヘナは異常である」


 エルンストは、右の手首の腕輪を掲げてみせた。


「闘技中に、三度まで撃てるゲヘナ。これは一回につき、最大で四・七秒まで放つことができるのである。例外は存在しない。これまでワタシが見続けた十数試合、全てその範疇だったのである。四・七秒――誰もがこれ以上のゲヘナを出す事は叶わなかった。そして、ワタシも、先のアルシエルとの闘技中、ゲヘナを三度撃った。だが四・七秒より長く撃つ事は出来なかった。むしろ焦り三秒程度の時もあった。――これは、絶対の限界なのである。闘技の切り札、ゲヘナ。短くもなく、長くもない、絶妙な放射時間だろう。まさにゲームの切り札に相応しい。その限界を超えられるのは、ただ一人。例外はないと言ったが嘘だ。正しくはゲヘナの本来の使い手――魔神ベリアルだけは、別である。つまりは――」


 エルンストは言った。誰よりも厳しく、冷徹な目で。


「彩斗、君だけである」

「違っ……」


 彩斗は、思わず後退した。

 エルンストが、重心がわずかに変えた。それは、いつでも戦闘に移行出来る態勢。


「君は、夜津木・サイクロプス戦のときは、ゲヘナを最大で三・九秒まで出していた。そこまではいい。普通である。しかし次のガルム・マルギット戦のときは、倍近い、九・二秒も出していた。明らかな異常だ。ワタシはそのとき、思わず動転して、計測器を見直した程だ」


 徐々にエルンストの眼が、険しくなっていく。


「続くアルシエル戦の時では、七秒間のゲヘナを出していた。これも十分に異常である。彩斗、なぜ君は他より長くゲヘナが出せる? この異常をどう説明する? 理由を聞いてみたいであるな」

「そ、それは……」


 深海の静けさを思わせる静けさの中、彩斗の口に浮かんだのは苦笑だった。


「判りませんよ。……答えようがないです。ボクは、いつも必死でゲヘナを撃ってただけなんです」

「そう見えたな。君はいつでも一生懸命だった」


 今も、彩斗の口調に不自然さはない。

 ごく普通の、いつもの彼だ。

 しかし、エルンストには、演技をしている『ナニカ』にしか見えない。


「もう一つ、おかしな点がある」


 彼は片手で科学器具を掲げる。


「キミには先ほど、肘の血をガラス管に垂らしてもらったな? その結果、面白い結果が出た」


 エルンストは器具を皆に見せつけるように出す。


「液体は深い闇のような色になったな。これは皆に覚えてもらいたいであるが――」


 振り返り、エルンストはアルシエルへ問いかけた。


「アルシエル、この世界の魔法陣とは、術者の血液によるもので合っているであるか?」


 これはエルンストが独自に発見した事実だった。この世界の魔方陣は、術者の血で描かれる。血液には魔法に必要な元素、マナが豊富なためだ。

 アルシエルが軽く頷く。


「……ああ、そうだ。その認識で間違いない。例えばゲームの開始と終了を司る、そこの魔法陣は、ベリアルの血でできている。それに魔力を込め、魔法陣を発動させていたのだが……まさか」


 アルシエルは瞠目する。


「そう。つまりはそのベリアルの血でできた魔法陣と、いま彩斗から貰った血液が同じものならば――両者はベリアルという証明になるな」

「……まさか。しかし、そんな……彼が、本当に……?」

「確かめればわかるのである」


 うろたえるアルシエルの目の前で、エルンストが薄紅色の液体の入ったガラス管を掲げる。それを皆にわかりやすいように見せつける。


「この液体は血液に反応し、血液ごとにそれぞれ違う色を放つ習性を持っている。いま、その証拠に、ワタシの血を二回に分けて反応させてみよう。同じ人物なら、何度でも同じ色に変色するのである」


 歯で人差し指を軽く切って、エルンストは紅い雫をガラス管に滴らせる。

 液体は間もなく変色した。一回目と二回目、どちらも薄紅色から、濃い目の灰色に変わっていく。そして数秒後に元に戻っていく。


「ワタシの場合は、反応したら濃い灰色になるのであるな。……念のため、誰か一人、同じ実験をしてみるであるか?」


 試しにスララが実験をやってみた。色は涼やかな水色になった。

 エルンストが続ける。


「では本番といこう。この液体を、魔法陣に垂らしてみる。そのときに出た色が、さっき採取した、彩斗の血液と同じ反応――深い闇色であるならば――両者は同一人物。つまりは魔神ベリアルということになるのである」

