第38話 訪問者④

 パソコンの電源を落としても尚、瑞樹の思考は止まらない。


(1箇所で火が燃え移り全体に広がるのではなく、初めから全体が同時に燃え始める。そんなことが起こるものなのか。あるいは、魔法ならばそれが有り得るのか)


 疑問は絶えない。


 瑞樹の思った通り、事実、魔法的ものによって火災は起きた。しかしそれが判ったところで、魔法という存在の根本的な理解とは程遠い。

 しかしそれは理解するためのかてになり、一歩一歩の積み重ねで未知の概念の理解という高みに至るのだ。


 この火災は、正確には魔法とは異なる。無関係とまでは行かないが、「科学」と「化学」くらいの差はある。

 魔法とは広い範囲についで指す言葉である。


 何かを調べるには、強靭な精神力と忍耐力が必要だ。楽に進むとは考えない方が良い。

 だから一息ついた時は、時間分よりも多く疲れている。

 普段と同じ。こんな時は瑞樹は、コーヒーを1杯飲み、身体をゆっくりとほぐすのだ。




 ☆☆☆☆☆




 瑞樹には最近、一つの不安事項がある。

 それは想像するだけで気分を憂鬱に変え、不安をより一層深くする。


 一応結論は出ているが、心配で落ち着かず、何度も何度も繰り返しシミュレーションしてしまう。

 負のスパイラル。


 ――ニーナを家に一人で残すことに、ここまでの不安を募らせるなんて。


 もっと早く手を打つべきだったと後悔している。


「最後に確認するが、本当に大丈夫だろうな? 一人で待つんだぞ?」

「問題は一切ない! ミズキが学校から帰るまで、この家の平和は私が守るから!」

「家から出ないのはむしろ望むところだが……。引きこもりニートにだけはなるなよ」

「その生活はもううんざりなんだってば」

「そうだったな」


 自堕落な生活に飽きるのも、滅多にないものではなかろうか。数年規模の外出自粛の影響は、瑞樹の予想を遥かに上回っている。


「腹が減ったら鍋に入っている朝食の残りを食べるように。白米は炊飯器な。あと、何かあれば電話してくれ。あれでかけられる」


 固定電話を向くと、携帯の電話番号を紙に書いて脇に置いた。


「自由にしていていいが、くれぐれも手遅れになるような真似はするなよ? 火事でも起こされちゃ、付けは全て俺と所に回ってくるんだからな」

「わ、分かってるって」


 どれだけ念押ししようとも不安を拭いきれない瑞樹は、無理矢理意識の外に出すため、話を切り上げ颯爽と家を出た。


 瑞樹の家は、学校までは徒歩五分とかなり近い。学校の敷地は広く、教室のある校舎に着くまでに数分の時間を要してしまうが、平地である分負担は少ない。

 その平坦な道を行く間、ついに安心する理屈を絞り出すことは適わなかった。




 昇降口で上履きに履き替えると、少し遅れて教室に入った。普段なら階段を登って教室に向かうところ、ある場所を経由したため遠回りになったのだ。

 ある場所とは言わずもがな、理事長室のことである。借りたUSBの返却も目的の一つだが、幾つか訊ねるべき事項があった。

 どうせ呼ばれることは分かりきっているので、あらかじめ要件を済ませておこうという意味合いもある。


 瑞樹の所属するクラス――二年三組の教室に入った瑞樹は、一直線に自分の机へ向かう。この週末は奇しくも積極的な屋外での活動に勤しみ、常にと言っても差し支えない程、傍らにはニーナがいた。


 ビジネスパートナーとして良好な関係を築いてはいるが、何分、瑞樹は研究者気質。どちらかと言うと、一人でいることを良しとするタイプの人間だ。

 一般的な社交辞令はこなせるものの、好んで他人と接しようとはしない。

 ……必要とあらば話は変わってくるが。


 ようやくやってきた、一人の時間。それは、瑞樹が書物を開いた瞬間に終わりを迎えた。


「おっす、瑞樹。気分でも悪いのか? いつも以上に表情が暗いぞ。さぁさぁ、頼れる友人、この喜多嶋拓に話してみろ!」

「ああ、貴重な読書の時間をしょうもない会話でいたずらに浪費させられているんだ。何とかしてくれ」

「任せろ! で、それは誰のせいだ? 力づくにでも止めてやる」

「……お前だよ。だから向こう行ってろ」

「またまた、そんな冗談言って。正直に話していいんだぜ」


 やっかいな者に絡まれたと、瑞樹は額を押さえる。

 話を聞かない。そしてそれが平常運転ときた。

 平日の日課のようなもので、慣れてしまっているため苦ではないが、厄介極まりない相手である。


「……冗談のつもりはないんだがな」


 とはいえ瑞樹の表情が暗いのは教室に入る前から。一概に喜多嶋のせいだとも言えない。


(ま、それを言うつもりもないが)


 その理由を瑞樹は自分でも分かっていた。


 理事長の不在。彼の出勤時間などミジンコ並に興味がないが、そのせいで二度手間になったならば、早まった自分の落ち度だ。

 後ほど放送で呼び出されると考えると……気分が沈むものだ。


 ――チロチロリン!


 喜多嶋のウザ絡みにどう対処しようかと思考を巡らしていると、瑞樹のスマホの着信音が鳴った。


 瑞樹の電話番号を知るものは少ない。そして数少ない知り合いも、学校がある時間帯にかけない程度には、空気が読める。

 連絡先は瑞樹の家。恐る恐る数字を押すニーナの姿が容易に想像できる。


 授業中に電話される可能性があるため、普段なら注意を入れるところだが、今この瞬間に限っては好タイミングだ。


「悪い、しばらく離れててくれ」


 喜多嶋も、他人の電話を盗み聞きするような人物ではない。


「わかったぜ、しょうがねぇなあ。おっ、遅かったな、矢津――」


 そう言うと、ちょうど教室に入った矢津智也に絡み始めた。瑞樹と違って、こちらは拒絶していない。


(なるほど、この手は使えそうだな)


 そして瑞樹はスマホを取り出しながら、そんなことを考えていた。


 遠隔操作でスマホを操作し、着信が届いたように見せかける。喜多嶋がこれでしばらく距離を置くことは確認できた。

 やることは自作自演だが、試したことはない。

 そしてそれは、対して難しい目標でもなかった。


 瑞樹は胸が踊るのを感じながら、通話ボタンを押す。


「はい、もしも――」

『おおー! すごい、本当に繋がったー!! ふむふむ、その声、もしかしてミズキだな! でもちょっと声が低いかもっ!』


 突如聞こえた怒鳴り声に、反射的にスマホを遠ざける。スピーカーにしていなくてこれだ。30センチ近く離れていても声が届く。


『電話できるんだなぁっては思ってたけど、声が低くなるのは予想外! あっちの世界にもあるにはあるけど、誰にも繋がらないから使わなかったんだよねー。つまり、ミズキが初通話だよ!』

「分かったから、とりあえず落ち着こう、な。うるさい」


 その言葉が効いてか、音量が小さくなったのを確認し、再び耳元に近づけた。

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