第38話  アルシエル・ゲームの終わるとき

「まずはペアの開放だ。闘技場から解き放とう」


 嗚咽し、憎しみの心を洗い流した後。アルシエルは、呼び出した無数のガーゴイルに、次々と指令を発していった。


「大貴賓室にペアの全員を招待しろ。ゲームの終了を説明した後に、馳走を振る舞い、歌と踊りを披露し、ペアたちの心を慰撫せよ。治療も忘れるな。……私はその間、ゲームの完全な終了作業を行った後、改めてそちらに向かう」

「かしこまりましタ」


 ガーゴイルたちが各所に飛んでいく。

 闘技場へ待機させていた全てのペアの誘導。大貴賓室への案内。食事の運搬や大貴賓室の内装の装い、その他様々な雑事のために、動く石像たちは翼をはためかせ、散っていった。


 朗々とアルシエルが声を張り上げる。


「ペアへの暴力は禁ずる。丁重に扱え。必要ならば湯浴みや着替えの用意もしろ。くれぐれも乱暴に扱うな。彼らは闘技の駒ではなく、帰るべき場所と家族がある戦士たちだ。いいか、ぞんざいな扱いだけは行うな。全てが私、アルシエルだと思って応対しろ」


 一体のガーゴイルが、アルシエルに伺いを立てる。


「アルシエルさま。氷漬けにされていたワストーとグルゲン、ベヌウとカトブレパス。及び第四浴場で監禁させていたボイルやオークたちも、開放されますカ」

「当然だ。彼らも被害者だ。彼らには開放と同時に、治療の魔法も行え。傷一つ残すな」

「御意。仰せノ通りに」


 にわかに天空宮殿が騒がしくなった。無数のガーゴイルが飛び交い、ひしめき、アルシエルの命令を実行するべく、忙しげに動く石像たちが飛翔する。



†   †



「な、なんだおい!?」

「一体……どういうことだ?」

「どういう事なの? ここ、すごい広い部屋だわ……」


 ペア達が戸惑いの声を現す。


 無理もない、いきなりアルシエルが終了宣言をした後、ガーゴイルによって大広間へと案内されたのだ。

 その中には不安や戸惑い、中には疑心に溢れた者たちもいた。新たにアルシエルが企てた遊びではないかと。そう疑う者たちがいた。


 ただ、歴戦を制した強者の中には、真相を薄っすらとだが判っている者たちもいた。

 アルシエルの眼が違う。怒りや憎しみのあった彼女とは違い、終了宣言の時の彼女は理性のある者の眼をしていた。


 それで、何らかの変化が起こったのだと彼らは思った。彩斗とスララとの闘技、それが何らかの形で貢献したのは明らかだった。

 そんな確信は、ガーゴイルのペアたちの対応にも現れている。奴隷を扱う者のそれではなく、賓客を扱うそれ。

 ペアたちは、はじめは疑い、戸惑いつつも、脳裏で、「何かが変わった」ことを実感していた。



 シャンデリアの光が優しく注いでいる。色とりどりの宝石が星々の悠然とした輝きを放ち、綿のような紅絨毯が彼らの足を愛撫する。

 清廉な長卓の上にはワイン、ジュース、エール。香辛料のたっぷり掛かったスープの隣には霜の乗ったステーキ。さらには南国、北方、妖精国や精霊国から取り寄せた芳醇な香りの果物が卓のあちこちに色鮮やかに置かれ、執事服を来たガーゴイルが、手に銀のコップやスプーン、その他各種の食器を規則正しく並べていく。


「どういう事か判らんが……」

「また何かの余興じゃないだろうな」

「それにしちゃ手が込みすぎてる。というかガーゴイルの対応が変わりすぎて怖ぇ」

「俺、ガーゴイルにうやうやしく案内されたんだが」

「おい、見ろ。舞台みたいなものを運び込んできたぞ」

「踊り子の衣装を来たガーゴイルがいるーっ!」

「ぶっ!? な、なんだってーっ!?」


 料理に手をかけていた何人かが吹いた。


「ちょ、待てよ、新手の嫌がらせかよ!」

「まさか……あの格好で踊る気かよ! ねえよ!」


 彼らは苦笑と唖然と無表情のどれかに変わる。丁寧な仕草で執事服のまま闊歩するガーゴイルがいれば、ひらひらの衣装をまとい、優雅に踊り子として演舞するガーゴイルがいる。