「ま、待ってください!」

「彩斗……」


 彩斗が必死に叫ぶ。しかしエルンストは止まらない。やめさせようとする彼を押しのけ、液体を魔法陣に垂らす。

 液体が、魔法陣へと付着した。

 瞬間――淡い燐光が現れ、すぐに消える。


 変化した魔法陣は――『深い闇の色』だった。


「同じだ! 捕まえるのである!」

「待って! エルンスト、待ってっ!」


 スララが咄嗟に彩斗の前に立ちはだかった。

 エルンストが白衣の裏地から短剣を取り出り、彩斗に飛びかかろうとして、リコリスの触手に阻まれる。


「スララ、退け。結果は出たのである。彩斗こそが――ベリアルだ」

「違う! 待って。待ってよエルンスト!」


 スララは両目に涙を溜め、必死にリコリスを広げ、抗う。


「なぜ彩斗を庇う? 検証して、出た色は深い闇色であった。これはベリアルと彩斗が同じであると示している。ベリアルの描いた魔法陣と、彩斗から採取した血液――どちらも深淵のごとき闇色だった。これを認めずして、どうすると言う?」

「違うよ、そんなの絶対に違う!」

「違わない。疑うというのなら別の実験器具でも用いるか? ――言っておくが密かにあと三種類ほど試したものがあるが、彩斗は全て『黒』であった。今のが一番分かりやすい実験結果なのだ」

「違う、そんなの、違う……!」

「彩斗は――魔神ベリアルであった。全ての元凶、アルシエルの復讐の対象者。残虐にして狡猾なベリアル・ゲームの考案者――恐るべき魔神は、ワタシたちのすぐ近くにいたのである

「そんな……そんなはず……彩斗はわたしと、ずっと一緒にここまで……」

「ゲヘナの異常な放出時間。血液の調査での一致。どれか一つだけなら、ワタシも偶然と思っただろう。しかし証拠が揃い過ぎている。彩斗がベリアルだと答えは出ている。スララ、君は退くべきである」

「それでも――わたしは退かない! 第一、おかしいよ。彩斗は最初の頃、ずっと脅えてた。このゲームに本気で、恐怖を感じてたんだよ? わたし、わかるよ。いつも一緒だったんだもの。彩斗は、絶対に、ベリアルなんかじゃない!」

「それに確固たる根拠はあるのか? ゲヘナの異常時間をどう説明する。血液の結果は? どう反論する?」

「それは……で、でも、彩斗がベリアルなんてこと……」

「それはただの感情論だ。信じるに値しない。――アルシエルっ!」


 エルンストの怒鳴り声に、びくりと彼女は反応した。


「な、なんだ……」

「あなたはこの中で唯一、ベリアルと直接会ったことがあるな? 村に襲撃してきたベリアルと、彩斗の気配はどうであるか? どこか似ていないであるか? この無害そうな少年の奥底に、残虐な魔神の気配が全くないと、そう言い切れるであるか?」

「それは……」


 アルシエルは一度口ごもったが、すぐに思い返したように言った。


「確かに……違和感はあった。この少年が、偶然に助けられたとはいえ、無事に、二回も闘技を切り抜けられるのかと、少しは疑った。私との闘技のときも、全ての攻撃は、かすっただけだ。エルンストへの攻撃は直撃したのに、『なぜか』彩斗は、かすっただけで済んだ。まさか……まさか……」

「違うよ、お姉ちゃん、それは違う!」


 スララが叫ぶ。

 彩斗が抗弁する。


「それは違います、アルシエルさん。ボクがかすり傷なのは、アルシエルさんが、心の底では戦いを拒否していて、直撃を避けたいと思っていたからです。さっき、ボクはそう言いましたよね?」


 エルンストが首を振って否定する。


「だが、それはワタシに対しても同じでなければ、おかしいである。アルシエルはワタシに対しては、攻撃を『直撃』させた。我々に本気で攻撃を当てる意思がなかったのなら、彩斗にはかすり傷で、ワタシへ直撃というのは、矛盾している」

「それは……でも、それは……。違うんです、エルンストさん、ボクは違う。ベリアルではないです――」


 刃の煌めきが、彩斗の胴体へと迫っていった。

 エルンストが短剣を投擲したのだ。しかし、スララが咄嗟にリコリスで盾を作り、受け流す。


「退くのである! スララっ!」

「で、できないよ! わたし、彩斗を信じたいよ。彩斗は敵じゃない。ベリアルなんかじゃないよ」

「退かなければ力づくでも君を行動不能にするのである。ベリアルの策略にはまるわけにはいかない。いま、我々は全ての元凶を倒せる立場にある。最大にして唯一の好機を捨てることは、出来ないのである!」

