第19話 天空の風車②

 不審物や危険物は日常のあらゆる所に潜んでいる。

 なぜ気づかなかったのかと思うほど近すぎたり、誰にも気づかれないような物陰だったり。


 何かに直接的な害を与えるか否か、といった差はあるが、どのような形であるにしろ害は害だ。被害を減らすためにも手を打つのは必然とも言える。


 例えば道の真ん中に落ちている小石の場合。

 多くの人は何もなかったかのように通り過ぎるだろう。どこかへ蹴り飛ばす人もいる。


 しかしその小石に躓いて転んだりすれば、その人物に害を与えたことになる。


 小石で転ぶ程度ならマシな方だ。蹴り飛ばされた石が弧を描いて大空を飛翔し、落ちた先に人がいたりすれば。

 一つの負傷事件の発生だ。


 こんなことが起きるはずがないと決めつけられるのならば良いのだが――。


「おい、ニーナ! 危ない!」


 瑞樹が落下してくるそれを見つけられたのは、曖昧模糊に空を見上げていたから。

 瑞樹の視界に突如現れ、自分達のいる所に向かってゆっくりと下降して行く。


「どうしたの?」


 瑞樹の呼び掛けにニーナが歩みを止め、振り向いた直後。


 ――スカッ!


 ニーナの一歩先に、先端の尖った歪な形の黒い塊が突き刺さった。

 縄文時代の石包丁のようなそれは尖った方を下に、ピンと上を向いている。


「ニーナ、怪我はないか?」

「うーん大丈夫みたい。それより早く乗ろ!」


 止まらなければ脳天に直撃するはずだったのだが、危機に対して鈍感なのか、ニーナに恐怖の文字はない。


 もしかしたら、家を出る時のように魔法か何かで守られるからなのかもしれないが。


(何はともあれ少しずつでも解明した方がいいよな。未知のままじゃ気が済まない)


 瑞樹の科学者精神に火がついた。

 能動的に突き立った黒い塊を抜く。そして気付く。


 ――それはダイヤモンド程に硬く、質量を感じさせない程に、軽かった。


 大きさはミカンほどだが、見た目相応の重さがない。

 空気を直接持つような不思議な感覚。


 落下速度もそこまで速くなく。

 瑞樹には、それがコンクリート面に刺さるのに十分なエネルギーを持ってるようには思えなかった。


「準備が出来ました、こちらへどうぞー」


 何も知らない係員が、やってきた一回り大きなゴンドラの扉を開ける。


「……乗るか」


 嫌な予感しかしない瑞樹だったが今更どうにかできることでもなく、黒石(と瑞樹は呼ぶことにした)をポケットに入れるとゴンドラに乗り込んだ。

 自分の杞憂であることを願って。


 ――同時刻。


「なあ、おい、喜多嶋。結構遠くに飛んで行ったけど大丈夫なのか?」

「大丈夫なんじゃね? 意外と軽かったし、当たったって死球デッドボールの方が痛いだろ。それより見たか、俺のキック! サッカー部よりも飛んだんじゃないか?」

「今度試してみようぜ。グラウンド全面使って石蹴り大会なんてのはどうだ?」

「おっ、矢津、ナイスアイデア!」

「それにしても大分飛んだなぁ」

「ほんとにな」


 黒石を空中に蹴り飛ばした犯人が彼等であることを、瑞樹は知らない。



☆☆☆☆☆



 瑞樹達二人の乗るゴンドラはゆっくりと高度を上げていく。その間瑞樹は窓のずっと先に見える小さな海を、ぼんやり眺めていた。


 この観覧車は全長百メートル越えと非常に高く、それに相対して周期も長い。


 日本最大とまではいかないがランキングに乗るほどには高く、夜景を見に夕方から長蛇の列ができるのは日常茶飯事だ。


 瑞樹も過去何度か乗ったことがあり、昔はその光景に身を焦がして来たが――いつからだろう、感情に一切の変化が現れなくなり始めたのは。


 飽きたとはまた違った気持ち。

 自分が何故こんなものに夢中になっていたのかという、錯覚から覚めた感情が瑞樹の中で蠢いていた。


(中学に入ってからか? いや、きっとに出会ってからだろうな)


 瑞樹の瞳の裏側には、彼が研究を始めるきっかけとなった日のことが映し出されていた。


(ニーナも、いつか俺みたいな思いをするものだろうか? 今のニーナは……昔の俺だ)


 感情なんて時間とともに移り代わって行くものだ。永遠同じでい続けることなど出来やしない。


 瑞樹の視線がニーナへと移って行った。


(それとも、魔法があれば感情をも操作できるのか?)