 その様子は仮面舞踏会のような賑やかさと華麗さで、これまでの扱いとの差についていける者は少なかった。

 中には、順応して「ひゃっほーっ、ご馳走だ!」と騒ぐ強者もいたが。

 その辺りは故郷の世界で、修羅場を潜り抜けたか否かが如実に現れていた。


 唖然として、とある女戦士が目を瞬かせて見つめていると。


「どうですカ、お嬢サン。よろしけれバ一緒にダンスを踊りませんカ」

「え。いや、え……と?」


 折り目正しく礼をするガーゴイルに、彼女は唖然と大きく口を開け、固まっていた。



†   †



 開放された者たちがぼやき混じりにつぶやく。


「うああ……ちくしょう、ひでー目に遭った」

「あの老いぼれ犬の野郎、あちこち切り刻みやがって。ぶっ飛ばしてやるっ」


 氷漬けから解除されたワストーとグルゲンが悪態をつく。

 がしがしと頭を掻き、顔をしかめ、氷解されて濡れ鼠になった服を絞っていた彼らだったが、ガーゴイルが数体目の前にいるのに気付く。


「……なんだ? お前ら。どうしておれたちを解放したんだ」

「お目覚めですネ、ワストー様、グルゲン様」

「食事と歌とダンスの準備ガ出来てございマス」

「お召し物はコチラで用意した物に取り替えまショウか。それとも、まずハ湯浴みヲ希望ですカ」

「……は?」

「え?」

「ソレとも湯浴みを致しましカ。背中を流しまショウ。ワタシたちはとても体を洗うのがウマイですヨ」

「なんだそりゃ……」

「おい、待て。変わりすぎて意味が判らんのだが……」


 豹変して丁重な応対をするガーゴイルに、ワストーとグルゲンは呆然と立ち尽くす。

 ガルムに氷漬けにされ、何日も氷像になっていた恨みも忘れ、彼らはお互いの顔を見つめ、目を瞬かせていた。



†   †




 多くの人びとが困惑に満ちながらも豪勢な料理に手を伸ばす。

 初めは戸惑い、丁寧ガーゴイルに目を丸くしながらも、彼らはワインをあおり、ジュースで口を潤し、ステーキた果物や数々のスープを食していく。

 壇上できらびやかな衣装で無骨なガーゴイルが踊っていた。

 石と突起とごつい体でできたガーゴイルが、すけすけの衣装で優雅に踊る様はなんの冗談だと言いたくなる光景だったが、ペアたちは初め、失笑し、次に呆れ、やがては半笑いで喝采を浴びせ始めた。


 管理者が消え、支配と恐怖が消失した情景。

 歌と踊りとガーゴイルのテノールが飛び交う大貴賓室の片隅で、フレスベルグは一粒の葡萄をつまみ、口の中に放り込む。


「やり遂げたんだ、彩斗、スララ、エルンスト」


 フレスベルグの声音は優しかった。いつもの不機嫌な顔はなく、純粋に彼らを労う気持ちに溢れている。久しぶりに美味な料理の数々を食したフレスベルグは、我ながら単純だと思いつつも、素直に賞賛を口にした。