「待って! エルンスト、もう少し考えさせて。彩斗は……彩斗はわたしの、パートナーだよっ」

「話にならない。ゲヘナの異常と、血液の一致――この事実がある限り、彩斗はベリアルである。退け、退くのだ、スララ! 共に最後の闘技を乗り越えた同士を、傷つけたくはない!」

「駄目! もっと調べれば、何かわかるかもしれないよ。だから待って、エルンスト、今はやめて」

「エルンストさん! ボクは、ベリアルじゃありません。人間です、及川彩斗です!」

「フレスベルグっ!」


 エルンストは、大音響で叫びを上げた。


「千里眼で見ているであろう! スララと彩斗を、攻撃せよっ!」

『――わかった』


 迷いの時間は、ほんの一瞬だった。

 猛烈な風の弾丸が、彩斗の背中へ直撃した。

 部屋の入り口から飛び込んできたそれは、一瞬で彩斗を打ちのめし彼を転倒させ、さらに第二波、第三波と立て続けに放たれ、彼を部屋の隅にまで吹き飛ばす。


「きゃあ!?」

「ぐっ、くあ……っ」


 助け起こそうとしたスララが風の弾丸を受けて弾き飛ばされる。リコリスの鎧は衝撃までは殺せない。風が走る。音速の弾丸となって襲いかかる。

 短い悲鳴が上がった。

 彩斗とスララは部屋のそれぞれ反対側まで、引き離された。


『あんまり気分良くない。早く終わらせて』


 風のルーンの力によって声を届けさせ、フレスベルグが不満を口にする。


「判っている、……ワタシとて、好きでやっているわけではない。先の闘技が終わるまで、彩斗は同志だと思っていた。しかし共に戦い、間近で彼の異常性を目にして、考察した結果――導かれる答えは、これしかないのである」

「エルンスト……」


 スララが倒れつつもつぶやく。

 複雑そうな表情をして、エルンストは続けた。


「他にどんな説明ができる? ゲヘナの異常と血液の説明を覆せるであるか? 他にこれを否定できる材料が、一つでもあるか? ――何でもいい。彩斗、スララ、アルシエル、フレスベルグ、どんな些細な証拠でも構わない。彩斗がベリアルではない証拠があれば、ワタシは止めるのである。しかし、何もない。彩斗がベリアルでないと、誰が証明できるのであるか!?」


 それは、血を流すような叫びだった。

 エルンストだって彩斗を信じたい。しかし状況がそれを許さない。


 彼は、科学者だ。目の前の人物がどれだけ親しくとも。『結果』という、考察の果ての結論に、逆らう事は出来ないのだ。


 沈黙が部屋中を包み込む。

 誰も、エルンストの導き出した結論を覆すことができなかった。彩斗はベリアルであり、全ての元凶。それはもう覆せない事実となって彼らに伸し掛かっていた。


「やはり……反論できないか。ならば災いは滅ぼすべきであるな」


 エルンストが、ポケットから複数のガラス管を取り出す。


「ワタシとフレスベルグだけで魔神ベリアルを討滅できるかは不明だが、やるだけやってみるしかないであるな」

『同感。久々に命をかけた戦いになる。面倒を超えて苦痛』


 フレスベルグは続けた。


『でも魔神ベリアルは倒す。じゃないと終わらない。安心して帰れないのは事実。フレスベルグは、元の世界に帰りたい。いつまでもゲームに巻き込まれたままなんて、冗談じゃない』


 呻き声を上げて彩斗は彼らを見る。スララも立ち上がろうとするが、突風を受けて壁際に釘付けにされる。

 エルンストがガラス管の中身をぶちまける。深緑色の液体が霧状に変化し、床に、パズルのピースに、次々と染みこんでは棄科学の支配下に置かれていく。

 螺旋を描き、無数のピースがエルンストの騎士のごとく踊り回る。号令をかければ、それだけでピースは超速の弾丸となり、彩斗を貫くだろう。

 エルンストは、わずかだけ瞑目して腕を振り上げた。

 フレスベルグが力を集中させる。特大の暴風を生み出すべく、浅い呼吸音が空間に渡る。


敵を穿ピア・デヒ――」


 しかし、その直後。

 アルシエルが――エルンストの前に立ちはだかった。

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