 それが可能ならば、まさに『魔』だ。人の領域を脱している。


「すごく高いねー! それにあの水溜り、どこまで続いてるんだろう。広い、だけど綺麗!」

「そうだな……」


 その返事は完全なる虚言ではないが、瑞樹の本心とも異なっていた。


「あれは水溜りではなく、海って言うんだ。聞いたことないか?」

「ウミ?」

「ああ、海だ、大量の塩水。世界の何処よりも広く深いんだ」

「塩!? そんな、高級品なんじゃ?」


 ニーナのいた地域に海はなく、それに加え彼女自身世界を知らないため海についての知識はない。

 近隣に海がないため岩塩からしか潮の産出がなく、さらに言えば戦時中。輸送は危険だ。

 塩は高価だった。


「あれだけあるんだ、いくらでも取れるさ。今度行ってみるか? 舐めてみるといい、すぐに解るぞ」

「行きたい! でも忘れないでね?」

「了解」


 いよいよゴンドラも最上部に到達しようとする。

 移動の向きが縦方向から斜め、そして真横に近づく。


 しかし、二人を乗せるゴンドラが完全な横移動をすることは無かった。


 ――ガダッ!


 どこからともなく聞こえてきた不穏な音と共に、彼等は激しい衝撃を受け、手すりに掴まることを余儀なくされる。


 揺れはその一回きりだが、揺れが続かないことと不安にならないことは必ずしも一致するとは限らない。


「な、何があったの!? ミズキ、知ってる?」


 現にニーナは正常を装っているが、顔面蒼白でどう見ても正常では無い。


 瑞樹は窓からこのモールの敷地を俯瞰し、米粒のように小さい人間達が次第に観覧車付近に集まってくるのに気づく。


「なんだろうな? 何かがあったみたいだ」


 人が集まる、すなわち人の興味を引く何かが起こっている。

 それがなんなのか見つけるため、張り付くように窓の外を丁寧に観察し始めた瑞樹は――。


「なるほど、観覧車が止まったのか。これは目立つな……」


 しかしその原因までは断言出来ず、推測するしかなかった。


「ええー! それって一大事じゃん! ていうかミズキどうして驚かないの!?」

「そんなことはないよ、揺れには流石に焦ったさ。ただ、止まっただけだ。壊れて落ちていかないだけ全然良くないか? それに怖いだの帰りたいだの言ったところで何も変わらないんだ、落ち着いて待つべきだと思うな」


 それはそうなのだが、一度味わった恐怖は簡単には克服できない。

 ニーナは終始落ち着くことができずにいた。


「ま、しばらく経ったらまた動き出すだろ。それまで待とう」


 しかし瑞樹の言葉とは裏腹に、いつまで経ってもゴンドラは動き出さない。


 停電にしろ補助動力はあるだろうし、観覧車の性質上人力で動かすことも不可能ではない。

 回転部に問題があると見るべきだ。


(こうなったら支柱をつたって降りるしかないのか? 百メートルの高さを? 行けるのか?)


 しかし考えていたって始まらない。思い至ったら直ぐに行動に移すのが瑞樹だ。


「み、ミズキ? 何してるの?」

「このままだと埒が明かないから自力で脱出するんだ。とりあえず天井を開ける」


 このような状況のための脱出用か、天井には人が出入りできる大きさの扉らしきものがある。

 勿論簡単に開けれるような代物でもないが、座席に立って手を伸ばし、瑞樹は構造上最も脆い部分を叩くと凹みができいとも簡単に扉が開いた。


 強風に黒髪を靡かせながら顔を出し感じたのは、風に乗って届く有機物の燃焼した臭いだった。

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