「まあ、これからが大変だろうけど」


 千里眼の球体が、天空宮殿の様々な部分を映し出す。

 コロシアムではワストーやグルゲンが解放され、回廊ではガーゴイルが忙しく飛び回り、料理や食器をせわしなく運び込んでいる。

 とある巨大な浴場を覗き見れば、ボイルとオークが、閉じ込められていた金属箱から解放され、何が起こったのかわからない顔でガーゴイルから説明を受けている。


 次々と、ペアたちが解放されていく。

 物理的にも、精神的にも。多くの魔法や歌が飛び交い、日常への帰還が近づいてくる。


「あとは石化したペアたちの解放が残ってる……か。それが終わって、ようやくアルシエル・ゲームは完全に終わる」


 故郷へ帰る時が近づいている。フレスベルグはそのことを実感しつつ、新たな葡萄の粒を、口へ入れていった。



†   †



 アルシエルは、一行を自分の部屋へと案内していた。


「ここが?」


 彩斗が問いかけると、魔神は浅く頷いた。


「そう、ここが天空宮殿の中枢部。全てを司る心臓部とも言うべき場所。ここでアルシエル・ゲームの終了を確定させ、完全な閉幕を行うことができる」


 アルシエルの言葉に、彩斗とスララとエルンストたちは周りを見る。

 そこは、翡翠色の床で彩られた部屋だった。天空宮殿の中で最も空に近い区画。アルシエルの部屋から階段を登った先の空間。床以外の全面がガラス張りであり、ドーム状のこの部屋からは、上空数千メートルから、エレアントの地上、天上を問わず、あらゆる景観を眺めることができる。一種の展望室としての機能もある部屋だった。


 夜中のために、満天の星空が頭上を覆い尽くしている。

 月は二つ。赤と薄い緑の満月が、寄り添うように輝き、地表へ光を注いでいた。

 けれど一同の目的は夜空の鑑賞ではない。アルシエルは部屋の中央部まで歩いた。純銀色に輝く台座に軽く触れながら、彼女は語る。


「アルシエル・ゲームの開始と終了は、二段階に分けて行われる。開始の時は、この中枢部でこの台座にオーブを乗せ、周囲の魔法陣を操作し、仮の開始の状態とする。その後はオーブに向かい、ゲーム開始の確定を宣言する」


 伝えつつ、彼女は黒い衣装の内から、白銀の宝玉を取り出した。


 中枢のオーブだ。

 台座にオーブを乗せ、アルシエルは周囲に無数に存在する魔法陣、その一つに屈み込み、話を続ける。


「終了は逆の手順でやれば良い。オーブにゲームの終了を宣言し、この部屋の台座に据える。そしてその後、魔法陣を操作し終了を確定させる。今は、仮終了の状態だ。闘技は行われず、敗北による石化状態も起こらないが、終了の確定を行わなければ、天空宮殿は空の牢獄のままだ。全員を元の世界へ送り返すこともできない。……しばし待て」


 アルシエルは、台座の周囲の魔法陣に手を添えた。

 魔力を送り込み、魔法陣にゲームの終了の確定を命じるべく集中する。

 闘技での死闘の後、アルシエルはオーブを取り出し、ゲームの終了宣言を行った。その後ガーゴイルに先導させ、回廊での懺悔を経て、メイドの少女へ促されて一同は中枢部に来ていた。

 アルシエルが魔法陣に手を添える中、夜空の景色だけが皆の視界に飛び込んでくる。


「こんなときですけど……綺麗な星空ですね」


 全面を覆うガラスの向こう、千の輝きを見せる夜空を見て、彩斗が呟いた。


「本当~、コロシアムでの戦いが嘘みたい~。宝石みたいだよ」

「そうだな。ベリアルの趣味だよ」


 アルシエルは魔法陣に魔力を送りながら、複雑そうな顔をした。


「ベリアル・ゲームを行っていた当時、ベリアルは合間合間にこの部屋へ来て、この絶景を楽しんでいたそうだ。エレアントは月に一回、流星群が落ちるからな。それも眺めていたらしい。……まったくもって、理解し難い魔神だ。残虐なゲームで愉悦を得ていたかと思うと、美麗な夜空に感動したりもする。私には永遠に理解できない」

「……ベリアルは今、何をしているんでしょう」


 彩斗がふと思った。


「あれだけの事を、まるで行動を起こす気配がない。完全に沈黙ですね」

「そうだな。右腕に火傷の痕がある者……つまりこの天空宮殿へ召喚された誰かが、ベリアルのはずだ。しかし奴は自分の姿を自由自在に変えられるため、特定することは出来なかった」


 アルシエルはベリアルに会ったときのことを語った。

 村が襲撃され、ヒュドラのいる森にまで逃げ込んだとき。最初は六枚の翼を持った悪魔めいた姿だったベリアルは、ヒュドラを倒した後、そのヒュドラに似た九頭竜へと変化した。


「今の奴がどんな姿なのか、見当もつかない。私に、奴の姿を見破る力さえあれば……」


 そのとき、ハッとして彩斗が言った。


「アルシエルさん。いま思ったんですけど……それだったら、いま完全にアルシエル・ゲームを終わらせたら、ベリアルが暴れる可能性があるんじゃないですか……?」


 アルシエルは一瞬、硬直した。


「……そう、だな。迂闊だった。完全に失念していた」


 アルシエルは魔法陣への魔力供給を止めた。


「……そうだな、今現在、天空宮殿は私の管理下だ。闘技の開始やガーゴイルの支配など、私の思いのまま。仮にベリアルが戦いを挑んできても、ガーゴイルの軍勢をぶつけ、私自身が余裕を持って対処することができる。しかし……」

「お姉ちゃんがゲームをやめたら、ガーゴイルたちも手を離れる、よね……?」


 スララが尋ねると、アルシエルは頷いた。


「そうだ。戦力は低下する。絶対的な私の支配は終わる。まさか……奴はそれを狙っていたのか? 奴は私に召喚された後、私が精神を蝕まれて廃人になるか、何らかの事情でゲームを中断して私が一人になるまで、待っていた……?」


 スララが言った。


「わたしもそれは気になってた。ベリアルはどうしてお姉ちゃんを襲わないのかなって。でももしかしたら、ずっと機会を待ってたのかな。お姉ちゃんが一人になった瞬間を待ち構えて、それで……」

「ああ。一対一で、私を討ち滅ぼす気なのかもしれない。……だとしたら今終了を確定させるのは危険かもしれない。いや、はっきりと危険と言える。ガーゴイルが手下でなくなった私を、奴は狙ってくる可能性が高い」


 彩斗がふと気になって尋ねた。


「……それほどガーゴイルって強い戦力なんですか? アルシエルさん、あれは宮殿内にどれだけいるんですか?」

「第一層の三泉浴場という場所に、ガーゴイルを生み出す魔法陣がある。そこからは無尽蔵にガーゴイルを生み出すことが可能だ。――ガーゴイルは宮殿内の番人であると同時に、最大の戦力だ。お前たちが最初の闘技で戦ったサイクロプス。あれの八体分の力は持っているだろう」

「い、一体のガーゴイルで、ですか?」

「そう。一体でその戦力だ」


 軽く顔を引きつらせる彩斗に、アルシエルはなおも深刻な表情で、


「だからガーゴイルが私の支配下にあるうちは、ベリアルは攻めてこないのだろう。ガーゴイルは盾であり最強の矛だ。あれが私の支配下にある限り、ベリアルは私に手を出せない」


 彩斗は思わず部屋の外に待機しているガーゴイルの方を振り返った。

 ここからでは顔は見えないが、照明によって翼の影は見える。これまで恐怖を与え続けてきたあの動く石像が、じつはベリアルから守ってくれる盾だったなど、皮肉もいいところだ。

 エルンストは黙って考え込んでいる。スララが姉を見つめ、


「ということは……お姉ちゃん、ゲームの終了は、引き伸ばすの?」

「ああ、そういう事になる。正確には今の状態……仮終了で止めておくのが懸命だ。完全に終了してしまえば、ベリアルはほぼ間違いなく襲ってくるだろう。いや、それだけではない。ゲームに巻き込まれたペアを使って、新たな『遊び』をする可能性もある。現状の維持――それが、最も安全な策だ……」


 重苦しい空気が辺りを包み込む。緊張と、不安。それらが交じり合って彼らの中を這い回る。

 魔神ベリアル。そもそもの元凶。一同がここにいる根本的な要因。エレアントの誰もが勝てず、倒せず、暴虐の限りを尽くした魔神が、宮殿に潜み、気を伺っている可能性。

 アルシエルを正気に戻させて終わりではなかった。それは通過点に過ぎない。ベリアルを倒さない限り、ゲームの本当の終わりはない事を、彼らは感じていた。



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